旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

2010年沖縄見聞記② … 沖縄の原点「久高島」

2010-11-30 17:01:02 | 

  

三日間とも全く中身の濃い旅であった。それは、そもそもこの旅に誘ってくれて、私の希望を丹念に取り入れながら日程を組んでくれた友人S君によるところが大きい。S君の奥様は沖縄ご出身で、彼は沖縄に長く住んでいたのでいわば地元と言ってよい。

 初日、S君夫妻が案内してくれたのが南部、しかも私が一度訪ねたことのある「平和記念公園」や「ひめゆりの塔」などは立ち寄るだけにして、観光客より地元民が足を運ぶ場所を主に回った。

まず知念村の「テダ御川」の岬を訪ねたが、この海は美しかった。小高い丘を越えて海に下ると中腹に灯台があり、その彼方に美しい海が広がる。心が洗われるような美しさであった。その岩場に沸く「テダ御川」という霊泉は、「知名崎通過の際、海上無事を祈った霊水」(知念村教育委員会立て札)といわれ、今でも村人は折を見て霊泉に祈りをささげているという。ちょうどその村人に出会ったが、その人たちのほか観光客の一人も立ち寄っていなかった。

こんな美しいところを…、と勿体なく思った。

 

            

 

    
       彼でなくとも深呼吸をしたくなるような海だった

 

続いて訪ねたのが同じく知念村の「斎場御嶽(せーふぁうたき)」。これは、ここから5キロ東の海上に浮かぶ「久高島(くだかじま)」ともども“沖縄の原点”と言える地である。斎場御嶽は、琉球創造の神アマミキヨ降臨の地と言われるので、本島でいえば、天照大神が降臨した高千穂の峯か…? また久高島は、そのアマミキヨが五穀を広めた島と伝えられ、かつ「太陽の昇る位置にある」ことから「東方楽土ニライカナイへの『お通し(遥拝)』所として沖縄各地で崇拝されている」(南城市教育委員会立て札)という。そういえば三日目に「中城城跡(なかぐすくじょうあと)」に行ったが、ここにも「久高島拝所」があった。

その久高島を遥拝するのに最適の場所が斎場御嶽とされ、巨岩と古木に囲まれた霊気ただよう森であった。事実、村民の中には霊気に打たれるのを恐れて近付かない人もいるという。鈍感な私は霊気を感じる感受性を持ち合わせていなかったが。

 

いずれにせよ、久高島と斎場御嶽は沖縄の原点と思われた。S君は最初に、さりげなく私をそこに導き、沖縄人の心に思いをつなぐよう心がけてくれたのであろう。

 

      

     
              斎場御嶽より、はるかに久高島を望む


2010年沖縄見聞記① … 知事選に燃える美しい島

2010-11-29 13:33:56 | 

 

 三日間とも快晴に恵まれ、美しい沖縄を満喫してきました。


       知名崎

  沖縄の海って、どうしてこんなにきれいなんだろう?、と思い続けた三日間だった。聞くところによれば、不純物が少なく太陽の光をよく通し、それがサンゴ礁や藻などを反映して、あのような色合いになるということだ。それだけに、海辺に立っても磯の香りもしない。磯の香りはそれなりに気持ちのいいものであるが、あれも不純物のなせるわざか?それからみると、不純物の塊のような東京の海にあの色合いを望む方が無理なのだろう。
   もうひとつ。美しい沖縄は選挙に燃えていた。沖縄県知事選の投票日を昨28日(日)に控え、国際通りなどは各陣営入り乱れて熱気をはらんでいた。結果的には仲井真氏が勝ったが、伊波候補と互角の勝負と報じられており、まさに鍔迫り合いを演じていたのだ。
 
焦点の普天間移設問題は、やや柔軟性を保っていた仲井真氏が、1月の名護市長選で県内移設反対派が勝利するや「県外移設」の姿勢を明確にした。伊波氏は「国外移設」を主張しており、どちらも移設先を県外に求める点では同じであり、この点では争点にならない。沖縄県民にとって、「県内か県外か」などはもはや争点になり得ないのであろう。戦後65年を経て、いくら代替基地とはいえ「新たに基地を新設する」などもうたくさんだ、というのが真意であろう。
 
さて、この当事者たちの真意を、本土国民はどう受け止め、どう対応すべきなのであろうか? これまで長期にわたって沖縄県民に押し付けてきた問題に、何時までも口を拭っているわけにはいかない。全国民の意思を問い直し、アメリカを含めて真剣に話し合うべき時期にきているのではないか?    

