旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

情緒ある坂の町・・・杵築

2010-04-29 17:08:28 | 

 

 日出町で城下カレイを食べる前に杵築市を回った。

 杵築は、木村頼直が応永元(1394)年に築いた木村城の城下町、その後松平氏の入城で杵築城と改められ栄えた。町には北台と南台と呼ばれる台地が二本東西に走り、その台地の上に武家屋敷が並ぶ。そしてその間の低地(谷筋)が商人町となっている。つまり「北台武家屋敷」と「南台武家屋敷」に挟まれて町が栄え、「サンドイッチ型城下町」と呼ばれている。
 したがって、武家屋敷と商人町をつなぐものは坂である。商店の並ぶメイン通りを歩くと、左右に次々と坂が現れる。私たちは、綾部という味噌屋の手前から左に「酢屋の坂」を上り北台武家屋敷を歩いた。大原邸などを見学しながら進み、「勘定場の坂」を下りそのまま杵築城に上った。

 
            酢屋の坂
     


          勘定場の坂

 杵築城は桜が満開、そこから眺める別府湾も波静かで心が和んだ。城を降りて再び商店街を引き返し、今度は酢屋の坂の反対側の坂「志保屋の坂」を上り、南台武家屋敷の一角にある展望台より杵築城を遠望した。結構な眺めでした。
 杵築は坂を歩けばいいのではないか。その日(45日)は好天に恵まれたが、むしろ小雨でも降ったほうが情緒があってよいかもしれない・・・、などと贅沢な想像をめぐらしながら歩いた。

 日出町については「城下カレイ」のことしか書かなかったので、“日本一の大蘇鉄”のある松屋寺(しょうおくじ)の写真を掲げておく。松屋寺は藩主木下侯の菩提寺で、蘇鉄(高さ6.4m、株元周囲4.5m)もさることながら、宝物殿などは見応えがあるので特記しておく。加えて、城下カレイの顔写真も掲げておく。あの美味しさから想像できない獰猛な顔である。

  

   
          城下カレイ


日出『幸喜屋』の「城下カレイ料理」に満足

2010-04-28 11:21:14 | 

 

 4月も余すところ3日となった。今月の思い出の一つに「杵築・日出の旅」(4月5~6日)がある。中でも待望の「城下カレイ」については書き残しておく必要があろう。母の一周忌で臼杵に帰り、そのついでに立ち寄った日出のカレイのことを、臼杵で食べた自慢の「ふぐ本格コース」をさておいて書いたのでは弟をはじめ臼杵の人が怒るかもしれないが、ふぐについては文句なしに絶賛し続けているので、たまに食べた城下カレイに触れても許していただけるだろう。

   
              メニュー

 既に予約済みの幸喜屋さんに着くと、「お待ちしていました」と“松の間”に通された。ゆったりした個室で、庭の佇まいも静かな趣・・・。まず酒の銘柄を尋ねると杵築の『智恵美人』純米酒、早速注文すると、300mlの小瓶が運ばれ、予約の「城下カレイコース」として次々に出された料理は以下の10品であった。いずれも器はカレイの形。

・刺身(肝、カボスつき・・・カボスは少々小さかったが)
・黄味酢和え  ・吸物   ・南蛮漬け  ・まき揚げ
・みそ、カレイの卵塩づけ   ・煮つけ  
・唐揚げ   ・にぎり   ・カボスゼリー

 
    刺身と純米酒「智恵美人」
    
   
               煮つけ

 刺身で美味しい純米酒を飲めばそれで結構・・・、と思っていた私には多すぎるほどの料理であった。その刺身はもちろん、煮つけとにぎり寿司は絶品であった。カレイの煮つけは昔から好きであったが、改めてその美味しさを実感した。寿司もいい。こんど空港への途中、お昼などにふらりと立ち寄るときは「寿司コース」にしようと思う。   

 

 
            寿司

 いろんな揚げ物で骨から皮まで、要するに城下カレイを丸ごと食べて御代は8.300円。大変に結構でした。お酒の「智恵美人」も冷からお燗まで飲んで文句なし。

       

        


後期高齢者となって2日目・・・

2010-04-25 14:10:41 | 時局雑感

 

