旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

今年を振り返る … 一番心に残った言葉

2011-12-31 14:23:40 | 文化(音楽、絵画、映画)

  

  八月、娘が主宰するオペラ創作集団「ミャゴラトーリ」が、「親子で見る初めてのオペラ」というテーマで、ドニゼッティの『愛の妙薬』を公演した。イタリア語で演じられるオペラを、子供はもちろん初めて見る親たちにも分かってもらうために、アリアやメロディ部分は美しさを損なわないためイタリア語とするが、会話の部分や物語のつなぎを日本語として工夫した。各公演で親子40組を無料招待した公演は、子供を含めた聴衆に理解されて成功したと思われる。
 この物語は……、純朴な青年ネモリーノが村の娘アディーナに思いを寄せる。一向に心を開かないアディーナノに悶々とするネモリーノの前に、いかさま薬売りが現れ「この薬を飲めば、お前の思う人がお前を好きになる」とただのワインを売り込む。ありったけの金をはたきそのワインを飲み、まだ心を開かないアディーナのために、彼はついに軍隊に入りその入隊金をつぎ込んでまで飲み続ける。それを聞いたアディーナは、ネモリーノの純朴さにひかれて心を開き、彼の胸に飛び込む…というもの。
 公演ではニセ薬売りが、「これぞ、私の薬が効いたのだ」とふれこみ、舞台から客席に降りて最前列に並ぶ子供たちに薬と称してアメ玉を配る。子供たちは怪しみながらもそのアメを大事に持ち帰ったようだ。
 娘はピアノ教室もやっており、当然ながらその生徒たちも多数この公演を見に来てくれた。公演が終わった数日後、その生徒の一人(小学校2年生の少女)がレッスンに来て、部屋に入るや否や娘につぶやいたという。

 「先生…あの薬売りのアメ…食べたけど効かなかった…」

 この話を聞いて私は、子供って何て可愛いんだろうって思った。後のアンケートで分かったことだが、子供たちはほとんど物語の内容を理解していた。「あの薬屋は悪い人だ」とか、「ネモリーノはいい人だから、きっといい人が見つかると思った」などの感想が書かれてあり、子供たちは物語の全貌を見抜いていた。ネモリーノの飲むワインがニセモノであることはみんな知っていた。アディーナが最後に心を開くのは、ワインの所為ではなくてネモリーノの誠実さによるものだということも理解した。それがイタリア語で語られたにも関わらず…。
 しかし、「ひょっとしたら、この薬は効くのではないか?」とも思ったのだ。二人の結ばれるシーンはそれほど美しく、すばらしい音楽に彩られていたから。
 少女は、何を願ってあのアメ玉を食べたのだろうか?……

                                    


今年を振り返る … アナログ世界への郷愁

2011-12-30 13:35:23 | 時局雑感

 

 世はデジタル化、Web化の波に覆われ、特に今年は iPad、iPhoneの波に洗われた年であった。生みの親たるスティーブ・ジョブズが死んでいっそう広まったのではないか? まさに「死して皮を残した」感さえある。私ですら、最近視力を失いつつあるので、指先一本で読む字体を拡大できる魅力から購入を考えているほどだ。
 わが社も、年末の大掃除を兼ねて部屋の模様替えを断行した。つまり、すべてデジタル化に対応してペーパーレスに取り組み、いわば「机の上はコンピューターのみ」という仕組みだ。それどころか、事務室に3個掛かっていた文字盤時計も一個にし、カレンダーなどは掛けないこととなりそうだ。つまり、各人CPやiPad、携帯などでスケジュール管理もできるので、時計やカレンダーなど要らないという想定のようだ。確かにそうかもしれない。これで十分やってはいけるだろう。
 反面、かつてのアナログ世界の良さはすべて失われることになる。