  美しい沖縄……、しかし、その20%の面積を基地が覆い、至るところ金網を巡らせている。一皮むけば、未だ戦後は終わってないのである。

 

      
                           御菓子御殿より


沖縄に行ってきます

2010-11-25 16:50:41 | 

 

今から(浜松町駅前の事務所出て)モノレールで羽田に向かい、新国際線ビルの「江戸小路」で食事をとり、国内線のANA135便(20時フライト)で那覇に発ちます。
 一週間前から沖縄の天候を気にしてきましたが、最初は三日間とも曇りマーク、降水確率は30~50%でした。ところが三日ぐらい前から最終日(28日)に一部太陽が顔を出し、昨日は27日も「時々晴れ」となりました。

ところが今調べたところ「明日26日は一挙に晴れで降水確率10%、27日は曇り時々晴れで同30%、28日は晴れ時々曇りで同20%」と、どんどん快方に向かってきました。初日の「曇り、50%」が、「晴れ、10%」になったのは驚異で、晴れ男を認じているとは言えちょっと怖くなってきました。

昨日、友人が二日目の観光バスと三日目のタクシー観光を予約してくれました。三日目のタクシードライバーはY氏と決まり電話でお話もしましたが、「全国個人タクシー協会沖縄支部」の自己紹介一覧を見ると、「観光施設全般と泡盛の話が得意です。沖縄の歴史と文化、そして戦跡巡りもおまかせあれ」とある。普天間、嘉手納の基地巡りと世界遺産の一つでも、と思っているのでぴったりです。それよりも「泡盛の話が得意」と言うところがうれしい。道中5時間、さぞ酒の話が続くだろうと、ワクワクする思いです。

 

あまり調子に乗りすぎると危険ですので、自重して行ってきます。泡盛の量を自重できるかに一番不安がありますが…。とにかく三日間ブログはお休み。


沖縄について何を知っているか

2010-11-23 10:19:36 | 

 

 沖縄へ行くことになったことを契機に、『観光コースでない沖縄』(高文研発行)を読んでいるが、私たちが沖縄について「いかに知らないか」を改めて感じている。
 沖縄といえば、基地と観光をまず想起する。この二つはかなり性質を異にするが、政治から見ても経済から見ても、沖縄の重要な要素であろう。特に最近の普天間基地問題から、基地の問題が国民の関心事になっている。
 日本が膨大なアメリカ軍事基地を置く国で、しかも戦後半世紀以上もたってなお国内に広大な基地を置くのは、世界から見れば異常な事態であるが、その基地の70%を、国土面積のわずか0.6%、全人口の1%にすぎない沖縄に押し付けている状況(前著197頁)は、これこそ異常と言うほかあるまい。
 ただ、このあたりまでは私もそれなりに知っていた。しかし沖縄県民の生活実態については殆ど知らなかったと言ってもよい。