 実は一昨日の23日は、75歳の誕生日であった。ちょうどその夜は山形県新酒鑑評会へ参加の予定があったので、ワイフは気を配って昼食に赤飯を用意して誕生を祝ってくれた。その夜は、鑑評会で一緒になった純米酒普及推進委員会のT氏とN氏が祝ってくれて夜中まで飲んだ。昨日は娘が来て、昼から手巻き寿司などやりながら「誕生日流れの会」となった。
 しかし、この75歳の誕生日は何だかしまりが無かった。だいたい本人に一番やる気が無い。この齢になれば、最早誕生日などおめでたくもなんとも無いことは当然であるが、それにしてもこの誕生日はピンと来ないものがあった。
 その原因の大半は「後期高齢者制度」の発足にある。年寄りを一定の年限で区別して、あえて「後期」と名称づけるなんてとんでもないことだと思う。そのような齢を迎えて歓ぶ人間がいるだろうか? しかも役所からは分厚い『高齢者のしおり』なるものが送られてきて、病気になったらどこへ行け、介護を要するときはここへ電話せよ、と死ぬ準備ばかり書いてある。『しおり』には、さすがに人気の悪い「後期」という言葉は使っていないが、受ける方は「お前は今日から“後期”だぞ」と言われてように見える。
 もちろん、役所としては善意で送ってくれているのであるが、前自民党政権の残した悪政の典型に思えて、つい余分な愚痴を叩きたくなるのだ。民主党はこれを改廃する政策を掲げて登場したが、一向にその気配が見えないので、これも同じ穴のむじなかと思えていっそう暗くなるのだ。

 まあしかし、年寄りの悪態は何よりも嫌がられるので、すべて目をつむって自分の道を生きよう。「後期2日目」の今日も快晴。庭のハナミズキは最盛期を誇る。これからワイフと出かけて美味しいものでも食べる計画だ。75年を振り返りながら・・・。

  


山形県新酒鑑評会に参加して

2010-04-24 15:45:44 | 

 

 21日の栃木県に続き、昨夜は山形県の新酒鑑評会に参加した。こちらは、山形県の43蔵だけでなく、東北各県と新潟の58蔵、その他全国の友情蔵63蔵の、全国新酒鑑評会への出品酒を中心とした酒が並ぶ鑑評会である。
 豪華絢爛であるが、あまりに多すぎて目移りするくらいで、一堂で全国が飲める楽しみはあるが山形の酒だけに絞ってやった方がいいのではないかと思った。山形は名酒が多く、各蔵が様々な酒を持ち寄れば、それだけで日本最高級の鑑評会に十分なれる。
 昨年までとは違って今年から「座席、料理つき歓評会パーティ」となり、立派な料理に歓びながら美味しい酒を楽しんだ。先月、「十四代」、「出羽桜」、「米鶴」、「東光」の四つの蔵を見学させていただいた直後でもあり、改めて山形県の酒のよさを感じた夜であった。もっとも、「十四代」はアッという間に品切れとなったようで、私がブースに立ち寄ったときには既に無かった。人気の凄さは驚きと言うほかない。

 「歓評会パーティ」に先立ち、山形県米沢出身の漫画家ラズウェル細木氏の「日本酒と肴 美味しい関係」と題する講演があった。内容としては、日本酒の話というより「酒全般と料理の相性」を、自らの晩酌を紹介しながら披露したものであった。
 氏の晩酌は、仕事を終えた夜の10時から明ける1時まで3時間に及ぶそうで、まずビールに始まり日本酒(冷や)、日本酒(燗)、料理によってはワインと続き、食後のデザート時には焼酎、グラッパ、ウィスキーなどで終わるという。しかもその間、それぞれにあわせた酒肴は自ら作るというから立派なものだ。昼間にスーパーで買い集めた食材を材料に、それぞれの酒に合わせた料理を作り晩酌を続けるわけで、3時間かかるわけだ。
 私などには考えられないことだ。氏は現在、お嬢さんと二人暮らしというが、今年大学に入ったお嬢さんは一切料理を作らず、小学生のときから氏の作る料理で育てたそうだ。朝6時起床、8時まで家事、そこら仕事にかかり昼食、昼寝をはさみ午後10時まで仕事、その間はもちろん一滴も飲まずひたすら10時からの晩酌に思いをかけて仕事を続けるという。
 ご自慢の酒肴のレシピなどもいろいろ紹介されたが、それらは氏の漫画『酒のほそ道』などにお任せするとして、何よりも氏の「一日の生活」自体が面白かった。


新世代栃木の酒 下野杜氏「新酒発表2010」に参加して

2010-04-23 11:56:57 | 

 