 アナログ世界の良さ、とは何か? それは文字盤時計や、様々な紙ベースのカレンダーの中にある。あの丸い文字盤時計には、一日の半分である12時間の動きがある。長針と短針が時間と分を刻んでいく。そこには何とも言えない「時の移ろい」がある。月々のカレンダーには「ひと月の広がり」がある。曜日や祭日、行事の移ろいが見て取れる。年間カレンダーでは一年を全貌できる。それこそ四季の移ろいが一目でわかり、それぞれに夢を誘う。
 時の移ろいを示す最高の器具が柱時計だ。文字盤を二つの針が「チクタク、チクタク…」と音を立てて進む。音を聞いているだけで時の動きを感じる。その時が来ると「ボーン、ボーン…」と時を告げる。「ああ、もう何時か…、急がなきゃあ…」なんて生活のリズムを調整する。つまり、三次元世界に時間軸が加わった四次元世界とも思われ、これがアナログ世界の良さ、と私は思っている。
 もう一つのすぐれもの“日めくりカレンダー”とともに、あの“大きなのっぽの古時計”が姿を消して既に久しい。(我が家にはまだあるが) そして今、文字盤時計や月々や年間を示すカレンダーも失われようとしている。私の愛する四次元世界は失われようとしている。しかしこうして社会は進歩していくのであろう。アナログ人間にとってはさびしいことだが、その中でまた、豊かな人間性を育む“新たな何か”を見つけ出していくのであろう。


今年を振り返る … 経済―ー貧困、格差と国民の生活

2011-12-29 13:51:52 | 政治経済

  

 今年は年初より「アラブの春」が注目を浴びたが、先進資本主義国にあっても大きな矛盾が露呈してきた。サブプライムローン、リーマンショックとアメリカ発の経済問題は収まるどころかユーロ圏に広がり、ギリシャをはじめとした財政危機へと発展した。
 これらの根源と思われる問題は、ここ数十年にわたって進行していた「巨大資本への富の集積と、その対極への貧困の蓄積」であろう。日本における中流階層の崩壊―ー貧困層への転落と格差の拡大は、日本だけのことではなく先進資本主義国に共通していた。アメリカのウォール街やロンドンの中心部で、かつてない規模の抗議のデモが繰り返されている。このような現象は予想しなかったことであった。
 20年前ソ連が崩壊したとき、資本主義陣営はあげて「資本主義の永遠の勝利」を謳った。それはもろくも崩れ多くの資本主義イデオローグが「転向」して資本主義の危機と政策転換を言い始めた。日本の中谷巌などにもそれがみられるが、ハーバード・ビジネス・スクールの看板教授で、競争原理主義と株主資本主義を主張し続けたマイケル・ポーターなども、株主だけではなく社会に目を向けていかなければ今後の成長は難しいと言い始めている。米クリントン政権で労働長官を務め、オバマ政権でもアドバイザーを務めたロバート・ライシュは、現在の大不況を1929年の大恐慌と同質とみて、その原因は「中間層の崩壊、没落、貧困化」としている。氏によれば、所得階層の最上位1%の層が総所得の23%を得、上位10%の層が総所得の約50%を取得している。かつて繁栄を支えた中間層は貧困層に没落し、購買力はなく当然のことながら底深い不況が続く…。
 また、バンク・オブ・アメリカやUBS銀行などの経営に携わってきたジョージ・マグナスなどが、「今の世界不況の根源を知りたいなら、マルクスの『資本論』を学べ」と言い出しているし、日経新聞社も『資本論』の新訳の発行を準備していると聞いている。20年前とは様変わりの様相である。考えてみれば、人類何百万年の歴史の中で、資本主義時代などわずか数百年の歴史に過ぎない。「永遠の勝利」など軽率も甚だしいが、いずれにしても、この大矛盾を克服していく道を求める新たな挑戦を避けることはできまい。(その道がソ連や中国型でないことは当然であるが)
 大先進国アメリカとイギリスの中央部で繰り広げられる何万という国民のデモはそれを象徴しており、2011年は人類史に新たな起点を記す年となるかもしれない。


今年を振り返る … 政局

2011-12-27 15:49:34 | 政治経済

    

   今年は、民主党内閣の力不足とその末路を示唆する一年であった。
 小沢政治資金問題や鳩山内閣の迷走で支持を落とした民主党内閣は、管直人内閣で復活するかに見えたが、管直人にその器量はかった。311日の東日本大震災による国難は、政治家が活躍しなければならない重大な局面を与えた。被災者の方々には誠に申し訳ないが、この災いを転じて福となせるかどうかは、ひとえに時の為政者の肩にかかった。
  ここで、政治家として命を懸けて国難に立ち向かったならば、管直人は歴史に名を残す首相となったであろうし、民主党に対する期待と支持は高まったであろう。関東大震災の後藤新一は、器が違いすぎるので引き合いに出しては管が可哀そうだが、後藤の十分の一の働きでもしていたら…と、民主党にとっては惜しまれる。
  しかし管は何もしなかった。それどころか、この国難をこともあろうに自分の地位を延命するための政局に使ったのである。民主党の末路は定まった。続いて出てきた野田佳彦は、定型政治家を速成する松下政経塾の出身である。官僚の政治家版である。賢そうに政治事務は執るかもしれないが、この未曽有の国難を乗り越え復旧復興を果たし、日本の21世紀の進むべき道を指し示すことはできないだろう。
  国民もよくわかっており、日経新聞の今月2325日の世論調査によれば、内閣支持率は36%(前回比15%の急落)、不支持率53%、民主党の支持率も前回比4%下落して28%と3割を切った。だからと言って自民党を支持するわけではなく、揚げ足取りに終始している自民党支持率も前回比4下がって26%と、当然のことながら低迷している。
  同時に、かつての革新勢力の支持率も社民党は1%、共産党は4%と低迷しており、民主や自民よりも不甲斐ない。日本は一番重要な時に信頼すべき政治勢力を欠いているのである。

