旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

楽しみな秋の計画

2007-08-31 14:05:26 | 

 

 今日で八月も終る。そして迎える今年の秋は、私にとって画期的な季節になりそうである。以下に主な計画を書き並べておく。

 9月8日(土) 法政大学で「やさしい日本酒講座」の講師
         を務める

 9月19日(水)ドイツへ出発。フランクフルトの知人宅に半月お世
        話になる。この間、彼の家を根城に
     ・ミュンヘン2泊3日(ビール祭りとノイシュバンシュタイン
      などお城めぐり)
     ・ロンドン3泊3日(含むコッツウォールズ、ミュ
      ージカルなど)
     ・フランスのリヨン2泊3日(フランス人の知人に
      会うため)などに出向き、残り約7泊はフランク
      フルト周辺を楽しむ
      --ライン下り、ハイデルベルクと周辺古城、
        オペラなど

 10月5日 帰国すると、一日おいて
  10月7日 恒例の「純米酒酒フェスティバル」
            (時差ぼけ大丈夫かなあ?)

 10月中旬  義兄の案内で上高地に

 何か何十年分の計画をこの2ヶ月に集中したようなことになり、「お前は死に急いでいるのではないか?」とでも言われそうだ。
 ところで、ドイツからでもブログの投稿できるのかなあ?
                                 

 
 
      
     


秋の香り

2007-08-28 17:22:23 | 

 

 数々の記録を塗り替えた今年の猛暑も、季節の移ろいという自然の営みには勝てないようだ。例年になく視聴率を上げたのではないかと思われる天気予報番組も、「暑さは今日まで」と一斉に報じている。夏の空気と秋の空気がせめぎ合う前線が、日本列島に広くかかり、秋のはじまりを知らせる雨を降らせる……同時に、冷たい空気が流れ込んで、日本を秋が包み込むのだ。
 
その雨雲が、数年ぶりの皆既月食をさえぎるのは悔しいが、今年ばかりは月食どころではない暑さであった、というのが実感である。

 秋の空気とともに、秋の香りが昨夜届いた。
 
ふるさと臼杵からかぼすが送られてきたのである。思えば子供の頃からかぼすとともに育ってきた。刺身、焼き魚、てんぷら、鍋物などはもとより、毎日の味噌汁からおしんこに至るまで、すべてかぼすをたらして食べた。
 
子供の頃は、かぼすなどというものはどこにでも有り、全国どこでも自分達と同じように食べているものだと思っていたが、やがてこれが大分県特有の柑橘類であることを知った。「他所には育たない」と言うことが当初は信じられなかったが、どうも真実であり「かぼすは大分県の特産物」とわかると、やたら無造作に食べるのはいけないことではないかと思ったりしたものだ。

 そのかぼすが大量に送られてきた。
 
ほんとうに秋が来るのだ!
 
何か上等の刺身を買ってこよう。
 
それに合わせる山廃純米吟醸酒を何にするか?…
 ちょっぴり悩んでいる。
                             


映画「赤い靴」--数十年ぶりに見た名作!

2007-08-26 12:23:09 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 猛暑を逃れ、冷房の部屋でゴロゴロしながらテレビを追っていると、偶然にも「赤い靴」を見ることが出来た。最初に見たのは戦後の昭和20年代であったと思う。断片的に印象的なシーンが脳裏に残っていたが、10代の子供には、その意味する深奥はわからなかった。
 今度見て、「これほどまでの名作であったのか・・・」と今更ながら驚嘆した。アンデルセンの童話に題材をとるこの映画は、原作、脚本、監督、出演者、すべての力が結集されて類まれな芸術作品となったのだ。

 アンデルセンの原作の少女は、赤い靴の魅力に取り付かれるが、同時にその魔力に支配され踊り続けなければならなくなる。ついに疲れ果て、脱げない靴ともども両足を切断することによって「踊り続ける」ことから開放される。
 映画の主人公、若き天才バレリーナも、バレー界にあってプリマドンナを求める限りすべてを捨てて「踊り続け」なければならない。恋と芸術の狭間にたって、彼女が踊り続けることを止めるには死を選ぶしかなかった。
 舞台の開幕直前、意を翻した彼女は劇場の階段を走り降り、折りしも疾風してきた列車に投身する・・・。

