旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

うち続く卒寿を祝う会(つづき)

2019-11-26 14:42:20 | 時局雑感


 和田蔚さんの卒寿を祝う会は、既述のごとく楽しく終えたが、昨日、ご当人から丁重なお礼のお手紙を頂いた。。そこには、次の二句が添えられていた。素晴らしい句であるので、ここに書き記しておく。

   卒寿の宴果てて小春の空仰ぐ
   卒寿終え白寿に夢や秋深む

 このような教養が、90年間の生活を彩り、支え、なお100年を展望する源となっているのであろう。


うち続く卒寿を祝う会

2019-11-21 15:41:00 | 時局雑感


 今年は先輩方(いずれも三井銀行)の卒寿を祝う会が続いた。
 すでに報じたように、北村、道家両先輩の祝う会を6月に行ったが、今月に入って白井進さんの会に招かれた。続いて昨日、和田蔚さんの卒寿を祝う会を催した。集まったのは睦会の面々で、前述の北村、道家大先輩を始め総勢10名、平均年齢は実に82歳という錚々たる顔ぶれだ。『がんこ銀座1丁目店』で、楽しい語らいの時を過ごした。
 本年4人目の会となったが、今回の新しい試みは、誕生祝の会にはつきもののバースデーケーキの催しをやめて、北村さんの「マンガ力」を生かして、和田さんご本人の似顔絵を描くことから始めたことだ。色紙の中央に、90歳の女性をモデルに90歳の画伯が筆を運ばせる様子を全員で見つめ、完成した似顔絵の周囲に全員が署名と一言をくわえ、同じく90歳の道家先輩の口上と共に贈呈した。
 この催しは、それぞれの特技を生かした点も含めみんなに喜ばれた。食えもしないケーキとローソク吹き消し作業など、今や陳腐に思えた。
 いやあ~、楽しかったなあ…。

   
 見事に出来上がった色紙をかざす和田さん(撮影甲田裕子さん)


教育者の尊厳を感じた前川喜平氏(元文科省事務次官)の講演

2019-11-15 15:22:08 | 政治経済


 文科省事務次官という官僚の中枢にいながら、官邸、なかでも安倍首相自身の言うことを聞かなかったことから、今や市井講演会の寵児となっている前川喜平氏の話を聞く機会を得た。演題は「個人の尊厳から出発する教育」というものであったが、前半では専ら「安倍忖度(そんたく)政治」と「萩生田みのたけ発言」を中心とした政権批判。これは、さすがに内幕を知り尽くしている人の話だけあって小気味よく、大いに会場を沸かせた。
 しかし、やはり聞かせたのは、日本教育の最高部署を司る文科省事務次官という立場を経た人の、教育論そのものであった。
 氏はまず憲法13条から説き始めた。13条には「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、(中略)最良の尊重を必要とする」と書かれている。続く14条には「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と記されている。前川氏はまず、この13条、14条に書かれている「国民」こそが教育の対象とされるのだ、という点を強調された。
 それを受けて26条は、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。すべて国民は法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育はこれを無償とする」と定めている。
 つまり国民は、自由権として教育を受ける権利を有し、国家に対しては、社会権として諸施設をふくむ適性な教育を施す義務を負わせているのである。前川氏は、国民の成長、その人格の成長は教育によるのであって、教育こそ国の果たす最大の義務であると強調した。
 私がより驚いたのは、前川氏が、「憲法は『すべての国民は…』と書いてあるが、これは『すべての人は…』とすべきである。日本人であろうが外国人であろうが、日本に住む人はすべて日本の教育を受ける権利があり、国はそれを施す義務がある」と言ったことであった。日本にいる人は、外国人であれ「日本語を学ぶ権利」があり、国はそれを与え、「日本の文化を教育する義務がある」というのである。
 これは相当に広い世界観を必要とする。移民問題などで世界は混とんとしている。これらを含め、「教育」というものをどう考えるかが問われているのではないか?
 テーマは「個人の尊厳から出発する教育」というものであったが、私にとっては、それを語る講師の「たゆまざる尊厳」を感じさせられる講演であった。


高校卒業65周年記念同窓会に参加して

2019-11-09 09:44:02 | 時局雑感


 私は、大分県立臼杵高等学校の第6回卒業生である。昭和29(1954)年3月のことで、今年はその65年目にあたる。飲み屋の若い子にそのことを話したら、「いつの時代のことですかねえ。私はまだ生まれていなかったので…」という返事であった。
 久しぶりに帰郷し参加すると、37名の同期生が集まってきた。世話役を務める幹事の報告によれば、同年卒業生の総数は234名、うち既に亡くなったのが53名で、生存者は181名ということだ。従って37名の出席率は、対象者181名の20.4%に当たる。卒業生234名に対する存在率は15,8%である。
 84歳という年齢からして、この数字が高いのか低いのか私は知らない。ただ、集まった37人は元気が良かった。11月2日午後5時、臼杵市きっての料亭『喜楽庵』で開宴、11,000円のコース料理を平らげて、折しも行われていた「うすき竹宵」祭りに繰り出し、8時から再び第二次会場に集まり12時まで語りつくした。
 終戦を迎えたのが10歳。戦中戦後の苦難を乗り越え、戦後復興をそれぞれ担った自負を持つ人間として、、それなりの強靭さを備えているのかもしれない。

  
    
        
        たちまち昔話に花が咲く……

  
    竹宵も見ました
    
     ふぐも食べました(実家にて)


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