旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

淳の七回忌(大分の旅)⑤ … 若き「いとこ軍団」の台頭

2021-11-29 10:58:30 | 

 

 老いは、未来を思うより過去を辿る。今度の旅でも昔のことばかり思い出していた。
 法要の後の二次会で、隆介君が提供してくれた名古屋の名酒『醸し人九平次』を飲むと、その美味しさのあまり、2009年萬乗醸造の蔵を訪ね、九平次氏が山田錦を力説したことを思い出す。九重の飯田高原で芹洋子の「坊がつる賛歌」の歌碑を見ると、2015年東京めじろ会(大分県人による酒の会)に参加してくれた彼女の熱唱と、記念写真に収まってくれたことを思い出す。

  九平次さんと

  
  芹洋子さんと

 しかし今回得た最大のものは、そのような懐古趣味ではなかった。それは若者たちの台頭、わが兄弟の子供たち、つまり若きいとこ軍団の息吹であった。
 前述した二次会で、隆介は、中学教師としての活動と最近の研究成果を示す三つの論文を見せてくれた。それは『コロナ禍における中学校部活動の実態』(首藤隆介著)ほか教育課程経営論に関する二つの共著論文であった。忙しい中学教師がこのような研究を続け、諸論文を発表するまでに至っていることをうれしく思う。
 研究成果と言えば、立教大学教授首藤若菜は、労働論に取り組んで多くの課題を世に問うている。私の書棚にも『統合される男女の職場』や『物流危機は終わらない』など多くの著書や論文が並んでいる。
 萱場工業の研究室に勤める首藤悠からは、『スマート道路モニタリングシステムの開発』という研究論文が寄せられている。聞くところによれば総務大臣賞を獲得したというニュースもある。
 わが娘首藤史織は、10年前にNPOオペラ普及団体ミャゴラトーリを立ち上げ、ここ数年、日本オペラ界の鬼才岩田達宗氏のご協力を受け、新解釈による六つのオペラ公演に取り組んだ。コロナ禍の下で、小劇場演劇的オペラという新ジャンルを追及している。
 その他のいとこたちの活躍も数多い。今や世代は代わりつつある。老いぼれが懐古趣味に陥っている時ではない。いつか、これら若きいとこ軍団がうちそろい、研究発表会をやってくないかと期待している。一族の前で共同発表をするなど、そんなセンチメンタリズムは今の若者は持ち合わせていないかもしれないが。
 とまれ、淳の七回忌は、図らずも若い息吹を伝えてくれた。  

 
  隆介の研究論文

 


淳の七回忌(大分の旅)④ … 城下かれいハプニング

2021-11-26 10:32:14 | 

 

 この旅の目的の一つに、日出の名産「城下かれい」を食べることがあった。このかれいは学名を「眞子がれい」と言い体長40~50センチ、海浜の浅瀬に住んで海底から湧く真水を好んで生殖する。日出も、別府湾にせり出す暘谷城の城壁の下に湧く真水に稚魚を放流し養殖している。昔は、庶民は食べることのできなかった高級魚と言われている。

