旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

今年も前半が終わる

2019-06-29 10:48:55 | 時局雑感


 ブログを読み返すと、毎年この時期に、この同じテーマで書いている。区切りをつけながら、次に進もうとするのだろうか?
 今年も同じように半分が過ぎていった。思い返せば「令和さわぎ」が騒がしかった。私はほとんど関心がなかったが、世の騒ぎも、何もなかったかのように収まったのではないか? 良し悪しは別として昭和は印象深く残っている。平成もそれなりに使用してきた。しかし、私は令和はあまり使用しないのではないかと思う。今後私は、西暦に統一して使用していくような気がする。
 6月は娘が公演したオペラ『愛の妙薬』をたっぷりと楽しんだ。4日間公演したが、出演者が違うことと、夕方と夜の公演などあったので、4回とも全部見た。演じる(歌う)人によって全く別のオペラになるし、同じ歌手でも日によって微妙に違う。また、すでに書いたように岩田達宗氏(演出家)の新解釈が、全く新しい『愛の妙薬』を楽しませてくれた。
 残念なのは視力の低下だ。演者の微妙な表情が読み取れないし、字幕が読めない。何度も見たオペラであり筋はわかっているのだが、新解釈による字幕をじっくり味わう必要があろう。ビデオが出来上がったら、それを楽しむつもりだ。
 視力低下については、その回復に最後の執念をもって取り組んだ。白内障の手術(4月に左、5月に右目)と、引き続く右目の注射だ。手術によっては、若干明るく見えるようにはなったが、視力はほとんど回復しなかった。加齢のなせる業で、執念だけではいかんともしがたいのであろう。
 執念と言えば、明日(30日)は、K氏とM氏の「卒寿を祝う会」が開かれる。お二人は、1929(昭和4)年のお生まれで御年90歳、頭脳明晰、弁舌爽やか、いくつか弱った個所はあるが元気なものである。明日の会では、オペラ歌手によるお祝いの歌をささげようかと思っているが、「俺たちにも何かやらせてくれ」と、出し物を用意している模様だ。
 二人の生きざまというか、人生を楽しむ執念を少しでも頂戴して、今年の後半を生きる糧にしよう。


ミャゴラトーリ公演 オペラ『愛の妙薬』(つづき)

2019-06-21 14:03:16 | 文化(音楽、絵画、映画)


 15,16日の後半をもって、全四日の公演を終えた。四日間とも満席で、大方の好評を得たようだ。前回も書いたように、岩田・ミャゴラトーリオペラも6回目を迎え、観客の層も広がり、しかも各層にそれなりの高評価を頂いているようだ。最終日の盛り上がりもすごく、カーテンコールはいつまでも続き、拍手は鳴りやまなかった。
 私は四日間とも見たが、実に面白かった。主役の四人は二日ずつ交互に演じたが、特にアディーナとネモリーノについていうと、一組が高橋絵理さんと寺田宗永さん、二組目が吉原圭子さんと所谷直生さん。同じソプラノでも、高橋さんは強いソプラノ、吉原さんは繊細なソプラノに、私には聞こえる。またテノールでも所谷さんは強いテノール、寺田さんは繊細なテノールと思える。言わば剛と柔である。そしてこの剛と柔を組み合わせ「二組のアディーナとネモリーノ」で演じられたのだ。
 その結果は、同じ原作、同じ楽譜により、同じ演出家と同じ指揮者が演じたのも関わらず、別の『愛の妙薬』を聴く思いがした。剛と剛、柔と柔の組み合わせはなかったが、もしやればまた違う『愛の妙薬』が生まれるのだろうか? 前回書いたように、大オペラハウスのものと小劇場演劇的オペラでは、同じ演題でも大いに違う。演出の仕方でかくも違うところに芸術の奥深さを感じた。

 私の関係のお客さんもたくさん来てくれた。毎晩終了後、遅くまでいろいろと語り合った。またその後もお手紙やいろいろな贈り物を頂いたりしている。30年前に共に働いた古い仲間のToさんは、このところ仲間と共に毎年来てくれているが、すっかりテラッチ(寺田宗永)さんのファンらしく、その出演日に狙いを定めてきた模様。終了後、妙薬をかざしたネモリーノ(テラッチさん)と写真に納まると大変に喜んでくれた。
 様々な形でオペラ愛好家が広まっていくことを願ってやまない。

   
 テラッチさん掲げる愛の妙薬が、この3婦人に効きますように!


