13年間飼ってきた猫が死んだ。パンダ丸(愛称パンダ)という猫で、我が家に来る多くの人に可愛がられてきた猫であった。
わが家で飼う前の数年間は波乱に富んでいたようで、交通事故にあって道路わきに投げ出されていたところを、近くの動物病院の院長に救助されたことに始まる。しかし猫エイズ菌を保有していたことから外への接触を絶たれ、籠の中で飼育された。数年たってついに処分のやむなきに至った病院の事情を知った娘が、その不憫に耐え切れず我が家に引き取ったのである。
もちろん、我が家に来ても外出は許されず、室内飼育に徹しなければならなかった。そしてそれが、この猫を長命に導いたともいえる。その管理の目を盗んで家を飛び出す「19日間の逃亡事件」(2018年10月1日付「パンダの帰還」ご参照)などあったが、それはさておき。
動物病院の期間5~6年を勘案しても18~19年は生きていたこととなり、パンダの年齢は人間に換算すると90歳前後と思われる。さすがに今年に入って弱り、動きが鈍くなってきた。巣箱を出て室内を2,3周しては眠る。
2周は1周となり半周となって、一週間前から食事を断った。水もあまり飲まない。巣箱の周囲を数歩歩くだけになった。ついに、昨29日11時、巣箱を出てよろよろとドアに向かい、その前で後足から崩れ落ちて横になった。
駆け寄った妻が、「あら、パンダ…、おしっこだったのね」と体を拭いてやる。猫は最後の時までトイレに向かおうとするのだ。
11時30分、娘に撫でられながら静かに息を引き取った。
午後3時、ミャゴラトーリの歌手大澤恒夫氏が花束をもって駆けつけてくれた。力持ちの彼は庭の片隅にパンダの墓を掘ってくれた。持ち声のバスバリトンのように深いやさしい穴であった。そこにパンダを葬り、家族4人と大澤氏が次々と土をかけ、小高い盛土の上に次々と花を添えた。
午後4時丁度。
おおらかで物静かな猫であった。みんなに可愛がられ、触られてもいやな素振りは見せなかった。
ありがとう パンダ
さようなら パンダ丸…
3年前のパンダ
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パンダの墓