旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

「戦争はイヤだ」と叫ぶオペラ … 『カプレーティとモンテッキ』

2016-04-29 12:03:35 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 「カプレーティとモンテッキ」と言えば、何か聞いたことがあるような気がするがもう一つなじみがない。これを、「キュプレットとモンタギュー」と言い換えるとグッと近くなり、キュプレット家の「ジュリエット」とモンタギュー家の「ロミオ」と言えば、誰もが知っているシェイクスピアの戯曲となる。
 もともとはイタリアのヴェローナ地方に伝わる両家の抗争を題材にした説話を、シェイクスピアが甘いメロドラマに書きあげたのが『ロミオとジュリエット』で、演劇、映画、オペラなどの題材になっており、オペラではグノーの作品が有名である。
 一方、シチリア出身の作曲家ベッリーニは、『カプレーティとモンテッキ』というオペラにした。主人公も、ロミオはロメオであり、ジュリエットもジュリエッタである。イタリア語の響きがあり、イタリア説話の真実味が伝わってくる。
 舞台は13世紀のヴェローナ、そのあらすじは以下の通り。

 教皇派のカプレーティ家と皇帝派のモンテッキ家は、代々の抗争に明け暮れていたが、闘いに疲れたロメオは、自らをロメオの使者に扮してカプレーティ家に和平を申し入れに行く。そして両家の和平の証に「ジュリエッタとロメオを結婚させる」案を提案する。実は、ロメオとジュリエッタはひそかに愛し合っていたのだ。カプレーティ家の家長カッペリオはそれをはねつけ、ジュリエッタは自派のテバルドと結婚させると告げる。悲嘆にくれたロメオはジュリエッタの部屋に忍び込み、「もう戦はイヤだ。闘いのない所に二人で逃げよう」と誘うが、ジュリエッタは「家からは出られない」と逡巡する。
 両家の闘いと混乱が続く中で、二人の理解者ロレンツォがジュリエッタに、「強い睡眠薬を飲んで死を装い、墓場で目覚めるころにロメオが墓に行く」策を示す、不安を抱きながらジュリエッタはそれに従う。…一方、ことの成り行きからロメオとテバルドは決闘に及ぶが、その場をジュリエッタの葬列が行く。悲しみにくれたロメオは墓に入りジュリエッタの死を見て、自らも毒をあおる。直後、目を覚ましたジュリエッタは、ロメオの死を知って悲しみのあまりその場にたおれる。
 駆けつけたジュリエッタの父カッペリオが、「二人とも死んでいる!? だれが殺したのか!」と問うのに対し、人々は、「殺したのはお前だ!」と、戦に明け暮れる罪を断罪する……

 実は、娘が主宰するNPO法人「オペラ普及団体ミャゴラトーリ」がこのオペラに取り組んでいる。娘は当初、このオペラに共感を抱いていなかったらしいが、演出の岩田達宗氏の、「ロメオに『戦争は人が死ぬからイヤだ!』と言わせたいんだ」と言う言葉に惹かれやる気になったと言っている。
 戦争法案にゆれる昨今の日本に、このオペラは何をもたらすのだろうか? (つづく)

  
  指揮柴田真郁、演出岩田達宗と出演者の顔ぶれ    

 


17年目に入った純米酒フェスティバル

2016-04-22 13:58:22 | 

 

 2000年春に始めたこの会も、東京だけでも年2回の開催を続け、今年で17年目に入った。今回も、昼の部、午後の部共に650人の満席で、合計1300人の人が参加してくれた。出展蔵は、他の行事との競合もあり38蔵にとどまったが、いずれも名蔵、持ち寄った自慢の純米酒は200銘柄に及んだ。いずれも素晴らしい酒で、現在の日本酒の水準の高さを示していた。私は、純米酒普及推進委員の一人として次のよに挨拶をした。
「この会も17年目に入った。第1回は2000年の春開いたが、その当時の日本酒の状況は、日本酒離れで急速なシェアーダウンを続けており、惨憺たるものだった。出荷量は1970年代半ばの170万kl強をピークに落ち続け、2000年当時は100万klぐらいに落ち込んでいた。ただ、純米酒だけが、未だ量は少なかったが着実に伸びていた。私はすがるような思いで、この純米酒普及推進運動に加わった。そして今日、純米酒を中心に、多様で高品質の酒が生まれて日本酒ブームのような現象を起こすまでになり、日本酒は百花繚乱咲き乱れている。まさに感無量です……」

