旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

中南米の香りーーマリアッチ

2007-07-31 21:08:53 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

前回の“メキシコ・シティ”で、「一泊もせず、ザ・メキシコ料理も食べていないので、メキシコ・シティには“行った”ことにならない」が、「文化の一端には触れた」と書いた。
 
その文化の一端の一つに、マリアッチがある。“わずか2時間の市内めぐり”の中で、マリアッチ広場にだけは行って、車を降りしばらく広場を歩いた。演奏は夕方かららしく、開演を待つたくさんのグループが、衣装を調えギターなどを抱えてたむろしていた。同行した姪っ子などは、それらのグループと写真に写ったりしていた。
 
そこではついに演奏を聞く時間はなかったが、これだけのグループが次々演奏する様はいかばかりか…と、その雰囲気に思いをめぐらしたのであった。
 
なぜなら、その前の訪問国コスタリカで、マリアッチを十二分に味わってきたからだ。

 サンホセ最後の夜、現地で知り合った青年海外協力隊員の一人T嬢の案内を受けてマリアッチ館“エスメラルダ”に行った。ロン(コスタリカではラムのことをこう呼ぶ)を呷り、コスタリカ料理をつつきながら、数組が次々に演ずるマリアッチを心行くまで楽しんだ。1曲のリクェスト料が日本円で約500円、それを20曲はリクェストしたと思う。

「最後の夜だ! 有り金はすべて投げ出せ!」

という勢いで楽しんだ。

 このようなマリアッチ館で演奏しているグループは、最盛期を過ぎた人たちか二流どころではないか? なんとなく、うらぶれた音楽士という風情が漂う。そして、それがまたいいのである。
 
私たちがこの手の歌を覚えたのは、かのトリオ・ロス・パンチョスからであった。彼らが日本を席巻したときの歌を次々とリクェストすると、「お前達もトリオ・ロス・パンチョスが好きか?」と聞いてきた。「もちろんだ!」と答えると、「やつらはうまかったからなあ…」とつぶやいていたが、そこには、言い知れぬ芸人の悲哀が漂っていた。
                    
                
   


メキシコ・シティについて

2007-07-29 12:53:16 | 

 

 カンクーンについて書いたついでに、メキシコ・シティについて一言触れておく。
 私の記録では、私は未だメキシコ・シティには行ったことになっていない。『旅のプラズマ』に書いたように、私がその地に行ったという定義は、「その地のどこかに泊まり、その地の酒食を食べる、あるいは文化に触れる」(同書102頁)となっている。メキシコ・シティには未だ泊まっていない。テキーラとともに、ザ・メキシコ料理を食べていない。文化の一端には触れたが・・・。
 実は、カンクーンからマイアミに飛ぶ間にメキシコ・シティでトランジットとなった。しかも4時間も時間があったので、弟親娘とタクシーをチャーターし、2時間強をかけて市内を回ったのだ。要所要所で降りて、いろんな行事や名所を楽しんだが、車を2時間乗り回せばかなり回れる。結構印象深いものが残った。

 何が、印象に残ったか?
 どうも一口では言い表せない。ただ、”広大な町だ”という感じが強烈に残っている。
 ヨーロッパに行けば、どこの町にも中央に広場がある。そこには必ず大聖堂があり、町の主要な建物が並ぶ。メキシコもスペインから独立した町であるからつくりは同じ。ただその広さが違う。
 ソカロ(Zocalo)と呼ばれる中央広場は、メキシコの町のどこにもあるらしいが、メキシコ・シティのソカロは、正式名称を憲法広場と呼び、国の政治の中心広場となっているらしい。
 とにかくだだっ広い。そこを大聖堂や長大な国立宮殿などがとり囲み、絶えずいろんな行事が催されているようだ。そこにはアステカの遺跡もあるようで、われわれが行ったときも、原住民の姿で踊る行事(写真)が行われていた。
 そのほか、町の中央に立つ独立記念塔にしても、何か広大な印象だけが残っている。
 そして、みんな親しみやすい人柄を感じさせたが、いわゆる欧米で接したものと”異質な文化・人種”を感じた。

