旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

ルーベンスとフェルメール

2007-04-30 18:51:12 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 ブリュッセルの王立美術館では、時間がないのでルーベンスとブリューゲルにしぼって見た。そのためか「いやと言うほどルーベンスを見た」という感じだった。特に超大型絵に囲まれた大広間では、真ん中のソファーに座り込んで動けなかった。
 しかし、最も「ルーベンスを観た」と感じたのは、やはりアントワープの大聖堂に架かる二つの絵、「キリストの昇架」「キリストの降架」であった。この二つの絵を観るためだけでベルギーに行く値打ちがある、と言えるのではないか。
 この絵は威厳と悲しみに満ちている。しかし同時に躍動感があり華麗とさえ言えるものを持っているのは、前述したように、ルーベンスが受けたカトリックの影響によるのだろうか? 
 祭壇の左の「昇架」は、左上から右下にかけた斜めの構図、右の「降架」は、右上から左下にかけた斜めの構図でバランスする。しかもそれぞれが、「昇架」の十字架を持ち上げるスキンヘッドの刑吏の”縦”と、「降架」のキリストを支える赤い着衣の男の”縦”で安定する。その安定が絵に威厳を与えている。そして双方とも、キリストを見るマリアの顔が、何ともいえない悲しみを見る人に与える。

 一方、フェルメールの絵には躍動感や華麗さはない。静謐ともいえる日常性があるだけだ。それなのに、何がこれほど見る人の心を惹きつけるのだろうか? オランダの旅での最大の感動はフェルメールを観たことだ、という気さえした。しかも、それまで印刷物などで見てきたものとは、色彩の鮮やかさにおいて全く違い、この時ほど「本物を見なければダメだ!」と感じたことはなかった。
 フェルメールは生涯にわたって35枚の絵しか残していない。その中の4枚、「牛乳を注ぐ女」、「恋文」、「手紙を読む女」、「小路」を、アムステルダム国立美術館で観た。題名が示すとおり市井を描いた絵にすぎない。それまでの絵画の主流が、宗教画や肖像画であったのに対し、それを離れえたのは、彼が日曜画家という自由人であったからかもしれない。ルーベンスなどに比べれば絵も小さく質素に見える。しかし中身は濃くまさに質実剛健だ。そしてそこに、オランダの、プロテスタンティズムの精神による時代の変革を見ることができる。
                             


絵画の宝庫ーーベルギー、オランダ

2007-04-29 11:22:15 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 ベルギー、オランダの旅で、専らビールとチューリップに触れてきたが、この地は決して「花と団子の国」だけではなく、絵画史を彩る絢爛たる画家たちを生んだ国でもある。曰く、レンブラントゴッホルーベンスフェルメールブリューゲルファン・ダイク等々。
 九州と四国を合わせた面積よりちょっと広い程度の、この平坦な山のない国には、よい石も採れなかったので彫刻が栄えなかった。反面それだけ絵画に優れた。(新潮社『世界の歴史と文化 オランダ・ベルギー』154頁参照) レンブラントにしてもルーベンスにしても、想像を絶する写実力だ。司馬遼太郎によれば、オランダは「17世紀にレンブラントを生み、19世紀にゴッホを生んだだけでも、人類に大きく貢献した」(『オランダ紀行』岩波文庫86頁)
 旅行の喜びは、その地にしかないものに触れることだ。教科書や美術書の小さな写真でしか見たことのない巨匠の絵を、実物で見ることは大きな感動である。実物を見たとき、いつも「ああ、この絵の本物は世界に一つしかないんだ」ということを実感する。

 この地方に限らないが、ヨーロッパの絵を見る場合、宗教の影響を離れて論じられないようだ。友人のN君は宗教と絵画に詳しいが、出発前に彼が「カトリックの影響下では宗教画が多く、大型で華麗な宗教物語絵画となるが、プロテスタントの影響下では、絵は小型化し風景画や日常画が多くなる」と教えてくれた。
 ベルギー、オランダでそのことが見て取れた。カトリックの影響下にあるベルギー南部と、プロテスタントが主流を占める北部のフランデル地方からオランダにかけてとは、明らかに違う。
 カトリックの総本山ローマやヴェネツィアで学んだルーベンス(ベルギー)と、プロテスタンティズムの精神で経済興隆を目指したオランダで育ったフェルメールは、その典型かもしれない。
 長くなったので,この続きは明日。
                             
 


贅沢が文化を育てる--多彩なビールと多彩なグラス

2007-04-26 17:07:06 | 

 

