旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

今年 心に残った本

2008-12-31 10:52:43 | 時局雑感

 

 今年もたくさんの本を読んだが、問題意識の一つであった「日本の進むべき道」という点から、次の6冊が心に残った。勉強になった上に心に残った点でこの6冊は同率一位であるが、北の国から順に書き並べておく。

 スウェーデン『貧困にあえぐ国ニッポンと貧困をなくした国
              
スウェーデン』  竹崎孜著  あけび書房
 フィンランド『フィンランド 豊かさのメソッド』 
                     堀内都喜子著 集英社書房
 デンマーク 『なぜ、デンマーク人は幸福な国をつくること
               に成功したのか どうして、日本では人が大
               切にされるシステムをつくれないのか』 
                 ケンジ・ステファン・スズキ著 合同出版
 オランダ 『残業ゼロ 授業料ゼロで 豊かな国オランダ』
                      リヒテルズ直子著 光文社
 イタリア  『ボローニャ紀行』
                         井上ひさし 文芸春秋
 日本    『日本で一番大切にしたい会社』
                         坂本光司著 あさ出版

 いずれも題名が長いので、書き上げるのに苦労したが、それだけ中身を言い切っており、苦労して書き並べる値打ちがある。
 これらについて論ずればキリがない。ただ、拙著『旅のプラズマ』やこのブログでも触れてきたように、オランダと北欧の生き方には、日本がこれから進むべき道への「いくつかの道しるべ」があると思う。特に現下の新自由主義経済がもたらした災害からぬけ出すには、既にその方向からじわりと舵を切ってきたと思われるこれらの国々に学ぶこと
は多い。もちろん、猿真似をするのでなく、日本独自の道を追求する中でのことであるが。
 また、『ボローニャ紀行』には「文化を守るイタリア人」の姿に頭が下がり、特に長く民主市政下にあったボローニャの蓄積をすごいと思った。さすがに井上ひさし、久しぶりに「本当に面白い本に出会った」と幸せであった。
 そして『日本で一番大切にしたい会社』は、「日本にもこんなに素晴らしい会社があったのか?」と驚き、同時に「日本も捨てたものではない!」と確信を深めたのであった。
 この確信を胸に抱いて、明日、新しい年を迎えよう。
                           
 
 

 


             


「平成20年間暮らし10大ニュース」について

2008-12-30 14:53:16 | 時局雑感

 

 言われてみれば明日で「平成の20年間」が終わる。昭和の人間という意識が強い私たちにとって、平成なんて付け足しの人生と思っていたが、既に20年が過ぎ去る。
 27日の日経新聞「何でもランキング」が、平成20年間の暮らし10大ニュースを掲げたので、これは書き留めておくことにする。

  1.米金融危機、世界で株急落 (平成20年)
  2.オウム真理教による地下鉄サリン事件(平成7年)
  3.阪神大震災 (平成7年)
  4.消えた年金問題 (平成19年)
  5、消費税がスタート (平成元年)
  6.消費税が3%から5%に引き上げ(平成9年)
  7.湾岸戦争がぼっ発 (平成3年)
  8.耐震強度偽装事件 (平成17年)
  9.山一證券、拓銀など大型金融破綻相次ぐ(平成9年)
  10.中国製ギョーザに殺虫剤 (平成20年)

 30歳以上の男女を対象にしたアンケートの結果というが、おおむね妥当なものが選ばれているのだろう。記事の見出しは「不安と不信消えぬ衝撃」とあり、副見出しに「『現在の危機』に強い恐怖」とあるように、中でも今襲われている世界恐慌的経済危機に強い恐怖を抱いているようだ。
 思えばこの20年間は、思いも及ばない事件が次々と起こり、不安と不信を蓄積していった20年とも言える。
 人類は成長どころか退歩しているのではないか?
 そこに最大の不安がある。

 10大ニュースの中で、意外だったのは「消費税問題」が二つも上位にランクされたことだ。ヨーロッパなどでは既に20%前後にもなる消費税が導入されているが、日本人がこれに強力な拒絶反応を抱いているのは、その大衆収奪性と政府の使い方の不明瞭さに根強い不信があるからだろう。
 ヨーロッパなどは、福祉や教育、医療などの使用目的が明瞭で常にチェックされていること、また食料品などには数%の低率適用など合理性が貫かれている。年金問題など今の日本政治の体たらくから見れば、国民のこの不信は当然だろう。
                            


今年も終わろうとしている

2008-12-29 13:22:03 | 時局雑感

 

