旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

富裕層と平民の格差

2012-05-30 14:50:55 | 政治経済

 

 米アップル社の最高経営責任者(CEO)ティム・クック氏が、同社から受け取れる株式配当金約60億円の受け取りを辞退したというニュースが、26日付日経新聞夕刊に載っていた。背景に高額報酬への批判を避ける狙いがありそうだと記されてあった。
 配当金60億円という額にも驚いたが、クック氏の昨年度の報酬は約300億円というから、これまた浮世離れした金額である。年収300億円というのは、半分税金で持って行かれたとしても、毎日4千万円は使えるような額であるので、別途60億円の配当金がなくてもどうということはないだろう。このような人たちの生活意識や生活内容は、いったいどうなっているのだろうか?

 アップル社は、iphoneやipadを世に出し、今をときめく会社だ。スティーブ・ジョブスズは類まれな発想力を持ち、ティム・クック氏はその発想力とイノベーションを支えてきたのであろう。だから彼らにどんな富が集積しても文句は言えないのかもしれない。
 しかし、その発想の産物を商品に作り上げ、それを世界中に売りさばくには、下請けも含めた何万、何十万という生産者と販売員が必要だ。ジョブズとクック氏がいかに優秀でも、何億の商品を作り売りさばくことはできない。しかしそうして得た結果の富はアップルという企業に属しその所有者(株主)のものとなる。富は購入者も含めて社会的に生産・販売される中で実現するが、それは一企業(つまりその株主)のものとなる。
 そして、それを生産した多くの生産者も含めた平民と、企業を所有する一部富裕者との間に大きな格差が生まれる。クック氏は60億円の配当を辞退したが、それは社会に還元されたわけではなく、アップル社企業内に蓄積されたままだ。
 これこそが資本主義の魅力で、ドリームを育て面白いのだ、というのだろうが、それにしてもどこまでも広がる格差を放置していてよいのだろうか、と心配になってくる。(文無しのひがみかもしれないが)


ふるさとの鮮魚に舌つづみ

2012-05-27 12:31:20 | 

 

 臼杵に帰る楽しみの一つは新鮮な魚にありつけることだ。釣り名人の友人Mさんが、今回も釣ったばかりの鯛を持って来てくれた。私の帰郷を弟に知らされたMさんは、さっそく臼杵湾に舟を漕ぎ出してくれたのだ。これは恒例になってきたので何とも申し訳なく思っているが、そう思いながらいつもMさんに甘えている。
 今回もピチピチ跳ねる鯛を持って来てくれて、その場で三枚に下してくれた。その手つきたるや見ていてほれぼれするばかりだ。左利きのMさんにとって、右利き用の我が家の包丁(平たい面と膨らんだ面がさかさま)は若干扱いにくいようであったが、それをものともせず見事に下ろし、中身の骨部分や頭は豪快にたたき切って吸物用にしてくれた。

       
  
   三田村さんの見事な包丁さばき

 刺身も、義妹が皮付きのものと身だけのものの二種類をつくってくれ、それにアジやキビナゴなどをそえて見事に盛り付けてくれた。酒は「一の井手」純米酒をはじめ地元の地酒、文句ない一夜でありました。
 
    


阿蘇高岳のミヤマキリシマ、久住高原の露天風呂

2012-05-26 13:43:49 | 

 

 高校同期生喜寿同窓会に帰ったついでに、ふるさと臼杵の旧家(弟が在住)で寛いだ。そして思いがけずも阿蘇を訪ねる機会を得た。阿蘇には何十回も行ったことがあるが、当時(昭和二、三十年代)は、バスで三重に出てそこから本数の少ない豊肥線列車で出向いた。四、五時間は必要だった。しかし、いまは高速道路が完備され二時間もかからない。早ければ一時間半で行けるという。
 一瞬信じられなかったが、朝食後ひと休みして9時前にわが家を出発した車は、弟の運転で快適に走り、11時にはミヤマキリシマが咲き誇る高岳中腹の仙酔峡に立っていた。久しぶりにまじかに見る鷲ヶ峰とミヤマキリシマが調和して美しかった。
 
 仙酔峡を堪能したのち、車は外輪山に出て久住高原に向かう。外輪山城山展望所から阿蘇伍岳を振り返ると、昔から言い伝えられた「女性(仏?)の寝姿」が懐かしく横たわっていた。

 

