旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

弟の大分県美展「美術協会賞」受賞の知らせ

2008-10-31 13:11:52 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 三番目の弟が、ふるさと臼杵の実家を守ってくれている。彼は小中学校の先生をやりながら絵を描き続けてきた。先生の方は校長まで勤め上げて定年退職したが、絵の方は定年がないので、未だ大いに描き続けているらしい。
 その余裕の所為か、このたび県美展の「美術協会賞」を受賞した知らせがあった。これまでも県展などでは何度か入賞していたが、今回の賞はかねてより欲しかった賞のようで、大変な喜びを伝えてきた。
 その言によれば、「大江健三郎先生を臼杵にお招きして講演会を成功させた“満塁ホームラン”とまでは行かなくても、ソロホーマーには値する」ということだ。彼は「憲法9条の会うすき」を主宰しており、今夏、大江先生を臼杵に招き講演会を開き「大成功!」と喜んでいたのであるが、それに準ずる喜びのようだ。
 画題は「くもりガラス――ある朝――」で、「わが家の猫“イツク”と子どもが出会ったある朝の一瞬を、くもりガラス越しに描いたもの」らしい。画家(えかき)などという者は、ずいぶん気取ったテーマを臆面もなく描くものだ、とも思ったが、選者からは高く評価されたようで、「斬新さがある」、「豊かな発想で、若い人の作品に思えた」(彼は68歳)、「あたたかみを感じた」などと評された新聞記事などを送ってきた。結構なことである。

 彼は、絵においてはプロと言えるのであろう。これまでに何回も個展を開きそれなりに売れてきたし、昨年は地元紙大分合同新聞の文学紹介欄に、週一回だが半年にわたり挿絵を描いてきたりした。私の酒などは、本を3冊出版したり、ときどき講演に呼ばれたりはするが、どう見ても趣味の領域を出ていない。
 昨夜お祝いの電話をかけて話していると、突如、「兄貴、ちょっと尿意を催してきたので、受話器をおかずにそのまま待っててくれ」と言って電話を離れた。けしからん奴だ! と思いながら私はそのまま待った。普通なら「架けなおすから、一度切って待っててくれ」と言うところだろう。長距離電話でもあるし。
 これはプロの領域にいる芸術家の風格なのか、それともニセ芸術家の横着なのか?
 ただ私は、その12分の間、受話器を通して聞こえてくる「厠(かわや)に向かい遠ざかる廊下の足音」に故郷の響きを聞き、彼の放尿している姿を思うことで懐かしい旧家の佇(たたず)まいを偲ぶことが出来たのであるが・・・。
 あの12分は、プロたる彼が創出した芸術であったのだろうか?
                           
 


為替相場の落ち着き先

2008-10-29 16:16:01 | 政治経済

 

 世界経済は大荒れの状況である。日本の日経平均株価も、昨日は終値こそ7000円台に戻したが一時的にはそれを割り込み6994円90銭をつけた。これはバブル後の最安値で、26年ぶりの水準のようだ。つまり1982年まで逆戻りしたようなものだ
 為替相場も乱高下を続けながら、円の独歩高の様相を示している。聞くところによると、ユーロなどを買い求める人が銀行に長蛇の列で、売り切れて買えない人も多いという。安い外貨を買い溜める余裕の人も結構たくさん居るのだ。

 その為替相場であるが・・・、
 昨年の秋、ドイツ、イギリス、フランスを旅して、ユーロとポンドの高いのに泣かされたことを思い出す。当時ユーロは160円台、ポンドは240円前後であった。何を買っても何を食べても高いと思った。そしてその要因は為替相場の不均衡にあると思った。
 その相場は昨日付けでは、ドルが94.38円、ユーロ117.53円、ポンド148.41円となってきた(本日付日経新聞23面「対顧客電信売相場」)。世間一般では、これを円高、円高と騒いでいるが、私はこの水準は「生活実感を基にした国力の比較」という点ではちょうどいい水準ではないかと思っている。
 昨年ヨーロッパで感じたことは、「この相場では、日本の生活をヨーロッパで維持するには5割増しの金が要る」ということであり、「はたしてそれだけの国力の差があるのか?」というのが疑問であった。
 このところの相場なら、ほぼその矛盾は解消すると思われる。明らかにユーロ、ポンドは過大評価であったのではないか? その証拠に、(ドルの100円弱を含めて)円高だと騒いではいるが、かつて初めて100円を切ったときのように「日本は潰れるのではないか」と言うような騒ぎは起きていない。輸出もあるが輸入もあるのであり、国として円の強いことは決して悪いこととは思わない。