 今年も終わろうとしている。
 師走はいつも気ぜわしいが、恒例となっている忘年会数件に、一つを除きすべて顔を出した。仕事の関係で一ヶ所出席できなかったが、その代わり
今年初めて加わった会合も一つあった。
 珍しい酒もいくつか飲んだ。広島亀齢の特別純米酒「
宝亀(ほうき)」、千葉の八千代酒造り推進会の特別純米酒「やちよ桜」(醸造元鍋店)・・・、千葉といえば香取郡の寺田本家の純米酒「五人娘」も美味しかった。暮れにいつも頂く「御代桜」純米大吟醸や竹の露の純米吟醸白露「垂珠(すいしゅ)」、それに、昨年に引き続きドイツのライン河畔リューデスハイムから直接取り寄せたアウスレーゼワイン「Rudesheimer Drachenstein」などなど。

 21日(冬至)にはゆず湯に浸かり、23日には息子のクリスマスライブコンサートに出かけ、26日には東京の会社の仕事納めを終えて新幹線に飛び乗り、名古屋の会社の納会(兼忘年会)に出て今年の業務を納めた。
 今日は朝から、暖かい日差しを利用してガラス拭きを終えた。明日、カレンダーを張替え門松を立て、各部屋に掃除機をかければ、それで今年はおしまい。

 31日大晦日は、何もしないで静かに今年をふりかえり、夕方早くから酒を飲もう。
                             


恒例のクリスマス-ー高田エージ、首藤潤ライブコンサート

2008-12-27 16:07:45 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 このところ年末恒例のライブ参加となった息子(首藤潤)と高田エージさんのクリスマスコンサートに今年も行ってきた。23日、吉祥寺曼荼羅。
 ワイフと娘と三人でイタリア料理を食べワインを飲み、いい気持ちで曼荼羅にかけつけ、楽しく聞いた。底抜けに明るい高田エージさんの歌声に、贔屓目か年毎に上手くなったように思える息子のギターが良くマッチして、すっかり楽しみ、暗い世相を忘れさせてもらった。

 驚いたのはエージさんの最初の挨拶で、いつもの調子で「俺は誰だ」と叫ぶのに「高田エージだ」と叫び返すと、「・・・私は今年結婚しました。首藤潤君は大学2年生になりました・・・」と言われたことだ。潤が2年生になったのは息子のことだから知っているが、エージさんが結婚したとは驚いた(別に驚くことはないが)。
 エージさんは確か46か47歳くらいだろう。潤は42歳のはずだ。「結婚しましたとか大学2年生になりました」とか聞けば、20才代の若者たちの話に思えるが、どちらも立派な四十男だ。そこが面白く、これまた時代を反映しているのかもしれない。

 聞けばエージさんは16年間付き合った人と結婚したのだそうな。それが私には、なんとも心地よく聞こえた。おそらくエージさんは16年間付き合ったその女性を、「そのままでいいよ そのままのお前が一番いい」と思い、その女性といるのが「永遠だったらいいなあ」と思ったのだろう。
 40歳になって一念発起して大学に挑んだ潤も、よく勉強しているようだ。なんといっても、高校・・・受験・・・大学・・・とトコロテン式に行ったのでなく、「必要を感じ」、「勉強したくて」行ったようであるので、一生懸命勉強しているのであろう。通信簿を見ると成績はかなりいい。
 オランダや北欧の本を読むと、高校を出てそのまま大学に行くのは30%くらいで、相当数は先ず就職して、数年して「必要に応じて」「目標を定めて」大学に行くらしい。息子のように40歳ではなくても、大学入学平均年齢は23,24歳で日本の卒業年齢ぐらいのようだ。
 本当の勉強とは、そのようなものかもしれない。
                            


紹興酒(その3)――蔵元の中華料理で飲む

2008-12-25 11:10:14 | 

 

 紹興でも上海でも、毎日文字通りの中華料理を食べ、紹興酒を飲んだ。そして当然のことながら「中華料理には紹興酒が一番良く合う」ということを実感した。あの材料と脂っこい料理には日本酒、特に端麗辛口の吟醸酒などでは太刀打ちできない。酸味の利いた山廃純米の無濾過生原酒なら何とかなるか? まあ、やはり紹興酒だろう。
 
前記した紹興縣酒廠でご馳走になった料理は、「紹興酒で食べる料理」の典型であった。その蔵の料理人たちが、私たちを歓迎してくれるために精一杯の気持ちを込めて作ってくれた料理で、中には口にするのにかなりの勇気を要するものもあったが、中華料理の粋を見る思いであった。そのメニューは以下のとおり。