 ベルギービールについて書き加えておかねばならないことがある。それは、それぞれのビールを飲むには、それぞれのグラスが決められているということだ。少なくとも数百種類はあるといわれるベルギービールの全てとは言わないが、名だたるビールはすべて固有のグラスを持っている。オルヴァルはオルヴァル用の、ヒューガルデンはそれ用の…という具合にそれぞれ酒銘の入ったグラスが作られている。だからベルギービール屋に行くと何十種類ものグラスが並べられてある。その店に置いてあるビールの種類だけグラスも備えられているのだ。
 酒を飲む器にはいろいろな形がある。単に喉を潤すだけのもの(水がその典型)は、普通のコップのように筒型のものが多い。香りを楽しむものはブランデーグラスなどのように上部がつぼまったもの(チューリップ型)であり、香りとともにコクを味わう場合は、同じふくらみでも下膨らみの容器が多い。味をたしなむものは日本の平盃型が多く、中には足がついているものもある。
 このようにベルギービールには、それぞれ個性的な味や香りに合わせてさまざまなグラスがある。実に贅沢だと思う。
 しかし日本酒でも、しぼりたてやにごり酒は青竹の筒で飲みたくなるし、山廃酛純米の燗酒には備前焼のぐい飲みが欲しくなる。また美味しい芋焼酎は薩摩切子の小さなグラスがいいし、私は元日の純米大吟醸は「九谷錦玉の青粒(あおちぶ)」平盃と決めているから、贅沢の度合いは日本も同じか…。

 酒飲みの贅沢もいい加減にして欲しいが、しかしこの贅沢が文化を育ててきた、と言えるのかもしれない。
                                                       

                                     


忘れ得ぬブルージュの夜

2007-04-24 14:37:39 | 

 

 1999年4月23日、私はベルギーのブルージュにいた。8年前の昨日のことである。
 その夜、3人の旅仲間とヘルベルグ・ブリッシングというビアカフェに行った。それは5百年の歴史を持つ店で、われわれは表現しようのない落ち着き、寛ぎの雰囲気の中で至福のひと時を過ごしたのであった。
 私はそこで初めて、トラピスト・ビール「オルヴァル」を飲み、「レフのブラウン」を追加した。仲間はグラスをかざして、静かに私の64歳の誕生日を祝ってくれた。そのくだりを『旅のプラズマ』に「忘れ得ぬ店 ヘルベルグ・ブリッシング」として書いたように、その店の不思議な雰囲気は、今も強烈に私の脳裏に残っている。

 昨夜、息子や娘たちも集まって、私の72歳の誕生日を祝ってくれた。これはまた別の喜びに満ちていたが、毎年誕生日を迎える度に思い出すのが、あのブルージュの一夜である。
                            


                                     


多彩なベルギービール

2007-04-22 14:22:08 | 

 

 ベルギーには数百のビール醸造所があり、数百種類とも千種類ともいわれるビールがあると言われている(資料によりさまざま)。一人当たりの年間消費量は約100リットル(日本の大瓶約160本分)で、日本人の二倍に近い。それでも世界で6、7位のようだが・・・(因みにトップはチェコで約160リットルと聞く)。
 隣国ドイツは、500年に及ぶ「ビール純粋令」(麦芽、ホップ以外のものを加えたものはビールと認めない)を守り続け、種類よりも純粋性を尊ぶが、ベルギーは様々な素材を加えて多様な味を楽しんでいる。
 その主なものを挙げれば以下のとおり。

トラピストTrapistビール
 中世の頃から修道院で、修道士たちによって造られてきたもので、オルヴァル0rval、シント・シクトウスSaint-Sixtus、ウェストマルWestmalle、シメイChimay、ロッシュフォールRochefortの5種が代表格。濃色で度数も高く、苦味の強い伝統的な上面醗酵ビール。
ランビークLambicビール
 ブリュッセル近郊にしか発生しない自然酵母菌と、セナ渓谷の湧水をベースに、古代から伝わる製法で、オーク樽で2年近く熟成させたビール。独特の香りと酸味を持つ。
グーズGueuzeビール
 ランビックに新酒をブレンドし、ビンの中で自然発酵するためシャンパンと同格とされている。
ホワイトビール
 醗酵途上の濁り酒のようなもので、大麦麦芽と小麦で造る上面醗酵ビール。かすかに酸味が残りドライだがしっかりした味わい。
クリークKriekビール
 サクランボやや木苺などを加えたビール  などなど。

 このように、ビールと言えるのか?、と言いたくなるほど多彩なビールを、「ムール貝のワイン蒸し」や「牛肉のビール煮」など様々な料理に合わせて飲む国である。
 私は8日間のベルギー・オランダの旅で20種類のビールを飲んだ。しかしこれなどは自慢にならない。ベルギービール・ツアーに出かけるプロ連中は、8~9日の旅で100種類を目標にしている。
 それほど多彩なビールを持つ国である。
                            