 

 日本国民はどこに行けばいいのだろうか?


30年ぶりの広島

2011-12-24 20:51:13 | 

  

 この暮れも押し迫ったときに広島に行って来た。1977年暮れから6年近く過ごした広島を離れ、既に30年近くになる。私はその後1、2度行ったので、最後の訪問から は20年ぶりくらいであるが、ワイフは1981年に広島を離れたので正に“30年ぶりの広島”となった。
 実に楽しい旅であった。ワイフの「30年来の友」に囲まれ毎夜宴を張り、寸暇を惜しんで懐かしい広島を歩き、また広島を食べた。当時の友人たち(それは小、中、高の学校に通った3人の子供の父兄会であり、近所付き合いの隣組の人たち)は、30年前と全く変わりなく、3日間をフルに付き合ってくれて、「広島を観せ、かつ食べさせて」くれた。
 広島名物「お好み焼き」を食べた。毎日「牡蠣」を食べた。畑から今とってきたという「広島菜」を食べた。宮島に行って「アナゴ飯」と「もみじ饅頭」を食べた。露店の「焼き牡蠣」を食べながら宮島の街を久しぶりにゆっくり歩いた。自慢の水族館でペンギンと写真を撮った。
 平和公園を歩き峠三吉や原民喜の碑に、これこそ30年ぶりにふれた。比治山の大木惇夫の碑も30年ぶりだ。黄金山に登り広島と、中でも東洋工業を全望した。縮景園を歩き浅野の歴史を思い、茶屋で甘酒も飲んだ。夜は流川、薬研堀を歩いた。
 驚いたのは、呉に息子の嫁の両親を訪ねたところ、両親が音戸の瀬戸の130年の歴史を持つ料亭「戸田本店」に案内してくれて、“山本五十六が愛用したといわれる部屋”でご馳走になった。2時間半に及ぶ料理コースは、その味は絶品、たっぷり時間をかけたもてないしは、海軍の街“呉”の歴史に思いを致すに十二分のものがあった。音戸の酒「華鳩」の上品な味とともに忘れられない。部屋から見下ろす瀬戸を、ゆっくりと「瀬戸の渡し船」が渡っていた。

 これらの事をわずか3日で体験できたのは、「30年来の広島の旧知」が、その友情を惜しみなく与えてくれたからであった。今度の旅ほど「友のありがたさ」を感じた旅はなかった。

          
          海水に浮かぶ宮島の厳島神社    

 
 縮景園の静かな佇まい

 
130年の歴史を誇る山本五十六愛用の料亭「戸田本店」
 
 毎日食べた「牡蠣」


今年を振り返る … 東日本大震災と福島原発事故

2011-12-21 14:54:02 | 時局雑感

  

  この天災は、まさに未曾有の国難というにふさわしい様相を示してきたので、以降何世紀にわたって言い伝えられることとなるだろう。それだけに、この二つは「想定外の出来事」という修飾語をつけて呼ばれてきた。果たしてそうであったのか?
 何百年の歴史をたどれば、今回程度の津波の記録はいくつもある。事実、その教訓を守って高地に構えたで、ほとんど助かった例もある。原発事故にいたっては、スリーマイル島とチェルノブイリという身近な実例があり、加えて多くの心ある学者が警告を続けていた。国会でも、日本共産党の不破哲三や吉井英勝議員等が「安全神話」の根拠のないことを何回も追求してきた。しかし東京電力はもとより、官僚も多くの政治家も耳を貸そうとはしなかった。とすれば、これらは想定外どころか人災というしかない。
 特に原発問題は、世界で唯一の被爆国としての原点的立場を失った事件と見るべきではないのか?