 
女性の寝姿の阿蘇五岳(左の根子岳が顔、真中の高岳が胸…)

 昼食を済まし車は緑の久住高原をすっ飛ばす。野焼きした後の柔らかい緑の高原がどこまでも続き、今度は久住の山々(九重山、大船山など)がぐんぐん近づく。これまた懐かしい山々で、何度登ったことだろう。その久住山塊を背に、湯舟から遠く阿蘇五岳を望む“高原の露天風呂”に浸かった。露天風呂からそのまま続く草原を素裸で歩いたりして、おいしい空気を満喫した。これ以上の幸せはないと思った。
 
 久住高原の露天風呂から阿蘇根子岳を望む
 (このほか草原から根子岳を眺める素裸写真があるが、
    風紀上掲載は慎む)     

 4時過ぎには我が家に帰りついたので、阿蘇も久住も本当に近くなったのだ。阿蘇の写真だけでは悪いので、最後に久住山の写真を。

  


臼杵高校昭和29年卒業生「喜寿同窓会」に参加して

2012-05-25 14:13:46 | 時局雑感

 

 昭和29((1954)年、大分県立臼杵高等学校を卒業したわが同期生は、227人であった。うち死亡が確認されている方が36名で卒業者名簿には191人が載っている。そのうち住所不明者が9名いるので、今回の同窓会に参加を呼びかけた対象は182名であったという。その中から181名の回答を得て、実に出席者は78名であった。
 この生存率84%(住所不明者が全員死亡しているとしても80%)が、77歳にして高いのか低いのか知らない。また、対象者182名のうち、わずか1名を除いて回答を回収し、主席率43%にあたる78名の参加を得たことが、この年代にしてどうなのかも分からない。しかし直感的には、相当な高水準ではないかと思った。それは、集まった78名の元気な姿と、5時から始まった一次会に続き、8時からの二次会(カラオケ大会)に33名が参加、9時から12時までの三次会にも18名が参加、加えて翌日、朝9時半出発のバスツアー(安心院ワイナリー、宇佐歴史博物館見学、豊後高田昭和の町散策)にも27名が参加した事を見て実感したのである。

 私はこの会で、光栄にも卓話を仰せつかった。開宴に先立ち5時から30分、「旅のプラズマこぼればなし」と題して話をさせていただいた。私が5年前の旅行記『旅のプラズマ』に続いて、昨年秋にその『パートⅡ…世界の酒と日本酒の未来』を出版したことに端を発したことである。前述したように元気であるとはいえ高齢者が対象であり、かつ趣味や生き方に相当な差があること、また「女性も多いので酒の話ばかりではダメ」という制約も付けられていたので、話としては結構難しく十分な話はできなかったが、既に60年前になる高校時代を振り返り、特に素晴らしい教師陣に恵まれたことを回想したことは、参加者と当時の思い出を共有できた様だし、最後の「酒はその地を吹く風(文化)であるので、大いに各地に出かけその風を飲もう」という呼びかけも、それなりの共感は得たようであった。

  
 
    右が幹事長の陶山直世君

 幹事は「今回で同窓会は終わり」と思っていたらしいが、今回の元気な姿に、「3年後にもう一度…」ということになったらしい。さてどうなることやら。


目黒の「自然教育園」を歩く

2012-05-20 18:28:17 | 時局雑感

 

 昨日、昔の銀行仲間と連れ立って「国立科学博物館付属『自然教育園』」に行った。目黒駅から徒歩7分、こんな都心にこのような静かな森があろうとは知らなかった。広大な土地に巨木が茂り、武蔵野を歩く気分であった。この種の庭園等は、ほとんどがきれいに手入れされているので、人工的、箱庭的なものが多いが、ここは自然のままに放置することにより、樹々や草木の代謝、動物や鳥類による自然の掃除が行われているようで、まさに、かつての武蔵野はかくありしか…という感があった。
 聞けば、江戸時代は松平讃岐守の下屋敷であったそうで、その後、明治に入って海軍の火薬庫、大正時代には白金御料地と姿を変え、ようやく昭和24年に全域が天然記念物および史跡と指定されて一般公開されたようだ。(同園パンフレット) 
 快晴無風の好天に恵まれ、久しぶりにおいしい空気を満喫した。
 
        
  
    
 
  きれいに並んで記念撮影

 歩き終えて、目黒駅近くのスペイン料理屋「カサ・デ・フジモリ」で会食。これがまた素晴らしい店。最初の「パンに生ハムをのせてオリーブオイルに浸けて食べる」絶品に始まり、店主の能書きも加って歓声をあげながらの食事でした。結構でした。