 この本は、「沖縄の経済社会の特徴を端的にキーワードで並べると次のようになるだろう――高失業、高格差、高借金、高家賃、高借家、低所得、低貯蓄、そして依存経済」と書いている(193頁)。そしてそれらの数字を細かく掲げてその実態を示している。
 例えば、完全失業率は8%前後で本土の2倍、特に若者の失業率が異常にに高く、13%台で全国平均6.9%の2倍ちかいこと、所得格差(一人当たりの県民・国民所得格差)は、本土復帰時は59.5%、一時は回復したものの2000年以降は70%で推移していること。これは、大卒者の生涯賃金が全国平均3億円といわれているが、沖縄県民は70%の2億1千万円となり、生涯を通じて1億円近い差になる、と指摘している。
 若者の失業率が高い原因には、「地元指向が強い」こと、加えて「公務員志向が強い」ことなどを挙げているが、これらをどう捉えればいいのだろうか? 沖縄の若者は、みんな故郷を愛しているのであろう。しかしその地に地場産業は乏しく、狭き門の公務員を求めているのであろうか?
 読み進むほどに、様々な問題が提起されてくる。たった3日の旅であるが、単に観光に浮かれるだけでは許されまい。


宇宙探査機「はやぶさ」の持ち帰った砂

2010-11-20 10:48:00 | 時局雑感

 

 今年の6月15日付この稿に、「宇宙探査機“はやぶさ”の帰還を讃える」と題して書いた。その末尾に、「何としても帰還したカプセルの中に“イトカワの砂”のあることをひたすら願う」と書いた。
 その砂があったことを報じた17日付日経新聞で読み、私はその記事を切り抜きながら改めて「快挙」をたたえた。そして日本の技術の高さに誇りを感じた。政治も外交も経済も、また日常生活の中のニュースも悪いことばかりであるが、一方ではこのような快挙が地道な人たちにより進められているのだと思うと心が温まる。

 今朝の4チャンネル「ウェーク」でも採りあげ、その成果が語られていたが、前回も書いたように、7年間もかけて宇宙の彼方から砂を持ち帰るというような事業が、成功すること自体想像を絶する。しかもその間、行方を見失ったり、三つのエンジンが故障して残る一つにエネルギーを集中して地球にたどり着くなど、人智の素晴らしさを改めて思う。番組に出演した科学者に成功の要因を尋ねたところ、「根性です。根性だけです」と、およそ科学と縁のないようなことを言っていたが、それほど根気の要る仕事なのだろう。
 カプセルの中にあった目にも見えない砂が、どのような宇宙の謎を解いてくれるのかわかりもしないが、5ヶ月前に「せめて砂の一粒でもあって欲しい」と願ったことが実現しただけでうれしい。
 我々凡人にはその喜びだけで十分なのだ。


近づいてきた沖縄行

2010-11-19 14:49:01 | 

 

 沖縄旅行が一週間後に迫ってきた。昨日は有楽町の沖縄観光コンベンションビューローに出向き、様々な資料を入手してきた。三日間の行動予定もほぼ固まってきた。

 初日(26日金曜日)――友人夫妻の案内による「沖縄地元ツアー」
 友人は沖縄に長く住み(琉球ガラスのトップセールスマン)、奥様は沖縄出身の方であるので、地元の方の先導によるまさしく地元ツアー。那覇公設市場めぐりを皮切りに南部を回る。平和記念公園やひめゆりの塔は一度行ったので、それよりも彼らが組んでくれた「奥武島(おうじま)の定食屋での昼食」とか「知念村・“浜辺の茶屋”でのカフェタイム」、また彼の元職場「琉球ガラス工場見学」などが楽しみ。夜は那覇の「栄町市場内の居酒屋での夕食」と、これも心待ちにしている。

 二日目は、友人は「居合い大会」出場、奥様は旧友と会うご計画なので、私は観光バスで“美ら水族館・西海岸コース”(「琉球村、万座毛、お菓子御殿、海洋公園・美ら海水族館、パイナップルパーク」などを回るコース)をまわる。沖縄の美しい海を満喫する予定。
 夜は奥様の実家に夕食のご招待を受けている。お父様は私と同年輩、沖縄の戦中戦後を生き抜いた方のお話を楽しみにしている。

