旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

天候激変、変化に富んだ中九州の旅でした

2013-11-30 12:45:38 | 

 

 「錦秋の阿蘇、久住を回り 臼杵に行ってふぐを食べよう」という生意気な旅から帰ってきました。生意気な計画は神の怒りにもふれ、快晴のもとで紅葉を楽しみ調子の乗っていると、突如として雨あられに襲われたり、また雪が舞い、霧氷まで見てきました。

 初日の臼杵は好天に恵まれ、国宝深田の石仏を拝し、歴史と文化に富む臼杵の街を楽しく散策した。その夜は「臼杵のふぐ」に大満足したがそれは後述。
 二日目の阿蘇、黒川温泉は雨にたたられた。時々覗く太陽の光で阿蘇の雄大さを垣間見たが不満がつのる。特に久住高原の露天風呂から阿蘇五岳を眺めるのはこの旅の目玉としていただけに残念。

 三日目は、雪混じりの飯田高原で、標高1300mの牧ノ戸峠では霧氷を見て、この先どうなることかと思ったが、由布院に降りて昼食をとっていると、降りしきった雪は見事に上がり、好天の由布院町を散策することができた。
 思えば、一年中の天候を三日で味わった旅であった。

  
       深田石仏をつつむ紅葉
   
       由布院「亀の井別荘」の紅葉 

   
        牧ノ戸峠の霧氷    
  
   阿蘇草千里で 三好達治の詩「大阿蘇」を朗読  


阿蘇、黒川温泉、由布院のコースは、今やメイン通りか?

2013-11-25 15:46:13 | 

 

 昨日書いたように、明日から「臼杵に行ってふぐを食べたい」という人たちを、わが故郷に案内する。うれしい旅だ。
 いくら臼杵のふぐを食べたいといっても、ふぐだけ食ってとんぼ返りもないだろうと二泊三日の計画を立てた。せっかく臼杵まで来たのだからせめて阿蘇ぐらいは行こう(臼杵から車で一時間)と、先ず阿蘇を入れた。
 あとは久住山の周りの久住高原と飯田高原を案内したい。当然のことながら黒川温泉と由布院温泉組み込んだ。宿泊は阿蘇五岳を一望できる久住高原コテージとした。阿蘇は登るよりもその雄大さを遠望する山だからだ。もちろん、中岳の火口を覗き、草千里を味わった上でのことだが。

 ところが、この「阿蘇・黒川・由布院」というコースは今やメインコースのようだ。旺文社が『ことりっぷco-Trip』という旅ガイドブックシリーズを出しているが、その中に『由布院・黒川温泉・阿蘇・高千穂』というのがある。我々のために出してくれたような本だと思って購入したが、なかなかいい編集で役に立った。
 わがコースは「高千穂」の代わりに「臼杵のふぐ」を入れたものだが、我々のコースの方が勝っているとひそかに自信を持っている。そのふぐについては食った後で投稿するが「日本一の味」と自負している。

 地元の人間(と言っても故郷を離れて半世紀たつが)がガイドブックに載るメイン通りを案内するのは能がないが、ふぐに始まり一味違った旅にしようと思っている。


臼杵に行ってふぐを食べよう

2013-11-24 15:44:18 | 

 

 明後日からふるさと大分の旅に出かける。題して「錦秋の阿蘇・久住をまわり、臼杵に行ってフグを食べよう」という旅である。
 調布に「頂会」という山の会があり、そのメンバーの一部7名と、わが夫婦2名、合計9名の旅だ。それに現地からわが実家の弟夫婦が加わるので総勢11名と賑やかになる。
 なぜそのような旅が計画されたかというと、昨年の夏、秋田の西馬音内盆踊りに参加した際、うっかり“臼杵のふぐ”の美味さをしゃべったところ、どうしても食べに行くということになったのだ。メンバーもほぼ西馬音内のメンバーだ。
 
 初日は臼杵石仏をはじめ臼杵市内を見学し、わが実家でふぐのフルコースを食べ、その夜は石仏近くの温泉宿に泊まり、二日目は阿蘇から黒川温泉を回り、久住高原のコテージに泊まる。露天風呂から阿蘇五岳を望む温泉宿だ。
 三日目は飯田高原を歩き、夢の大吊り橋(長さ390m、高さ173m)をわたり湯布院に降りて散策、夜には羽田に到着の予定。

 天気がもう一つのようだが、三好達治の詩「大阿蘇」ではないが雨の草千里もいいし、黒川、湯布院温泉めぐりも雨の方が風情があるとしよう。やや負け惜しみだが、さてどうなることか…?


