旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

多発するテロを憂う … 消されゆく旅の思い出

2016-03-28 15:00:25 | 

 

 次々と起こるテロ、しかも同時多発テロとして一般市民、観光客などの密集地を狙う悪質なテロに、世界中が戸惑っている。その方法が、自爆テロという防ぎようのない手段で引き起こされているからだ。イスラム系の人による仕業とはいえ、それはごく一部の人で、それらの人は何世紀にもわたり世界各地に生存し、それぞれの国籍を持って生きている。犯人を判別していくのは至難であろう。
 その根源(貧困、差別、などなど)を断つにはどうすればいいのか、を考えるほど、途方に暮れるばかりだ。

 パリでは劇場やサッカー場が狙われた。ベルギーでは空港と地下鉄だ。外国観光客を含め何十人何百人という命が奪われる。
 私はパリには行ってないが、ベルギーの思い出は深い。1999年だからもう17年も前のことになるが、美味しい食事、美味しいビール、それに、ブリュッセルの威厳に満ちたグラン・プラス(中央広場)、アントワープやブルージュの歴史の重み、など、何処を歩いても豊かな心情に満たされたことを思い出す。
 このテロの後、テレビに映されたグラン・プラスには観光客の一人もなく、中央に一人立つアナウンサーが今後の不安を語りかけていた。また一つ、良き旅の思い出が消された思いだ。
 消されたと言えばニューヨークの貿易センタービルはひどい。これはテロにより本当に消されたのだ。ニューヨークには数度行ったが、何度か同ビルに上りマンハッタンを睥睨(へいげい)した。思えばそれは貴重な経験であったのだ。何よりも、当時の旅(最後にニューヨークを訪れたのは1997年)は安全であった。地下鉄などに若干の治安上の不安はあったが、少なくとも大規模テロの不安などなかった。
 数えてみれば23回の海外旅行に行っているが(最後は2011年のオーストラリア)、いずれも「良き時代の旅」であったのであろう。今や、体力上の問題もさることながら、テロの不安を抱えながら旅をする気にはなれない。もっとも、今の安倍政治の成り行きでは、東京もいつ狙われるかわからないが…。

 
                
    庭に咲いたクリスマスローズが、玄関を飾りました


日本酒の最前線~フルネット社「日本酒セミナー2016」に参加して(つづき)

2016-03-21 13:56:34 | 

 

3.桜井博志氏(『獺祭』 を醸す旭酒造(株)の蔵元)
 今を時めく獺祭、製造石数1万6千石、その11%を輸出している世界の酒ともなった。全量純米大吟醸、今や「美味しい酒」の代表格。桜井氏の主要な発言は以下の通り。
 「美味しい酒を造れば必ず売れる。いい原料(山田錦)を磨きに磨き(平均精米歩合43%)、いい技術をつぎ込む(必要な手作業の手は抜かない)。70%精米でもいい酒が出来るはずだ、という意見があるが、その考えはない」
 「品薄に伴う“幻の酒”にはしない。5万石を造れる設備投資をした(12階建てビル完成)。山田錦の購入量を現在の15万俵から30万以上に倍加する必要あり。そのため新潟、栃木、茨城県などに生産拡大の手を打った(山田錦の全生産量60万俵以上を目指す)。
 「これらにより、日本の米産業に貢献したい。日本の食用米は750万俵と言われているので、山田錦の貢献度が増す。企業は社会の発展とともに!、がモットー」
 5万石という大量生産で今の高品質を維持できるか、に期待する。

4.新澤巌夫氏(『伯楽星』を醸す(株)新澤醸造店蔵元)
 農大を出て蔵に帰り酒つくりを始めるが、全く売れない。何故売れないかは明白、「美味しくない!、東北で一番美味しくない酒であった」と言う。そこから、涙ぐましい努力を続ける。
「全国の名だたる酒を、毎年400種取り寄せて甘辛の傾向など調べる。酒販店に出して4か月以上経った酒はすべて回収。“しぼりたて”は10日以上のものは出さない。残った酒はリキュールにするか処分する。人にあげると流通する恐れがあるので蔵から出さない」
 こうしてようやく売れ始めた時、東北大震災で蔵が崩壊、移転を余儀なくされる。そのどん底から再建を目指して、日本最高峰の磨き「精米歩合7%の純米大吟醸『残響』」に挑む。
 「香りを出さないで、米の芯だけの酒の味を求めた」という。価格3万円、海外では2500ドル、約28万円で売れているという。因みに当社の製造石数は2千石、海外輸出比率10%。