 私は大分県の食の名産は、臼杵のフグ(肝付き)、日出の城下かれい、佐賀の関の関アジ、関サバと思っているが、弟も義妹も食べたことがないというので計画したのだ。

 お店は日出の老舗割烹『幸喜屋』、刺身はもちろん最後の寿司まで城下かれいずくしの10品フルコース(お代は8000円)、酒は杵築の名酒「智慧美人(ちえびじん)」純米吟醸と純米酒、地元料理に地元酒と文句ない。
 宴は進み、かれいの形をしたお皿に刺身が盛られてくると、義妹が運んできた賄い婦に怪訝そうな顔で訊ねている。「この魚は何ですか?」、聞かれた賄い婦は「これが城下かれいです」と胸を張る。
 事件はこの時に起きた! 義妹が私に向かって言う。
「私は今まで、シロシタカレイというのはカレイライス(白舌カレー?)と思っていました。かれいって魚の鰈(かれい)ですか。私は、わざわざ食べに行くカレイライスとは相当なものだと思い、これまで出た料理は前菜だと思っていました」
 これには唖然とした。私はちょうど注ぎ足した盃を取り落そうとしたほどだ。彼女は城下かれいのフルコースをカレイライスの前菜と思って食べていたのだ。恐らく大した味もしなかったであろう。彼女は、たかがカレイライスの前菜に8000円支払ったのである。しかも、本体のカレイライスにもありつけなかったのである。私は今も、あの勘定を割り勘にしたことが気になっている。
 「何事も先達はあらまほしき事なり」と吉田兼好が諭しているが、私は先達の役を果たせなかったことを恥じている。

   
 写真は浩子さん提供
  
  前回訪問時(2010年4月)和弘撮影

     
  
   左純米酒、右純米吟醸


淳の七回忌(大分の旅)③ … 杵築と日出

2021-11-23 11:56:19 | 

 

 杵築と日出は別府湾の北側に面する城下町で、特に杵築はその風情を多く残した町である。町のメインストリートの両側が小高い丘になっており、幾筋もの階段が設けられている。それを上ると昔の大名屋敷街で、白壁に囲まれた大屋敷が並んでいる。
 私たちは時間の制約もあって、もっとも有名な「酢屋の坂」を下り、反対側の「勘定場の坂」を上り、屋敷の一角にある展望台から杵築城を遠望した。このコースは10年前に妻と歩いたが、この大好きな風情にほとんど変わりはなかった。当時の写真も掲げておく。

 
  勘定場の坂(?)… 浩子さん撮影
   …
   酢屋野坂(?)…浩子さん提供
  

以下2枚は10年前訪問時の写真

 
 酢屋の坂。後ろ姿は妻照子(2010年4月和弘撮影)
 
 勘定場の坂(2010年4月和弘撮影)
    

 日出は杵築に比べて開発が進み、城下町の面影は少ないが、しかし、滝廉太郎を生み、名物「城下かれい」を産し、近くは第二次世界大戦の「人間魚雷(回天)の訓練基地」の跡などを残す。
 滝廉太郎については、その生誕の地を竹田市と日出市で競い合っている。竹田は、その小学校に在籍の跡を残し、何と言っても「荒城の月」の舞台とされる岡城を有す。確かに岡城に登ると「これぞ荒城の月の舞台!」と思わせる景観があるが、反面、作詞した土井晩翠がその題材を仙台の青葉城に採ったことは確かであり、廉太郎が岡城だけをイメージして曲想を練ったかは疑いを残す。
 我々は、暘谷城の堀端に建つ廉太郎の銅像(郷里出身の朝倉文夫の名品)の前で写真に納まり、龍泉寺の滝一族の墓を拝し、「廉太郎の生地は日出に違いない」と単純な結論を下したのであったが…。

 
  滝廉太郎の銅像(浩子さん提供)

 


淳の七回忌(大分の旅)② … 飯田(はんだ)高原から湯布院へ

2021-11-20 15:19:05 | 

 

 山小屋を出て、九州横断道“やまなみハイウェイ”の長者原(ちょうじゃばる)ビジネスセンターでトイレ休憩。久しぶりに久住連山をじっくり眺める。私は子供の頃から久住山には数多く登ったが、多くは南側からであった。大分から豊肥線で竹田に出て、バスで種畜場へ、そこで牛乳をたっぷり飲んで山行に入る。沢水(そうみ)から山に分け入り峠を越えると“坊がつる”、その一角の法華院温泉で一泊して、翌日から久住や大船に登るのが常であった。
 復路は北側の飯田高原に下りて久大線の中村から帰ることもあったが、九重連峰の北側になじんだのは淳の山小屋が出来てからだ。
「再びこの地を訪れることがあろうか?」という思いも込めて、眼前に聳える三俣や久住の連山を眺めた。駐車場の一角に設置されていた「芹洋子の坊がつる賛歌」の歌碑の前で、懐かしい歌を斉唱して湯布院に向かう。これまた懐かしい『亀の井別荘』で地ビールを飲み昼食、紅葉で美しい金鱗湖をゆっくり回って、次の目的地杵築に向かう。