 「これは一度、ゆっくり来なければダメだな・・・」

これが、2時間という、ほんの短時間、車で走り回ったメキシコ・シティの印象であった。

 ・・・やはり、私は未だメキシコ・シティを知らない。
 いつか行く機会があるだろうか? かなり絶望的だが・・・

                        


カンクーン(メキシコ)のパラセイリング

2007-07-27 17:31:24 | 

 

 コスタリカのリバーラフティングとともにスリル満点であったのが、続いて訪れたカンクーンで初体験したパラセイリングであった。
 コスタリカから北上すると、南北アメリカ大陸を結ぶ帯がだんだん太くなり、やがてカリブ海に突き出した半島がユカタン半島。その突端にある、メキシコが世界に誇るリゾート地がカンクーン。
 石灰岩に覆われたユカタン半島の地下には、鍾乳洞がはりめぐらされ、その作用で、周囲のカリブ海の水が抜群の透明度を持つと言う。またカリブ海の潮流により珊瑚のかけらが打ち寄せられて、
白い砂浜が形作られたと聞く。
 遠浅の白い砂浜、透明な海水、青くどこまでも高い空・・・

 仲間の一部は、メキシコに伝わるマヤ文明の遺跡見学に出かけたが、私はカンクーンの二泊三日は、この砂浜を離れず、透明な海水に身を任せて一歩も動かない、と決めていた。
 裸を陽光にさらして砂浜に寝そべっていると、真っ青な空にパラセイリングを楽しむ人たちが浮かんでいる。低く流れる二人乗りのモノから、高く蒼空に溶け込む一人乗りなどいろいろある。
 「兄貴、あれをやってみようではないか」
好奇心旺盛な弟がつぶやく・・・。最初は本気にしなかったが、見るうちに欲望を高められていると、それがわかったのか、キューバから来たという少年が「パラセイリングをやらないか」と誘いに来た。早速応諾、これまた好奇心旺盛、高度恐怖心皆無のワイフも乗ってきた。

 このパラセイリングは素晴らしかった。モーターボートにロープでつながれたパラシュートを背負うと、ボートが引っ張る。スピードを増すにつれロープが伸びて、空高く舞い上がる。
 ロープの全長200メートル・・・海面から最高100メートル近い空中を飛ぶ。空の上から見るカンクーンは、また格別。長く打ち続く白浜、高級ホテル群、そのかなたのラグーンなど・・・。
 いやあ、何事も勇気を持ってやってみるものだと思った。因みに料金は、一人35ドルであったと記憶するが、あの満足度からすれば決して高くないと思っている。

       
 
          写真上は、人影もかすむ最高度の飛行。写真下は筆者(左)とワイフ。右端は舵手。


リバーラフティング(3)--自然と調和して生きるコスタリカ

2007-07-25 22:15:31 | 

 

 初めて経験したリバーラフティングーーしかもコスタリカの急流を下るラフティングだ。最初の激流に突っ込んだとき、よく誰も落っこちなかったものだと思った。しかしこれで度胸がついて、次の難所から積極的に対応して、むしろ楽しくなるから不思議だ。
 難所を通過する度に、全員オールを高く掲げて歓声を上げる。自然を克服した英雄気分と、「力を合わせたチームワーク」(イェンシーの指示)を発揮した誇りが、全員にみなぎる。

                      
 
  だんだん周囲の景色をみる余裕が出てくる。
 水面に様々な鳥が飛び交う。両岸の密林の中をイグアナやナマケモノなどがうごめく。その上に高く聳えるポロマッチョ(コスタリカを代表する木)が美しい。そこに人工的なものは何もない。自然と触れ合うことは、こんなにも素晴らしいことなのか・・・とあらためて思う。

 全行程四時間の下りの途中、静かな支流と出合う河原で昼食となった。ゴムボートを河原に引き上げ、ひっくり返して食卓にする。どこに積んであったのか、たくさんのパン、ソーセージ、野菜や果物、ジュースやコーヒーが並ぶ。食べ放題の食事は心地よい疲労を癒し、豊かな満足感を与えてくれた。
 残ったパンやハムなどは、きれいに紙に包んで、周囲で遊んでいたインディオ(原住民)の子供たちにあげる。その上、頂き物を水にぬらさないように頭上に掲げる子供たちを、カヌーで向こう岸まで送ってあげる。それは、言いようのない美しい光景であった。