 駆け寄った恋人ピアニストに抱きかかえられた彼女は、瀕死の状態の中で自分の足先を指しながら
 「・・・この赤い靴を脱がして・・・」
と頼む。
 このシーンには胸が詰まった。
 彼女は、靴を脱いで踊り続けることを止めたのであるが、同時に命を捨てて、恋を実らせることもなかったのである。それとも、童話の少女が最後に至福につつまれ天国に行ったように、彼女も恋人の腕の中で「恋を成就させた」(芸を捨て愛に生きた)と解すべきか・・・?
                     


毛沢東の食器(その2)

2007-08-24 12:18:08 | 時局雑感

 

 思わぬことから毛沢東の食器を見て、その制作動機や処理に驚いたのであるが、食器そのもについてもひとこと触れておく。
 前述したように、模様は毛沢東の四つの詩からとった四つの花(桃、梅、芙蓉、菊)をあしらったもの。菊を除けばほとんど桃色の花であるので、白磁にあしらった色合いはどれも同じに見えた。いずれも小さい花であるので、私には殆どが同じ形どり、同じ配色に思えた。
 このようなものを千個も納品させて、毛沢東は毎日使っていたのだろうか? よくも飽きないものだなあ・・・、などとも思った。毛沢東は意外に単純な男だったのかもしれない。私だったら、四季折々、また食材の変化に合わせて、色合いから形まで多様なものを作らせるのだが・・・、などとも思った。
 ただ、いずれも素晴らしい容器であった。特に薄く焼き上げた制作努力は相当なものであっただろう。一つ、わざわざ割れた食器が展示されていたが、その薄さに驚いた。色合いといい出来具合といい、陶工たちは正に命を懸けて焼き上げたのであろう。
 このやわらかい桃色の白磁を使いながら、毛沢東は毎日何を考えていたのだろうか? 権力闘争に明け暮れささくれ立った精神を、この食器が慰めてくれたのかもしれない。
 
 当然のことながら酒器もあった。桃をあしらった小さく細い猪口が6~7個並んでいた。その大きさから見て、恐らく茅台酒の高級古酒を飲んだに違いないと思われ、これは一つ欲しくなった。「本来なら全て壊された」はずの残物なら、「俺に一つぐらいくれたっていいじゃあねえか」など勝手なことを思いながら立ち去った。
                     


驚いた毛沢東の食器

2007-08-22 17:08:09 | 時局雑感

 

 今年の夏休みはいっさい遠出はしなかったが、近くの展覧会を二ヶ所訪ねた。一つは8月14日のブログで書いたホテルオオクラの「秘蔵コレクション展」、もう一つは、渋谷区の松涛美術館の「景徳鎮1000年展と毛沢東の食器展」。
 松涛美術館の帰りに近くの戸栗美術館でも景徳鎮の陶磁器をたっぷり見たので、夏休みの終わりは専ら景徳鎮であった。それにしても驚いたのは「毛沢東の食器展」であった。

 1959年ごろ、権力の座を固めた毛沢東は、古今東西の権力者がそうであったように豪華な生活を求めていったのか、中国最高の窯である景徳鎮に自分の食器を作るように命じたという。しかも「極秘裏に、最高水準のものを作るように」と指示したという。
 命を受けた首脳人と景徳鎮側は、「7501」プロジェクトなるものを立上げ、選りすぐりの人材を集めて「極秘の食器作り」にとり組んだ。そのメンバーの中には、日本でいえば人間国宝級の人もいたという。
 食器のテーマも決まっていて、毛沢東が詠んだ詩の中から、桃、梅、芙蓉、菊にかかわる四つの詩を選び、それぞれの詩意と花を表現した食器を作った。
 何年かかけて1000点の食器(茶碗などだけでなく、スプーンや水差し、灰皿に至るまで)を納品、7501プロジェクトは解散することになったが、そのときの命令が、極秘を守るため「残ったものは全て破棄のこと」、つまり痕跡を残さないことというもの。
 ところがこの命を受けた陶工たちは、「こんな素晴らしいものを、今後作ることが出来るかどうかわからない」と、残物を破壊することを惜しみ、それを隠した。やがて毛沢東の死亡後、それを取り出し関係者で分けたという。従ってその名品は市井の一般生活の中で使用されてきた。
 これを聞いた収集家の馬何がしが、必死になって500点を収集、その一部が松涛美術館に展示されているのである。