 因みに『亀の井別荘』は、湯布院町おこし三人組(溝口薫平、志手康二、中谷健太郎各氏)の一人、中谷健太郎氏の営む旅館である。町おこしのいきさつは、溝口薫平氏の「語り書『虫庭の宿』」に詳しい。是非とも一読を薦める。

 
 すすき野の先に久住連山をのぞむ(健次撮影)

  (健次撮影) 
   
   『亀の井別荘』での昼食(浩子さん撮影)

       
       (浩子さん提供)     
 
 
 金鱗湖から流れ出る疎水の紅葉(健次撮影) 


あっ晴れ大谷、MVP獲得!

2021-11-19 14:28:13 | スポーツ

 

 大谷翔平選手がメジャー・アリーグのMVPに輝いた。しかも満票を獲得して他の選手を寄せつけなかった。「九州の旅」を書き始めたところであるが、このニュースだけは記録にとどめておかねばなるまい。
 今さら記録について書くこともない。本塁打46本(3位)と投げて9勝、二刀流の活躍で、100年前のベーブ・ルースの記録(本塁打と勝利投手数で二ケタを記録)に、あと一歩に迫ったというのが評価の中心。しかし彼の記録はそれだけではない。100打点や156奪三振など素晴らしく、加えて26盗塁やその走力を生かした8三塁打など目を見張るものがある。
 加えて評価されるのが実技以外の試合態度だ。四球で一塁に歩く間、そこにおちているゴミを拾いポケットに収める、相手の打者のバットが折れて飛んでくると、それを拾い打者に歩み寄り手渡しする…それらが、笑顔や物腰に至るまで自然でいやらしさがない。
 MVP投票での満票獲得は、実技に基づく数々の大記録もさることながら、これらの人間的魅力、人としての総合力に投じられたのではないか。
 マスコミで多くの人が「日本人として誇りに思う」と発言していたが、私は、彼の魅力は、日本人とか、アメリカの野球人とかいうナショナリズムの水準ではなく、人類的見地から評価されているような気がする。
 大谷は、野球の世界で前人未踏を切り開く中で、21世紀の人間を一つの高見に導こうとしていると言っても大げさではあるまい。

 
    

  
   
   
    


淳の七回忌(大分の旅)① … 淳のブナ

2021-11-17 20:00:07 | 

 

 三弟淳の七回忌の法要で臼杵に帰った。何度も書いてきたが、淳は男ばかり五人兄弟の三番目、明るくにぎやかに座を取り持つ男で、いつも話題を欠くことはなかった。とはいえ、七回忌ともなれば「去る者は日々に疎く」、思い出を語るには、日時を手繰ることが多くなった。
 ところが、翌日、淳の残した「九重の山小屋」を訪ねると、そこには淳の痕跡が鮮明に残されていた。彼は教員をやめるとその退職金で、九住山の北面、飯田高原の一角に、約三千坪を購入して山小屋を建てた。それだけではなく小屋の周囲に、秋田県の白神山地や駒ヶ岳中腹のブナの苗木を移植し、ブナ林を造成する計画を立てた。
 秋田のブナが九州で育つはずはない、という周囲に声にひるむことなく、死ぬまでそのブナ林の育成に努めた。私もこれまで、淳に連れられて何度もその地を訪れたが、確かにブナも育っていたがクヌギなどの雑木と雑草に覆われ雑然とした風景であった。
 ところが、今度訪ねてみると雑木は除かれ雑草は刈られて、何百本のブナが見事な大木に成長して紅葉を誇っていた。地元九重町の後継青年たちが、今なお手入れを続けてくれていうのだ。素晴らしい景観であった。
 淳は死してブナを残した、というべきか!


