旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

長崎旅行(9)・・・食と酒(つづき)

2009-05-30 13:43:09 | 

 二日目はハウステンボス宿泊だが、食事は佐世保まで出かけることになった。それは、その地の酒「六十餘洲」を飲むためである。
 波佐見焼きで有名な長崎県東彼杵郡波佐見町に、今里酒造という蔵がある。ハウステンボスとは目と鼻の先であり、私はこの機にこの蔵の造る「六十餘洲」をその地の肴で飲みたいものと、蔵にお願いして飲み屋の紹介を頼んだ。そのご推薦は佐世保の『花のれん』という店だ。ハウステンボスから佐世保は車で20分だから是非行けという。躊躇することなく、長崎観光を終えるやバスで佐世保に直行(1持間)、5時半には
着いて明るいうちから宴を張った。

 ご自慢の「創作懐石コース」や「刺身盛り合わせ」で「六十餘洲」の純米吟醸を冷やや燗でたっぷり飲んだ。懐石コースは5千円ながら12品が次々と並び、中でも「イカの生き造り」は圧巻であった(写真)。身には包丁が入れられてあるが頭の部分は生きており、10本の足を振りかざし大きな目玉でにらむ姿にはさすがにひるんだが、美味しさに負けて残酷にも食べてしまった。最後に頭もから揚げにして・・・。人間ってひどいものです。
 おかみの山崎直美さんも出てきてくれて話は弾み、「蔵元推薦の飲み屋」ならではの夕食であった。

 翌日のハウステンボスの中での昼食は、がらりと変えて『プッチーニ』という店でイタリアン。昨日の長崎グラバー園観光で、オペラ蝶々夫人の話はもちろん、プッチーニの曲を聞き、その立像を見たりしていたので、見つけたとたんに昼飯の店と決めて、30分も待って入った。スパゲッティやリゾットはまあまあ美味しかったが、ハウスワインはもう一つであった。昼でもあるし、一人でボトル1本はきついのでハウスワインのグラスにしたのだが、昨夜の酒の美味しさが残っていたのかさっぱりダメ。「この酒ではプッチーニに申し訳ないのではないか」と支配人らしき男に言おうかと思ったが、その勇気もなく退店した。
 このようなときには、ケチらずにイタリアワインの銘柄品を飲むべし、というのが教訓。プッチーニに悪いことをしたのは、それをケチった自分自身であったと反省している。
                   


長崎旅行(8)・・・食と酒

2009-05-29 15:08:55 | 

 旅の醍醐味は、その地の風光にふれることと食(含む酒)を味わうことにあると言えよう。もう一つ加えれば買い物かもしれない。一般論的に言えば、その地の文化に触れること、となるのであろう。

 長崎に着いたら先ず“ちゃんぽん”と“皿うどん”を食うと決めていた。12時半に到着するやその日の宿「JR九州ホテル長崎」(駅ビルの上)に荷物を預け、その駅ビルの中でも著名な『皇上皇』』に駆け込み食べた。柔らかい太麺の“ちゃんぽん”と固い細麺の“皿うどん”を一つずつとり、ワイフとシェアーして食べた。
 これは美味しかった。私の記憶の限りでは、九州各地(除く長崎)を含め東京などで食べた「長崎ちゃんぽん」を美味しいと思ったことはなかった(半世紀近く前に長崎で食べた味など忘れている)。「名物にうまいものなし」の典型の一つと断じてきたのだが、これは美味しかった。ワイフも太鼓判を押したので間違いあるまい。やはり、その地に行かなければ何も分からないのだ!
 夕食をどこにするかは迷った。浜町、思案橋界隈にしようとは決めていたが(もう一歩先の“丸山”の料亭は、さすがに躊躇するものがあったので)、ガイドブックなどの事前調査でも行きたい店ばかりだ。昼間の散策の中で、①『吉宗本店』のような店なら間違いないだろうが一般的、②『御飯』などは、はずれたら悲劇だが個性がありそう、・・・など物色しながら、結局後者の『御飯』にした。そしてこれは大当たりであった。
 五島列島でとれた魚を中心に、さまざまな料理が次々に出てくるコースをとったが、種類が多くてそれぞれの量は少なめという、私にはピッタシ(ワイフには若干の不満があったかもしれないが)。それに酒がいい。生酒として「鷹勇」、純米酒に「丸山」、「西の関」、「三千盛」、純米吟醸の「神亀」、「酔鯨」、「三井の寿」、純米大吟醸は地元の「東一」と福井の「吟粋」・・・これには驚いた。なぜ長崎に埼玉の「神亀」があるのかと問うと、社長は埼玉出身らしい。それにしても「神亀」とは良くぞ選んだ、などと思っていると、これも思いもよらない“ほや”などが出て、「神亀」にピッタリであった。その他地元の「東一」と「三井の寿」を飲んだ。
 店内に流れる音楽は「なだそうそう」や「・・・ざわわ、ざわわ・・・」など沖縄の音楽ばかり。これも社長が好き、という理由だけによるようだ。
 すべて客に媚びるところが無い。この料理とこの酒とこの音楽(雰囲気)を好む人こそ来てくれ、と言っているようだ。私はそれにピッタリはまった人間であったのかもしれない。
                             