 先日広島県の呉を訪ね、かつての軍港を俯瞰して戦艦大和などに思いをはせた。はからずもその夜、戦艦大和の製造にかかわったという老技術者が、地元テレビで次のような話をしていた。
 「戦艦大和は不沈を誇った。しかし絶対沈まないはずの艦は瞬く間に沈んだ。原発は絶対安全という『安全神話』のもとに進められたが、福島のあの体たらくだ。あらゆる事態に対応していくのが技術だ。その技術者が『絶対沈まない』と言ったり『安全神話』をふりまいたりしてはいけないのだ。」

 私はこの老技術者の言葉を、“2011年が未来に残す言葉”として聞いた。 


今年を振り返る … 脳梗塞に襲わる

2011-12-20 20:29:05 | 時局雑感

  

 3月9日成田を飛び立ち、赤道を越えてオーストラリアを旅していたところ、同11日、あの東日本大震災が日本を襲った。シドニーからメルボルンの日々、東北の海岸を襲う津波と原発事故のテレビ映像を毎日見ながら、災難を逃れた後ろめたい気持ちで旅をつづけた。帰京後もその思いは重くのしかかったままであったが、4月、今度は私自身が脳梗塞に襲われた。
 実は昨年暮れにも同じ症状が起こったのだが、しばらくすると収まり、翌日病院にいって検査を受けたが特に異常がなかったのでそのままにしておいた。ところが、今度は職場で発症したので「現行犯」で病院に担ぎ込まれた。病院に着いたころには前回同様収まっていたので、特にどうということはなかったのであるが、MRIはじめあらゆる検査を1週間にわたり受けたので事態はことごとく判明……、「不整脈――心房細動により発生する血溜(血栓)が脳に飛んで起こった梗塞」と診断された。病院に着いた時にはすでに症状は治まっていたので、検査の結果は「左脳にその痕跡がある」という程度であったらしいが…。
 その程度であったので、幸いにして現在も殆ど正常通りの生活をしている。ただ、当然予想される再発を防止するため、“血液さらさら薬”と、“心房細動を抑える薬”と、胃潰瘍などで出血しないように“胃の薬”の3種類を常用する身となった。76歳にして初めて「毎日薬を飲む体」になって、いささかうんざりしている。齢からしてやむを得ないとも思いながら…。
 入院中、先生と一番議論したのは「酒と脳梗塞の関係」であった。私のしつこい質問に対する先生の言は明確で、「酒と脳梗塞の直接的な関係はない。むしろ飲みたい酒を我慢して起こるストレスの方が悪い。ただ、酒は心房細動の原因となる。これも、少し飲んだら心房細動が収まった、という例もあるが…。ただ、飲み過ぎは悪い。ほどほどにして、かつ週に何回か休肝日を」というものであった
 したがって酒は続けている。極力量を減らし、月に1日か2日は絶っている。
 おかげで4月から8か月、脳梗塞の症状は起こっていない。何とか今年も、年を越すことができるだろうか?


広島に行ってきます

2011-12-14 21:03:17 | 

  

 明日から3日間、広島に行ってきます。
 なんで広島に行くことになったかというと、何か月か前に旧友たちが「広島に牡蠣(かき)を食べに行こう」 と言い出したことに始まる。遥か30年前とはいえ広島に6年近く住んだことのある私が計画を立てることとなり、すべて立案、お膳立てをしたところ、言い出した友人はじめ賛同者全員が、あるいは病気、あるいは法事(いずれも年寄りには常にあること)のため参加できなくなった。従って残るわが夫婦二人で出かけることになった次第。
 もちろん、こうなれば別の目的でこの旅は楽しい意義を持つことになる。牡蠣も食べるが、それ以上に「30年前の友との交流」が前面に出てくる。当時3人の子供は幼稚園から高校までに通ったので、それぞれの父兄を含めた近所付き合いは幅広く、その中の多くといまだお付き合いをしている。その方々が上京してくると必ず会って旧交を温めているが、こちらが広島に出かけるのは、私がおよそ20年ぶり、ワイフは30年ぶりである。
 中でも親しい人々の間で、「首藤夫妻が広島に来る」というニュースが伝わり、明日の夜は一堂に会して待ち構えているらしい。それだけでいい。あの懐かしい人たちと広島弁で喋れるだけで今度の旅は他に替えがたいものとなるだろう。
 その楽しい旅に出かけてきます。


