旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

第八回山桜桃の会 … 珍しい名前の酒を飲もう

2014-07-30 12:57:26 | 


 山桜桃の会も早くも8回目、だんだん贅沢になってきて、今回のテーマは「いい名前、珍しい名前の酒を飲もう」ということになったこれまた私の行きつけの飲み屋、浜松町の『和楽菱(わらび)』の店長加藤さんと相談して選んだ酒が以下の通り。

  
  加藤店主の前にずらりと並んだ8銘柄

 先ずは左端の小さい瓶が『9nine』。岡山県で『御前酒』を醸す辻本店が、夏用に12度で出したうすにごりり酒、これで何はともあれのどを潤す。次は愛媛県武田酒造の『日本心(やまとごころ)』、三重県の木屋正酒造の『而今』とだんだん重量感が増してくる。
 重量感の極めつけは、秋田県で『白瀑』を造る山本合名の珍品『ど』。きれいなグラスに注がれた酒は真っ黒! 竹炭パウダーで真っ黒にした酒は、飲んでみると意外にすっきりとした正に日本酒。「ど真っ黒」の「ど」をとって名付けられた。M君ご希望の酒。
 次に飲んだのは一つとんで本田商店(兵庫県)の『龍力ドラゴン』。空を舞う気持ちになったところで、ウルトラマン気分になり、次は山形県『上喜元』の『酒和地(しゅわっち)』…ウルトラマンが空に飛びあがる時に叫ぶ「シュワーッチ!」を酒名にしたもの。右端は香川県丸尾本店の『悦 凱陣』。メンバーの一人がこの銘柄の「燕石」という大吟醸を望んだのだがこれしかなかった。
 そこで終わる予定であったが、『ドラゴン』のついでに、「同社の『米のささやき』という名前は素晴らしい名前だ」と話していると、それを聞きつけた加藤店長が、「やっぱり『米のささやき秋津』(写真中央)をやりますか」と運んできた。これには私も躊躇した。なんたってこの酒は一升3万円の酒だ。軽軽に飲む酒ではない。しかし「まあ一口づつならいいでしょう」ということになり飲むことになった。
 料理も「酒のあてコース」数品が次々出て、しめて一人5千円で大満足。(私が『秋津』とそのあと追加した『獺祭試』の分で3千円追加負担したが)
 そういえばヤモリ『屋守』という酒も飲んだなあ。一体何種類飲んだんだろう。
 いやあ、大満足の夜でした。
   
       ヤモリ?
   
 大満足の会員たち(1名Sさんが欠席でした)…写真は森岡さん水越さん提供


成功のうちに終わったミャゴラトーリ『ラ・ボエーム』公演

2014-07-28 09:51:25 | 文化(音楽、絵画、映画)


 オペラ『ラ・ボエーム』公演は二日目も10枚程度の当日券を残すだけで、ほぼ満席の観客を得て成功の裡に終わった。ウィークデーの昼間公演(午後3時開演)でほぼ満席となったのは、「岩田演出の魅力」によるところが大きかったのであろう。
 後片付けと打ち上げを終えて夜半、娘は「死ぬかと思った」と疲れ果てて帰ってきた。しかしその眼差しには「何とか成功した」という安どの色も浮かんでいた。

 アンケートを始め多くの感想が寄せられたが、その多くは「これまでの『ボエーム』と全く違った感動を得た」というものだった。『ラ・ボエーム』は最もポピュラーなオペラの一つと言っていいだろう。観客の多くは、これまで何度も見てきたに違いない。ところが今回、全く違う『ボエーム』を観たのだ。
 それが「岩田ボエーム」であったのだろう。一般のオペラにはオーケストラが付く。当然オケピットが構えられ、それが舞台と観客を隔絶する。観客は、自分とは別の世界として舞台の演劇を距離を置いてみる。
 今回のボエームはオケも合唱隊もない。歌手たちは舞台のそでからだけでなく客室の通路からも現れ、舞台の下でも演技し歌う。観客は歌手たちの声を耳元で聞き、汗の匂いをかぎ、時には唾を浴びる。物語の中にそのまま身を置く。
 客席はわずか230でオケピットもないが、それを逆手に取って臨場感あふれる小劇場演劇的オペラを実現したのだ。加えて、登場人物の人間表現に力を入れる岩田演出に、力量のある歌手たちがそれに応え、自ら感動しながら歌い上げた結果が、観客を惹きつけてやまなかったのであろう。
 ロドルフォ役の寺田宗永氏は自分のフェイスブックに次のように書いている。
 「学生の時から聞きなれた一幕のミミのアリアは、初めて、こんなに深い、深いドラマがあり、心を打つんだ!と思った」