長崎旅行(7)・・・オランダに学ぶもの――出島、ハウステンボスを見て

2009-05-27 09:35:27 | 

 拙著『旅のプラズマ』に「オランダに授かった慈愛」という一文を書いた。我がふるさと臼杵に漂着したオランダ船“デ・リーフデ号”と、乗組員ウィリアム・アダムス(後の三浦按針)とヤン・ヨーステン(日本名を耶揚子)の日本への貢献にふれて、日本とオランダの浅からぬ関係を書いたのであった。
 そしてその浅からぬ関係は、長崎「出島」を通じて行われてきたのである。今や埋め立てられて陸地と化していたが、当時の面影を着々と復元しつつある出島を見学しながら、オランダへの思いを改めて強くしたのであった。

 ハウステンボスはもっと直截的にオランダそのものであった。広大な面積と言い、立ち並ぶ風車と言い、運河をわたるクルージング船から両岸の建物まで、ちょうど10年前のオランダの旅を再現した思いであった。その日からバラ祭が始まったらしく、バラ園はもとより道も建物もバラに埋まっていた。
 中でも、お目当てにしていた「パレスハウステンボス」は素晴らしかった。ご自慢の壁画も庭園も、ご自慢に値する見事なものであった。この旅では土産の他はほとんど買い物をしなかったが、このパレスの売場では気分を良くしたのか、ワイフがバラ模様のブラウスを、私が有田焼の平盃を、相応の値段をはたいて買った。

 ところで、オランダからはチューリップや町並みの美しさだけを持ち込めばいいのだろうか? かつて医学などを学んだように、現時点でも学ぶべきものが多いのではないか?
 このブログでも何度も触れたが、私は北欧とオランダの政治経済の姿に、これからの日本の進むべき道の教訓が潜んでいるような気がしている。フィンランドをはじめとした教育力、また、生存、医療、教育などの福祉政策など国としての体をなしているところが、世界の中でも一歩先んじていると思う。大不況に直面して慌てて議論し始めた「シェアリング論」などは、まさにオランダが先進国だ。
 蛇足ながら推薦図書一冊 『残業ゼロ 授業料ゼロで 豊かな国オランダ
』 (リヒテルズ直子著 光文社)

 このようなことを考えながら、美しいハウステンボスを歩いた。
                                    
                                                       


長崎旅行(6)・・・長崎が伝え続けるもの――原爆

2009-05-24 14:44:04 | 

 観光バスは、短時間でできるだけ回ろうとするため表面的な接触に終わるが、コンパクトに最低限の町の紹介をしてもらえる点、時間のない観光者には捨てがたい。
 今回も、午前10時発で4時間15分(実際は4時間30分以上かかったが)で、原爆資料館、平和公園、出島、孔子廟、大浦天主堂、グラバー園に下車、その間、長崎の町を北から南まで走りながら要所を解説してくれるという、実に有効な観光バスに乗った。ほんの表面を撫ぜるだけのものだが、それは仕方ないだろう。