5.
久慈浩介氏((株)南部美人蔵元)
 ご存じ、日本酒の良さを「世界に発信する伝道師」として知られる久慈浩介氏。当社の製造石数3千石、うち海外輸出比率18%、世界中を飛び回り日本酒を広めている。国内にあっても、あの東北大震災で自粛ムードになったとき、「自粛などしないで、花見をやって大いに東北の酒を飲んでください」と全国に呼び掛けた。東北のおいしい地酒が全国に知られ、日本酒質の向上の契機となった。今回は、全世界で日本酒がどのように飲まれているかを、実体験に基づいて喋りまくった。その締めくくりの言葉として以下の発言だけを掲げておく。
 「日本酒は、今や世界の恋人となっている。この恋を成就させよう。そのためには、まずこの日本で大いに日本酒を愛し、飲み広めよう」

 南部美人や獺祭はもとより、磨き7%の伯楽星にしても、今や日本酒は世界の酒となりつつある。


日本酒の最前線~フルネット社「日本酒セミナー2016」に参加して

2016-03-19 13:54:54 | 

 

 大変中身の濃いセミナーであった。そしてその内容の濃さが、現在の日本酒の到達点の高さを示していることを痛感した。五つの蔵(水芭蕉、新政、獺祭、伯楽星、南部美人)の社長が、各1時間15分、実に6時間半に及ぶ講演会であった。その発言要旨を、私の理解した範囲で掲げておく。

1.永井則吉氏(「水芭蕉」を醸造する永井酒造(株)蔵元)
 氏は若いころ建築家を目指して世界を回り、まず、ロマネコンティなどワインに惹かれる。中でもシャンパーニュの美しさに惹かれるが、気がついてみれば、谷川岳と尾瀬ヶ原に挟まれた、自蔵のある川場村は、それに決して負けないと思い、この美しい自然を表現する酒を造ろうと決意した。
 酒蔵の役割と使命は何か? それは人にも問われ常に心を離れない三つの疑問――①なぜ②何のために③何を目指して、酒を造るのか? に答えることでもあるとし、氏はそれを以下に要約した。
「足元にある雄大な『自然・文化』に視点を移す。日本の自然・文化は世界最高水準。酒造りを一言でいうと『地域の自然・文化・歴史・人たちの営みを凝縮させること』、地域を伝えていくのは酒蔵の役割と使命」
 永井氏はこの思いから、「米のSAKEの乾杯酒」としてスパークリング清酒の開発に取り組む。こうして完成したのが、瓶内2次発酵による発泡性清酒『MIZUBASHO PURE』である。氏はこれを、「シャンパンのような強い酸味と甘みが少ないソフトな味わいで、和洋を問わず料理に合う」とし、将来の目標を「世界の乾杯酒を目指す」ことにおいている。

2.佐藤祐輔氏(新政酒造(株)蔵元)
 かつては協会6号酵母を生み出した蔵であるが、従来の酒造りでは衰退の一途をたどる中で、「倒産してもいいから好きな酒を造ろう」と思ったという。2012年8代目として社長に就任以来、まず全量純米酒化、続いて生もとの研究に打ち込む。以下は生もとについての氏の見解。
・酵母無添加生もと
 「伝統的スタイルの生もとであれば、酵母無添加でも空気中などに存在する天然酵母を集めて製造が(安定的に)可能になる。2014年からトライしているが今後本格的に行っていく」
・古式生もと
 「もと摺りしないため時間がかかるが、衛生的でまた酵母の力で米を溶かすため糖化率があがる古典的手法の生もとを採用。ポリ袋利用で失敗がなくなり、2016年から全量生もとへ」
・酒造りの姿勢
 「①純米酒や生もと系酒母、酵母無添加で可能な限り添加物をなくす、②食品製造に適した自然環境や,機器ではなく手作業を尊重する姿勢を貫く」
 以上の観点を述べた後、これからの取り組みとして、以下「四つの自然」とともに生きると表明。
 「自然な原料=環境に負担のない無農薬有機栽培の原料を増やす。自然な製法=生もと純米と酵母無添加をメインにして、極力、人的介入を減らした造りを行う(木桶、伝統技術を含め)。自然な環境=耕作放棄地をなくすため自社田の確保、醸造同様、農業を核とし、理想の米を求める。自然なエネルギー=自社田の近くに本社を移し、農業に活気を与え、自社エネルギーを活用」

 両氏とも、その地の自然・文化の力に視点をおき、そこに生きることで共通していた。(つづく)