 私の関係するお客さんも各方面に着実に増えて、今回も昼夜にわたりその方々と楽しい一日を過ごした。ただ、私も明日で81歳の誕生日を迎える。このような運動は、次の世代にどのような形で受け継がれていくのであろうか?

  
       
            

 私も大いにブースを回り、お客さんたちと杯を交わした。常連のお客さんたちに差し上げた純米酒Tシャツ、純米酒ネクタイも好評を博した。うれしい限りである。

  
     
          


小さな国の大統領の大きな提言 … ホセ・ムヒカ前大統領の国連演説

2016-04-15 14:08:20 | 政治経済

 

 ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領が、ご夫人同伴で日本を訪問した。さりげなく京都などを訪れ、さりげなく帰って行った。一部を除いてマスコミなどが大きく採り上げることもなかった。しかし、日本人に痛烈な言葉をいくつも残した。たとえば…、「江戸時代の日本人は午前中働き午後は芝居を見るなど文化を楽しんだ。今の日本人は、何か重大なことを見失って生きているのではないか?」など。
 この、ブラジルとアルゼンチンに挟まれた小国ウルグアイの大統領を有名にしたのは、「世界一貧しい大統領」(給与の90%を社会に寄付し10%で生活していた)という呼び名と、「国連持続可能な開発会議」における演説である。同演説は、大要つぎのようなことを提起している。
「世界の貧困をなくすということは、今ある裕福な国々の発展と消費モデルを真似ることだろうか? しかし、ドイツ人が車を持つレベルでインド人がそれを持ったら、この世に生きていくための酸素がどれくらい残るだろうか? 同じことだが、欧州の裕福な消費を世界80億の人ができる原料が、この地球にあるだろうか?」
「市場経済は無限の消費と発展を求める世界、つまり大量生産と大量消費の世界をつくり、しかもそれをグローバリゼイションの名で世界の原料を探し求める社会にした。私たちは、その市場経済をコントロールできているか? いや、そのグローバリゼーションこそが私たちをコントロールしている。とすれば、資源や貧困など現下の問題は、環境問題ではなく政治問題である」
 その上に立って、「貧乏人とは物を持っていない人のことを言うではなく、無限の欲望に駆られていくら物を持っても満足しない人のことだ」というセネカの言葉を引用し、また、「私の国は人口300万だが1300万頭の牛や1000万頭のヤギがいる。食料輸出国で、国の90%に資源が豊富だ。国民は8時間労働を闘いとり、6時間労働の人もいる」と豊かさを強調した。
 そして次のように結論付けている。
「私たちは発展するために生きているのではない。幸せになるためにこの地球にやってきたのだ。発展は人類が幸せになるためのものでなければならない。それは、子供を育て、友情や愛情をはぐくみ、そして必要最小限の物を持つこと、に役立たねばならない」

 並み居る大国の首脳たちは、この演説をどう聞いたのであろうか? オバマ、キャメロン、メルケル、プーチン,習近平…、一人づつ、十分に聴いてみたい。何よりも、安倍晋三は何か考えを持っているだろうか、聞いてみたい


さくら(つづき)・・・東大駒場キャンパスから孫の保育園まで

2016-04-07 16:37:15 | 時局雑感

 