 (追伸)明日から臼杵へ帰郷します。臼杵高校昭和26年卒業生による「喜寿同窓会」です。しばらくブログもお別れ。


歌いつがれた日本の心・美しい言葉⑦ … 『お家忘れて』

2012-05-18 16:47:47 | 文化(音楽、絵画、映画)

  

   お家(うち)忘れた 子雲雀(こひばり)は
   ひろい畑の麦のなか
   母さんたずねて ないたけど
   風に穂麦(ほむぎ)が  鳴るばかり

 この歌は春の歌に属するかもしれない。雲雀は典型的な春の鳥であるからだ。冬のとばりを破り陽光が明るさを増してくる頃、一段と高くなった雲までとどけと舞い上がる雲雀の姿は、まさに春の風物詩である。
 一方、この歌の舞台は麦畑である。しかも穂麦が風に鳴る頃は麦の収穫期、それは初夏の時節である。麦は越年草で、寒い冬の麦踏に始まり春に成長し、収穫されるのは初夏である。従って麦の季題は夏となる。(雲雀は春であるが) また、稲などの収穫期の秋になぞらえて麦の収穫期を麦秋と呼ぶが、それは24節気の小満(今年は5月21日、それから6月5日の芒種の前日までをいう)の末項の時期をさすというので、まさに今からの時節である。そうなるとこの歌は初夏の歌といえる。
 昔の日本農業は二毛作を基本とし、夏から秋にかけて稲を育て、そのあと麦を育てていたので、今頃は一面に黄金色の麦畑が打ち続いていた。今は麦をつくることが少なくなり、麦畑を見ることが少ない。2009年の今頃、長崎を旅したとき筑紫平野に広がる麦畑を見て懐かしく思ったことを思い出す。

 
  麦秋の筑紫平野

 雲雀は冬鳥で、冬に南下して日本各地で過ごし繁殖する。生まれた子供もようやく育ち、親鳥を見習って空に舞い上がるが力尽きて舞い降り巣に戻ろうとする。しかしそこは何処までも広い麦畑…、自分の巣を見つけることもできずに母を呼ぶも、返ってくるのは風に鳴る穂麦の音ばかり。2番の歌詞の「お家忘れたまよい子の 雲雀はひとり麦の中 お山の狐はなかぬけど 暮れてさみしい月あかり」に至ってはいよいよさみしく、言い知れぬセンチメンタリズムが漂う。
 鹿島鳴秋作詞、弘田龍太郎作曲。この二人はこのほかにも、名曲『浜千鳥』をはじめ、『金魚の昼寝』や『お山のお猿』など親しまれた童謡を数多くつくっている。


ビールは何処に行くのか(つづき)

2012-05-14 11:04:52 | 

 

 昨日に続き、ビールの中身の変貌に触れる。
 本来ビールは、麦芽、ホップと水を原料として発酵させた醸造酒である(『ドイツビール純粋令』など)。ところが日本の酒税法は、麦芽とホップの他に「法令で定める原料(米、とうもろこし、こうりゃん、馬鈴薯、でんぷん、糖類、着色料としてのカラメル)を加えていいことになっている。エビスやサントリーモルツなどは麦芽とホップだけだが、その他のビールの大半の原材料は「麦芽、ホップ、米、コーン(とうもろこし)、スターチ(でんぷん)」となっている。もちろんその他の原料には制限があり、「麦芽の重量の100分の50を超えないこと」となっているので、逆に言えば「麦芽比率67%(3分の2)以上」のものがビールといえる。そしてビールには、価格の50%近くが税金という高い税率がかけられてきた。
 ビール業界は大手4社を中心に激烈な競争が行われており当然価格競争となるが、半分は税金では価格の下げようがない。そこで何とか高い税率を免れる方法はないかと検討されたのが、「ビールの味を出来るだけ損なわずビール税率を免れる」ことであった。つまり麦芽比率を67%以下にすることで、こうして生まれたのがサントリーの「ホップス」(麦芽比率65%)やサッポロの「ドラフティー」(同25%)などである。これらがいわゆる「発泡酒」と分類されビールの高税率を免れた。味もコクもイマイチであっても国民は低価格に流れて行ったのである。
 価格競争はなお続き、2003年頃から生まれたサントリーの「スーパーブルー」などは、発泡酒にスピリッツを加えたものであるから、最早醸造酒ではなく「リキュールニ」に分類され、その後は麦芽自体も使わないビール風飲料が次々と現れた。すなわち麦芽の代わりに“エンドウたんぱく”を使用したサッポロの「ドラフトワン」、“大豆ペプチド”を使ったアサヒの「しんなま」、「ぐびなま」、“大豆たんぱく”を使用したキリンの「のどごし<生>」などである。これらが「第三のビール」と呼ばれるもので,これらはとてもビールとは呼べないので酒税法では「その他の醸造酒」に分類されている。
 前述(昨日)したように、ビールと発泡酒と第三のビールを合算すると、従来の消費量を維持している。しかし日本人の飲むビールの中身はかなり違ってきているのである。
 
