旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

『西の関』の「40年古酒」と、『白馬錦』の新酒「八方尾根・黒菱」の飲み比べ

2019-05-27 16:05:11 | 


 このブログにも何度かご登場願った飲み仲間の会に、銀行時代の同僚による「四人会」がある。その中の蒐集家で名高いS氏が、「家の押し入れの奥から40年前の酒(『西の関』秘蔵酒))が見つかった。是非とも味わってみてくれないか」と言う。一方、山登りの好きなK氏が、「それなら、古酒に対抗して、白馬登山の折見つけた「八方尾根・黒菱」(『白馬錦』を醸す大町市の薄井商店の新作)の新酒を持参しよう」と、これまた珍しい酒を提供してくれた。
 「八方尾根・黒菱」は、長野県農業試験場(須坂市)が育種し2017年度に県の認定品種となった「山恵錦」という米で醸した今話題の酒。実に清涼感にあふれた、まさにピカピカの新酒である。
 問題は「40年もの」の方である。半分破れかけたラベルを見ると、「清酒 西の関 大吟醸 昭和54年製」とある。昭和54年は1979年であるから、40年前に造られたものに違いない。問題はその後である。S氏はこれを1999年に祝い品として頂いたという。つまりその時点ですでに「20年古酒」であったことになる。S氏はこれを冷蔵庫に仕舞い、大事に保存した。ところが2011年、故あってS氏は酒を断つことになった。冷蔵庫ともどもすべての酒を処分したが、この祝い品だけはもったいなくて新聞紙にくるみ、押し入れの奥に仕舞い、本日まで忘れていたというのだ。
 見れば確かに2011年8月の日付の読売新聞にくるんである。新聞にくるまってあるとはいえ、また押し入れの奥とはいえ、猛暑の夏は30度をはるかに超える気温にさらされたのではないか? 私の想像は、かなり老(ひ)ねて、とても飲めないのではないか、というものであった。
 ところが驚いたことに、色は黄金色に輝き、味はまろやかな熟成味を帯びて、品格のある枯淡の味に育っていた。これには驚いた。最近は夏も越せない酒が多いとも言われる中で、40年の熟成(エイジング)に堪えうるとは、さすがに西の横綱と言われた『西の関』さんの造りではある。
 一方の「八方尾根・黒菱」は、青天白日の下に浮かぶ八方尾根の稜線のように爽やかで、それぞれが主張しあって見事な味のバランスを示してくれた。大満足の夜でした。

  
 向かって左「40年もの」、右『八方尾根・黒菱』の親酒

    

      

 


二つの同窓会

2019-05-23 14:26:09 | 時局雑感


 しばらく投稿を休んでいたのは、白内障の手術で入院(3日間)などしていたからだ。手術は無事に終わり明るく見えるようにはなったが、、視力は回復しない。持病のような黄斑浮腫が悪化しており、それが視野を妨げているようだ。来週にはまた注射だ。
 それはさておき、入院の前後に二つの同窓会があった。一つは臼杵高校の在京生同窓会。
 これにはピーク時40名ぐらいの参加者があったが、、今回集まったのは15名。このところ急激に減ってきた。しかも悲しいことに、半年前の前回開催時以降に2名の仲間が他界した。84歳の集まりでは仕方ないのかもしれない。しかも、不参加者のほとんどは、様々な病名を付した「体調不良」というものだった。この同窓会はいつまで続くのであろうか?
 もう一つの会は、銀行時代の組合の仲間の会だ。これは70歳から90歳までを含んでいるので、まだ元気な者も多い。ところがこちらもピーク30人は集まっていたが今回はわずか11に減った。(台風クラスの風雨も原因したが)
 しかもその11人の中に、「転倒して救急車で運ばれた者」が5人いたのには驚いた。その転倒も、若いころのスポ―ツ中の転倒のように元気な話ならいいが、「駅のホームで意識を失い転倒、気が付いたら病院のベッド」(線路に落ちていたら死亡?)とか、「駅の階段を転落」2名、(うち一人はクモ膜下出血)など穏やかでない。また「山を下山中滑落して足を骨折」など、いつも元気な「若き日の組合活動」の話に花が咲く会であったが、今回は「転んだ話」でほとんどの時間を費やした。
 昔の組合活動家の集まりだけに、声も大きくしゃべる姿は元気であったが、この会もそう長くは続かないのではないか?  寂しい話であるが事実はいかんともしがたい。