うたごえ居酒屋『家路』の橋本春樹さんを偲ぶ会

2016-03-14 14:31:31 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 昨夜、橋本春樹さんを偲ぶ会に参加した。
 橋本さんは奥様のピーコさんと、37年にわたり『家路』(新宿三丁目3-9)を経営し続け、歌声を通じて日本文化の発展を底辺から支え続けてきた人と言えよう。ピーコさんは歌声喫茶『ともしび』のピアニストとして活躍してきたが、その顧客の一人であったと聞く橋本さんと結婚、『ともしび』から独立して、「うたとピアノとともだちと」をテーマに『家路』を開店した。橋本さんは、板前として、時にはベース奏者として、またその豊かな人間性を生かした顧客青手を続けながら『家路』を支えてきたのである。この2月14日で37周年を迎えることになっていたが、その直前、2月10日に前立腺がんで逝った。
 『ともそび
』は、戦後の主として若者の新しい音楽を求める要求にこたえてきた。(最近は当時の若者が老齢化し、熟年顧客が多いと聞くが)。『家路』は、サラリーマン、幅広い音楽愛好家、文化人などが集う場所として、落ち着いた雰囲気の「うたごえ居酒屋」と言えるだろう。
 しかし、あの生存競争の激しい新宿三丁目で、そのようなどちらかと言えば地味な店を続けることは大変であったろう。ピーコさんの魅力とともに、橋本春樹さんという人柄は欠かせなかったと思う。絶対に人を押しのけるような人ではなかった。絶えず人を押し上げる人であった。
 それだけに橋本さんを慕う人は多く、昨夜の「偲ぶ会」には百数十名の方々が集まった。会場となった『呑者家銅鑼』は超満員で立錐の余地もなかった。参加者の胸に去来したものは、「また一つ文化の灯(あかり)が消えた」という思いであったろう。
 因みに、「橋本春樹が愛し、もっとも橋本春樹らしい歌」として、昨夜全員合唱した歌は次の6曲であった。いずれもうたごえ史上に残り、かつその底辺を支えた歌と言っていいだろう。

 ・花をおくろう  ・小さな日記  ・あの素晴らしい愛をもう一度
 ・いぬふぐり  ・ほたる  ・Love annd Peace

    

   


オリンピック選手選考基準とは何か?

2016-03-06 16:24:22 | スポーツ

 

 マラソンのオリンピック選手選考が話題になっている。福地選手が選考レースの大阪大会で好記録で優勝したにもかかわらず陸連の内諾が出ないため、最後の名古屋にも出場宣言をしたためだ。2大会続けて出場して夏に迫った本番前に故障でも起こせば、それこそ何のための選考レースかわからなくなるからだ。
 そもそも、コースも条件も異なる複数回のレースを参考にし、順位と記録を勘案しながら本番で勝てそうな選手を選ぶなんていう選考基準では、不公平や不満が起こることは当然である。と言って一発レースとしても、その時の体調などで不運はつきものだろう。それらの不公平、不平、不満、不運を乗り越えて勝った者だけが、まさに幸運をつかむものと割り切るべきものだろう。福地選手も、名古屋で自分を上回る選手が出たらやむなし、と割り切るくらいの度量が欲しい。
 それよりも情けないのは、男子マラソンの東京大会であった。村山謙太(旭化成)を除く日本人選手は一塊になって、前を行くアフリカ勢を追おうともしない。「あれは我々とは別の世界で、関係ない人たちだ」とでも言っているようだった。これでは、世界を相手にする「オリンピック出場選手を選ぶレース」にならないのではないか? 最初から「世界のトップレベルとは争わない」というのなら、オリンピックなど目指すな、と言いたい。結果は、10分を切る選手さえ一人も出なかった。
 私はただ一人村山謙太に期待した。ついにつぶれはしたが、「最初からアフリカ勢に付くつもりだった」と言っており、2時間5分で走る練習もしてきたという。残念ながら足の豆がつぶれ、20キロを過ぎて遅れだしつぶれた。ゴールした時、右のシューズは血で真っ赤だった。あれがなくて30キロか35キロまで付いて行っていたら何が起こっていたかわからないと思っている。
 それに対し、今日のびわ湖毎日は、まあまあよかったのではないか。気温20度が予想される中で「1キロ3分2秒」と設定したペースメーカーに多くがついていき、そのぺースを上回って先行したアフリカ勢を最後にはとらえ、日本人トップは5秒差の2位入り(安川電機の北島寿典、2時間9分16秒)、続く3人の日本人選手も10分を切った(4,5,6位)。後半の追い上げと、日本人4人の競り合いは見ごたえがあった。
 もちろんこれでも世界レベルには及ばないのだろうが、何とか「世界を追う姿勢」が示されなければ、オリンピック選考レースの名に恥じる。オリンピックは参加することに意義があると割り切れば別だが。


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