     茹でたカニ(上海蟹のシーズンではなかったが、中国で
              は客をもてなす最高料理) 
スッポンの姿煮(ゼラチン状)
・カエルの揚げ物(白身であっさり味、鳥のささみの感じ)
・油炸臭豆腐(ヨウジャーチョウドゥフー)豆腐の腐った
       奴。くさや、鮒鮨の比でない

・孵化寸前のアヒルの卵(卵を割ると、毛が生え、血管の
       走った鳥の姿が出てきた)

・田ウナギの醤油煮(数センチの鰻の丸煮)
・その他、車えびのから揚げ、キュウリと鳥ささみの油い
             ため などなど


 
中でも最高の勇気を要したのがアヒルの卵。隣に座っていた英愛子夫人が「中から鳥が出てきたらぶん投げるから・・・」と言いながら、恐る恐る割る・・・そこには「ぶん投げる」に値する形状が現れたが、それを投げ捨てる勇気もまた持ち合わせず、半分べそをかきながらとにかく食べた。美味しさと気持ち悪さの交錯する不思議なムードの中で。
 
このような料理と共に飲む酒は、あのトロリとした濃醇な紹興酒以外にない。これだけは万人が認めるだろう。

 もう一つは油炸臭豆腐(ヨウジャーチョウドゥフー)。私はくさやも鮒鮨も食べることが出来るが、この豆腐の匂いだけには参って、どうしても食べることが出来なかった。蔵を離れ紹興の街にでて、「ここだけは行きたい・・・」と、魯迅の行きつけの店『咸亨酒店(かんきょうしゅてん)』に行った。ところが、店に100mも近づくと、早くもこの「豆腐の腐った匂い」が漂う。勇気を出して店に入り、豆などで紹興酒を飲んだが、やはり油炸臭豆腐は食えなかった。日本にある中華料理店で出る油炸臭豆腐は食べることが出来る。本物とは匂いの強さが格段に違い、日本人に合うように作られているのであろう。

 われわれは外国料理の「本物」をどれだけ食べているのだろうか?
                            


紹興酒について

2008-12-23 10:43:18 | 

 

 酒は原料となる穀物や果物とともに水である。前回書いたように紹興酒も水が命であり、その水は美しい紹興の街にふさわしい「鑒(かん)湖」という湖から採る。しかもその水以外で造った酒は紹興酒と呼べないとされている。
 この湖はダムによりできた長さ40里、幅300メートルの細長い湖で、増水した水が両方の山々に偶然にも含まれていた鉱物質(ミネラル)を溶かし、醸造に適した水質と硬度を生み出したと言う。その良水は岩石や土砂に濾過されて湖心に集まる。そこで酒造家は、その湖心の一番深いところの水を採って酒を造るのである。
 主原料は米である。といっても、日本酒はうるち米だが紹興酒はもち米である。これが日本酒と違って、ねっとりとした質量感のある紹興酒を生み出すのであろう。造りかたは日本酒とほとんど同じであるが紹興酒の方がやや手が込んでいると言える。
 先ず蒸米の冷やし方も、酒母つくりでは淋飯法(冷水をかけて冷やす)、本つくりでは攤飯(たんふぁん)法(空冷・・・昔は竹のむしろに拡げて空っ風で冷やした)と異なること、また仕込には、酒薬とか漿水とかが現れて中国らしい妖しさが漂ってくる。酒薬は糖化・醗酵菌剤で、日本の酵母菌に加えて根かびなどのかび菌類のほか当地特産のみず蓼など、漢方の薬剤が加えられており、糖化促進と雑菌制御などもろもろの役をするようだ。
 漿水はもち米を浸漬(16~20日間)したあとの水で、乳酸が多く含まれており酸度の調節と雑菌制御のためにあるので、日本酒における即醸もとの乳酸菌のようなものであろうか? 醗酵も主醗酵と後醗酵があり、主醗酵は約10日、後醗酵は「元江酒」で約二ヶ月、加飯酒」で約三ヶ月を要するのでかなり長い。

 私たちが訪ねた「紹興縣酒廠」は、鑒湖を舟で渡った広大な地域に醸造場があり、浸漬中の原料米タンクなどは六月の炎天下に並べて作業しており、かなり荒っぽい造りかたに見えたが、酒薬や漿水をはじめそれぞれ理に適った造りが進められているのであろう。加えて紹興酒の真髄は、別名「老酒(ラオチュウ)」と呼ばれるように、貯蔵--熟成にあるのであろう。
 そして何よりも、酒はその地の料理とともに飲んでいくらの話である。
 それは次回に
                             


紹興酒・・・と美しい紹興の街

2008-12-22 22:18:25 | 

 