 表面的といっても、心に残るスポットやガイドの言葉はいくつかある。一般的かもしれないが、原爆資料館、平和公園一帯と永井隆博士の生涯は改めて心に残った。
 バスがスタートして間もなく、ガイドは現在の長崎の起点ともなる原爆に触れた。
 「1945年8月9日午前11時2分、アメリカのB29機により投下された一発の原子爆弾で、長崎の町は一瞬に倒壊しました」
 「一発」と「一瞬に倒壊」と言う言葉が、改めて心に響いた。原爆資料館、平和公園を紹介した後、ガイドは永井隆に多く触れた。中でも博士の著書『この子を残して』の有名な箇所(注)を2ページぐらいにわたり暗誦朗読したのにはさすがと思った。
 (注)白血病で腹水のたまる博士のそばには
幼子も
  近づけなけなかったが、眠っている(実はふりをし
  ていた)博士のそばに娘が近寄り、その頬に顔を近
  づけ「ああ、お父さんの匂い」とつぶやく場面。

 続いてガイドは、永井博士の心をたどるように「長崎の鐘」を歌った。その二番だけを・・・

  召されて妻は天国へ 別れて一人旅立ちぬ
  かたみに残るロザリオの 鎖に白きわが涙

 一発の原爆で母を亡くした幼子(おさなご)が、そっと自分のほほに「父の匂い」をかぐ・・・、その子らを残して自分も死に行こうとしている。残すところ少ない自分の命を、永井博士はどんな思いで生きたのだろうか・・・?

 心に残るガイドであった。
                    

 


長崎旅行(5)・・・寺町、眼鏡橋、浜町、思案橋、丸山、稲佐山夜景

2009-05-23 10:30:48 | 

 前回書いたように、風頭公園から「墓の坂道」を降りて、そこが寺町・・・。皓台寺という立派な禅寺などを拝み、疲れを癒すために「ぜんざい屋」で甘いもの(酒やビールではありませんぞ)を食べて休む。前を流れる中島川に架かる橋が眼鏡橋。「眼鏡橋だけには行け」と友人に言われたので、川原に下りて写真を撮るなどゆっくりする。

 そこから浜町に入り、観光通や商店街アーケードなどを歩いて、いわゆる「おのぼりさん」の「さるき」(長崎語で、街をぶらぶら歩くこと)をやる。私もワイフも物を買う意欲はもはやない。見て歩くだけだ。ただ私は「ビードロの酒器」があれば、3~5万円は覚悟の上で狙っていたが、幸か不幸かどの店にもなかった。今やそのようなものを買う人間はいないらしい。

 思案橋電停から丸山を望むところで、その日の夕食の場所として目をつけていた『御飯』という店を見つけ、夜の予約をして一先ずホテルに帰る。花町「丸山」散策はなんと言っても日が落ちネオンが灯ってのことであろうから。
 その思い通り、『御飯』の料理(含む酒)はすばらしく、夜の丸山散策もよかった。(詳細は別の機会に)
 そこから一気にタクシーを飛ばし、対岸の稲佐山に登り名物の夜景を眺めた。さすがに日本三大夜景の一つと呼ばれるだけあって、これまた筆舌に尽くしがたいものがあった。

 長崎の初日はこのように、先ず自分の足で赴くところを歩いた(もちろんタクシーを利用しながら)。
 そして明日は、観光バスで「いわゆる観光スポット」を回ることにする。お決まりコースと自分の足・・・この組み合わせが旅の難しさであるが。
                     


24節気の酒 ・・・ 小満

2009-05-22 15:49:11 | 

 昨日5月21日は、24節気の小満にあたる。小満とは難しい言葉である。暦便覧には「万物盈満(えいまん)すれば草木枝葉繁也」とあるので、まさに緑が濃くなる5月下旬から6月にかけての季節を言うのであろう。しかし、それがなぜ小満なのかは、この説明では分からない。
 『日本文化いろは事典』には、「小満とは、秋に蒔いた麦などの穂がつく頃で、ほっと一安心(少し満足)するという意味」とある。これは、農民たちが麦の順調な生育に一安心する状況が浮かび、よく意味が分かる。

 そう、麦秋の時節なのだ。折りしも長崎を訪ねたが、車窓に浮かぶ筑紫平野は一面にオレンジ色の麦畑であった。久しく見ることのなかった美しい光景であった。
 同時にこの季節は、あゆ漁などが解禁され「若あゆ」が食卓を飾る季節である。