今年を振り返る … オーストラリア旅行④

2011-12-12 10:42:12 | 

 

 この旅でもワインとビールをかなり飲んだ。フランスワインを中心とした熟成ワイン重視の傾向に対し、オーストラリアは新鮮なワインを重視し(90%は生成後3年以内にのまれている)、そこに「若い国オーストラリア」の面目を感じる。ビールもイギリス伝統のエール製法を重視しながらも、オセアニアならではの“トロピカル・スタイル・ライト・ラガー”など明るい色のラガー・タイプが主流のようだ。専ら飲んだビールは、シェアーNo.1のカールトン&ユナイテッド・ブリュアリーの『ビクトリア・ビター』と、最古の歴史を持つ醸造所のタスマニアビール『カスケード・プレミアム』であったが、いずれも明るい、さわやかな味のビールであった。
 何と言っても素晴らしかったのは、ワインの里ヤラ・バレー。快晴の、どこまでも高い青空のもとに、果てしないブドー畑が続く…。二つのワイナリーを訪ねたが、どちらも広大なブドウ畑の一角にワイナリーをかまえていた。最初に訪ねたのが『ドメイン・シャンドン』。工場見学の後試飲をさせてくれたが、数ある中で印象に残ったのは、フランスの「ドン・ペリニヨン」の向こうを張ったという赤のスパークリングワイン『キューベー』、これは気に入って帰りの空港で購入、いまだ保存して誰と飲もうかと案じている。
 次の『ファーガソン・オブ・ヤラ・グレン』も、自慢のシャルドネをおいしく飲んだ。ワイナリーの前にどこまで続くのかと思うよなシャルドネのブドウ畑を眺めながら…。
 ただ残念なことは、双方とも経営者や杜氏クラスの人に会えなかったことだ。もし会えれば、先方のワインと利き比べをやろうと、実はカバンの中に「獺祭50」と「生もと大七」を持参していたのだ。ついにそれを出すチャンスはなく、その酒は夕食の仲間と飲む酒となった。

   
    ビクトリア・ビター(VB)

 
 シドニーの初日と二日目にのんだワイン。どちらもラベルが面白かった。
  
   「シャンドン」のブドウ畑
   
    「ファーガソン」のブドウ畑    

       
        ン・ペリの向こうを張る「キューベー」


今年を振り返る … オーストラリア旅行③

2011-12-11 14:18:04 | 

  

 昨日も書いたように、オーストラリア人は、広大な土地にふさわしい実に大らかな資質を育て上げてきたようであるが、私たちを迎えてくれたホスピタリティ精神にも感動した。たとえば…、
 街中で話しかけられた人と、コンサート後の交流会でのことと2度あったことであるが、相手の言うことがなかなか聞き取れず、「Excuse me ,I can not speak good English」などと謝ると、「あなたが英語を話せないことを謝ることはない。私は日本語を話せない。英語を話させて申し訳ない」と向こうから謝られた。このような経験はほかの国ではあまりなかった。

 この気持ちの良い国を私は食も自然も大いに楽しんだ。シドニー初日昼食のバイキングで、皆が湯がいた車エビをてんこ盛りにして食べているのには驚いた。ほかに何も食べずそれだけを食べている。私も挑ンだがせいぜい数匹しか食べれなかった。「シドニーに行ったらオイスターだけは食べてこい」と言われていたので、その夜、下調べ済みの「ウェスティンホテル」地下のオイスターバーで食べた。メルボルンからペンギンの巣帰りを見に行ったフィリップ島では、待望のロブスターを食べた。美しい風景と可愛いペンギンともども大満足。
 自然動物公園で、カンガルーの餌付けもやったし、ユーカリにとまるコアラも見た。巣の奥にうずくまるタスマニアンデビルも見た。メルボルン郊外のダンデノン丘陵では、「20世紀初頭に建設されたオーストラリア最古の蒸気機関車」といわれるパッフィン・ビリー鉄道に乗った。丘陵や森林の中を走る車窓から、みんな足を外に投げ出して楽しんでいるのには驚いた。日本なら許されないことだろう。
 オーストラリアはやはり自然だ! その最たるものが、ヤラ・バレーのワイナリーであったが、それは次回。

  
           
  
  ユーカリの樹上のコアラ…コアラらしかったなあ
 
  タスマニアン・デビル。全く動かなかった
 
  美しいフィリップ島の海岸
 
足を投げ出し解放感を楽しむ「パッフィン・ビリー鉄道」


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