 出演者自体が新たなオペラに感動しながら演じていたのだ。観客がそれに惹きつけられたのは当然のことであったであろう。


絶賛を得た初日…、ミャゴラトーリの『ラ・ボエーム』

2014-07-25 10:59:22 | 文化(音楽、絵画、映画)


 娘が心血を注いできたオペラ『ラ・ボエーム』の初日を終えた。通し稽古やゲネプロなどを見て、素晴らしいものに出来上がる予感を抱きながらも、それだけに実演が気になってきた。しかし結果は、想像を超える好評を得て初日を終えた。
 まず会場が満席になったことだ。当日券は5枚を残すのみであったが、これも完売。一人の方に「満席です。ゴメンナサイ」とお帰り願った。そして私の関係者全員が絶賛してくれた。

 岩田演出の素晴らしさ、スマートな柴田真郁(マイク)氏の指揮と語り、ミミを演じた高橋絵理さんはじめ歌唱力の高い歌手たち、そして脇役や裏方さんたちが献身的に舞台全体を支え、見事な小劇場演劇的オペラを実現してくれた。
 オーケストラもない、合唱隊もいない。しかしピアノと語りと歌唱力だけで、はるかに臨場感あふれるオペラを見せてくれた。観客の中には「これほど質の高いオペラで、5千円は安すぎる」と言ってくれた人もいた。
 娘の、「質の高いオペラを安く提供して、オペラを広めたい」という夢が、一歩前進したのではないかと思った。まだ終わっていない。今日最終日の成功をひたすら祈る。


山びこの会7月行事「志賀高原」(3)

2014-07-23 11:15:20 | 


 東館山の山頂下に三好達治の詩碑があった。昨年秋の九州旅行の際、阿蘇の草千里で三好達治の「大阿蘇」を皆で朗読したが、今度は「雪」の詩碑に巡り会った。

  太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
  次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

 詩集『測量船』に所収された有名な詩である。草千里ではちょうど雨に遭い、「雨はしょうしょうと降っている…」という「大阿蘇」の詩がピッタリであったが、雪国長野ではやはり「雪」であろう。時は真夏で雪の風情は味わえなかったが。

            
        
        三好達治の詩碑に見入る


 文学に触れたついでに蛇足を一つ。
 前夜の懇親会で出身地別に自己紹介することになったが、北海道に始まりしんがりの九州で回ってきた私は、「九州も意外に情熱の土地柄ですよ」と、話題の朝ドラ『花子とアン』に触れた。ちょうど前々日、柳原白蓮(ドラマの蓮子)と宮崎龍介(ドラマの宮本龍一)が駆け落ちする場面があったからだ。
 伊藤伝右衛門(ドラマの嘉納伝助)は白蓮のために別府に赤銅御殿と呼ぶ別荘を建てる。白蓮はそこから別府湾に浮かぶ漁火を見ながら、伝右衛門が自分の人格も歌も理解してくれないことに飽き足らない悶々とした心を歌に詠む。

  和田津海(わだつみ)の沖に火もゆる火の国に
  われあり誰(た)そや思われ人は

 そこに現れたのが宮崎隆介であった。連ドラの主舞台は甲府と東京であるが、一方で筑豊の炭鉱王に金で買われ、そこから逃れようと、この若き左翼活動家の胸に飛び込む白蓮の情熱の舞台は、九州であったのだ。
 旅には様々な思いが付きまとうものだ。

    
    賀高原田の原湿原にて。白蓮を思わす花


 


山びこの会7月行事「志賀高原」(2)

2014-07-22 14:49:50 | 


 初日の、田の原湿原から木戸池、三角池、長池、上の小池、蓮池、丸池などを巡る「自然探勝コース」に続き、二日目は、笠ヶ岳登山隊と東館山高山植物園組の2班に分かれて行動。笠ヶ岳は標高2075mでかなりきついコースと聞く。この組はわれわれより1時間くらい早く出発して頂上を目指した。
 東館山高山植物園も標高は2030mと高さにおいては劣らないが、このコースは発哺温泉までバスで行って、そこから東館山山頂までゴンドラリフトで登るのだ。つまり、ほとんど歩くことなく標高2030mに達する。そこから周辺に広がる高山植物園をゆっくり歩こうというわけだ。
 ところがドッコイ、約500種類の高山植物が植えられているという植物園は、かなりの急斜面で広く、登りも下りも結構足に来た。それもそのはず、ここは長野オリンピックの大回転の行われた場所という。好天に恵まれその場所まで行ってみたが、なかなか雄大な景観であった。