ミャゴラトーリ6月公演『愛の妙薬』練習風景

2019-05-13 11:03:54 | 文化(音楽、絵画、映画)


 ミャゴラトーリの本年公演(6月6,7,15,16日)は、ドニゼッティの『愛の妙薬』である。娘はこのオペラに随分かかわってきた。昭和音大卒業公演始め何度か出演して歌ってきたし、ミャゴラトーリを設立して最初に取り組んだのもこのオペラであった。だから私にとってもなじみ深い。ただ今回は、岩田達宗氏の演出で、しかもライブハウスで演ずる小劇場オペラであるので、従来のものとは全く違う新しい『愛の妙薬』を観ることができるのではないかと期待している。そこで、特別にお願いして練習風景を見せてもらった。

 実にエネルギッシュな練習現場を観て驚いた。岩田氏は自ら演技しながら稽古をつけ、実に細かいところまで指示をし続けていた。指揮をしながらも大声が鳴り響いていた。その様相を観て、私は「オペラは芝居だ」ということを実感した。単にテノールやソプラノが美しい声で歌うだけのものではない。その物語りが伝える何か普遍的なものを、高い演技で表現しようとしているようだ。何を伝えようとしているのだろうか?
 農民ネモリーノは地主の娘アディーナを恋い慕うが、アディーナは応えてくれない。そこに現れた薬屋の、「これを飲めばお前の思う人がお前を愛してくれる」というふれこみに騙されて、その妙薬なるものを飲み続ける。妙薬は効果を発揮したのか? 発揮するはずがない。しかし、飲み続けるための金の調達のために軍隊にまで入る、つまり、「命まで懸けた心」にアディーナの心は動く。金でも地位でもない。心なのだ。
 惚れ薬の話を、楽しく、大らかに演じながら、愛の普遍性を観衆の中に落とさなければならないのだろう。しかもそれを、歌唱力を通じて伝える芸をオペラというのだろうか? 私にはわからないが、何か崇高なものを表現しようと一丸となっているように見えた。

 
    
  
   エネルギッシュな練習風景

  
 メモを取り、大声で指示を続ける岩田氏

   
     
     自ら演じながら稽古をつける岩田氏


改元騒動の中の10連休、やっと終わる

2019-05-06 21:21:26 | 時局雑感

 

 大学時代の同級生(女性)から、「改元―無関心、十連休—無関係」という手紙が来た。私はこの友人ほど超越的な生き方はできていないが、改元騒動に明け暮れるマスコミのあほらしさと、映し出される国民の姿を観て、「日本は大丈夫か?」という思いに駆られた。
 前の天皇が、憲法に則り象徴天皇制に徹したこと、および国民がそれなりになじんできた現在の天皇制に、私は目くじらを立てることはしないが、一人の日本人に特別な身分と地位を与える制度は、21世紀を経た民主主義の時代にはなじまず、できることならそっとしておきたいのだが、改元というこの機を迎えて異常なまでに騒ぎ立てて報道するところを見ると、別に何か思惑があるのではないかとさえ思いたくなる。
 10連休も長すぎたのではないか? 私は、週一回短時間の出勤をしている身でサンデー毎日に等しいので、連休はまさに「無関係」であるが、役所や金融機関が強制的に10日間休むという事態はよいのであろうか? 休暇は個人に属するもので、10日でも20日でも自由に取れるのが豊かな社会の証左であって、強制的に設けるのはむしろ貧しい社会の証拠ではないか?
 とはいえ、何もしないのもつまらないので、3日の夕べ、次男家族と京王多摩川駅前の『バーベキュービレッジ』に出かけ、夕暮れのバーベキューを楽しんだ。
 食事もおいしく雰囲気も良かったが、何よりも孫遥人の成長する姿を見るのが最高の喜びであった。



  
     
        

  


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