 さてどの程度の水準に落ち着くのであろうか・・・?
                                                     


秋の深まりーーひやおろしのお燗

2008-10-26 16:29:26 | 

 

 10月も後一週を残すのみとなった。食卓を飾る果物も日に日に熟度をまし、酒も、「ひやおろし」などでも燗をしたくなる時節となった。
 ひやおろしというのは、夏の間タンクで眠り熟成して、いわゆる秋上がりした酒で、かつ季節柄気温も下がってきたのでビン詰時の火入れを省略した酒、いわば生酒に近いので、冷か常温で飲むのが美味しい。しかしそのような酒でも秋の深まりにつれて燗をしたくなる。
 若いときはぎんぎんに冷えた生酒が美味しく、それを専ら求めて歩いた時期もあった。しかし最近は生酒は重く、一般に熟成した酒の常温か燗酒がいい。年のせいだろう。

 秋あがりした酒のふくよかな味わいと共に、前述したように果物も熟度を増す。特にそれを感じるのが柿である。つい先日まで硬くてこりこり噛んでいたが、このところ口の中でとろける。
 私が酒を飲むので、ワイフが毎朝の食後に柿を出す。「柿は体内に残るアルコール分を吸収する」と言われていることによるようだ。私はその真偽のほどを知らない。しかし柿を食べると何か体が冷えて、アルコールが抜けていくような気はする。
 そういえば、高浜虚子に次の句があるので、柿は酔い覚めに効くのかもしれない。

   水飲むがごとく柿食う酔いのあと

 虚子は、酒酔いに対する柿の効用につき、化学的根拠を知っていたのであろうか?
                            

 


「変人・奇人の集い」での酒の話

2008-10-24 14:38:47 | 

 

 前回書いたように、「変人・奇人の集い」というユニークな会に呼ばれて、日本酒の話をした。みんなお酒を愛する人たちで、私ごときの話を一時間、実に良く聞いてくれた。そして思いのほか喜んでくれた。もちろん、お世辞も含まれているのだろうが、かなり盛り上がって聞いてくれて、何人かの人に「是非続きを聞きたいので機会を持ってくれ」と言われた。
 まあ、話の内容はともあれ、講師に対してそれなりの礼節をもって応えるところに、この集いの方々の水準の高さがあるのであろう。

 私は酒のプロではないので、単に私がこれまで飲み歩いた体験を語ったにすぎない。その中で、ニセモノ酒と本物の酒をできるだけ明らかにしようと思った。そして、相当な飲み手の集まりにあっても、酒の中身についてはまだまだ熟知してない人が多いことも分かった。
 酒好きほど酒を知らないということもある。そもそも酒好きは日常的に酒を飲んでいるので、その中身なんていちいち吟味しない。たまに出くわしたものについては、辞書を引いたり参考書を調べたりしても、毎日接しているものにそれはやらない。
 そこに落とし穴があるのかもしれない。それだけに、私の酒の飲み方が案外新鮮に聞こえたのだろう。私はどこに行くにもそこにどんな酒があるか調べ、蔵元に手紙を出して「その酒を美味しく飲める飲み屋」を紹介してもらって、その中身を確かめながら飲んできた。
 そのようなこだわりが、意外に新鮮な話として受けたのかもしれない。

 最後に、酒文化は「造る人(蔵元)」、「運ぶ人(酒販店)」、「飲ませる人(飲食店)」、「飲む人(一般国民)」の四者が綾なすコラボレーションだ、と話した。この四者のどこが手を抜いても酒文化は花咲かない。特に、「前三者がどんなに良い酒の提供に努めても、飲む人たる皆さんがズッこけたらおしまいだ。本物の美味しい酒を求め続けてください」と結んだところで大笑いとなり話を終えた。

 ところで、かく言う自分も単なるオタクに堕しており、何か重要なものを見失っているのではないか・・・? と不安を感じながら帰途についたのだが。
                            


「変人・奇人の集い」でお酒の話をすることになった

2008-10-22 16:13:40 | 

 

 今日は仕事を早退して、これから根津に向かう。実は根津の某社にある「変人奇人の集い」という会で、日本酒の話をすることになったのだ。
 その「集い」の主催者と関係の深い銀行時代の同僚を通じて依頼された話であるが、当初はお断りしようと思った。理由は・・・、自分も銀行などというお堅い仕事(?)をしながら酒の本を書いたりしてきたので、変人の仲間には入れていただけるかもしれないが、奇人の水準には未だ到達していないと思ったからだ。