 毛沢東の「怪しからん命令」に先ず驚いた。次いで、「全て壊せ」と命令されてもコッソリ隠した陶工たちの執念深さに驚嘆した。しかもそれを丹念に追い求めて500点も市井から集めた収集家も執念深い。
 ここに中国人の本質の一端があるのかもしれない。日本人であったら、壊せと命じられて先ず「全て壊した」であろうから……。
                     


こめたび(その3)--秋田の文化を売って、都会人の心をつなぐ

2007-08-20 12:05:31 | 時局雑感

 

   そうか、竿灯は秋田かね。一度見たいと思ってたよ。

 そうだ。青森のねぶた、仙台のたなばた、それにこの竿灯で東北三大祭だ。秋田にはその他、男鹿のなまはげ、田沢湖・八郎潟にまつわるたつ子姫・八郎伝説など民話も数多く、田沢湖村には音楽歌舞団わらび座があり、全国に日本の伝統芸能を発信しつづけている。
 秋田に足跡を残した文化人も、男鹿の菅江真澄、八郎潟の蕪村子規など枚挙にいとまがない。

   へえ…、だんだん秋田に行きたくなったなあ。

 そういえば君は温泉が好きだったねえ。温泉は乳頭温泉をはじめごまんとある。しかも素朴でひなびた温泉が多く、都会人の心を癒すには最適だ。何せそれを取り囲む自然がいい。白神山地をはじめブナ林が多く残っており、春の芽吹き、秋の紅葉は、このブナ林に勝るものはない。
 われわれは、米をはじめとした物品を売るだけではなく、これら秋田の自然、文化を売って都会の人に喜んでもらいたいのだ。それも抽象論ではなく、具体的な交流の場を設けることを計画している。
 第一に秋田での異文化交流--農業体験や生産者との交流など
 第二に都会での交流イベント--秋田の食、祭り、芸能を体感できるイベント開催  等々だ。

   なるほど。「秋田の文化を売って都会人の心を買う」
   ってわけか

 ほう、君もたまにはいいことを言うねえ。その言葉はいただこう。「…心を買う」というのはやや即物的だから、「秋田の文化を売って都会の人と心をつなぐ」とでもするか。キャッチフレーズに使わせてもらうよ。米や特産物は媒体に過ぎず、その媒体が生み出す「文化と心」がポイントなんだ。
                      


                                    


こめたび(その2)--秋田の特産品

2007-08-18 14:13:13 | 時局雑感

 

  秋田って何だか地味だよねえ。そんなに売る物あるの?

 そうなんだ。おとなしくつつましい県民性なんだ。しかしそれだけに、実に味のある産物を生み出しているんだ。
 前回言ったように先ずはだ。なんといっても広大な水田地帯を抱えている。八郎潟を干拓して作り出した大潟村の農地だけでも1万2千ヘクタール近くあるといわれている。ここらあたりは僕が『旅のプラズマ』の「奥の細道の北辺」に書いてある。たまには僕の本ぐらい読めよ。

  読んでるよ。けっこう宣伝もしてるよ。

 有難う。米どころというのは同時に酒どころだ。昔から両関、爛漫、新政、高清水など有名、最近は飛良泉、天の戸、まんさくの花、由利正宗など純米酒系がどんどん出てきている。

  酒の話になると、相変わらずうるさいね。

 いや、酒だけではない。よい酒があれば美味しい食べ物が必ずある。白神産地はじめ風光に恵まれているだけに、春は山菜、秋はきのこ・・・きのこのフルコースなどたまらない。また日本海に面し海の幸に恵まれ、殆どの魚介類が獲れるが、中でも夏の岩がき、冬のはたはたは双璧だ。

