旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

遥人、保育園のお別れパーティ

2017-03-31 14:14:01 | 時局雑感

 



 孫の遥人は永福町に住んでいるが、近くの保育園に入れなかったので、我が家の近くの八山駅に近い無認可保育園に一年通った。無認可ではあるが、英語を使った指導や、調理師免許を持つ園長が、パーティの食事を自ら作って振舞うなど、なかなかユニークな教育方針を持った保育園であった。
 このたび自宅近くの認可保育園に入れることになり、4月よりそちらに転園するのでお別れパーティを開いてくれた。園児の成長を見せるためにお遊戯などを披露するというので、両親にジジ、ババまで加わってパーティに出向いた。お遊戯などといっても未だ1歳10か月、とても様にはならないだろうと思っていたが、ところがドッコイ、なかなか立派なもので、先生の指示通り並んで「キオツケ!」までして、音楽に合わせて踊り出した。毎日やるので覚えているのだろうが、先生のしぐさをよく見て、その通りに体を動かす。
 子供の中には寝そべったり、わんわん泣いたり様々いたが、わが遥人は立派に最後まで「お遊戯」をやった。親バカならぬジジ馬鹿の典型であるが、他の誰よりも遥人が上手だということになった。
 ここで一挙に桜が満開に向かいそうであるが、遥人の成長はすでに満開の域に達している。

  
           
  体を揺らしながら、先生の通りのしぐさでリズムをとる

  
   終わって拍手を送ると、本人も満足げに拍手

 
                 
 我が家に帰り、お母さんがスマホの動画を見せると、自分のダンスに興味津々、大満足の笑顔でした。
  担当の先生から「お別れメッセージ」が添付されていたが、それはこの笑顔を讃える言葉であった
   




 



 

 


政治・官僚の世界と忖度(そんたく)

2017-03-27 14:28:04 | 政治経済

 



 森友学園問題がマスコミ界を賑わすようになって、忖度(そんたく)という聞きなれない言葉が飛び交っている。広辞苑を引くと、「他人の心中をおしはかること。推察。」と出ている。共同社会を営む一般人間社会の中では、お互いに相手の心を推し量りながら、相手を傷つけず、できるだけ問題を起こさないように生きることは必要であろう。その意味では、忖度というのは大変良い意味の言葉であろう。
 ところが、今世間を騒がせている政治家、官僚がらみの事件にあっては、どうも悪だくみの陰にその忖度が働いているのではないかと報じられ、また世間もそう見ているのである。森友学園の籠池理事長は、安倍晋三首相夫人を名誉学園長に引っ張り出し、一時は学園名に安倍の名前を付けようとまでして安倍色を打ち出し、その意向を利用して有利な学園設立を図ろうとした。首相の名前をちらつかせられた官僚側は、当然その意向を「忖度して」要望に応えてきた、というわけだ。
 不穏を感じた首相夫人は名誉園長を辞退し、何も関係ありませんと言っているのであろうが、官僚に働きかけた事実が、FAXなどの物証として出てきた。確かに夫人が直接依頼した形跡は残していないが、「首相夫人付キャリア―官僚」が交渉にあたり、その結果を夫人に報告している事実までFAXには記載されている。相談を受けた官僚どもが、首相夫人、ひいては安倍首相からの意向、とその意を忖度して行動したことは十分に想像できる。
 首相は躍起になって「私も家内も一切かかわりない」を叫んでいるが、多くの一般国民はそれを信じていない。世論調査でも圧倒的多数が「首相側の説明は信じられない」としている。国民は、忖度という言葉を、そのむつかしい意味にもかかわらずよく理解しているのである。政治と官僚の世界では、現実には目に見えないが、お互いに忖度しあって悪だくみが行われているということを、長い歴史の中で知ってきたからだ。
 東京都の豊洲問題だって根は同じだ。東京ガスとの、あれほど大きな取引を水面下でやるというのだから、そもそも「忖度だらけ」といっていいだろう。東京ガスとどんな利害関係があったのか知らないが、とにかく「豊洲移転ありき」で上も下も忖度しあいながらことを進めてきた。その結果、最高責任者たちは、「下に任せた」、「聞いていない」、「記憶にない」と責任逃れで逃げまくる。
 忖度ほど目に見えないものはない。また、これほど憶測の飛び交う世界もない。しかし、真実はたった一つであるはずだ。それをこそ暴くのが、国会であり都議会であると思うのだが。

 


「春はウララの…」とはいかない春

2017-03-18 11:12:23 | 時局雑感



 前々回、「春を求めて」と題して書いて、その春がようやくそれらしい姿を現してきたが、自然に反して人の世はちっとも春らしくない。「森友学園問題」、「防衛庁南スーダン日報隠ぺい問題」、「稲田防衛大臣ウソ発言問題」から、東京都議会の「築地・豊洲移転問題」や、「福島原発廃炉問題」など連日新聞やテレビを賑わして大混乱である。
 「森友問題」では、この種の事件で必ず登場する品格に欠ける人物、籠池理事長などが現れて、「何をしゃべり出すかわからない」と、政界もマスコミも浮足立っている。国有地を考えられない格安値段で買い取った金の問題もさることながら、教育勅語やビンタ教育、はては「安倍首相がんばれ!」と園児に斉唱させるなどを教育方針とする、およそ時代はずれの学園の存在自体にあきれ果てた。安倍首相側から百万円の寄付がうわさされているが、これだけ持ち上げてくれるのなら百万円など安いものだろう。
 稲田大臣は大臣としての資質があるのか? 答弁内容がたびたび変わり、しかも「本当に記憶にないんです」と涙ぐむなどは、感情の制御もできない人間のようだ。このような人間に国防の責任を負わせるなど、安倍首相の任命責任も重い。靖国派として単に自分と考えが合うからと言って大臣に引き上げるなどは、これまた首相の資質に欠けるのではないか?