 変人にはなれても、奇人には簡単にはなれないのではないか・・・? 奇人と呼ばれるには、他のものに無い高い文化性みたいなものを身につける必要があるのではないか? たとえば、種田山頭火とか太田蜀山人というと奇人という気がするからだ。そして、山頭火のような生き方は逆立ちしても出来ないと思うのである。
 
ところが、広辞苑を引くと次のように、見方によっては変人と奇人は同じに読める。
 
変人:一風変わった性質の人。変わり者。奇人。
 
奇人:性質・挙動が普通の人とはちがった人。変人。
    かわりもの。

 しかし、「一風変わった性質の人」と「性質・挙動が普通の人とはちがった人」では、何か違う。後者となると、やはり山頭火などの匂いがしてくる。先日、「集い」のメンバーの一部の方々を紹介されたが、みんな一国一城の主で錚々たる方々・・・、会社代表者をはじめ○○研究員や○○顧問や○○博士、工学博士で東京大学名誉教授の方までいる。山頭火どころか、みんな奇人の水準に達している人々ではないのか?
「これはいよいよ俺の出る幕ではないか・・・」とも思ったが、まあいいだろう。何かの縁あって依頼を受けたのだ。肩に力をいれず、自分の酒への想いをありのままを話そう。
 「美味しい酒を求め続けた酒の旅」というテーマで小一時間話し、そのあと、変人・奇人の方々と酒を飲もう。帰宅後ブログを書く余裕はありそうもないので、この続きはいずれまた・・・。
            08年10月22日 16時15分


虚の世界に生きる戒めーーアイスランドの例

2008-10-19 14:50:07 | 政治経済

 

 アメリカ発の世界金融危機(経済危機)のニュースが連日飛び交っている。そしてそれは、何も大国の問題だけではない。
 アイスランドなどという国は、日本ではそれほどなじみは無いが、急に新聞紙上を賑わしてきた。オーロラで有名なこの北極の小国は、これまでつつましく漁業に生きてきたようだが、10年ぐらい前から、新自由主義経済のグローバル化の波の中で金融立国を目指し、急激な発展を遂げた。規制を緩和し世界中から資金を集め、海外投資を進めた。成長は著しく影響力も増して、国連安保理の理事国に立候補するまでに至った。
 そこを襲ったのが、サブプライムローン問題に発する金融危機・・・,


 「成功物語の主役だった銀行部門は国民総生産(GDP)
   の10倍近い負債を抱え行き詰ってしまった。これから経
   済の収縮が始まり、最悪のケースも視野に入る」(本日
   付日経新聞小池論説副委員長の「中外時評」)

という状況のようだ。そこに言う「最悪のケース」と言うのは、同国の首相が自ら言及している「国家の破綻」のことであろう。

 金融などという虚の世界は、運良く儲かればその儲けは大きいが、まかり間違えばすべてを失う。つまりバクチのようなもので、金持ちしか手を出してはいけないのだ。
 アイスランドには悪いが、資力も何もない男が借金をしてバクチに入れ込み、最初は儲けさせてもらったが、ついに身ぐるみはがされた、という気がする。その結果、「アイスランドは欧州各国からの支援を求めたが色よい返事をもらえず、ロシアにすり寄った。(中略) その見返りは何か・・・。様々な憶測が飛び交う」(前掲「中外時評」)という状況のようだ。
 いざとなったら誰も助けてはくれない。何か大きな見返りがない限り。

 「虚ではなく実の世界にこそ生きる重要性」を示す強烈な戒めではないか?
 今こそ世界は、行き過ぎたファンドなどの「カジノ資本主義」に必要な規制を加え、物つくりを中心にした実体経済の建て直し(日本の農業など)に取り組むべきではないか。
                            


再び世界金融危機について

2008-10-18 14:49:44 | 政治経済

 

 前回、私が関係する会社の税務調査に触れて、市井に生きる1零細企業の規模とあまりにもかけ離れた世界金融危機の計数について書いた。
 その中で、所詮「虚の世界」である株や相場の世界の話は、実体経済の中で生きる者にとっては、どうでもいい世界とも書いた。それは、リーマンブラザーズが潰れようがGM社が債務超過に陥ろうが、また大和生命が破綻しようが、株も債権も持っていない庶民にとっては関わり無い別世界、と言う意味であったのだが、実はそうは行かない。
 言うとおりかかわりも無い「虚」の世界で、儲け放題のバクチ経済をやって大損しようが破綻しようが勝手であるが、その影響が、全くかかわりの無い庶民に及んでくる。
 今回の金融危機に続く不況は、世界同時不況の様相を呈して、少なくとも2年は続くとも言われている。その間に弱い企業から潰れていく。つまり日本の90%以上を占める中小零細企業が先ずその対象で、そこに働く者は職を失い、賃金が下がり、大なり小なり影響を受けていく。
 この責任は一体だれがとるのか?