 前回の「神田川の桜」につづき、昨日は東大駒場キャンパスと上北沢の桜を見てきた。どちらもなかなかのものだった。東大の中にあんなにたくさんの桜、なかでも見事な枝垂桜があることなど知らなかった。もっともキャンパスでは、桜など眺めているのは我々ぐらいで、みんなスポーツに精出すか、重そうな鞄を下げて足しげく歩いていた。そんな中で、東京新聞の3月28日付夕刊「文化」欄の、梅原猛氏の「漫談・マルクス経済学」という文章を思い出した。氏は、大内兵衛氏が戦後の東大経済学部でマルクス経済学を講義していたことにふれ、次のようなことを書いていた。
「…講義を聴いた学生の多くが大内氏のマルクス主義解釈を肯定する模範的な試験答案を書いて優秀な成績で卒業し、あるいは官庁に、あるいは大企業に入り、戦後の日本資本主義の発展に大きく貢献したのである。学生たちは、(中略)大内氏の講義をただ単位を取るために聴く漫談とでも考えた
のであろう」
 明治政府が官僚を育てるために創立したといわれる東大に学ぶ学生が、そのエリート意識とともに様々な学問を身に着け、卒業後官庁と大企業に進んだのは当然だろう。特に戦後の日本資本主義成長期においてのことだ。そのことをもってマルクス経済学を「漫談」と表現するのは、大哲学者としては少し水準が低いのではないかと感じた。
 因みに、最近存在感を増してきた日本共産党の基礎を築いた宮本顕治、不破哲三、志位和夫各委員長は、いずれも東大卒である。しかもマルクスは、資本主義が十分に発展し、その成果を持って次の社会は築かれると説いており、戦後の東大卒業生が築いてきた日本資本主義が爛熟期に入り、いよいよ矛盾が出てきたことを見ると、共産党の成長もあいまって、マルクス経済学も「漫談」では済まされないのではないか?
 桜を見るには難しいことを考えながら、キャンパスを出て池ノ上まで歩く。途中に国際高等学校というのがあり、満開の桜の正門から数名の高校生が出てきた。楽しげにしゃべっているので聞くと言葉は英語だ。面白そうに笑っていたので、彼らは英語で冗談が言えるのであろう。
 英語と言えば、孫の遥人が生後11か月で英語を使う保育園に入った。今問題の保育園不足で、永福町に住みながらわが住居の八幡山にやっと無認可保育園が決まった。4月1日入園というので赤飯を炊いて祝ってあげた(もっとも本人は未だ食べられない)が、聞けば、その保育園は半分は英語を使用しているという。遥人の所有物入れもHARUTOとローマ字表示だし、帰る時も「さよなら」ではなくて「See you again」とか言ってたらしい。
 遥人はまだ日本語の片言も話せないが、1年もすれば英語をしゃべり始め、それに答えられない爺(じじい)は馬鹿にされるかもしれない。困ったものだ。いや、素晴らしいことかもしれない。
 桜の花も、心を落ち着かせてくれることばかりではないようだ。

       


やっと桜のシーズンがやって来た

2016-04-02 15:54:00 | 時局雑感

 

 今年はテレビ放送でやたらに桜情報が多かったような気がする。いやなニュースが多いので、せめて桜シーズンが早く来ることを祈ったからだろうか? 暖冬予想だったが意外に寒い日が続いたりしたので、これも桜を切望する原因になったのかもしれない。
 そして、私としては意外なことから「市ヶ谷、飯田橋土手の桜」を何年振りかで眺める機会に恵まれた。妻が白内障の手術で逓信病院に3泊4日の入院をすることになったからだ。入院日の3月28日はまだ3分か5分咲きであったが、退院日の31日はほぼ満開になっていた。

 
   
        
     以上が、3月28日の「市ヶ谷の桜

  
         31日の逓信病院前の桜

 今日(4月2日)は、「格段によく見えるようになった」と言う妻と、高井戸駅周辺の神田川を散歩した。こちらはほぼ満開に近かったが、残念ながら曇りでうすら寒く、この分ならまだ一週間はもつのではないかと思われた。

     
 
    
      

  


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