                                             


ベルギーの最初の夜

2007-04-21 19:13:33 | 

 

 オランダには、まだまだ尽きせぬ思い出(ゴッホやフェルメールなど)があるが、喉の渇く時節になってきたことでもあり、ひとまずベルギーに移ろう。
 そう、ベルギーはなんといってもビールである。先述した『チューリップを見ながらビールを飲もう』を開くと、次の記述で始まっている。

 ホテルに着くや早々に明日の準備を済ませ、一風呂浴びると12時をまわっていた。しかしどうしても一杯やりたくて、ベッドに横たわる妻を残して階下に降りていく。一階ロビーのバーには既に客もなく、当番らしいボーイがぽつねんと立っていた。カウンターの隅ではきれいなおねえさんが、ビールをちびちびやりながら帳簿の整理かなにかやっている。
 高い椅子に登るようにして掛けて、デ・コンニック(アントワープの地ビール。ベルギー・エールの代表格)を注文する。
 美味しい! 湯上りの喉をコクのある苦味が通り抜ける。
 トラピストビールはないかと問うとウェストマルのダブルがあるという。さっそく注文すると、丸いグラスにトラピスト独特の濃い赤茶のビールが、きめ細かい褐色の泡をたたえて出てきた。
 一口飲むと、麦芽の香りと柔らかいフルーティな甘味が口中にひろがる。
  ・・・・・・
 窓外に目をやると、国の重要文化財に指定されているという歴史的建造物アントワープ中央駅が、淡くライトアップされて浮かんでいた。
 ベルギー最初の夜は、こうして更けていった。
                            

                                                                                         


オランダ大使館のニシンパーティ

2007-04-20 13:47:07 | 

 

 酒はその地で本物を飲みたい。オランダではジェネーヴァの本物を飲みたいと思い続けたが、お決まりコースの短日ツアーでは思うように行かない。ついにこれぞ、というジェネーヴァにはありつけなかった。
 しかし私は、毎年一回、本物を飲む機会を持っている。
 港区芝公園にあるオランダ大使館で、毎年10月3日に大使夫妻主催の「ニシンパーティ」が開かれる。日欄協会会員である私は、それに参加する光栄に浴することができる。そこで私は、オランダ本国直送のニシンの酢漬けを頬張りながら、大使館備え付けのジェネーヴァを飲む。
 なぜそのような会が催されるか、それにはいささか説明が要る。

 16世紀の初めから、オランダは、支配弾圧を続けるスペインに対し八十年戦争といわれた独立戦争を戦ってきた。その最終場面、特に英雄的なライデン市民は、市長を中心に砦にこもり、一年間に及ぶスペイン軍の包囲を戦い抜く。長い籠城のもたらす飢餓は悲惨で、市長が「私の肉を食って戦い続けよ」と自ら命を絶ったという伝説まで生んだ。
 ついにライデン市民は、海洋国オランダらしく、自ら水門を断ち切りスペイン軍を水没させてこの戦いに勝利する。
 時に1574年10月3日・・・飢餓から開放されたライデン市民はニシンを食べあって、この歴史的勝利を祝ったという。そしてこの日は、今もライデン市最大の祭りであり、全世界にニシンを贈って自らの歴史と喜びを発信し続けているのである。
 私もそのおこぼれにあずかっているのだ。

 この話には続きがある。時のオランダ国王ウィリアムは、ライデン市民の功績を称え「向こう何年間かの税を免除しよう」と伝えた。しかし、それに対しライデン市民は、「税金は払います。それよりも大学をつくってほしい」と望んだという。
 こうして生まれた大学が、いくつか書いてきたように「チューリップを育て」「ジェネーヴァを造った」ライデン大学である。日本になじみ深いシーボルトもライデン大学の教授であった。

 ライデン市民のこのような壮大な気宇は、何によって生み出されたのであろうか?
                             


オランダの生んだ酒ジン(ジェネーヴァ)

2007-04-18 18:09:49 | 

 

 先日の「オランダとチューリップ」のブログで、「アムステルダムのバーでジンを呷りながら」チューリップの歌を聞いた話を書いたが、そのジンこそオランダに生まれ世界に広まった素晴らしいスピリッツである。
 ジンはオランダではジェネーヴァと呼ばれ、大麦麦芽、とうもろこし、またはライ麦麦芽など穀物を糖化させ、それを発酵させた液を蒸留して造るので、そこまではウィスキーなどに似ている。ただ、最後にジュニパー・ベリー(杜松の実)を浸漬して蒸留するところにミソがある。その杜松(ねず)の実が、あの独特な味と香りを生むのである。
 成美堂出版の『おいしい洋酒の事典』は、ジンの歴史を次のように記している。