 今回の世界規模の金融破綻(というより経済破綻)が、1980年代からアメリカを中心に推し進められてきた「新自由主義」(弱肉強食の自由主義経済)に起因することは、これで明瞭になったのではないか?
 その新自由主義的資本主義の結果、アメリカはもちろん、その尻馬に乗ってきた日本も「深刻な貧困問題」に直面している。一方に年収何十億円の富裕層を生みながら、一方に必死に働いても食えないワーキングプアーを生む。
 その挙句に儲け続けようとした自らも行き詰まり破綻していく。そしてついに、金融システムを維持していくために、自由主義と全く正反対の「金融機関への公的資金の注入」をやらざるを得なくなる。今に銀行はみな国家管理になるのではないか?
 それは「規制をはずして自由にやろう」という政策が破綻したことを自ら示したことに他ならない。

 今や、小泉竹中路線の完全な方向転換が求められているだろう。来る総選挙で、国民はその意思を鮮明に示すべきではないか。
                            


世界金融危機とわが社の税務調査

2008-10-15 21:40:33 | 政治経済

 

 アメリカ発の世界金融危機で世の中はゆれている。日経平均株価も千円規模で乱高下しており、金融機関を救うためにアメリカの73兆円を始め各国とも数十兆円規模の公的資金(つまり国民の税金)の注入を計画している。
 世界の株式時価総額は、過去最高だった07年10月末に比べ、1年間で約30兆ドル(約3千兆円)減と半減したそうだ(本日付日経新聞6面)。つまり3千兆円という想像も出来ない金がなくなったに等しいのであろうが、ピーク時の6千兆円も現在の3千兆円も「虚」の世界であるので(そもそも株価なんて実態を離れた虚の世界)、実体経済に生きている者にとっては、どうってことは無いのかもしれない。

 その桁外れの桁数の虚の世界から見れば、ゴミ粒にも見えない世界であるが、実は名古屋のわが社に昨日から税務調査が入った。公的資金を注入するために少しでも徴税する必要があるのかもしれないが、わが社は年売上高70百万円、変動経費17.5百万円、固定経費52百万円で、この3月に50万円の利益を挙げて30数万円の税金を払った。売り上げは隠すどころか必死にかき集めて計上し、経費も爪の上で火を炊くようにケチりながらやっと利益を計上した次第。経費はほとんどが人件費と家賃で、交際費など1年間で9万円しか使っていない。
 そのようなものを、いくら調べても追徴すべきものなど出るはずがない。2日間にわたって調査を頂いたが何も無く、「問題は何もありません。事務も良く出来ています。後日、『税務申告適正認定書』を送らせていただきます」と言って調査官は帰られた。こちらも要求される資料をテキパキと出して行ったし、調査官もきわめて手際良く調べて、最後の講評も気持ちよく、私は実にすがすがしいものを感じた。
 一方でカジノ資本主義とも呼ばれる巨額なバクチ経済が横行している中で、わが社の計数の何とミミッチイことかと、いささか寂しくはなったが・・・。

 ただ、これだけは付け加えておく。
 年売上高70百万円の経済活動は、そこに何の虚飾も無く、役員以下アルバイトまで10数名の従業員が、それによってこそ生きていく「実なる経済」である、ということだけを。


連休の一日、小石川後楽園から神楽坂を散歩

2008-10-13 12:48:19 | 

 

 絶好の季節の連休といっても、何の計画もなかった。とはいえ家にいるだけではあまりにもひどい。ワイフの提案で、小石川後楽園を歩き神楽坂で食事をすることになった。。

 水戸光圀が、中国に学びながら京都や琵琶湖などの光景をとりいれて造った庭と言われる小石川後楽園は、小じんまりとしているが盛りだくさんの光景や教訓に満ちている。それらを書いているときりがないので、一点だけに触れておく。
 中央に近い松の広場に「九八屋」という藁葺きの家がある。江戸時代の酒亭の模様を示した建物
らしい。中には何も無く、真ん中に大きなテーブルがあり、その周囲を掛けて囲むようになっているだけである。
 それより面白いのは、入り口に立て札が立てられてあり、

