旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

今年も半分が過ぎた、だましだまし生きてるうちに… 

2017-06-30 15:08:38 | 時局雑感



 今日で今年も半分が過ぎた。ほとんど何も変わらないが…。
 視力が衰えると目の注射をやる。これも回を重ねるごとに効果は薄くなってきているようだ。脳梗塞の防止のため、血液サラサラ薬を朝晩飲んでいる。これも時々忘れるが、忘れたからと言って即脳梗塞が起こるわけでもない。しかし、どちらも最低限の生存を支えてくれているのであろう。
 要するに、綻びを縫い合わせながらだましだまし生きているということだ。

 綻びといえば、安倍自公政権の綻びもだいぶ目立つようになってきた。3分の2議席以上を占めた国政での驕り、安倍一強という自民党運営での驕りは、周囲からいくら噛みついても防ぎのようがないほど強靭に見えたが、ここにきて見事に自壊作用を始めた。
 打ち続く閣僚の暴言、失態、辞職も、稲田防衛相の無知、低劣、法違反発言がとどめを刺したのではないか? しかも彼女は、安倍首相のお気に入り、後継者として育成中の最愛の人物ときているのだから、この綻びは重い。あれだけ強そうに見えた安倍内閣も、最早「だましだまし生きる」ことさえできないのではないか?

 さて、今年の後半はどうなるのだろうか? 私はこれまで通りだましだまし生きるしかないのであるが、日本の将来はそうはいかない。まず7月2日に行われる東京都議選で、首都東京の人たちはどのような方向を選ぶのだろうか? 傲慢、無法な安倍政治に、首都東京からノーの意思表示を突きつけたいのだが。


遥人、2歳1か月!

2017-06-26 15:23:31 | 時局雑感



 このブログにたびたび登場してきた遥人は、何度も書いてきたように、私が80歳で得た初孫である。2年前の4月23日、私が80歳の誕生日を迎えると、その翌月5月13日に遥人が生まれた。あたかも世代交代を促すようにこの世に出てきた頼もしい孫であった。
 その遥人が早くも2歳1か月に成長した。したり顔をして絵本のページをめくり、積み木の木片をたたいて微妙な音を楽しむようになった。

           
  


 それに比し、わが老体の進行にいささかの寂しさを禁じ得ないが、80歳の年齢差はいかんともしがたい。私に未だいくばくかのエネルギーが残っているとすれば、それが遥人たちの成長に役立つことを望むしかない。今の日本は、かつてない不安に満ちているが、まあ、新しい時代は、遥人たち新しい人たちが創り上げていくのであろう。


                    


最悪政権の最悪国会 … 戦後民主主義の終焉

2017-06-20 08:50:20 | 政治経済



 安倍自公内閣の暴挙といえる国会運営で、世論を二分する「共謀罪」法案の強行成立が行われ、国会が終わった。何としても成立させたい「共謀罪」と、次々に暴露された「加計学園」問題の早期幕引きを狙ったものであったことは明白である。
 その手法は、想像もしなかった強引なものであった。「共謀罪」という重要法案を、参議院の委員会審議を省略し「中間報告」なるものを本会議で行い成立を図るというものであった。究極の強行採決といわれるゆえんである。安倍首相の関与が次々に明らかにされてきた「加計学園」問題に何とか幕引きをしたい思惑が、「共謀罪」という重要法案の審議を省略してまでして、国会を閉じさせたのである。
 当然のことながら国民は納得していない。直後の世論調査では軒並み内閣支持率が下落、「加計問題」では、政府側の説明に7割以上の国民が「納得できない」と答えている。(注)
(注)毎日新聞世論調査では、内閣支持率36%で不支持の44%を下回り、「加計問題」の政府説明に対して、74%の国民が「納得してない」と答えている。

 第二次大戦の敗戦という大きな犠牲の上に獲得した日本の民主主義は、終わったのではないかという不安に駆られた。戦後続いた自民党政治は、経済発展の反面、公共投資・大型開発偏重、農村破壊など悪いこともたくさん残してきたが、一方では、民主主義の擁護者でもあった。
 自民党の中枢にいた、後藤田、河野、野中、古賀など、憲法の基本原則(主権在民、基本的人権、平和主義)だけは踏み外さない立場にいたようだ。特に憲法9条だけは絶対に守る立場にいたと思う。小泉政権あたりから、新自由主義の影響も受け、強者の論理が先行する「弱肉強食政治」が目立つようになったが、安倍政権に至って国体の変革を伴う右傾化に手を付けるようになってきたのであろう。国民は、一番悪い政権に、初めて3分の2以上の議席を与えたといえよう。
 戦後民主主義は終焉を迎えようとしているのではないか? これに対抗するには、強大な国民戦線に支えられた野党共闘が必要であろう。日本国民の真価が問われる時期が到来したといえよう。