 三日目最終日は「基地コース」。この時期にせっかく沖縄に行くのであるから、問題の「普天間基地」と「嘉手納基地」だけは見ておきたい。観光タクシーの「那覇発中部コース」が、5時間14千円とあるので電話で問い合わせると、二つの基地を回り、帰りながら世界遺産の一つでも見れるでしょうとのことなので予約をするつもり。
 しかし先日購入した『観光コースでない「沖縄」』(沖縄大学長新崎盛輝ほか)を読むと、改めて沖縄戦や基地の現状のひどさを知らされ、観光がてらに基地を見て回るなど沖縄の人に申し訳ない気がしてきた。とはいえその迷いを確認するためにも現状だけはこの目で見てこよう。


再び白鵬の連勝に期待する。

2010-11-17 14:40:21 | スポーツ

 

 昨日のブログで稀勢の里の今後に期待すると書いたが、実は白鵬が再び連勝記録に挑むことにも大いなる期待を寄せている。白鵬に勝ったとはいえ稀勢の里に70連勝は期待しにくいが、白鵬にはまだその期待をかけ得ると思うから…。

 大金星のあと稀勢の里は、まさに勢いを得たのか昨日も勝ったが、白鵬も勝った。実は双葉山は70連勝を失った後三連敗したと聞いている。その場所は7勝4敗で優勝も逃したらしい。もっともその次の場所に全勝優勝で復活したいうから並ではないが、双葉山にとってあの敗北はよほどショックだったのであろう。
 それに比し白鵬は見事に立ち直って勝った。双葉山を愛する白鵬も、自分が未だ木鶏の境地に至ってないことは心に染みたようだが、双葉山ほどのショックは受けなかったのかもしれない。双葉山のショックは負けたことより「未だ木鶏たりえぬ」自分にショックを受けたに違いないが、時代を隔てた現代っ子白鵬は、もっとさっぱりしているのかもしれない。
 その白鵬が、すべてを忘れて再び連勝街道を走り続けることに期待する。それができるなら「木鶏の境地」に達していると言ってよいのではないか。


未だ木鶏たりえず…、白鵬63連勝で敗退

2010-11-16 09:19:52 | スポーツ

 

 「勝ちに行った…」
 敗因を問われたインタービューに対する白鵬の答えであった。
 難しいものである。そもそも勝負とは勝ちを争うのではないのか? 勝ちに行くものではないのか? しかし「勝ちに行った」ら負けるのである。
 心の問題を言っているのであろう。心技体というが、勝つためには技も体も欠かせないが、何よりも必要なのは心なのであろう。どんな心を必要とするのであろうか?

 69連勝の後、平幕の安芸の海の外掛けに敗れた双葉山が、友人に打った電報「ワレイマダモッケイタリエズ」と言う言葉はあまりにも有名であるが、あの双葉山にしても、70連勝を越えて勝ちを続けるには、木鶏(モッケイ)の心が必要であったのであろう。つまり“生き物の心”ではダメで、揺れ動くことのない“木彫りの鶏の心”が必要であったのだ。
 これまた難しい。勝負とはそもそも「生き物の仕業」だ。しかし生き物の心を持ってしては勝負に勝てないのだ。木鶏の持つ不動の心を必要とするのである。

 異変が起こるとすれば平幕と組む前半戦と思っていたが、とはいえ何とか勝ち抜き、白鵬を倒すのは、日馬富士か琴欧州か把瑠都の外国勢だろうと極めて平凡な予想を立てていた。しかし大記録が思わぬ異変で終止符を打つのは世の常だ。ただ、それを果たしたのが日本人、しかも数少ない日本人ホープ稀勢の里であったことには救われた。(もっとも彼は「俺の勝ったのは異変ではない」と言うかも知れないが)
 双葉山を破った安芸の海は前頭3枚目か4枚目、その後昇進して横綱に上りつめた。稀勢の里はどこまで行くか? 彼は安芸の海より上の前頭筆頭であるが、何度か三役を務め落っこちた前頭であることが気になる。しかしこの金星の値打ちからすれば三役どまりでは許されまい。
 