 
長野オリンピック大回転競技のスタート地点でくつろぐ

 私は植物名に弱く、おびただしい草花の名前はほとんど知らない。ただ高山植物は何とも可憐で、どれを見ても心が和んだ。人気を呼んだのは「ひかりごけ」だ。山肌の穴を覗くとコケの光るのが見えると言うのでみんな覗くが、見える人も見えない人もいるようだ。「見えた」と言う人も、「多分あれだろう?」と、もう一つ腑に落ちない顔をしていた。加齢黄斑変性で視力の劣る私は、初めから挑戦しなかったが。

        

 齢80歳を前にして、今年もまた2000mの高山の空気が吸えて、ただただ満足した。私なども参加できる初心者コースを設定してくれて、よく面倒を見てくれる「山びこの会」の皆さんに心から感謝した。
 見上げるとゴンドラの彼方には夏空が広がり、梅雨明けがそこまで来ていることを知らせる白い雲が浮かんでいた。
 

           


志賀高原に行ってきました

2014-07-21 13:27:57 | 

 


 山びこの会恒例の夏の一泊山行、今年は志賀高原の旅でした。旅というと甘っちょろく響きますが、健脚組は全長8km、所要4時間の笠ヶ岳に登るのですが、私などは初心者向けの草原歩きを楽しみに参加するわけです。実にいい旅でした。

 気になったのは天候。出発前日18日の気象庁の予報によれば、目的地の長野県下高井郡山ノ内町の予報は、「19日は雨時々曇り、降水確率80%、3連休は荒天の恐れ、20日をピークに激しい雷雨になって突風やヒョウの恐れも。夏休みもスタートしますがアウトドアのレジャーは控えた方が安心」となっていた。
 これを見て私は完全に歩くことを諦めていた。80歳の年寄りが雷雨やヒョウの中を歩いて転んだりしてはみんなに迷惑をかける。非難されるのを我慢してホテルで温泉に浸かっていよう、などと考えていた。
 ところが、曇天の東京を離れるに従い空は明るくなり、長野市に入るや青空が見えてきた。山々を霧が流れることもあるが、歩くにつれて青空が広がってきた。私は雨具や傘を入れたザックを背負い、それを開くこともなく、「自然探勝コース」をルンルン気分で歩いた。
 田の原湿原は標高1600m、そこから次々に現れる池を巡り、また森林や草原を歩くコースは全長5.5キロ、所要2時間半、標高差160mで、私には結構きついコースであったが、久々に山の空気を満喫した。家の周囲の散歩では30分歩いてぐったりするのであるが、それほどの疲れも感じることなく歩けたのはなぜだろう。また、ちょっぴり自信を持たせてくれた山歩きであった。

          
 
湿原を歩き、木漏れ日を浴び,緑の風をいっぱい吸った

  
   草原はニッコウキスゲが満開でした
     


ミャゴラトーリへ朗報つづく

2014-07-17 10:02:44 | 文化(音楽、絵画、映画)


 渥美半島の彼方からオペラ公演のオファーがあるなどうれしい便りが続くミャゴラトーリに、予てから申請中のNPO法人申請の認証が下りた。娘が膨大な資料を抱えて何度も東京都へ足を運んできたが、ようやくその労が認められたようだ。
 舛添東京都知事のハンコがつかれた認証書(認証番号「26生都地特第604号」平成26年7月14日付)を手にして、娘は安堵の表情で喜んでいた。
 これで一応公認のNPO法人組織として活動できるのでそれなりのハクもつくが、反面義務も伴う。認証書には早速、法に従った運営をするように、つまり総会は年1回以上開くこと、役員変更などは届け出ろ、会計は会計原則に従え…等々と書き並べられている。
 その中で最初にやらなければならないのは「特定非営利活動法人」の法人登記だ。これはそれなりに厄介だ。法務局の杉並出張所に出向いてややこしい書類を整えて登記しなければならない。しかも認証書を受け取った日から2週間以内に登記しなければならないので、期限は今月の29日だ。
 ところが娘は『ラ・ボエーム』公演(24、25日)の準備に寝るヒマもなくとり組んでいる。公演明けとなると、26、27は土・日で法務局は休み。28、29日の二日しかなく不安だ。結局この仕事は私が引き受けることになった。
 かくいう私も19、20日は志賀高原などに遊びに行くのであまり余裕はない。しかし、まあ、何とかなるだろう。嬉しい悲鳴として受け取ることにしよう。


ミャゴラトーリのオペラ公演に朗報

2014-07-15 14:46:10 | 文化(音楽、絵画、映画)