 昨年のヨーロッパの旅でお世話になった「ドイツの友」が帰ってきたので、皆で食事をすることになった。どうせなら・・・ということで、両方の家族みんなが集まることになり、総勢十名で横浜の中華街に繰り出した。
 久しぶりの大家族主義で、おじいちゃんから孫までの食事は楽しかった。そこで飲んだ酒は、当然のことながら紹興酒--花彫陳年8年古酒

 思い起こせばこの酒を飲みに紹興を訪ねたのは15年前の1993年、写真家の英夫妻とわが夫婦の四人で、上海経由3泊3日の旅であった。「どうも日本酒の原型がその辺にありそうだ」などと思いながら、上海旅行の合間に訪ねた旅であったが、ドッコイ! 紹興というのは大変な街であった。
 もちろん、紹興酒を生んだ町でもあるが、その歴史、その美しさ、いずれをとっても語りつくせない豊富な内容を持っていた。
 織物の集散地として名高い経済都市でありながら、緑と水の豊かな水郷としても、その美しさは想像をはるかに超えた。
 歴史においてはもっとすごい。中国史上名高い書家王義之が曲水の宴を開き、その詩集の序「蘭亭の序」を書いた故事で有名な蘭亭や、春秋時代に有名な呉越の争いで、越王匂践が、一度は呉に敗れるが「薪(たきぎ)に臥し、苦い肝(きも)を嘗(な)め」て復讐を誓い、ついに呉に打ち勝つ「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」の地こそ紹興である。
 魯迅も周恩来もこの地で育った。中でも魯迅は立派な記念館があって、この街の人々は等しく先生と呼んで、魯迅のことを誇らしく語る。
 いやもっと古く、夏王朝の大禹が治水に成功して、諸侯を集めて論功行賞を行った場所が会稽山として今も残る(集めて考査することを会稽と呼ぶ)。治水・・・まさに水郷の源淵を見る思いであるが、その水こそが酒の酒質を決定するのは、古今東西変わらない。
 その水こそは、市の西北にある「鑒(かん)湖」に発する。
 続きは次回・・・。                 


今こそ憲法25条の実施を!

2008-12-20 10:03:39 | 政治経済

 

 昨日のブログで、日本の現状を救うには「国民を貧困と将来不安から救い、国の経済を民主的に立て直す」という一点で集まる統一戦線(やや古めかしい言葉ではあるが)が組めないか、と書いた。そしてその要は、政党としては社民、共産、民間組織としては憲法九条の会など草の根組織ではないか、とも書いた。
 社民、共産など2~3%の支持率政党ではどうにもならないが、膨大な無党派層と憲法九条の会が一緒になればかなりの勢力になるのではないか?
 九条の会はすでに3000組織を超えてるという。これはすごいことだと思う。ただし、この組織が今の日本の現状を改革する先頭に立つには、「九条」だけでなく、その目的に「25条の実施」を掲げる必要がある 私はかねがね「九条--平和を守る」の大前提は「25条--最低限の生活保障」にあると思っているので、この二つが統一課題にならないかなあ・・・と思い続けていた。(アピールを読めばそれは含まれていると思うが)
 改めて25条を見ておこう。

 第1項 全ての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む
    権利を有する
 第2項 国は全ての生活部面について社会福祉、社会保障及
    び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない

 当面日本の貧困層が一番求めているのは第1項ではないか? そして今こそ国がやらなければならないのは第2項ではないのか?
 そしてこの25条が保障されない状況が、若者を兵役に送り込むなど戦争の温床になる事例は数多く示されている。(堤未香『ルポ貧困大国アメリカ』など・・・5月24日付ブログご参照)
 この25条に反対する国民はいないであろう。9条以上に幅広い統一点と思われるので、ここでは必ず支持を得ることが出来る。
 あわせて9条の会に期待するのは、呼びかけ人に行動的な方々が多いことだ。政治を動かしていく力を持っていると思う。ただ、既に小田実氏と加藤周一氏が亡くなるなど、間に合わなくなるのではないかと心配でたまらないのだ。もちろん、人任せ、人頼りだけのつもりはないが、それ相応の人物は必要であるので。
                            


政争の具にされた国民の貧困

2008-12-19 09:23:58 | 政治経済

 