稀勢の里の今後に期待したい。超現代っ子の彼には、「木鶏の心」を必要とすることもなさそうだから。 


「ブルーマン」を楽しむ

2010-11-13 12:47:13 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 「たまにはこんなショーでも見ない?」というワイフの誘いで、「BLUE MAN Gpoup IN TOKYO」なるショーに出かけた。麻布十番の会場には老若男女、満員のファンがつめかけていた。

                

 私はテレビ等を含めてブルーマンなるものを見たことはもちろんないし、どのような芸人かも全く知らなかった。聞けば世界に何百人かいて、3人ぐらいが1チームを形成して各国でショーを演じているということだ。
 チラシに「言葉を交わさずに軽妙なコミュニケーションをとり、あるもの全てに好奇心たっぷりに振舞う、青い3人組“ブルーマングループ”」とあったが、その通り、100分間一切言葉を発することなく、ほとんど表情を崩すことなく、アクションとギャグと音の演奏を演じ続けた。
 そのテンポとリズムと映像(光と言うべきか)の交錯は素晴らしいの一語に尽きた。音の演奏と書いたが、演じた殆どが打楽器で、それも単にドラムや太鼓だけではなく、あるいは木片でありあるいは下水道菅であり、叩く道具もバチだけでなく頭であったり体であったり、またハンマーであったりと躍動的だ。とにかくそのリズム感には感動した。
 ギャグの類は、子どもたちは喜んでいたが私はあまりついていけなかったが、打樂のリズムと光(映像)の交錯には、これまで経験しない世界に導いてくれたとワイフに感謝している。
 


大学のゼミ同窓会

2010-11-12 13:57:38 | 時局雑感

 

 私は新制大学6期生、昭和33年に大分大学を卒業した。当時所属した「T先生のゼミ」同窓生(在京者)が昨夜集まった。T先生は5年前になくなられたが、その後も「ゼミ同窓会」は続いている。それほど影響力もあり結束力をみせた先生であった。
 先生は存命中、年に一度は学会で上京し、その際、必ず在京ゼミナリステンが集まり、先生の講義(?、時局雑感というものであったが中身の水準は高かった)を聴き、互いに親交を深めていた。その先生はなくなったが、従って中身の濃い先生の時局講義はなくなったが、ゼミナリステンの集まりだけは続いているのだ。

 先生の存命時は30名近く集まっていたが、さすがに亡くなった方や地方転出者も出てきて名簿に存在するもの全てで30数名、昨夜集まったのは13名であった。昭和29年卒の80歳から41年卒の方まで集まったが、30年代から40年代にかけての急激な日本の変化もあってか、参加者の色合いもかなり違っていることに気が付いた。
 T先生が、この間、講師から助教授を経て教授と昇進していったことも影響しているかもしれない。私が入校した29年は新進気鋭の講師、卒業時は助教授であったが、講義もゼミも全く「学究の場」という雰囲気だった。先生自体が日々理論を高めていく過程にあり、学生と共に勉強することに必死、という雰囲気であった。だから35、36年頃までの卒業生には、ゼミは学究の場であった、という思い出が強いようだ。
 反面それ以降の連中の話は、どちらかといえば社会に出てからの話が多くなり、講義もゼミも先生との交わりは「社会に出るための準備過程」、「社会でいかに役に立つことを学ぶか」に主眼が置かれていたのではないかというような気がする。
 大学の風潮自体が、30年代半ばを境に「学問の場」から「就職準備の場」に変わって行ったのではないか? T先生自体も、38年教授、46年学部長、48年大学長事務代理と昇進していく。当然、就職率や卒業生の出世などの方に気を使うようになったかもしれない。

 昨夜の参加者の話でも、先輩たちの話は何か学究的な匂いがしたが、若くなるにつれ自慢話も含めて会社の話が多くなった。特に自慢話が多くなってくれば、「ゼミ」を中心に集まる意味はなくなるだろう。業界別同窓会か気の合う者との飲み会でもやった方が相応しくなるだろうから、同窓会も難しいものだ。


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