 こうして、麦芽とホップと水を原料として発酵させた醸造酒として数千年の歴史を誇ったビールは、ついに核心とも言える麦芽からも離れていこうとしているのだ。かてて加えて昨日書いたように、ついにアルコールをも除去して、ただ「ビール風味」のみを残す飲料までも現れてきたのである。ビールは何処に行くのか…、と思わざるを得ない。
 もちろん、何を造ろうが、何を飲もうが自由である。ただ、これほど本体から遠く離れたものを、なおビールと呼ぼうとするところに、いったい何があるのかを考えているのである。


ビールは何処に行くのか … ビール風味飲料増産記事に因んで

2012-05-13 12:36:31 | 

 

 立夏(5月5日)を迎えたが、竜巻やヒョウが降ったり、北の国では雪が降っていつまでも寒い日がぶり返す。しかし合間をぬって覗く日差しは本格的な夏の近いことを告げている。そしてこの時期、一番飲みたくなる酒はビールである。
 そんなことを考えていたら、今朝の日経新聞一面に「ビール風味飲料 若者・女性つかむ アサヒやサントリー増産」という記事が載った。それによると、アルコール度数ゼロのビール風味飲料、つまりノンアルコールビールに、「運動後に清涼飲料水代わりに飲むなど、酒をあまり飲まない若者や女性が注目」しており、各社が増産計画を立てているという。アサヒビールが同社のノンアルコールビール「ドライゼロ」を33%増産計画、サントリーが同「オールフリー」を30%、キリンビールが同「フりー」を10%、サッポロも黒ビール風味の同「プレミアムアルコールフリー ブラック」を追加して20%増産するという。

 本来のビールを「麦芽、ホップ及び水を原料として(その他の政令で定める物品を原料として)発酵させたもの」(酒税法)、いわゆる醸造酒と定義するならば、アルコール度数ゼロのものをビールと呼べるのだろうか? ノンアルコールのものを酒と呼べるのだろうか? そうまでしてビールと呼びたい何があるのだろうか?
 そもそも世界で一番飲まれている酒類はビールである。日本でも同じで、(発泡酒や第三のビールなどを含めると)日本人の飲んでいる酒類の約70%はビールである。戦後急速に伸びて、昭和34年には清酒を抜いてトップに立ち(シェアー39%)、平成5年頃には7百万kl(キロリットル)に達しシェアー72%を占めた。ただその翌平成6年、第二のビールともいうべき「発泡酒」が参入、平成16年には「第三のビール」が発売され、この両者が従来のビールのシェアーを食っていった。しかし三者を合わせたいわゆるビールの総量(総シェアー)はほとんど変わらない。つまりビールの一部が発泡酒や第三のビールに代わっていったのである。
 そこへまた「アルコール度数ゼロのビール風味飲料」の登場だ。いったいビールの中身はどうなっていくのだろうか?


歌いつがれた日本の心・美しい言葉⑥ … 『夏は来ぬ』

2012-05-11 14:12:09 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

    
    卯の花の におう垣根に 

    時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて
    忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

 卯の花というのはウツギの花のことで、昔は田舎の家の垣根や境界線に植えられていたブッシュ状の木で白い花が咲いていた。都会ではあまり見かけない。近くにそれらしい木が石塀から覗いている家があるが、時鳥の来る雰囲気ではない。今も田舎に行けばたくさん植えられているのだろうか? ほととぎすは夏鳥で、5月の中旬ごろ南から渡って来て、その最初のころの鳴き声が「しのびね」と言われているので、まさに今の時節の歌である。