 昨年に引き続き、今年も「栃木の酒新酒発表会」に参加することが出来た。26蔵がブースを構え、ご自慢の酒を披露していた。栃木もいい酒が多い。昔から江戸に近接する地域として、銘酒を造り続けてきたのであろう。
 昨年も書いたが、酒肴は地元宇都宮の割烹「酔心」さんの“とちぎ酒菜折詰弁当”(13品)、それに利きチョコは益子焼のぐい呑みと、地元一丸の姿勢もいい。

 出品酒は純米吟醸が中心になっていたように思えた。それも「きもと」、「山廃」、または「無濾過生原酒」から「火入れ」と様々な純米吟醸、特別純米、純米酒が並び、その多様な味を提供する姿勢が見えた。参加者も味に強くなり、多様な日本酒を飲み比べながら楽しんでいた。蔵元と飲み手が直接顔を合わせ、語り合いながら酒の質を高めていくよい機会であろう。
 いずれも蔵元の苦労を感じるが、その見本のような酒を池錦酒造の「大吟醸(人生我慢)」に見た。古武士の風格を漂わせる四代目蔵元池嶋英哲氏の後ろには「質素堅実」と大書してあり、この大吟醸の説明には「我慢するほど旨い酒」とある。酒造りの苦労がにじむ。

       

 蔵元の世代も変わりつつあり楽しみだ。昨年初めて飲んだ「かねたまる」などを造る若駒酒造さんでは、昨年同様「袋つり」と「槽しぼり」を並べている。思えば昨年、この蔵は未だ「ヤブタ」を使ってないことを初めて知ったのだ。そのことを話すと「うちにはヤブタはありません」と胸を張った。そして、隣でせっせと酒を注ぐ若者を指して、「息子がデビューして、こちらは新しいですよ」と来た。名刺を頂くと「6代目蔵元 柏瀬幸裕」とある。この好青年が、古嚢(袋つりや酒槽)に新酒を盛ることを期待する。
 また、純米酒フェスティバルなどでお世話になっている富川酒造店では奥様が、こちらは「娘がデビューしました」とハッピ姿の美人を紹介してくれた。農大を出て明利酒造さんで勉強し、いよいよ蔵で酒造りを始めたようだ。「貴女の自慢の酒をくれ」と言うと、迷わず「純米大吟醸・無濾過生原酒(雄町)」を注いでくれた。優しくバランスの良い酒であった。

    

 酒造りも、趣向の多様化に応えるため、日々革新を重ねながら伝統技術を生かしていくことにかかっているのであろう。


猫の大往生

2010-04-20 21:23:19 | 時局雑感

 

 18年飼いつづけた猫が死んだ。歌劇ボエームに登場する女性の名前をもらったムゼッタという名の猫である。名前は贅沢だが身体障害猫で、生れて数ヶ月で事故にあい左後ろ足の膝から下が効かず、その足を引きずって歩く。それゆえ戸外の生活が出来ず家の中だけで生きた。我が家に来て18年、満19歳の生涯を、午後630分に終えた。
 障害を負った身ではあるが、いや、それ故にと言うか、ムゼッタは誇り高く、人に媚びることなく堂々と生きた。わざわざ身体障害猫をもらってきた名付け親の娘に言わせると「『ムゼッタの誇り』を持って生きた」と言うのであるが・・・。

 猫の19歳は人間に換算すると92歳にあたる。(猫は生れて1年で人間の20歳になり、その後1年ごとに4歳を重ねる) さすがにこのところ老齢の様相を深め、動きが鈍くなっていた。そしてついに、5日前ぐらいから食をとらず、歩く姿もヨボヨボになってきた。面倒を見続けたワイフは死期を感じ、ほとんど毎晩寝ずの番を続けた。娘は昨夜から泊り込み、夜を徹して看病(?)した。
 そして今朝方、異常な気配に午前一時過ぎに目を覚ますと、ワイフが「ムーちゃんいよいよ最期よ」と涙声で言う。その姿を見守っていたが、「誇り高きムゼッタ」の、それからの生き様は凄かった。

 息もしてないと思っていたら、しばらくしてムックリ立ち上がった。二、三歩あるいてしばらく立ち止まって横になる。このようなことを繰り返して、それから約20時間、生き続けたのである。

 その一つ。朝になるとムックリ立ち上がり、這うようにしてトイレ(猫用のトイレ)に向かう。ワイフが手助けしながら箱に入れると、気持ちよく用を済ました。「動物は偉い! 垂れ流しはしないのだ。」というのがワイフの言。

