旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

野川の夜桜 … 見事にライトアップされキレイでした!

2013-03-30 10:58:27 | 時局雑感

 

 昨夜は義兄に誘われ野川の夜桜を見てきました。国領駅から北に向かい野川の岸に出ると、約1キロに及ぶ両岸の桜がライトアップされており、見事な景観に圧倒されました。両岸往復約2キロ、「立ち止まらないでください」という指示のもとにゾロゾロと歩きながら、満開の夜桜を満喫しました。

 
      
 
          

  
   
 両岸とも夜桜を楽しむ人でいっぱいでした

   

 


通夜の席で初めて知った故人の愛読書…『酒は風』

2013-03-27 17:13:29 | 

 

 自分の書いた本を愛読してくれる人がいることはうれしいことだ。私は酒と旅の本を5冊ほど書いているが、いずれも趣味の世界で、人に読んでもらうというより自分のために書いたような本が多い。それを大事にしてくれて、折に触れ愛読してくれていた人がいるとすれは、まさに冥利に尽きるものがある。
 実は先夜、親戚筋に当たるH.K氏の訃報に接し通夜に駆けつけた。遠縁だが隣に住む義姉の関係者で親しく付き合った方だ。
 通夜の席に駆けつけてみると、部屋の入口に「個人の遺品」が飾られていた。驚いたことに、その真ん中に私の著書『酒は風』が置かれてあった。奥様とご長男のお話によれば、「首藤さんのこの本は本箱の一番上の真ん中にいつも置かれていて、栞も立てられ常に愛読していました。だから遺品として並べさせていただいた」とのことだ。
 この本は写真家の英伸三氏夫妻との共著で、すでに20年前に出版、私の最初の本として思い出深い。ちゃんとサインもして宛名書きまでしてあるが、贈呈した経緯や記憶も定かでない。しかしそんなに大事にしてくれたとは著者冥利に尽きる。
 ひとしきり酒や本の話になったが、ご長男の「首藤さんが参列してくれるとは思ってもいなかったが、こんな話ができてうれしい」という言葉に頭が下がった。正に通夜の話題にふさわしい話となって、人の縁というものは、どんなに大事にしてもしすぎることはないと思った。


娘の音楽教室の「ピアノ発表会」

2013-03-25 11:25:56 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 娘が音楽教室を開いており、ピアノを中心に生徒が20人ぐらいいる。ほとんどが子供で、30分の勉強時間の大半はおしゃべりしたり、おもちゃで遊んだり、また猫とじゃれているようだ。しかし2年毎に発表会を開いてその成長度合いを家族に披露する。
 昨日その発表会が行われた。音の流れはたどたどしいが、日ごろの研さんが着実ににじんでいていじらしい。娘に楽譜の音符の場所を指し示してもらいながら弾く子もいたが、それでもちゃんと両手で和音をとりながら弾いている。ピアノを弾けない私などには感動ものだ。
 数名の子が参加しないので娘に聞くと、「恥ずかしくてどうしても嫌だ」という子も2,3人いるらしく、それもまた子供らしく可愛らしいということになった。いろんな子がいていいのだろう。将来どのように伸びていくかは分からない。画一性を強要するより、個性を伸ばすことこそが教育だろう。

 発表会の新しい試みとして、娘はオペラコンサートを設けた。プロのオペラ歌手を二人連れてきて、子供と家族に生の声を聴かせた。これはみんな喜び、何よりも目の前で聞くオペラ歌手の美しい大きな声に驚いたようだ。とにかく本物の音楽に触れさせたいというのが娘の願いだ。

 今月2日付の日経新聞文化欄に、小澤征爾が『教えることは生きがい』という投稿をしている。その中で小澤は、「日本の子はオペラなんて聞いたことがなかった。ウィーンの音楽家は子供のころからオペラで育っている。差がうんとある。自分の例もあるから若いうちにオペラを教えようと思った」と書いている。
 また小澤は、「技術的なことより、音楽に対する姿勢みたいなものが伝わるとすごくうれしい。どういう音楽がいいものか、そういうことが伝わると教えがいがある」とも書いている。昨日聞いたオペラ歌手の生の声が、子供たちの将来にどのように残っていくだろうか?


春 爛漫

2013-03-23 14:22:43 | 時局雑感

 

 昨日に続き春を追いました。今日は散歩の足を南に向けて、甲州街道を渡り松沢病院と上北沢商店街の桜を堪能しました。桜は満開…、気が付けば甲州街道のケヤキも芽吹き、わが家の玄関のかいどうも花をつけていました。

  
       
              松沢病院
   
             
                            上北沢商店街
    
        ケヤキの芽吹き
  
          
          玄関のかいどうも花をつけました
             
        
 


神田川(高井戸駅付近)の桜

2013-03-22 15:50:38 | 時局雑感

 