心やしかったW氏をしのぶ会

2013-11-23 10:09:00 | 時局雑感

 

 W氏が亡くなって半年が経つ。残された奥様を力づけようと「W夫人を励ます会」を開いた。海外旅行を含めよく旅をし、杯を交わしながら語り合う機会を重ねてきた親しい友人10名が集まった。
 夫人を励ますこともさることながら、話題の多くはW氏をしのぶ話に向けられた。これほど多くの人に慕われた方はいなかったからだ。

 W氏は、銀行業務においても組合活動においても、またサークルや趣味の会においても、実に幅広い分野で常にその中心にいた。どんな集まりにも必ず氏の姿があった。しかも幹事とか役員とかの務めを果たしていた。
 だからと言って、決して自らしゃしゃり出る人ではなかった。ヘッドの役より補佐役が多かったが、それぞれの集まりの取りまとめ役としてW氏は欠かせない人であったのだ。
 「彼といると心が和んだなあ…」
これがみんなの一致する思い出であった。人は親しい友もつくるが何人かの敵もつくる。しかしW氏には敵はいなかったのではないか? といって氏は決して周囲に媚を振りまくような人ではなかった。周囲の人をよくほめていたが、決しておべんちゃらは言わなかった。しかも、上下左右すべての人に平等に接した。

 また一人貴重な人を失くした。


12年衆院選違憲状態 … 最高裁判決

2013-11-21 13:52:22 | 政治経済

 

 2012年12月の衆院選挙は、一票の格差が2.43倍という中で行われた。これに対し弁護士らが起こした選挙の違憲訴訟は全国で16件におよび、各地の高裁では14件が「違憲」、うち2件は「選挙無効」まで踏み込み、最終判断は今回の最高裁大法廷に持ち込まれていた。
 昨日下された最高裁判決は「違憲状態」というもので、高裁判決より後退したが、昨年の総選挙は違憲状態の中で行われたのであり、その結果生まれた自公安倍政権は、違憲状態のもとで生まれた政権ということになる。

 これらについては様々な意見があろう。しかし少なくとも、「憲法違反の状態の中で生まれた政権が憲法自体をいじくりり回すということは許されない」ということだけは言えるのではないか?
 安倍政権は、憲法9条を変えようとか、自衛隊を国防軍と呼ぼうとか、集団的自衛権を承認したいとか言っているが、そんなことより先ず、この最高裁の判決を真摯に受け止め、国民の基本的人権の根幹にかかわる「票の下の平等」を実現すことに注力すべきではないのか?
 4割の票で8割の議席を占めるような問題点の多い小選挙区制度の上に、一票の格差まで不平等とは、先進民主主義国の名に恥じる。
 選挙制度の民主的改革をやったうえで民意を問い直し、そこで憲法改正など言いたいことを言うべきではないのか?


秘密保護法案の危険な動き

2013-11-20 11:20:06 | 政治経済

 

 政府が秘密保護法案の成立を急いでいる。公明党はもちろん、みんなの党も維新の会も協議に乗り、来週早々にも衆院を通過しそうだ。公明党は長く自民と組んで完全に配下にあり、みんなも維新も所詮は自民党の分派だから、これらが一体となってこの法案を通すのだろう。

 近代国民国家がそれぞれ世界に割拠し、他の国から自らを守り合っている世界にあって、守るべき一国の外交、防衛上の秘密があることは当然だろう。ただこの法律が安倍政権のもとで急ぎ提案されたところに大不安がある。
 安倍首相は、憲法改定を高らかに叫び、集団的自衛権の承認を急いでいる。つまり外国で戦争できる状態を作ろうとしており、その一環として秘密保護法案が提案されているところに危険があるのだ。
 
 かつて太平洋戦争が準備され、その地ならしとして治安維持法が制定された。つまり、国民の目や耳や口をふさいで、戦争目的だけに動員していった歴史があるだけに、法曹界も言論界も諸文化団体もこぞって反対しているのだ。
 いつか来た道を何の反省もなく再び歩いてはいけない。
 このような法の審議は何年かけても国民が納得するまで時間をかけるべきだろう。それを急いで始末しようとするところが一層怪しいのだ。


相次ぐ同窓会

2013-11-18 11:26:18 | 時局雑感

 

 暮れの年中行事である同窓会シーズンが始まった。一昨日は大学のゼミの同窓会で、昨日は高校の関東地区同窓会であった。
 面白い傾向として、高校でも大学でも同窓会より同期会の方が集まりが良い。同期会をもって同窓会としているむきがある。大学ではゼミの同窓会などは集まりがいい。これも同じ意味合いだろう。

 同期会と言っても、中学や小学校の同期会は随分前に開いたが絶えて久しい。一番親しいのが高校の同期会だ。15の春をスタートに最も多感な時期を過ごしたからだろう。お互いに会って故郷の土のにおいを感じる。
 それに比して大学の同窓(期)会はやや冷たい。学んだ内容がそうさせるのか? 一昨日のゼミの同窓会も飛び交う言葉が高校とは違う。
 大分大学でマルクス経済学を学んだ仲間だが、金融論の話が出てもマルクスはもちろんヒルファーディングの名前が飛び交ったり、映画の話が出ても「久しぶりにローザルクセンブルグの映画を見たよ」などとなる。

 大学の方がやや冷たい、などと書いたが、昨日その先輩ゼミナリステンのB氏から「首藤瞬七段が勝ってよかったですね」とうれしい電話をもらった。実は甥が囲碁NHK杯の2回戦で勝利を収めたのだ。他にもひとりメールをくれたが、そんな電話は高校同期生にはなかった。
 それはB氏の人柄にもよるが、冷徹な理論を交わす中にも暖かい同窓の血が流れあっているのだとつくづく思った。

     
                     ますます色づく甲州街道のケヤキ

 


ますます住みにくくなる社会 … 人類は進歩しているのか?