     
     ウツギ 目黒の自然教育園にて5月19日撮影

 しかし、ウツギの白い花は記憶にあるが、ホトトギスの忍音を意識して聞いた覚えはなく、人家のウツギの垣根に本当にホトトギスが来ていたのだろうか? ホトトギス
は鶯に托卵するといわれているが、確かに鶯の鳴き声はちょっと田舎に行けば聞いていたので、ホトトギスも来ていたのかもしれない。いずれにせよ都会にあっては今はなき情景である。
 ただ、子供のころからこの歌ははよく歌ってきた。正確な意味はほとんどわからずに…。卯の花をウツギの花と知ったのはかなり後になってであったし、「におう」は花の匂いと思っていたがウツギの花は匂わないので、この「におう」は「咲き誇っている」というような意味であろう。忍び音」もよくわからず、「はやもきなきて」に至っては「早くも来て鳴いている」とは思っていたが変な言葉だなあと思い続けていた。
 しかし、正確な意味はわからずとも、夏の始まりの情景を常に頭に浮かべながら歌った。。この歌は5番まであるが、いつも2番ぐらいで終わり、その先はあまり覚えていなかった。2番の「五月雨のそそぐ山田に 早乙女が裳裾ぬらして 玉苗植うる夏は来ぬ」というのも、実に美しい情景として思い浮かべながら歌った。その点では、言葉の正確な意味は分からずとも、歌の趣旨は子供心に完全に生きていたのであろう。それを名歌というのであろう。

 名歌のはずで、作曲は明治の音楽教育の大御所、日本教育音楽協会初代会長小山作之助、作詞は、明治から昭和にかけての日本国文学の重鎮佐々木信綱である。何とも重々しいご両名の名を聞いただけで、この歌の深みが思い知れる。今の子供たちには、いよいよ聞きなれない言葉ばかりと思われるが、しかしこの歌も永く歌いつがれていくであろう。
     

見る見る緑濃くなった甲州街道のケヤキ 
 


 
     


仏大統領選とギリシャ総選挙の結果

2012-05-09 20:16:40 | 政治経済

 

 フランス大統領選で現職のサルコジが破れ、ギリシャ総選挙で与党が敗北した。サルコジもギリシャ与党も、EUの要請を受けて財政立て直しを約束してそれに取り組む途上であった。両国国民は、その緊縮財政政策にノーを突きつけたのである。
 考えてみれば両国国民の気持ちはよくわかる。1980年代以降、新自由主義の吹きすさぶ中、資本主義各国は富の一部集中と貧困層の増大を招いた。国の数%に巨大な富が蓄えられその対極に広大な貧困層が蓄積された。アメリカのウォール街やロンドンの都心部にデモが起こり、そのスローガンは「1:99%!」というものであった。1%に巨大な富が集積し、「おれたちは貧困にあえぐ99%だ!」と叫んでいるのだ。
 その貧困層の上に国は緊縮財政で臨むという。最後の頼りの政府が福祉や生活補助などを切り詰める緊縮財政で臨むとなれば、国民の行き場はない。二つの選挙の結果は当然ではなかったか?
 ところで、緊縮財政をとらないで国の財政破たんをどう処理するのか? もはや手はないのである。日本も同じ状況に立ち至っている。国民は貧困にあえぎ国の支援を求めている。しかし国にその金はない。その中で野田内閣は破れかぶれで消費増税を掲げ、貧困層に負担の大きい大衆課税(消費税)に打って出た。フランスやギリシャと違って日本国民は黙っているのだろうか?

 日本共産党がユニークな提案をしている。
 「どこにも金がないようだが、唯一大企業が260兆円の内部留保をため込んでいる。ここは一番、この金の一部をを国民経済に還元してもらおう。たとえば賃上げ(特に最低賃金の大幅引き上げ)や下請け零細・中小企業への単価の切り上げなどでこれを還元、そうすれば需要が喚起され経済は上向く。やがてそれは大企業にも跳ね返へるし、好況になれば国の税収も上向く」 
 確かに、260兆円の10分の1でも還元されれば、日本経済には多大な好況感が生まれるだろう。しかし、それはきわめて難しい。資本は絶対にそれをしないだろう。「せっかく儲けた財産をそう易々手放すわけにはいかない」――これが資本の性(さが)というものだ。究極的には自らの首を絞めることになっても富を手放すことはしない! これが資本というものであろう。
 さてどうすすればいいのか? 


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