 昨日のこの項で、『ラ・ボエーム』公演に取り組む人たちの涙ぐましい努力に触れた。そして、この努力はいつか大輪の花を咲かすだろうと書いた。大輪の花とまではいかないかもしれないが、いくつか朗報が届いている。一つは渥美半島のある小学校からオペラ公演のオファーが届いたことだ。

 ミャゴラトーリは、昨年12月、愛知県田原市の中山小学校で『愛の妙薬』を公演した。講堂に集まった全校生徒229人と父兄にはすこぶる好評で、生徒たちが書いてくれた感想文は感動に満ちていた。
 この話が隣の小学校に伝わったらしく、「子供たちがそんなに感動する催しならぜひうちの学校でも」ということになったらしい。予算の関係もあり二つの小学校の共催で、来年6月「渥美文化ホール」で公演してほしいというオファーだ。
 娘はこのメールを受けて飛び上がって喜んでいた。「子供たちに感動を与えることができれば、必ずオペラは広まる」というのが娘の夢だが、それは意外に早い速度で広がりつつあるのかもしれない。

 もう一つは、京王電鉄会社の広報部が、同社が聖蹟桜ヶ丘に持つホールでの年中行事に、ミャゴラトーリのオペラを組み込んでくれる話が進んでいることだ。京王電鉄としては沿線地域住民に喜んでもらえる催しを提供したい、その催しに同じ沿線に根拠を持つ「ミャゴラトーリ」が応えることができるとすれば、地域の文化おこしとしても冥利に尽きる。
 特に子供たちにオペラの喜びを根付かせることができるとすれば娘の本望だ。このようにして日本各地で小さい花を咲かせ続けていけば、それこそ何時の日か大輪の花が咲くだろう。

        


猛暑の中、奮闘が続く『ラ・ボエーム』公演の準備

2014-07-14 14:08:15 | 文化(音楽、絵画、映画)


 娘の制作するオペラ『ラ・ボエーム』の公演が10日後に迫った。鬼才岩田達宗氏の演出も最後の追い込みに入ったようであるが、道具つくりなど裏方の準備も毎日おおわらわだ。
 何せ金のない連中が金食い虫と言われるオペラを公演しようというのだから、衣裳から大道具・小道具までほとんど手作りだ。古い毛布を引っ張り出したり、祖父のマントを見つけ出したりして衣類をそろえる。我が家の音楽室と駐車場は道具つくりの仕事場となっている。
 椅子やテーブル類も喫茶店などから借り集めているようだが、合わせると相当の量になる。毎日の練習場にそれを運ぶにはトラックがいる。トラック代に金をかけないため、名古屋の知人が貸してくれる2トン車を名古屋まで借りに行った。
 毎日その2トン車に道具類を積んで練習場に出かける。しかもそれを運転するのは出演歌手のO氏だ。氏は大型二種の運転免許を持ち、しかも手先も器用なので道具つくりの先頭に立つ。使用するローソクから燭台、楽器の類まで彼が作った。しかも名古屋から2トン車を運転してきて、毎日自分たちの作った道具類を運んで、着いた練習場で厳しい岩田演出を受けながら歌っているようだ。
 涙が出るような話だ。しかし、真の芸術の制作なんてこんなことかもしれない。いつかきっと大輪の花を咲かせるに違いない。

                               
                


だんだん遠くなる三井銀行時代

2014-07-13 13:28:53 | 時局雑感


 三井銀行時代の最後の職場は検査部であった。昭和58(1983)年暮れから62年夏まで、約3年半務めた。私は融資の検査を担当したが、その時代ともに勤めた連中で「検融会」という集まりを持っている。検査部融資部会の集まりという意味だ。
 当初15名ばかりいたが、昨日集まったのは7人であった。5名が亡くなり2名が地方へ転居、現在8名が在籍し昨日は全員出席の予定であったが、1名がとうとう現れなかった。家に電話しても携帯にも通じなかったのでちょっと不安だ。
 ついに半減してしまい、三井銀行もだんだん遠くなった感じだ。集まった連中はまあまあ元気だ。この種の集まりに共通する「病気と死ぬ話」ばかりであるが、いずれも面白おかしくしゃべっているのは元気の証拠であろう。
 中にはスイスに向かう飛行機の中で酒を飲みすぎて低血圧現象でたおれ、着陸するやスイスの病院に担ぎ込まれ、その時は既に平常に戻っていたようであるがいろいろと治療を受けて,当該病院から30数万円請求された話もあった。もちろん保険で補ったので最終的な出費はなかったようだが。

 この会は幹事のY氏がしっかりしているので、20年以上にわたり年2回(夏と冬)開催を続けているが、この先いつまで続けることができるだろうか?

   
     参加者の一人M君……既に枯淡の境地である


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