2013-11-14 12:56:59 | 時局雑感

 

 貧困と格差の増大で一挙に住みにくくなった日本、食品偽装問題にみられるように何を信じていいかわからなくなった社会…、これらを嘆いていたら、自然界もかなり住みにくくなったようだ。
 何十年ぶりの暑さの後には、何十年ぶりの寒さが来るようだ。青森県では、この時期としては三十数年ぶりの降雪量ということだ。木々の紅葉にも異変が来ていると報じられている。
 一般的には最低気温が8度を割ると木々は紅葉してくるそうだが、最近のように寒暖の差が激しいと、敏感な木は8度以下に反応してすぐ紅葉するが、おっとりした木は紅葉しかねて、また暖かい日が続くのでなかなか紅葉しない。これでまだら模様の紅葉が生じる上に、急な積雪などで青い葉のまま落ちてしまうという。
 「日本の秋」を特徴づける美しい紅葉はなくなるのではないか、と気象予報士が嘆いていた。木々にとっても住みにくい社会になったのであろう。

 フィリピンを襲った台風30号の被害は想像を絶する。これも人間が作り出した温暖化現象の一つの現れだろう。中国のスモッグを見ていると、よくぞあのような中で住んでいられるなあと思うが、わが国にあっても高度成長時代、大なり小なり同じことをやってきたことを思い出す。
 光化学スモッグによる大原喘息、各地の各種公害…、これらは後世の教訓になるどころか、ますます輪をかけて再生産されている。
 人類は進歩しているのだろうか?


小泉元首相の『原発即ゼロ』発言に注目する

2013-11-13 11:00:16 | 政治経済

 

 小泉前首相が突如として原発即ゼロを主張し始めて各方面に波紋を投げかけている。従来の政治姿勢からしてどうもまゆつばものだと思っていたが、昨日の日本記者クラブでの発言などを聞くと、かなり真剣なようだ。
 「エネルギー政策などの展望を欠いた無責任論」という批判に対しては、「核のゴミの捨て場も決まっていないで再稼働を続ける(つまりゴミを増やし続ける)方がよほど無責任だ」と切り返し、「政治的な方向さえ決めれば、エネルギーの補完策などいくらでも出てくる。専門家や官僚が総力を挙げて考えれば、新エネルギーなどいくらでも出てくる。輸入などで金がかかるというが、原発建設の金が浮くのでそれを向ければいい」と言うあたり小泉氏らしく小気味いい。
 その矛先は安倍首相に向けられ、「首相が決断すれば『原発ゼロ』はできる。首相の判断力、洞察力の問題だ」と迫っている。(本日付毎日新聞一面)
 加えて、「野党はおおむね原発ゼロだし、自民党内も半々だ」と情勢の読みまで示している。10日に行った毎日新聞の世論調査によれば、野党支持者の約7割は小泉氏の主張を支持しており、自民支持層も40数%で賛否が拮抗しているので、小泉氏の情勢分析は当たっているようだ。
 「首相が決断すれば何でもできる」と、小泉氏と安倍氏の間で話されるのは、なんだかファッショ的なにおいがして怖いが、ここは何はともあれ『原発即ゼロ』の方向を固めてもらいたいものだ。


「パリのエスプリ、江戸の粋を楽しむ会」に参加して

2013-11-11 14:12:55 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 友人U君(銀行時代の同僚)が理事長を務めるNPO法人「いきいきフォーラム草の根支援」が主宰する第4回チャリティ公演「パリのエスプリ 江戸の粋を楽しむ会」というしゃれた催しに行ってきた。
 この認定NPO法人が行っている草の根支援というのは、インドやネパールの貧しい山地の村々に、学校を建てたり教育施設を送ったりする活動であるが、毎年その活動報告を兼ねた資金集めとしてこのようなチャリティ公演を行っている。
 U君の人柄も表れた素敵な公演で、毎年参加している。昨年は「江戸町民の生活についての講演と落語」であったが、今度はパリの唄と落語の組み合わせで面白い取り合わせだ。
 落語は三代目桂伸治で期待したのだが、末広亭の午前中のとりを終えての掛け持ち公演の疲れか、全40分の公演の半分はまくらばなしで本題の『時そば』はちょっと物足りなかった。せっかく古典落語を聞くからには正味40分は聞きたいものだ。もちろん、そばの食べっぷりなど芸の上手さには感心したが。
 マリBUNKOさんのシャンソン中心の唄は、パリのエスプリもさることながら、アンコールに歌ってくれた『ヨイトマケの唄』に泣かされた。改めて美輪明宏の不朽の名作に心を打たれた。既に何度かこのブログでもふれたが(2013年2月28日付など)、50年を経て今や日本歌謡曲史に燦然と輝く古典となった。


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