 (注)私は不覚にもカメラの設定を誤って、全ての写真を失った。従って、以下の写真はすべて同行者のものに依存する。

 


法要を終え、龍源寺の墓地に卒塔婆を納め記念撮影



 
    健次撮影、ブナ林最大のブナ


 淳の山小屋「いろり荘」前で記念撮影(浩子さんのカメラ)


淳の面影を残す「いろり荘」のいろり(浩子さん撮影)

 

 山小屋から「わいた山」を望む(健次のカメラ)           


現状政治(自公政権)を支えた若者層の保守主義

2021-11-07 15:26:15 | 政治経済

 

 総選挙が終わって一週間が経ち、様々な論評や政治番組が行われている。それらを総合すると、当初予想できなかった自民党の絶対安定多数獲得の背景には、未成熟な野党共闘の力不足もさることながら、若者層の保守主義(場合によっては右傾化も含む)があったようだ。それによると…。
 バブル崩壊後30数年、デフレ経済の続いた日本は経済成長ナシ、実質賃金は下降を続けあらゆる面で国力は低下、その時代を生きた若者層に良いことは何もなかった。今後簡単に良くなるとはとても思えない。それなら、変に変えるより、せめて現状を維持してほしい。
 これが若者層の意識だというのだ。選挙の出口調査の結果では、20代、30代の40%強が自民党に投票している。「現状維持を前提にした是々非々政治」を主張する維新の会に投票した者も多く、層によっては立憲民主党をしのいでいる。

 それにしても若者たちは、安倍・菅政治が犯した「モリ・カケ問題」、「公文書偽造」、「桜を見る会」などの悪事をも許したのであろうか? 正しさを求める若者らしい正義感もなくしているのであろうか? それとも、長いこと味わってきた「希望のない悪い世の中」にあっては、安倍・菅政治のその程度の悪は織り込み済みとでもいうのだろうか?
 いずれにせよ、野党共闘がこれら若者層に、魅力ある国の将来像、何よりも「明日からこんな政治をやるという具体的なビジョン」を示しきれなかったことだけは事実であろう。これらの反省、具体的な立て直しこそ急務であろう。かなり難しい課題であるが…。


日本国民の選んだ道は? … 総選挙の結果について

2021-11-03 11:11:59 | 政治経済

 

 総選挙の結果、日本人はどんな道を選んだのか? 何を自公政権に託したのであろうか?
 私は、不覚にも、立憲民主党が議席を減らすことなど想像もしていなかった。初めて本格的に組まれた野党共闘は、一挙に政権交代までは無理としても、一定の抑制を自公政権に与えるものと信じていた。
 結果は、自公政権が実質的に勝利し、野党共闘の大敗北に終わった。当初30~50議席の減少が予想されていた自民党は15議席の減少にとどまり、絶対安定過半数(各委員会の委員長を独占したうえで過半数)の261議席を得た。反面、政権交代を叫んだ立憲民主党は14議席を減らし、枝野委員長は辞任に追い込まれた。共産党も少ない12議席をなお2議席減らし、第6党に陥落した。野党共闘の再建には、時間を要することになるであろう。
 加えて気になることは、維新の会の議席増大(30議席増で41議席獲得)である。維新の会は完全な自民党の補完勢力であり、同時に議席を増やした公明党(3議席増の32議席)を加え、与党とその補完勢力は改憲議席の3分の2を遥かに超える。
 
 国民は憲法改正の権限も与党勢力に与えたのであろうか? それよりも何よりも、モリ・カケ問題や公文書偽造、桜を見る会などの安倍・菅政権の罪をすべて許してしまったのだろうか?
 国民が総選挙で国政に付託したもの、その内実、それを生み出した背景…、これらをじっくり分析する必要があろう。


投票ボタン

blogram投票ボタン