 私はこの時節になると「獺祭」という酒を思い出す。
 一つには、語源であるカワウソの祭り(カワウソが漁を始め、獲れた魚を川原の石の上に並べるという話)に、解禁されて釣り上げられる若あゆが重なるのである。カワウソが漁を始めるのは雨水(2月下旬から3月上旬)の頃というので時期的には大分ずれるが、人間の漁と重なるのである。
 もう一つは「獺祭」という酒が、まさにこの若あゆにふさわしい酒であるからだ。山口県岩国市の旭酒造が造るこの酒は、香り、味、こく、のどごし、全ての点で素晴らしい酒だ。それもそのはず、この蔵は年間2500石を造るが全て純米酒、かつ全て吟醸造りだ。100%純米酒蔵と言うだけで珍しい(約
20蔵)のであるが、それが全て吟醸酒という蔵は、全国千数百の蔵の中でも獺祭だけであろう。
 中でも「獺祭 磨き二割三分」(山田錦を23%まで磨いて仕込んだ純米大吟醸)の素晴らしさは、言葉では表現できない。
 この酒については書きたいことが山ほどあるが、別の機会に譲る。

                         


長崎旅行(4)・・・長崎は晴れていた

2009-05-20 22:00:03 | 

 天気は下り坂であったが、長崎は幸運にも晴れていた。雨が降ったら「雨のオランダ坂」だけを歩き「長崎はやはり雨だった」と言って帰ればいいと思っていたが、そう調子よくはいかないものだ。むしろ、風頭公園から寺町、眼鏡橋まで、墓ばかりの急な下り階段を降りるときは、下りというのに汗だくになった。

 着いて早々、先ずタクシーに乗り込み「風頭公園まで」と頼むと、しばらく走ったあと運転手が「風頭公園に何しに行くのだ」とぶっきらぼうに問いかけてきた。これにはさすがの私もたじろいだ。とっさの、しかも思いもよらない問いに、「・・・何しにって・・・、とにかく最初に高いところから長崎の全貌を把握したいし・・・、坂本竜馬に敬意も表したいので・・・」としどろもどろに答えると、理解をしてくれたのかどうか、ポツリ、ポツリと解説を始めた。
 「前方に見える山を亀山という。亀の形をしているからだ。その頂上が風頭公園だ。その少し下に竜馬の像がある。そこに竜馬が貿易会社を設立したので、その会社を『亀山社中』と呼んだ。その会社の跡や、竜馬通りなどもあるので見ていけ。ところで、どう降りても石段ばかりだ。足は健脚か?」と聞いてきた。
 これにも驚いた。「見てのとおりの老人夫婦だ。健脚とはいえないが、この程度の山なら下りることはできるだろう」と答えたが、甘く見るなよ、と言わんばかりに次の解説を続けた。
「長崎には“三バカ”という言葉がある。先ず“坂バカ”、次に“墓バカ”、それから“上バカ”・・・これは墓の“上に住むバカ”という意味だ・・・」
 へえ・・・そんな坂町か・・・確かに山が入り組んでいるがそれだけ眺めがいいではないか・・・、などと思って聞き流していたが、早速その直後に急坂の脅威にさらされた。打ち続く墓の急斜面を一直線に降りる石段は急で、途中2回の休憩を要し、疲れはふくらはぎを襲いその痛みは三日間残った。

 「何しにいくのか?」という運転手の疑問は、この年寄りを公園の頂上に残して立ち去っていいものか? という不安があったのかもしれない。そういえば、緑こそきれいで、墓と新緑の間に見る長崎の町と港に満足したが、風頭公園自体には竜馬の像以外にほとんど見るべきものは無かった。
 あの運転手は、未だに私たちが風頭公園で何を見て満足したのか案じており、何よりも無事に坂を下りることが出来たか心配してくれているかもしれない。
                     
                                


長崎旅行(3)・・・無事に帰ってきました

2009-05-18 21:32:12 | 

 長崎から無事に帰ってきた。
 心配していた列車の切符は、別府駅の観光案内所で難なく購入できた。(往)別府―長崎、(復)ハウステンボス―臼杵(長崎―ハウステンボスはバス)は、『二人割引』なる約半額の券があって、しかも全て指定券も良い座席が取れた。航空券の「いっしょにマイル」と同じで、二人の旅の恩恵を全て受けた感じだ。