感動を呼び続ける小劇場演劇的オペラ『リゴレット』 … 特に舞台装置、小道具について

2017-06-12 11:11:50 | 文化(音楽、絵画、映画)



 ミャゴラトーリ公演オペラ『リゴレット』が、観客者の中で話題になっている。牛込箪笥ホールを満席にしたとはいえわずか290名、ほんの一握りの観客数であるが、顔を合わせると『リゴレット』の話が出てくる。そして、これまでの常連ながら今回参加できなかった連中から、「なぜ1日公演だったのか、もう1回公演できないか」という声まで上がってくる。
 聞くところによれば、多忙な演出家岩田達宗氏の日程の関係から、1回公演しかできなかったらしい。まあしかし、1回公演だからこそ強烈な印象を残し、また出演者のエネルギーも凝縮して発揮されたのかもしれない。290名の観客には無上の幸せであったというしかない。
 これほどの感動を残したこのオペラは、実に素朴な舞台装置、小道具、衣装のもとに行われた。舞台装置といえるものは何もなかった。小道具は、4個の白木椅子と、ちょっと豪華に見える大椅子、それに小さな細長いテーブルだけであった。白木の椅子は、椅子取り合戦の椅子にもなれば、組み立てられて門や入り口の役をした。低い長テーブルも、必要な都度出演者が運びながら現れた。衣装も全く素朴なもので、目を引いたのは大男のバリトン歌手(大沼徹)が演じたチェプラーノ夫人のドレスぐらいのものであった。
 それだけに、出演者の歌唱力と演技力のすばらしさが映えた。まさに演劇的オペラの演技力に観衆は引き付けられた。一般にオペラといえば、華麗な舞台と衣装がまず目に浮かぶ。日本の歌舞伎も全くそうだ。それはそれで楽しみでもあろうが、しかしその前の『能』の世界は、極めて簡単な舞台装置で、小道具などほとんどなく、専ら演技者たちの動と静の演技で観客を引き付ける。今回の公演は、その境地に似ていたといえるのかもしれない。

 ミャゴラトーリも、これまでのオペラではそれなりの装置と小道具を使っていたので、いつもその製作場となっていた我が家は、最後の廃棄作業まで含めて大変であったが、今回はすべて音楽室に収まっている。その一つ、マントヴァ公がふんぞり返っていた椅子を、私が時々使用させてもらっている。



 


絶賛! 岩田『リゴレット』のミャゴラトーリ公演

2017-06-05 16:25:51 | 文化(音楽、絵画、映画)



 岩田達宗氏の演出による「小劇場演劇的オペラ」として取り組んできたミャゴラトーリ公演『リゴレット』が、好評のうちに終わった。この公演は、すでに書いてきたように『ラ・ボエーム』、『カヴァリエラ・ルスティカーナ』、『カプレーティとモンテッキ』に続く第4弾で、私は昨夜の公演を観て、小劇場演劇的オペラとしての岩田オペラが、一つの完成の域に達したのではないかと思った。
 もちろん、彼らに「完成の域」なんてあるわけはなく、絶えず向上を目指していくのであろうが、そう思わせるほどの迫力と感動を与えるものが昨夜の公演にはあった。客席の一部と通路をフルに使った舞台と観客の一体感、臨場感、それを生み出す出演者の高質の歌唱力と演技力…、これらは、いわゆる通常の舞台オペラとは異質のものであった。久しぶりに感動で胸が打ち震える思いがした。
 それを生み出したのは、独特の解釈による岩田演出と、それに応える歌手たち(含むピアニスト)の高い力量であったのだろう。これほどの実力者たちをよくぞ集めたものだと思った。中でもリゴレットを演じた須藤慎吾(バリトン)の歌唱力には驚いた。演技力も含め鬼気迫る迫力を感じた。ほか、全ての出演者がその持ち味を十二分に発揮した結果がこの感動を与えてくれたのであろう。
 今後各方面のご批評をお聞きしたいと思う。何よりも既存のオペラ界の方々が、このシリーズをどう見ているのかを知りたいものだ。とりあえず、ゲネプロの写真をいくつか。

  
           
         

    

 

 

 

 


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