 もう一つは最期のとき・・・。今日はたまたま私が休みで家にいた日であり、加えて次男がレッスンのため週一回わが家に来る日、その次男が婚約者と一緒に来て、みんなで見守る中で息を引き取った。わが一族6人が全て集まることなど、一年を通してあまり無い。その全員を集めてムゼッタは死んだ。

 嫌いなものは食べなかった。イヤなことをすると飼い主でも引っ掻いた。
 存在感のある、気位の高い猫であった。

    


第21回純米酒フェスティバル

2010-04-19 20:48:50 | 

 

 昨日、「2010年春純米酒フェスティバル」を恒例の椿山荘で開催した。20004月に第1回を開催して春と秋に年2回ずつ開いてきたので、21回目に当たり11年目に踏み出したわけである。主催者の一員として感無量のものがある。
 
しかも今回は、いろんな点で過去最大規模となった。まず参加者人員は昼の部、午後の部それぞれ750名、合計1500名で、前回の1300名を大幅に上回った(。これは、ホームページ受付のストップミスで100名ずつオーバーしたもの。何せ受け付け開始後10分で満員となる盛況のため事務も大変なのだ。) もうひとつは出展蔵も52蔵で過去最高となった。通常は50蔵の出展で開催しているので2蔵多いが、100人の参加者増は全般に窮屈な感じを免れ得なかった。
 増員で参加できた方々には喜んでいただけたが、その代償として窮屈となるわけで、難しい問題である。毎回満員後のお断りの際、「立ち席でもよいから入れてくれ」という声があり、それから見れば、窮屈でも椅子席を精一杯広げたことはサービスかもしれないが。

 思い起こせば10年前の第1回は昼、夜各350360名で、総勢で700人ぐらいであった。参加者が集まるか不安で、委員は必死で周囲に呼びかけ、新聞広告まで出したことを思い出す。10年を経て倍増し、しかも10分で締め切るという盛況になった。半分は女性で、若い女性がかなり高度な質問を蔵元に行いながら美味しそうに純米酒を飲んでいる。

 ではこの10年で日本酒の消費量は増えたのかと言えばそうではない。日本酒は依然として減りつづけているのである。
 
手元資料の関係で9年比較となるが、平成11年度比で見た20年度の日本酒製造量は、純米吟醸だけが1,523キロリットル増えたが他は全て減少、全体では約267千キロリットル、35%も減少したのである。結果、日本酒の製造量は493,636キロリットル(アルコール度20度換算)となり、日本における全アルコール製造量の5%を割ろうとしているのである。

  一体どうなっているのか? 日本酒はどこへ行こうとしているのか?


山形酒蔵めぐり⑤ ・・・ 酒と食を語る「東光」小嶋社長

2010-04-17 09:24:11 | 

 

 「東光」の酒蔵は、山形県米沢市のど真ん中にある。上杉の城下町米沢に創業したのが慶長二(1597)年というから、410余年の歴史を持つ。吾妻山系から流れ落ちやがて最上川に注ぐ横川の伏流水という良水に恵まれ、米沢藩御用酒屋に始まり23代の歴史を誇る。

  
    酒と食の相性を語る小嶋社長

 その23代蔵元小嶋彌左衛門社長のお出迎えを受け、先ずは昨年開業したご自慢の酒蔵料理屋「花くれない」で昼食。社長がここで力説したのは、酒のよさもさることながら、「米沢牛など伝来の材料ともども季節の野菜、旬の材料を駆使した料理」との「酒の相性」についてであった。食中酒としての日本酒は、米の味を上手く引き出した酒の旨さと、同時に食べる料理との相性が求められる。日本人が特に好む旬の食材、季節の食べ物を美味しく食べるには、それに合う様々な酒が必要だ。だから「花くれない」では、一般的な180ml(一合)より少ない80mlのグラスを用意して、「料理に合わせて違う酒を」、「「気になる酒を少しずつ」飲めるように気を配っているという。蔵元料理屋ならではの気配りである。