  秋田名物 八森 はたはた ・・・ ってわけか

 おっと、知ってるじゃないか。はたはたはあらゆる料理法で食べるが、何と言ってもしょっつる(魚醤)、きりたんぽ鍋だ。たっぷり食べたっぷり飲んだ締めは、稲庭うどんというところだ。

  なかなか調子がいいなあ。

 ただ飲んで食べるだけが能じゃあない。秋田には竿灯西馬音内盆踊りなど、得がたい伝統文化がたくさんあるんだ。
 この「こめたび」は、これら秋田の文化を売り出したいと思っているんだ。まあ、続きをきいてくれよ。
                      

                                  


こめたび・・・って聞いたことある?

2007-08-16 13:51:30 | 時局雑感

 

 記録的な暑さが続くが元気にしている?
 ところで君は、「こめたび」って知ってるかい?

  聞いたことないなあ・・・、またたびなら知ってるけど。

 そんな猫みたいな話ではないんだ。東北は秋田を基点に胎動している動きなんだがね。君には特別に教えてやるよ。
 実は、秋田の飛び切りよい米を、産地直送で都会に送り、喜んでもらった都会の人に秋田に来てもらおうって算段だ。秋田から「米(こめ)」を送り、それを食べた人に秋田へ「旅(たび)」してもらう・・・・・・だから「こめたび」っていうわけだ。

  へえ・・・、だってそんな企画はいっぱいあるんじゃない
  の? その程度の思いつきで始めては、すぐ潰れるん
  じゃないの。

 どっこい、そうはイカのキンタマ。現地直送などの一方通行はかなりあるが、消費者を現地に呼ぶことをセットしたものは殆ど無い。それにこの企画には少々仕掛けがあってね。会社を運営するのは素敵な女性だ。しかも、代表取締役社長の女性が秋田を司り、代表取締役専務の女性が都会に陣取って消費者を担当する。普通の会社は「社長が東京にいて、専務が地方の工場などにいる」が、反対であるところにミソがあるんだ。

  ふ~ん・・・しかし、女ならうまくいくとはかぎるまい。

 ところがどうして、この二人はそこらそんじょの女性ではないのだ。社長は秋田市生まれの生粋の秋田っ子。県の産業教育機関にも携わってきたので秋田の産業、経済、人心などを掴みきっている。専務は、大手のフードチェーンから物販、飲食まで数多くのセールスプロモションを手掛けてきた経験を持つので、都会の消費者の動向は手のひらに乗っている。ここがまたミソなんだ。
 この仕掛けは人に言うなよ。真似するやつがいるかもしれないからな。

 
 大げさだなあ・・・どうせわかるんだろう?
  ところで、米だけしか売らないの?

 待ってました! さすがにいい質問だ。米どころ秋田を代表してとりあえず米だが、秋田には売りたいものが山ほどあるんだ。
 まあ焦るな。次回ゆっくりそのくだりを話すよ。
                                                        


初めてアブサン(?)を飲む

2007-08-15 13:51:41 | 

 

 (昨日の続き)
 ホテルオオクラの、かなり充実感のあった「秘蔵絵画展」を見て、そのまま12階に上がり、『ラ ベル エポック』のランチ(フランス料理)としゃれこんだ。ワイフの言う「休みの日ぐらい、絵でも見て美味しいものでも食べよう」というヤツである。
 楽しかったのは、この店のHソムリエの洒脱な応対であった。先を先を読みながら、美味しいワインを奨める。言われるままにシャブリの白にはじまり、やがて赤ワインと飲んでいったが、なかなか美味しかった。最後のデザートのときになると、どうしてもスピリッツが欲しくなる。
 「コニャックか何か食後酒はないか」
と問うと、その種の酒ばかりが並んだワゴンを引いてきて、いろいろ奨める。私が物色していると、
 「それとも、アブサンにしますか?」
ときた。私たちが今秋旅する計画を立てているフランスについて話し合いながら、私が「・・・場末のカフェでアブサンでも飲みたいなあ・・・」などと言ったのを、すばやく小耳に挟んでいたのだ。
 「いやあ、聞いていましたか、秋にドイツの友人のところへ行くんですが、ついでにパリに行って飲んでみたいと思っているんですよ」
というと、早速持ってきた。見ると、話に聞いているように緑色の液体・・・グラスに注いで水をそそぐと、これもモノの本で読んでいたとおり妖しく白濁した。
 薬草(ニガヨモギ)の匂いの中に多くの芸術家たちの姿を思い浮かべながら(ドガの「アブサンを飲む女」など)、私は不思議な気持ちでそれを飲んだ。