好評だったミャゴラトーリ公演 オペラ『愛の妙薬』

2019-06-17 15:04:16 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 岩田達宗氏の演出によるミャゴラトーリ公演「小劇場演劇的オペラ」は、『ラ・ボエーム』以来今年で6回目になる。演目は、ミャゴラトーリが発足時に取り組んだ『愛の妙薬』。しかも、岩田氏の新解釈が至る所に取り入れられた、実に楽しい日本版『愛の妙薬』として登場した。
 先ず、原作は農村が舞台と思われるが、ここでは都会が舞台で登場人物たちはバンドマンたち。指揮者の柴田真郁氏はバンドマスター役を演じながら指揮を執る。そこに現れる妙薬を売る薬売りドゥルカマーラが、『男なつらいよ』の寅さん役ときた。寅さんのセリフそのままに日本語で登場したのには驚いたが、思えば、寅さんという男は、いつもマドンナに惚れる男として登場するが、最後は、そのマドンナの恋の成就を助ける男として終わる。つまり、『愛の妙薬』を売る男としてはピッタリなのかもしれない。これにより、この世界的オペラが、その原型を失うことなく、実に自然に、身近な日本版オペラになった。
 ネモリーノは、うだつの上がらないバンドマン(原作は下層農民)、可哀そうないじめられっ子として登場する。それが、こともあろうに花形歌手(原作は地主の娘)アディーナに恋をする。そもそも成就するはずのない恋だ。そこを可能にするには、寅さん流の神がかり的妙薬が必要だった…、しかしそれは「
薬}ではなく、ネモリーノのひたむきな愛を知るアディーナの「心」であった
 また、その妙薬がコーラというのも驚いた。これまで見た『愛の妙薬』ではワインであった。ワインはヨーロッパでは普通の飲物だろうが、日本人には高級感がある。コーラという最も普通の飲物が、不可能と思える二人を結び付けようとするところに面白さがあった。

 これらの手法を取り入れたことにより、平凡な喜劇に堕したのではないかと言えば決してそうではない。ドニゼッティオペラの高い品格を維持し、その芸術性、音楽性を格調高く謳い上げている。それは、岩田氏と柴田氏に指導された、出演者たちの高い力量が生み出したのだろう。特に、主演者はもとより、わき役、合唱隊を含めた歌唱力が素晴らしい。オーケストラ役を一人でこなす浅野菜生子さんのピアノともども、日本最高の水準にあるのではないかといつも思う。 実に楽しく、且つ、音楽的欲求を十二分に充たしてくれるオペラであった。


  
     
  カーテンコールで観客に応える出演者たち(上が初日6月6日、下が二日目(同7日)


明るみに出た年金不安

2019-06-13 10:30:20 | 政治経済


 金融庁金融審議会のワーキンググループが発表した年金制度の将来像と対応策についての報告書が、国民の間ではもちろん、与野党政治家を巻き込んで大騒ぎになっている。
 そもそも、一方で「100年安心の年金制度」などと言いながら、「年金だけの生活では毎月赤字だ出るので、今の寿命で生きていけば2000万円は足りなくなる。自己責任で貯金しておけ」と急に言われたのだから、国民が驚いたのは無理はない。しかし一番驚いたのは金融庁ワーキンググループではないか? 実態をありのままに報告したら、「それを言えば国民に不安を生じるので、こんな報告は受け取れない」と、諮問した者から受け取りを拒否されたのだ。
 もっと言えば、「事実をありのままに言ってはいけない」として、報告書そのものを無かったことにしようというのだ。勤勉で真面目な(?)日本の官僚らしく、高齢化していく将来像を見据えながら年金制度の抱える不安をありのままに報告し、それなりの対応策を国民に呼びかけたところ、「本当のことを言ってはいけない!」と親分に叱られたのだ。ワーンググループも驚いただろう。
 本来は、その実態、事実を認め、「ではどうするか?」を真剣に考え、策を検討し、制度を補完していこうとするのが国の務めではないか? 政治家の責任ではないか? ところが、握りつぶしてないことにしようとしたのだ。
 すべては、参議院選挙で不利な材料と判断したからであろう。選挙にさえ勝てば、まじめな官僚の仕事も無にし、国民を騙し続けることもするのだ。このような政府与党、自民、公明両党に、国民は貴重な一票を投ずるのであろうか?


白内障の手術終了、しかし視力は回復せず

2019-06-04 15:48:03 | 時局雑感



 加齢黄斑変性でほとんど見えない左目の手術を4月に終え、本命の右目の手術を5月18日に終えた(17日入院19日退院)。その術後検査を22日に受けたが、白内障の手術は「うまくいって、きれいに収まっている」(担当医師)が、視力は0.2とむしろ下がった。原因は右目が抱え続けている「網膜のむくみ」が悪化しており、それによる視力低下ということだ。早速29日に従来から続けている注射をやることとなり実行した。その結果検査が昨日(6月3日)行われたが、視力は「0.3と0.4の中間」ということで、大した改善は見られなかった。
 私の右目は、かなり前から網膜のむくみに冒され、そのむくみが視力を妨げるので、1回15万円弱(保険1割負担で14千円強)もする注射でそのむくみを抑えてきた。正式病名は「傍中心窩毛細血管拡張黄斑浮腫」というむつかしい名前で読めもしない。要するに最後の4文字「黄斑浮腫」で、これは世にいう「加齢黄斑変性」に似ているので、それに効く「ルセンティス」という注射をやってるらしい。それでも視力は1.0あったものが年々下がり最近は0.3ぐらいにまで下がっている。つまり、白内障どころではないのである。

 確かに白内障の手術で「明るく見える」ようにはなった。テレビの人の顔が、みんなおしろいを塗ったように白く見えるので、見えすぎではないかと思うぐらいである。しかし視力は戻らない。世の中では、私ぐらいの年(84歳)の人が白内障の手術をやり、「視力が0.3~4から0.8~9見え出しだ」とか、「テレビも新聞も眼鏡なしで見えるようになった」など聞くが、うらやましくてならない。
 まあ、これも私の運命だろう。84年も生きれば生き過ぎかもしれない。そろそろ世の中のイヤなものなど見ないで、心眼を見開いて心の境地を高めなさい、ということかもしれない。それはそれで、注射どころではなさそうだが。


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