 ・・・酒を飲むに「昼は九分夜は八分にすべし」と酒飲みな
  らず万事控えるを良しとするとの教訓による・・・

と「九八屋の由来」が記されてある。昔から節度を守ることは難しく、その最たるものが酒飲みの飲みすぎであったのだろう。酒を八分、九分に抑えることを「万事控え目」の教訓にしたのだ。
 
この教訓を深く胸に刻み、九八屋を後に神楽坂へ向かった。もちろん酒を飲むために・・・

 日曜日であったので、お目当ての店が休みであった。いい機会にとぶらぶら歩き飲み屋を探すと、横丁に『SHUN』と言う店を見つけた。横文字だから洋食かと思いきや、立派な和食の店でなんと言っても酒の銘柄が良い。「菊姫」、「米鶴」、「庭の鶯」、「十四代」などなど・・・。
 まず米鶴を注文しながら、若いウェイターに「良い酒を置いてますね」と話しかけると、「ハイ、私が選びました」と胸を張る。聞けば、すべて自分が利き酒をして選んだという。しかも、「米鶴」と「庭の鶯」を基準に据えて、毎月その周辺に良いと思う酒を選んでいると言う。
 名刺を交わすと、「神楽坂SHUN・本家 ホール主任」の肩書きだ。Kと名乗るこのホール主任は未だ29歳。私は本当にうれしくなった。このような若者が、しっかりと自分の物差しを持って酒を選び、自信を持って客に薦めているのだ。
 料理もおいしく、夜は八分に控えよという「九八屋の戒め」が守れなかったことを除けば、大満足の一夜であった。
                            


ノーベル賞雑感ーー特に平和賞について

2008-10-11 16:07:55 | 時局雑感

 

 暗いニュースの多い中で、ノーベル物理学賞3人、化学賞1人の日本人受賞者が出て、久しぶりに心の躍る思いで新聞を読み、テレビを見ている。特にこの四人の方が(当然のことながら)個性的で、しかも普通人の匂いを放っているのがうれしい。未だ海外に行ったことがないとか「くらげ」の話とか、何かノーベル賞が身近なものに感じられてきた。
 これらの方々については、多くの国民と喜びを共有しているつもりなので、それはさておき、私はノーベル平和賞が、フィンランドの前大統領アハティサーリ氏に贈られたことに関心を持った。もちろん私は。氏の平和貢献内容については初めて詳しく知った。そして、打ち続く国際紛争の平和的解決に果たす「小国の役割」と、中でもフィンランドという国に改めて関心を持ったのである。

 考えてみれば、大国は常に国際紛争の元凶と言えるのではないか? 歴史を振り返れば、国際紛争は常に大国が引き起こしている。大国が表面に出ていなくても、紛争の裏には必ず大国がいたと言って過言ではない。
 とすれば、大国に紛争解決の能力はないのであって、平和の主導者は、大国のハザマにあって極力中立を推し進める小国、しかもそのような国に育った強力なリーダーシップを持った人たち、なのではないか?
 力と利害に動く大国には、必ずしも平和は必要なく、平和を最も必要とするのは、力もなく、ひたすら普通の生活を求める人間であろう。ロシアやスェーデンなど強国の脅威に絶えずさらされながら、ひたすら耐えて中立を守ろうとしてきたフィンランドは、平和の主導者として最適かもしれない。

 ところでフィンランドは、決して力のない国ではない。他国を侵略するような軍事的力はないかもしれないが、真の意味の「国力」は極めて高い国だ。
 この10月8日に世界経済フォーラムが発表した「2008年版世界競争力報告」によれば、フィンランドは6位で、日本の9位を上回る。IT競争力ではかのノキアを有するだけあって4位(日本は14位)である(07年3月28日同フォーラム発表)。総じて世界貿易能力は7位で、これも日本の13位を上回る。
 そしてこれらの根底には「国の学力」の高さがあると考える。経済協力開発機構の「学習到達度調査ランキング」によればフィンランドは世界でトップで、日本の14位を遠く上回る。これを報じた07年1月14日付日経新聞は、「人口わずか520万人、国土の四分の一は北極圏にある国が、学力で世界のトップに位置する原動力はどこにあるのか」と問いかけ、「小さな教育大国 受験競争無縁 苦手克服へ集中補習」などの見出しで、1クラス10~26人の少人数学級の写真を掲げている。

 私はこの国からノーベル平和賞受賞者がでたことに関心を持ったのである。  (写真は、ヘルシンキのシベリウス公園)

  
                            


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