 アブサンは、ジンと同じような造り方で《ニガヨモギ》を主原料とする。そのニガヨモギのなかの《ツヨン》という成分が麻薬性を持ち、「飲むマリファナ」などと呼ばれる。
 ピカソ、ゴッホなど画家たち、ボードレールやランボーなど作家たち・・・世紀末の多くの芸術家がこの酒を愛したという。映画「モンパルナスの灯」でジェラール・フィリップ演じるモジリアーニが、最後に酒場から出て来てやがて路上に倒れて死ぬが、私は「アブサンを飲んでいたに違いない」と思ったものだ。
 やがてその麻薬性から禁制となり文字通り《禁断の酒》となった。しかし1980年代になって「ツヨンの成分量を抑えて」解禁になったと聞いていたが、初めて飲んだ。Hソムリエも「アブサンそのものではありませんが」という説明付で奥から出してくれた。
 しかし、ツヨンは含まれているらしく、気のせいか他の酒とは「別の酔い」を感じた。ただこの年になれば麻薬に溺れる気力も体力も残っていないので、少々飲んでも心配することはなかろう。
                      


秘蔵展で見つけた「ラグーザお玉」

2007-08-14 17:58:44 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 夏休み中には、外出の計画は一切無かった。いつもの通りで、五つばかりの「やりたいこと」を抱えていた。そのいずれも三日や四日で終わりそうもないことばかりである。外に出て熱中症の危険にさらされるより、そのうちの一つでも片付けるつもりで居た。
 ところがワイフが、「折角の休みじゃない。絵でも観て美味しいものでも食べようよ」と言う。それもいいなあ・・・、となり、ホテルオオクラの『秘蔵の名品 アートコレクション展』なるものに出かけた。どうせ20~30点ぐらい並べて客寄せを狙っているのだろうと思い、むしろ「オオクラのどの店で何を食べようか・・・」に関心の多くを寄せて行った。
 ところがどっこい! これがなかなか充実した展示会であった。西洋絵画43点、日本画24点、洋画(日本人の描いた西洋絵画)36点、合計103点に及ぶ、いずれ劣らぬ、正に秘蔵というにふさわしい絵が並んでいた。
 珍しいルノワールの歴史物『タンホイザー』を見て、巨匠はあらゆるジャンルを経て最後に裸体にたどり着いたのか・・・など思ったり、久しぶりにヴラマンクを3点見て、ヴラマンクが好きであった銀行の先輩を思い出したりした。洋画の部の佐伯祐三に、『パリ雪景』があり、その構図も筆致もヴラマンクそっくりだと思って解説を読むと、佐伯がパリで最も交友を深めたのがヴラマンクであったらしい。二人には、何か生き方の共通点があったのであろう。
 なによりも「秘蔵」に出会った、と感じたのは、ラグーザお玉であった。私はこの画家のことを昨年出版した『旅のプラズマ』に書いた。シチリアの旅で最も感動した一こまであったからだ。そのときパレルモの美術館で見た二つの絵以外、私は彼女の絵を見ていない。というより、彼女の絵は他では見れないのではないかと漠然と思っていた。
 この秘蔵展にもたった一品あっただけだ。『鹿』という油彩であるが、制作年月は不詳となっていた。いつごろ、どこで書いたのだろうか? シチリアだろうか、日本だろうか? よく見なければ鹿のいることに気がつかないほどの暗い絵で、その暗さからすれば恐らく後期の絵であろう。

 このような出会いがあるから、やはり家にこもってばかりいては駄目だということか。そのあと食事をしたホテルオオクラ12階の『ラ ベル エポック』では、これまた思いがけずも、初めてアブサンを飲む機会に恵まれた。その下りは次回とする。
                     


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