 長崎は、雨ではなくて晴れていた。暑いぐらいの中を精力的に回った(詳細は後述)。ハウステンボスは雨の予報もあったが、これも薄日のさす中を楽しく回った(同じく後述)。
 

 今度の旅の最重要課題は「母の49日・・・納骨」の行事だ。別府―長崎―臼杵と回り、母の法要も無事終えた。
 この5泊6日で、たった一時間だけ雨に遭った。それが母の遺骨を墓に納める時間であった。
 家で読経を終え、お寺に向かうために家を出ると、ポツリ、ポツリと降り始めた。徒歩5分の寺に着くころは大粒の雨になり、本堂の軒下でしばし待つが、「これは本降りか・・・?」と納骨を強行、弟がずぶ濡れになりながら事を終え、和尚さんのお経を雨の中で聴いてとにかく事を終え、法要会食の会場へ向かった。
 そしてその会場に着いたときに雨は上がり、料亭の美しい庭の緑が初夏の夕陽に映えていたのだ。

 結論として・・・「母は墓に入りたくなかったのではないか?」ということになった。
 しかし、母にはその道しかない。
 母らしい最後の抵抗であったかもしれないが、未だそのエネルギーを持っているのなら、きっと、素晴らしい冥土の旅を続けるだろうと確信している。
                      


明日から旅に出る・・・しばらくお休み

2009-05-12 21:19:15 | 

 明日から九州への旅に出る。俗に「長崎旅行」ということにしてある。したがって、明日から少なくとも18日までは、このブログはお休み。
 一昨年ドイツへ旅立つときもこのような記事を書いた。ところが先方に着くと、ドイツの友は常にパソコンを持ち歩き、レストランであろうが車の中であろうが、ブログを書けと言う。けっこう楽しく書きながらの旅をしたが、今回はそうはいかない。
 私はパソコンを持ち歩くことはしない。そのような体力もない。
 したがって、明日からはすべてお休み。
 なに? ホテルに「貸パソコン」があるって?
 勘弁してくれ、そうまでして書く必要は感じない。
 なになに? 携帯から書けるって?
 冗談ではない。あんな小さい文字は私には見えないし、寸時を惜しんで携帯をもて遊んでいる人間にはなりたくない!
                   


長崎旅行(2)・・・列車の予約

2009-05-10 12:43:28 | 

 旅の準備で一番気を使うのが、各交通機関の予約だ。行った先で何を見るかは、例えばオペラでも見ようというのなら予約が必要だが、行ってからのことだ(観光ブックで計画は立てるが)。しかし日取りが決まっている以上、交通機関の予約だけはしておかないと、計画通り帰ってこれるかどうか分からない。特に厳しい出勤規制下にあるサラリーマンにとっては必須だ。

 今回も先ず飛行機を予約した。これは安価にあげるために、全日空の「いっしょにマイル」を狙い、その予約が出発10日前であるので、取れるかどうか気になったが、そのようなことに長けている(元旅行会社マン)弟に頼んで無事取れた。ワイフのマイレージにたまっていた1万マイルを使用し、「いっしょに連れて行っていただく私」が2万5千円払うだけで、大分までの二人往復が可能。これは助かった。
 別府から長崎、ハウステンボスなどは列車で行く計画で、これも「ジパング会員」「老人割引」など安いものを狙いかつ予約をしようと、新宿のJRビュープラザを訪ねた。ところが、「JR九州のことは現地に行かないと分からない。当地に行けばキッと安価な券があるでしょう。多分指定券など取らなくとも、5月中旬なら座れるでしょう」と素っ気ない。

 この年寄りでは、立ちんぼうだけは嫌だと予約に行ったのだが、よその会社のことは分からない、という態度だ。これは「民営化―会社分割」によるサービス低下ではないか?
 まあしかし、欲さえ出さなければ急ぐ旅ではないし、ワイフは「行き当たりばったりでいいんじゃない」と
意外にのんびり構えている。
 とにかく別府に着いたら「現地の窓口」に行って、どんな切符が取れるか先ず折衝をしよう。「十分な準備で不安なき旅を」と思う私としては、切符を持たない出発というのは、あまり例のないことであるが。
                    
 


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