 最近の政治については情けなくて触れたくもないが、昨日(18日)の参院厚生労働委員会のザマについては無視できない。
 一言で言えば、国民の貧困、もっと言えば生死の問題が与野党間(除く共産党)の政争の具にされたということだ。そもそも年末にかけての首切り(特に非正規労働者)、その後の住居問題などは、一刻を争う緊急問題であるはずだ。これを与党の自民公明は、現国会にまだ日程があるにもかかわらず来年の通常国会まで提案を先送りすると言う。これに対し野党の民主、社民、国民新党は、与党が年明けに出そうとする案のつまみ食いをして法案をまとめ昨日提案、ほとんど議論されることなく、「討議を尽くして与野党合意の上実施を目指そう」という共産党の呼びかけなど無視して、民主、社民議員による強行採決を行った。与党に先駆けて点を稼ごうという姑息な狙いか?
 しかし与党の自民、公明は反対し、これが衆院に回れば多数で否決か廃案に追い込むだろう。つまり、貧困国民にとって火急の救済策は実現しないだろう。
 政治家とは相当に異常な神経の持ち主だと思う。国民の貧困や生死の問題を、自分たちの政争の道具にするというのは、普通の人間の神経では出来ないのではないか?

 さて、日本国民は誰に未来を託せばいいのか? 貧困、格差、医療年金不安などの現状を招いた自民、公明与党にこれを委ねるわけにはいかない。とはいえ、昨日などの民主党の体たらくを見ると、明るい未来を托せる政党とはとても思えない。民の生死の問題を、自分たちの政権取りの材料にするのだから。
 私は、政党としては社民、共産が中心になり(やや古典的だが他に見当たらない)、民間組織としては憲法九条の会とか生活要求に根ざした草の根の会が一緒になり、「国民を貧困と将来不安から救い、日本経済を民主的に立て直す」という一点で結集する統一戦線(この言葉も古めかしいが)が組めないものかと思っている。それを無党派層や労働組合が支持していく・・・。
 しかしそのためにはそれを引っ張るにふさわしい人物が要る。アメリカ人がオバマに求めたような人物が。
 断っておくが私はオバマを買いかぶっているつもりはない。ただ今の日本には、オバマ的人物が必要なのではないか?
                            


今年の見納め、聞きおさめ--③絵画、フェルメール

2008-12-17 21:13:23 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 12日の金曜日に、上野の東京都美術館に「フェルメール展~光の天災画家とデルフトの巨匠たち」を観に行った。この展覧会は8月に始まったが、この12月14日で終わる。後二日を残すすべり込み鑑賞であった。
 相当な混雑(入館一時間半待ちなど)を聞かされていたので、止めようかと思っていたが、一挙に7作品が展示されるというのは世界的にも珍しい催しと思われるので、見ないで後悔することのないよう、思い切って出かけた。早く着いた(といっても10時過ぎだが)おかげで、20分待ちで入館できた。体退館時には50分待ちであったので、早く行ったのは正解であったようだ。

 世界各地から集められた「フェルメール7作品」は以下のと
 おり。
 「マルタとマリアの家のキリスト」(スコットランドより)
 「ディアナとニンフたち」    (デン・ハーグより)
 「小路」            (アムステルダムより)
 「ワイングラスを持つ娘」  (ヴラウンシュバイクより)
 「リュートを調弦する女」    (ニューヨークより)
 「手紙をかく婦人と召使い」   (アイルランドより)
 「ヴァージナルの前に座る若い女」(個人所蔵)

 相当な混雑であったが、私はこれら7作品を最前列でじっくり見た。観客は一寸ずりであるが、それに従い、絵が近づくと解説のイヤホーンのスイッチをいれ近づきながら一回聞く、正面に近づくと2回目の解説を聞き、過ぎ去っても一寸ずりであるので3回目のスイッチを入れ振り返りながら解説を聞く。こんなことをしながら一作品3回の解説付きでじっくり見た。
 しかし本来は、解説は一回でももっとゆっくり見たいものだ。有吉玉青氏が『恋するフェルメール』のなかで、「フェルメールの絵の前に立つと、近くから観て、遠く離れて観て、また近づいて観たりするので、フェルメールは時間がかかる・・・」というようなことを書いていた。フェルメールの絵は本当にそんな絵だと思う。誰もいないところで独り占めして近づいたり離れたりして観たいものだ。
 アムステルダム国立美術館(4作品所蔵)では、それなりに混んではいたがかなりゆっくり観た。それよりも独り占めしたのは、昨年9月フランクフルトのシュテーデル美術館で「地理学者」を観たときである。雨の日の夕方であったこともあってか、ほとんど人影はなく、絵の前に一人立ち尽くし、近く遠く、斜めの角度と十数分眺めていた。その間、ほんの数人の人が私の周囲を通り過ぎただけであった。
 それに比べると今回は混雑の中であった。他にデ・ホーホなど良い絵がたくさんあるにもかかわらず二時間の約半分をフェルメール7作品に費やしたので、「混雑・・・一寸ずり」の効果と言うべきか、今年の見納めとしては十分なものであった。
                            


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