 いよいよ後半の下りだ。あわてて救命具をつけていると、早くも食事の跡は片付けられ、ボートが浮かべられている。
 そして、河原には、ゴミのかけら一つも残されていなかった。
 それは、インディオと共存自然と調和して生きるコスタリカの姿を示しており、また、インストラクターたちの高い教育水準を伺わせるものであった。

 コスタリカのリバーラフティング――それは想像以上にハードであったが、その素晴らしさも想像をはるかに超えた。
                                                 
                                     


リバーラフティング(その2)

2007-07-24 21:40:04 | 

 

 思い起こせば、コスタリカは南北アメリカ大陸をつなぐ細い帯の一番くびれたところ・・・、しかも4千メートル近い山岳地帯が中央を走るので、両側、つまり太平洋とカリブ海に流れ落ちる川は険峻である。
 その川を下るのであるから、物見遊山とはわけが違う。わがインストラクターイェンシー嬢(前回写真参照)の説明にも熱がこもる。

「重要なことは全員が力を合わせることだ。インストラクターの指示どお
り同じテンポで同じ方向に櫂をこぐ。ボートが傾いたら逆の方向に体を傾けてバランスをとる。前後左右に全員かたまる指示が出たら即座に体を寄せてバランスをとるように・・・」

 だんだんと緊張の度が増してくる。「それにしても話が違うなあ。こんなことを未経験者にいきなりやらせていいのかよー」などとつぶやいていると、彼女の説明は最後のまとめに入った。

「最後にもう一度言う。最も重要なことはチームワークだ。全員が一人残らず力を合わせることだ」

 私は身震いする思いでこの名演説を聴いた。そしてこの時ばかりは、小柄なイェンシーの体が大きく見えた。
 そして・・・・・・
 
ボートを漕ぎ出して数分もしたら最初の激流に差しかかった。われらがボートのインストラクターはアンドレアスというたくましい青年。豊かな身長、筋骨隆々かつ美男子で見るからに頼もしい。このアンドレアス君のかけ声に一段と力が入る。

 「アッ!」・・・全員声を出したかにみえた・・・

 だれも声は出さなかったのかもしれない。(というより声も出なかったに違いない) ゴムボートはまっさか様に激流に突っ込んだ(と思えた!)
 ・・・気がついたら全員ずぶぬれで、とにかくボートの中にはいた。何がなんだか分からなかったが、「これが激流を通過するときの感じなのか・・・」という感だけは残った。

 こうして、コスタリカリバーラフティングが始まった。
                            

   
                   アンドレアス君(最後尾左)の掛け声に合わせ川に乗り出す
                                (先頭の左が筆者、その後がワイフ…お互いにまだ若い)

 


リバーラフティング

2007-07-22 16:34:44 | 

 

  コスタリカでの滞在二日目、早速ラフティング(川くだり)をやることになる。当初この案を聞いたとき、「それは楽しい計画だ!」と大賛成した。日本でも三大急流(最上川、富士川、球磨川)のうち最上川と球磨川を経験している。いずれ酒でも飲みながら、両河岸の鳥や動植物を楽しむのだろうと思っていた。
 迎えに来たマイクロバスでは、ガイド兼インストラクターのイェンシー嬢が出迎えてくれた。小柄だがスペイン系らしいキュートな美人、黒い髪、黒い瞳、それに日焼けした褐色の肌は東洋人にとっても親しみがわき、美しい川面をともに下る様を想像して胸が躍る。
 ところが目的地(川くだりの出発地点)に近づくにつれて、イェンシー嬢の態度が変わってきた。長い黒髪を後ろに束ね紐で縛る。シャツを脱ぎ捨てると日焼けした黒い肌もあらわな水着姿だ。これから川中でワニとでも格闘しそうな気配だ。
 バスを降りるや四人と六人に分けられ、まず渡されたのがヘルメットと救命胴衣とオールだ。
 「何だか雰囲気がおかしいなあ・・・自分で漕ぐのかよー」
などとつぶやいていると全員集められ、一段高い所に置かれたゴムボートの中に立ったイェンシー嬢が説明を始めた。
 まず、オールはこのように持って、ゴムボートの縁に腰を下ろし、このように水をかけ・・・とオールを振りながら説明する。
 「オイ、オイ、縁に掛けるなんて危ねーじゃあねーか。落っこちたらどうするんだ」なんて思っていると、
 「足を前のシートの下に入れて固定すること。そうしないと激流にあらわれた時にボートの外に放り出される。万一川に落ちても体は浮くのであわてないこと。そしていかなる時でもオールは絶対に放さないこと。オールを差し出せばそれを掴んで助けてあげる」
というようなことを言っている。
 「冗談じゃあねーや。逆さまに落ちてオールもへったくれもあるものか・・・」
 だんだん不安が高まってくる。英語のヒヤリング力の弱い私は、いつもガイドの話など適当に聞いているが、この時ばかりは命にかかわるとばかりに真剣に耳を傾けた。
 そして、イェンシー嬢の説明はいよいよ佳境に入った。
 