 「17世紀の後半、オランダのライデン大学で医学を教えていたドクター・シルヴィウスによって始めは植民地での特効薬として、利尿作用のあるジュニパー・ベリーを浸漬して蒸留、ジュニエーブル(フランス語)という名の薬用蒸留酒を薬局で販売しはじめた。販売をはじめると、その新しい味と香りに人気が集まり、始めは薬用酒として飲まれ、その後ふつうの酒として飲まれるようになった」(同書121頁)

 こうして生まれたジェネーヴァは、オランダからイギリス国王となったオレンジ公ウィリアムスとともにイギリスに渡り、ジンと呼ばれるようになって磨かれ、そこからアメリカに輸出されて、カクテルのベース(主としてマティーニ)に使われるようになって飛躍的に広まった酒である。
 しかし、いわゆるジンは連続蒸留式による蒸留酒で、ドライ・ジンと呼ばれるように、キレはあるが一般向けの酒になった。それに反し本家のオランダ・ジェネーヴァは、大麦麦芽の使用量も多く、単式蒸留を基本としておるので(単式蒸留を2~3回行い、最後に香草類を加えて蒸留)、麦芽香も残り、重厚でコクがある。だからカクテルにしたり水で割って飲んだりすることなく、ほとんどストレートで飲まれる。
 酒はその地のものであり、その地で本物を飲むのが一番である。
                              


チューリップバブル経済

2007-04-15 13:40:33 | 政治経済

 

 前記したように、チューリップはもともとトルコの原野に野生していた花であった。われわれを案内してくれた日置さん(この人は記憶に残る名ガイドであった!)によれば、最初にトルコからチューリップの球根をヨーロッパに持ち帰ったのはオーストリアの王様であった。しかしこれがなかなか育たないので、王様はオランダのライデン大学植物科に育成を依頼した。それでもなかなか育たず、一輪でも咲けばそれは大変高く売れた。そのため農家は、こぞってチューリップつくりに励み、その球根は飛ぶように売れた。それがやがてバブル経済に発展するまでになったのである。
 新潮社の『世界の歴史と文化 オランダ・ベルギー』は、その実態を次のように書いている。

 
「異常な球根の投機熱がオランダ中を襲ったのは、1630年中ごろである。一つの球根が家屋敷や広大な土地、宝石や何十頭の牛馬と交換されるという事態は、日常茶飯事だった。しかし、貴族、商人、市民すべてを巻き込んださしもの狂騒も、1638年の価格の大暴落で幕を閉じることになる。かつては一夜にして億万長者となった人たちが、今度は一夜にして家、財産をすべて失い、自殺したり、借金とりを恐れて夜逃げしたりという悲喜劇が繰り広げられたという」(同書287頁)

 まったくつい最近日本が経験してきた事態と同じである。取引を有利に導くためには饗応は常識であり、こじれれば刃傷沙汰も辞さない、というような状況であったらしいので、この点も今の日本と同じだ。
 日本の歴史の中で、このバブル期ほど悪が露呈したことはなかった。しかも政、官、財のトップ層で、想像を絶する悪が日常化していたことは驚きであった。
 人類はいつまでこのようなことを繰り返すのだろうか?
 そんなことを考えながら、キューケンコフ公園を歩いたのを思い出す。
                             


オランダとチューリップ

2007-04-14 14:56:01 | 

 

 四月のオランダはチューリップでいっぱいだ。花だけでなく歌も歌われている。アムステルダムのあるバーに入ってジンを呷っていると明るい歌が流れてきた。「なんという歌か」と訊ねると『チューリップの歌』だという。「この時期になると、アムスっ子は皆この歌を唄う」と話してくれた。
 そのチューリップの総本山がキューケンホフ公園であろう。私はその時の旅行記に次のように書いた。

 
「・・・世に筆舌に尽くしがたいという言葉があるが、この公園は、その規模、種類の多彩さ、何よりも花の美しさにおいて、まさに筆舌に尽くしがたいものがある。それは世界中から人を呼べる力を持っている、ということだろう」

 
もともとはトルコの原野に野生していたチューリップを、観賞用に育て上げたのはオランダの功績と言ってよいだろう。というより、花までも飯の種にするオランダ経済のたくましさと言うべきかもしれない。
 しかしチューリップの歴史も、今キューケンホフ公園に咲き乱れているように美しいことばかりではなかった。オランダは、現在の日本が塗炭の苦しみを味わってきた「バブル経済」を、400百年近くも前に経験するが、それはこのチューリップに起因する。
 その話はいささか長くなるので明日に譲る。
                            


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