橋下維新の会代表の従軍慰安婦発言が話題を呼んでいる。従来からの持論、本音であろうが、なぜ今急に言い出したのだろうか?
背景には、自民党安倍政権の高支持率、維新の会もこのところ高い支持率を見せていたので、これら改憲勢力が一挙に憲法改定を進めようとする動きがあるのであろう。
安倍や石破など自民党右派や、橋下や石原など右翼勢力は、彼らの歴史認識に立って「村山談話」や「河野談話」を目の敵にしてきた。表面では「内閣としてはその精神を継承する」としながらも、すきあれば二つの談話を覆し、第二次大戦における日本の海外侵攻を正当化し、従軍慰安婦問題の反省をうやむやにしようと狙っていると思える。
私はこの二つの談話は、第二次大戦に対する反省に立って、損害や迷惑をかけた近隣諸国への広範な日本国民のお詫びのしるしと思っている。それが「談話」という形をとったのは、日本がドイツなどのように「国として反省する」ことができなかったことによる。
それが談話という形にせよ辛うじて成立したのは、広範な国民意向の反映とともに、自民党の中にあってもリベラルと言われる人々(後藤田、河野、加藤(紘一)、野中、古賀などなど)が、まだ一定の影響力を持っていたからでもあろう。
それだけに貴重な談話と思っているのだが、徐々に進む国民意向の右傾化、リベラル派の退潮などの中にあって、ようやく政権中枢を握ってきた右派が、一気に自分たちの考え方を推し進めようとしているのだろう。
橋下がまずそのお先棒を担いだ。彼は持論をはきまくった。そのあまりにも低劣な言いぐさもあいまって、国民の、いや世界の反論を受けることになった。
世の中はそう甘くないことを思い知るべきだ。右傾化しつつある国民意識に一抹の不安を感じているが、第二次大戦という悲惨な犠牲の上に手に入れた主権在民主義、平和主義、人権主義などは、深く国民の中に定着している。村山談話はこれら平和主義と不戦の誓いに、河野談話はこれら人権主義に根ざしたものと知るべきだろう。
橋下は口先三寸で民意をひっくり返そうと先兵の役を引き受けたのであろうが、その饒舌が墓穴を掘ることになったというべきだろう。