       
                                
右がインストラクターのイェンシー嬢


夏が来れば思い出す旅

2007-07-21 15:32:01 | 

 

  梅雨はいつ明けるのだろうか? そろそろ梅雨明けが待ち遠しくなった。
 梅雨が明ければ盛夏である。暑さにも寒さにも弱いが、九州生まれの私にとっては、やはり夏が好ましい。そして夏が来れば必ず思い出す旅がある。それは尾瀬(江間章子の『夏の思い出』)ではなく、はるかかなたの国コスタリカカンクーン(メキシコ)である。
 実はコスタリカ、カンクーンの旅は、今から10年前1997年の2月であった。夏どころか、日本にあっては冬の真っ最中である。ところがこの二国が面するカリブ海に注ぐ太陽は、わが九州の夏の太陽よりはるかに強く、海は青く空はどこまでも高く澄みわたっていた。
 当然のことながら私たちは、そこで水に親しんだ。コスタリカでは、中央山岳地帯からカリブ海に流れ落ちるレヴェンタソン川でリバーラフティングを初体験し、カンクーンでは、これも生まれて初めてパラセーリングを楽しんだ。
 ラフティングは丸一日行程の、想像をはるかに超えるハードなものであったし、メキシコが世界に誇る観光地カンクーンの海原に浮かぶパラセーリングは、これまた、かつて経験したことないスリルと快適さがあった。
 次回から、その一端を記していこう。
                                                               


純米酒は高価(たかい)か?

2007-07-19 21:43:16 | 

 

 純米酒への傾斜が、酒を特定の層の飲み物としていくことはないか?(前回ブログ)
 これはあまり考えなかったことであった。本物の日本酒を追求すれば、その先は当然のこととして純米酒に到達する。しかし、それは高価な酒を求めることであり、それだけに国酒としての日本酒を一般国民から遠ざけていくことになるのか・・・・・?
 それは私の本意ではない。一貫して純米酒(本来の日本酒)を追い求めてきたが、それに比例して一般日本国民から離れていくとしたら、これは正に本末転倒である。

 ところで、純米酒は、果たして高価(たかい)か?
 わが純米酒普及推進委員会の事務局を勤めているフルネット社が出版した『2000円台の旨い酒』という本によれば、一升二千円台で素晴らしい酒がごまんとある。この本には本醸造酒も載っているが、少なくとも二千五百円未満で、どこにも負けない、世界に出して引けをとらない純米酒特別純米酒純米吟醸山廃・生もと純米などなどが並んでいる。
 普通の人は、「晩酌で2合」が平均ではないか?(私も、普通の晩酌は2合である) とすれば、一升で5日、月6升となり、一升2500円なら「月の酒代は1万5千」である。前述したように「世界に比肩する日本酒」を飲んで月1万5千円は、はたして高いか?
 ちょっとハメをはずせば、一晩か二晩で使うかもしれない金額を、果たして「高い」と評価するか? ニセモノ、混ぜモノ酒を飲みながら高額を払っていることを考えれば、決して高くないのではないか?
 ただ、「月1万5千円の酒代」は、ワーキングプアの人たちのことなどを考えると、胸が痛むのであるが・・・・・・
                                         