 寒い冬が長く続いたので、暖かくなったら待ちきれずに一斉に桜の開花宣言だ。明日、明後日(土、日曜日)が満開というのでさぞや各地で賑わうことだろう。昨年より12日早く、平年より一週間ぐらい早い満開だという。
 私も待ちきれずに、散歩がてら近くの神田川沿いを歩いた。明後日日曜日の満開に備えて、8分から9分咲きというところで見ごたえがあった。快晴のもとでの見事な桜に能書きは不要、ただ堪能するのみ。

 
     
          
               
       
  
        


「震災ラブ」、「復興ラブ」に感動

2013-03-20 10:19:46 | 時局雑感

 

 東日本大震災から2年を過ぎて、その復興の遅れにいらだちを感じていた。放射能汚染土の処理一つをとっても、未だ目途が立っていない状況で、政治の貧困を感じる。
 一方、現地の人々は力強く歩き始めている。日々生きていかなければならないことを考えれば、政治の貧困や行政の遅れなど待ってはいられず、当然のことと言えるが…。

 今朝、テレビ「鶴瓶の家族と乾杯」を見ていると釜石市が舞台になっていた。震災で家族を失い、また自らも津波に流されて生死をさまよった人たちが多く出てきたが、そこには今や悲しみを乗り越えて、大らかに明るく生きている姿あった。
 その一人の女性は、津波をのがれて逃げた場所で、同じく逃げてきた男性と知り合いお付き合いをはじめ、愛を実らせてそれを「震災ラブ」と語ってくれた。そしてそのような震災ラブが、周囲にいくつも芽生えてきたことも。
 またある女性は、広島から復興支援に来てくれた広島県警の警官と恋におち、見事な「復興ラブ」のしるしとして大きなお腹を見せてくれた、その後、立派な女児を出産したという。
 あの悲惨な災害のあと、そのような愛とか恋とかに触れてはいけないような感情さえ抱いていたが、人々は確実に新たな歩みを始めていたのだ。そして時を経て、そのような話題がようやく語り合えるようになったのだ。
 ゲストの高橋尚子さんの、「心の復興がようやくスタート台に立ったという印象でした」という言葉が心に残った。

 2月25日の投稿で、「満開のわが庭の紅梅」を掲げたが、今朝気が付いてみると、梅は見事に芽吹いていた。。つい先日まで、散り遅れた小さい花びらをつけていたと思ったが……。

   
           


湯島天神、旧岩崎邸庭園、割烹『みや古』の深川めし

2013-03-17 12:08:13 | 時局雑感

 

 急激な桜の開花宣言にあわて、最後の梅を観ようと湯島天神に出かけた。三日前の湯島天神のホームページに、「夜桜ならぬ夜梅がきれい」などの書き込みがあったので、まだ咲いているのだろうと思ったのだが、さすがに見事に散っていた。桜の開花宣言を呼び寄せるようなこのところの気温上昇で、咲ききって散ったのであろう。

 
     
                わずかに散り残った湯島の梅

 そこで目標を変え、かねて行きたいと思っていた『旧岩崎邸庭園』へ向かった。湯島天神のすぐ下だ。三菱財閥の創設者・岩崎家の旧本邸である。岩崎の三代目社長岩崎久弥(弥太郎の長男)が、日本に数多くの西洋建築を残したジョサイア・コンドルに設計させて、明治29年に建てたものだ。
 これは見ごたえがあった。湯島天神の梅を埋め合わせて余りあるものがあった。

      

 午後五時を回ったので、当初の計画通り森下の割烹『みや古』に向かった。不忍池を眺め御徒町まで歩き、そこから大江戸線で森下と、これも近いものである。
 その目的は名物の「深川めし」だ。梅は最後かもしれないが、あさりはまだ旬であろうというわけだ。実は『みや古』は、三年前の「葵太鼓」の投稿(平成10年5月7日付)に、しのさんという方がコメントを書いてくれ、その中で紹介していただいた店だ。これまた一度行きたいと思いながら三年越しとなったものだ。
 大正年代開業という老舗。当時の料理をそのまま出していますというような味で、下町らしい食感であった。店の雰囲気も含め、何か垢抜けしているとか、飛び切り美味しいとかいうようなものはないが、お目当てのあさり飯にしてもアナゴの甘煮にしても充足感があった。これを庶民の味というのであろう。酒は麒麟山大吟醸。

  


久しぶりに参加した「純米清酒を楽しむ会」

2013-03-15 13:17:15 | 

 

 全く久しぶりに「純米清酒を楽しむ会」に参加した。最後に参加したのは数年以上前かもしれない。純粋日本酒協会の主催する会で、私はこの協会にはずいぶんお世話になった。
 昭和48年に全国中堅どころ15の蔵が立ち上げたこの協会は、現在も17の蔵が参加しており、春秋2回催される「純米清酒を楽しむ会」は今回で69回を数える。会則第1条に「純米醸造酒が日本民族の保持する本来の酒であり、世界に誇りうる日本伝統文化の華である」と謳ってあるごとく、一貫して純米酒の普及に努めてきた。あのアル添三増酒はなやかりし昭和48年にこの主張を掲げたところに先駆的意義がある。