 スポーツの方も騒がしい。待望の4横綱時代を迎えたと思ったら、白鵬は早くも2敗して5日目から休場、日馬富士、鶴竜も序盤で2敗、4横綱体制は早くも崩壊を始めたようだ。ただ新横綱の稀勢の里が快調、高安など新勢力が力を発揮し始めているので楽しみだ。時代は変わろうとしているのであろう。
 野球界では、ワールド・ベイスボール・クラシック(WBC)での侍ジャパンの活躍がさわやかだ。6連勝負けなしで準決勝入りとは頼もしく、またその戦いぶりが素晴らしい。中でも守備と攻撃の好循環—―菊池のファインプレーとその直後の筒香のホームラン、が話題を呼んでいる。特に2塁手菊池のファインプレーシーンが、たびたび画面に映し出される。2塁手などというのは一番地味な存在であるが、それがこれほど主役を務めるとは珍しい。オランダにもイスラエルにも、「菊池で勝った」といえるのではないか?
 大ファンの活躍に大満足している。こちらは政財界に比してさわやかだが、とても「春ウララ」という心境ではない。うれしい限りだが…。


インフルエンザに罹る

2017-03-10 13:58:10 | 時局雑感

 



 全く予想していないことが起こった。インフルエンザに罹ったのだ。
 インフルエンザというのが多くの人が罹る著名な病気であることは知っていたが、それを自分が患うということは、なぜか想定していなかった。今になって考えれば、インフルエンザというものは、周囲の一般の人の病気で自分には関係がないものだという、実に非合理的な考えに陥っていたのである。当然のことながら予防注射などやったこともない。
 ところが、この予想だにしなかった病魔に襲われたのである。今月4日(土)、義兄(薫さん)が来たり、孫の遥人が来たりで何となくザワザワしていたが、夕方から喉がいがらっぽかったことを思い出す。5日(日)朝から発熱、8度台が続く(最高8度8分)。
 6日(月)は東京医大で目の注射の予定であったが慌てて取り消し、行きつけの内科医柴本先生に向かう。先生は一通り診て、「念のためにインフルエンザの検査をしましょう」と、いかにも当然の行為のごとく、綿棒みたいなものを鼻に突っ込む。そしてわずか1,2分後には、これまた当然のごとく、「ハイ、出ました。A型インフルエンザです。数日間、ひたすら寝てるほかないですね」といいながら、点滴治療(約10分)をやってくれた。
 私は狐につままれたような気分であったが、以降、医師の指示通り数種の丸薬を朝昼晩と飲みつづけ、ひたすら寝て過ごした。その結果、7日7度台から午後には6度台、8日から5度台の平熱に熱は下がった。8度台の6日は苦しかったが、その後は苦しむこともなく、かねて予想していたインフルエンザに罹ったという印象はあまりない。いまのところ妻や娘に移った形跡もない。ピアノやオペラのレッスンが続く娘へうつることを一番気にしていたが、どうやら大丈夫のようでホッとしている。
 自分はインフルエンザと無縁の存在、という非合理的な妄想に、なぜ取りつかれていたのかは全く分からない。それは何の合理性もないだけにあっけなく破られ、見事に罹病したが、その病気は想像していたほど大変な病気でもなかった。これまでに罹った最も軽い風邪、という印象であった。このままで終わるとすればの話であるが。

 もしかして俺は、インフルエンザではないのではないか? 世にいうインフルエンザは、やはり俺とは関わり合いがないのではないか? 柴本先生にそれを聞く勇気はないが……。

 


春を求めて

2017-03-04 14:33:19 | 時局雑感

 



 季節の変わり目で、春ほど待ち遠しいものはない。夏と冬は、いつ変わったのかわからないことさえあるし、秋は暑さを逃れて涼を求める気持ちが強いが、秋を迎えるのは何となく寂しい。それに比して、春を迎える気持ちには希望がみなぎる。
 ところが、その春はなかなか来ない。今年も、立春を過ぎてすでに1か月を経過するが、寒い日が続く。「春は名のみ」である。しかし春を求める気持ちは強く、寒さをついていろんなところに出かける。2月18日、山びこの会の2月行事「葛西臨海公園を巡るえどがわ散歩」に参加した。臨海公園には、菜の花、水仙、河津桜が満開であった。


 
        
       

 2月25日には、府中郷土の森梅園に梅を訪ねた。なかなか立派な梅園で、中でも、しだれ梅が目を引いた。枝垂桜は豪華さを誇るが、初めて見た枝垂梅は、梅の清楚さを一層引き立て、なんとも奥ゆかしい風情であった。

  
         
                  
           

 ようやく3月を迎えて1日、我が家も遅ればせながら雛人形を飾った。恒例によりグランドピアノの上に飾る男雛と女雛だけであるが、今年はバックの屏風も一枚で、両側の灯篭も省略するという手抜きお飾り。それでも、レッスンに来る女の子たちには、一息の余裕を与えることだろう。それに合わせて、玄関の額絵(井堂雅夫画伯の版画)も、雪のシーから桜に変えた。
  直後、孫の遥人が現れたが、これはひな祭りには関係なく、部屋の中を走り回り、椅子にふんぞり返るやら、ロバのぬいぐるみをぶん投げるやら元気がいい。5月の端午の節句には満2歳を迎えるが、一足先に春爛漫である。

 
              
                           
   
 
                

 


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