                     


どこまで続く、酒つくりへのこだわり

2007-07-16 15:25:00 | 

 

 大阪純米酒フェスティバルからの帰途、中野さん(事務局長)がある女性参加者の話をしてくれた。それは・・・、「日本酒へのこだわりは、最初は大吟醸、次に純米酒・・・その燗酒・・・生もと、山廃・・・と辿ってきた」という話。
 思い起こせば、私もほぼ同じ跡を辿った。30数年前、ある蔵で飲んだ大吟醸に眼が覚めたのが発端。それから一時は、純米大吟醸、その生酒、搾りたて・・・などを求めた時期があったが、やがてその香りの強さと冷で飲む風潮(当時は吟醸酒を燗などしたら叱られたものだ)に抵抗を感じ、純米酒を求めるようになった。
 それは同時に燗酒(あるいは常温酒)志向でもあり、米の味を求めることとあいまって生もと、山廃純米に進む。数年前から日本酒の感想を聞かれると、「山廃純米(もっといえば山廃純米吟醸)の燗酒が日本酒の低迷を救うのではないか・・・?」と言い続けて来た。
 最近の晩酌は、ほとんど純米吟醸の常温かぬる燗である。米の味や甘味が豊かな生もと、山廃つくりならいっそう良い。

 ただ、このような傾向が日本酒を高価なものにして、特殊な人たちの飲み物になるのではないか?、という前述の問題提起(昨日のブログ)は、これまであまり気にしなかったものであった。国酒たる日本酒が国民から離れてはいけない。
 ただ、重ねて言うが、われわれはアル添酒や三増酒を造るなとか飲むなとか言っているのではない。当然造られ飲まれてよいが、「醸造酒としての清酒とは区別せよ」言っているだけだ。
 焼酎と同じように、甲類と乙類に分ける方法もある、と言うのが高瀬さん(委員長)の妥協案である。しかしそのときは、純米酒こそを甲類と呼びたいものだと思う。
                                           
                                                


大阪純米酒フェスティバル

2007-07-15 19:06:05 | 

 

 一昨日は大阪「純米酒フェスティバル」であった。
 プロフィールにも書いたように、私は純米酒普及推進委員(5名)の一人として、年2回東京(椿山荘で春と秋)で、年1回大阪(太閤園で夏)で開く純米酒フェスティバルに参画している。東京では全国50の蔵がブースをかまえ、昼と午後の部に各600人が参加、大阪では20~25の蔵で300名弱が参加してくれる。2000年に始めたので既に7年を経過してますます人気を呼んでいる。
 今年から大阪は夜の部だけにしたが、それだけこじんまりと落ち着いた会であった。50の蔵となると、全て回るのは私の飲力では無理であるが、今回の大阪は21
蔵の出展であったので、全ての蔵を回りながら、蔵元とも参加者とも親しく語り合いながら純米酒を楽しんだ。
 酒の味もさることながら、蔵元や参加者から提起された様々な問題について考えるところが多かった。特に翌日和歌山の海南市にある『黒牛』の蔵を訪ねたこともあり、そこでも純米酒をめぐる様々な問題が提起された。以下に思いだしたまま書き連ねておく。

・純米酒100%の蔵が増えてきたが、地方にあってはまだまだ安価な普通酒を好む傾向が強く、純米への傾斜は地元を犠牲ににすることになる?
・純米酒への傾斜は、酒は金持ちだけが飲めばよいとならないか? それでも純米酒100%を志向すべきか?
生もと山廃もと酒が人気が出てきたが、今に「生もとフェスティバル」が開かれるようになるのではないか?
即醸もと生もととは、どのくらい味が違うのか? とはいえ、即醸に使われる乳酸は一体何で作られているのか?(一説には石油が原料だとも言われる)
槽(ふね)で搾るのとヤブタ(機械式の酒搾り機)で搾るのとでは、どのくらい味が違うのか?   
 などなど・・・

 だんだんこだわりが進むにつれて、一億国民を置き去りにするようなことになっては本末転倒になるのかもしれない。ただわれわれは、混ざりもの酒だけは日本酒と呼ぶにふさわしくない、という思いでやっているのであるが・・・・・・。
                                  


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