 それだけに、17社の提供する純米清酒に満足した一夜であった。『招徳』、『米鶴』、『窓乃梅』など、昔から随分飲んだ酒を改めて味わった。中でも『七田』が美味しかった。私の好きな酸味の利いた酒で印象に残った。お土産が一本付く会なので帰りに七田を指名すると、中身は『純米大吟醸天山蛍川』であった。これには感激した。山田錦100%使用、精米歩合45%、日本酒度2.0、それに酸度1.6とある。ゆっくりと味わおう。
  この会の楽しみは、酒の肴が各地の珍味であることだ。中には懐かしい「鮎のうるか」(大分県日田)などあり大満足した。

 それにしても世代の移ろいを感じた会でもあった。以前会長を務められていた『招徳』の木村善美さんは昨年お亡くなりになり、息子さんの木村紫晃さんが社長を務められている。『米鶴』の梅津伊兵衛さんも『天山』の七田利秀さんもご健在であ
るが、ご子息の陽一郎さんと謙介さんがそれぞれ社長を継いでいられる。これらの若き蔵元さんたちと名刺を交換しながら懇談できたこともよかった。
 新しい時代の新しい酒の登場を願っている。
 


酒の会に期待する酒質 … アルコール・糖類添加の普通酒について

2013-03-13 10:44:49 | 

 

 昨夜ある酒の会に参加した。郷里の蔵(一社のみ)が出展するというので期待して行った。ところがそこに出されていた日本酒は「醸造アルコールと糖類を添加された普通酒」のみであった。
 アルコールを大量に添加してある原酒なので、度数は19度と高いものであったが、甘ったるくてしまりのない味で、酒の会としての観賞に耐えうるようなものではなかった。
 
 もちろん私は、酒の会にこのような普通酒を出してはいけないなどは言わない。この種の酒を好む人もいるし、価格の面でこれらを常用している人も多いだろう。
 ところで、日本酒は一貫して消費量を落しており、その減っている酒はこのような普通酒であること、その中で純米酒は一貫して伸びており、今や本醸造酒(醸造アルコールを少量添加した酒)をも抜いて、純米酒が日本酒の主流になりつつあることが今の流れである。
 そのような中で、私は故郷の蔵が純米酒も当然持って来るものと期待して参加した。その蔵は全国新酒鑑評会で金賞を何度も取っている蔵だ。普通酒も出していいが当然純米吟醸酒ぐらいは並べていいだろう。日本酒愛好家の間で、糖類添加酒はすでに過去のものになりつつある。少なくとも本醸造酒以上の酒を持参して、日本酒の酒質の向上を示すのが、酒の会の任務ではないか?(なお、費用も含めて主催者側の要請があったかもしれないので、すべてが蔵の責任とは言わない)

 何度も言うが、私は普通酒を出してはいけないなどとは言わない。何を飲むかは、コストパフォーマンスも含めて飲む人の選択に任せるべきだ。それだけに、より高い酒質を求める人々にも、純米酒や吟醸酒で応えるべきではないかと思うだけである。

  
       フルネット社のフェイスブックより


映画『レ・ミゼラブル』を観てきました

2013-03-11 09:36:11 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 たった一個のパンを盗んだがゆえに19年の刑に服す。しかも自分の飢えのためではなく妹の子供のために盗んだパンだ。再出頭の条件付きで仮釈放されるが、再びあの過酷な刑務所に帰ることを恐れ姿を消す。
 そのジャン・ヴァルジャンを、逃亡者、罪人としてジャヴェール警部が執拗に追う。年が経ち今や工場の社長、市長として、神の愛を民に施すべくヴァルジャンは生きるが、ジャヴェールもまた「神の名において罪人をこの世に放置するわけにはいかぬ」としてヴァルジャンを追い求める。

 双方が「神の名において」世と闘うところが悲しい。しかも双方とも、「俺は誰だ(Who am I?」と問い続ける。子供のころ読んだ『ああ無情』という題名が甦って心にひびく。時代背景は1830年の七月革命時のフランス。極貧層の生活はあまりにも暗い。その絶望の中から若者たちは「砦の向こうに自由がある!」と武器を持って立ち上がる。
 けーこさんから「何とも暗い」と感想が寄せられた(8日付投稿のコメント)。確かに暗い。しかしその暗い中で愛を貫こうとしたところに、この物語が150年を経て今も残る普遍性があるのかもしれない。

 改めて原作の力に頭が下がる。ビクトル・ユゴーという文豪が類まれな構想力で提起した愛の普遍性を、出演者の高い演技力と歌唱力、それとハリウッド映画の映画芸術力・特に映画技術力が見事に表現して、この名作を作り上げたのではないか?

 この映画は、文豪の最たるものシェークスピアの『ロミオとジュリエット』に題材を持つ『ウエストサイド・ストーリー』や、構想力では引けをととらないマーガレット・ミッチェルの長編小説の同名映画『風と共に去りぬ』と並ぶ作品として後世の残るだろうか?

  


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