 食事が終わり蔵の案内に入ると、ここでも精米の大変さ、難しさから案内が始まった。様々な酒を造るには、様々な米の性質を把握し、様々な精米歩合を生かして酒を造る。小嶋社長は、山田錦特上米の玄米をかざし、35%まで磨くには72時間もかかる苦労を力説していた。短時間で磨こうとすれば米は熱を持って砕け、使い物にならなくなる。騙し騙し時間をかけて削るのだ。このようなことは、当然、以前から知られていたことであるが、われわれが酒を飲みながら、「米を磨く人がどんなに苦労しているか」に思いを馳せて呑むことがあるだろうか? 美味しい酒の裏には多くの人の血のにじむ苦労が隠されているのだ。

       

   

 純米酒のいっそうの開花は、多様な酒の中に求められると思っている。その原点は原料(米)と製法の多様性の中にある。伝統を守りながら多様な展開を求め続ける。そこから生れる多様な酒が、多様な料理や多様な嗜好とマッチングしていく・・・、そこに小嶋社長の言う「酒と料理の相性」の本質があるのであろう。


「200年企業」に何を学ぶか

2010-04-15 16:58:48 | 時局雑感

 

 例年より長く咲きつづけた桜の花もようやく散って今日は415日、ところが寒波が流れ込み最高気温が7、8度という寒さ。仕舞いかけていたマフラーと厚手のコートをまたまた引っ張り出して出勤した。庭のハナミズキはいよいよきれいだが。

    

 ニュースによれば野菜の高騰が続き、果物でも、柿の実を準備する芽が寒さで育たず、秋の実りに不安が出てきたという。現時点だけでなく先行きの不作まで用意されているのだ。サブプライムローンに始まる世界不況はまさに人為的なものであるが、自然の営為がそれに加わり、人類はこの先生きていけるのだろうかと不安が募る。いずれも経験したことの無いような季節の激変によるものらしい。どうして自然までがそのようなことになったのだろうか

 そのような時に、日本経済新聞社編『200年企業』という本を買ってきた。2008年から新聞に連載してきたものをまとめたものだ。こちらは激変する世相の中で「永々と続いた企業」を追った記録だ。
 
日本には200年企業――つまり200年以上続いた企業が3113社あるという。(その後の調査では3500社に達するとも書かれている) これは世界で飛びぬけており、ドイツの1563社、フランスの331社、英国の315社などに比しダントツに多いらしい(同書6頁)。
 
もちろん、これらの企業が長く続いたのは「変わらない」ということを意味しない。伝統や歴史を守りながらも、その時々に柔軟に対応してきたことも大きな原因であろう。中には業種的にも見事に変身した企業もあるようだ。しかしそのほとんどは、社名を維持し、伝来の技を守ってきたようだ。この激変の時代にあって、何が彼らをそうさせてきたのか、興味を持って読むことにする。

 実はこの書を買った理由は、社内の「後継者育成の勉強会」の教材にするためだ。ただ一つだけ不安がある。それは激変の世を生きる若者たちから、「どうせ200年も生きていないので200年企業など興味ありません。それより今役立つことを教えてください」と言われるのではないかということだ。


移ろい行く春

2010-04-13 15:14:12 | 時局雑感

 

 今年は随分長く桜の花を楽しんだ。
 4月3日、九州に旅立つ朝、松沢病院の桜が満開であったことは既に書いたが、一週間経った10日も十分に鑑賞に堪える咲きっぷりであった。その間臼杵、杵築、日出と桜漬けであった。特に杵築、日出、それに大分空港への何キロにも及ぶアプローチの桜は満開であった。

 10日は桜上水の義兄の家を訪ねたが、盛りは過ぎていたが「上水」の上の桜は花吹雪を散らして綺麗であった。満開を迎えた桜は、その直後から寒さに襲われ、どうしてよいか分からず一週間から10日間咲き続けてきたのであろう。

   

 しかしさすがに昨日の雨で消えてしまったことだろう。代わりに、庭のハナミズキが一斉に芽吹いた。黄緑の柔らかい新芽が、あっと言う間に開いてきた。季節は確実に移っていく。不況と事件の相次ぐ世相を和らげるように、神は桜の期間を少し長く与えてくれたが、「もう、このくらいでよいだろう」と言っているのかもしれない。

 春はまた、入社、入学、転勤、異動、そして昇進の季節。昨夜は、前の会社のU氏が部長に昇格したと言うので、当時の仲間4名でお祝い会をやった。私より10歳下が一人、20歳下が二人(そのうちの一人が昇進)、齢は違うが同級のように昔を懐かしんで話が弾んだ。同時に酒も飲みすぎたが。

 やはり春は最高のシーズンである。

      
          4月10日 桜上水の桜


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