旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

大分県満喫の旅(2)

2015-05-30 11:45:58 | 

 

 前回書いたように、年寄りにしてはハードな旅であった。このようなことができるには、それなりの背景がある。以下の三点がそれであろう。
 (1)まず、臼杵の実家を弟(三弟)が守ってくれており、そこを根拠地とできること
   弟家族に感謝する。
 (2)半世紀を経た心友が、変わらぬ旧交を温めてくれたこと。S君、M君に感謝する
 (3)新しく得た友(「八の会」のKさん、酒の会のTさん)が、惜しみない友情を示してくれたこと

 書き始めるときりがないので、前回に続き思い出の写真のみを掲げておく。

    
                       臼杵二王座の散策

      
            野津町の虹澗橋(文政7(1824)年建設の石アーチ橋)
          
  
    原尻の滝と緒方川にかかる滝見橋
         
            岡城二の丸跡から覗き込んだ緑の深谷
  
   豊後水道の雄大な眺め … 四浦海岸展望台より
 
     姫島「大帯八幡宮」の見事な松
       
        さらば姫島 … 国東に向かうフェリ―より 
                 
 
         大分市府内城址と大友宗麟像
    
  大分県立美術館 … 福田平八郎と田能村竹田をたっぷり見ました

    

 


大分県満喫の旅 … 80歳、最後の大旅行か!

2015-05-28 14:34:42 | 

 

 この旅は、私の最後の大旅行となったかもしれない。傘寿の高校同窓会で臼杵に帰ることになったが、「俺は再び臼杵に帰ることがないかもしれない」という思いが胸をよぎった。そして、この際、「心残りの場所を回っておこう」と決めた。7泊8日、80の老人にはかなりハードなスケジュールとなったが…。
 詳細を書くときりがない。消化した日程だけを記していく。

5月19日 傘寿を祝う高校同窓会、卒業時240名中58名が集う。
        臼杵市料亭『喜楽庵』で宴会の後、二次会、三次会で帰宅は11時30分となった。
  20日 同窓生20人と臼杵市内散策、ふぐ料理屋『みつご』で会食
  21日 野津、竹田地区訪問。藤居酒造訪問の後、普現寺、九重塔、虹澗橋、
      原尻の滝を経て岡城址へ。今更ながら岡城の壮大さに驚く。
  22日 岬めぐり。津久見、日代を経て四浦半島一周。突端の保土島をまじかに見る。
      夕刻にかけ大分に入院中の実弟の見舞、夜は臼杵の『もんく』でレースケ定食

  23日 別府北浜ヨットハーバーに釘宮氏手づくりの船「CraftsmanShip号」を訪ねる。
      (船中泊)夜を徹して酌み交わし、釘宮氏の物づくり哲学を学ぶ。
  24日 別府港より姫島へクルージング。初めて姫島へ上陸、車エビを食う。
      夕刻国東へ渡り、宇佐経由大分に帰る
  25日 高校の旧友宮川君と大分市散策(府内城址や県立美術館など)、
      夜は酒仲間友田氏と居酒屋ツアー、大分の酒について語り合う。

  26日 空路東京へ(杵築の酒蔵「知恵美人」を訪ねる計画であったが取りやめ)

 各方面から、「80歳にしては過ぎたる日程だ。もう少し自重せよ」との忠告をいただいたが、何とか帰ってきた。一つひとつを書くと相当なボリュームになるので書くのはやめる。写真だけいくつか掲載しておこう。(写真はつづく)

 
       臼杵市野津町の普現寺
     
           
  
       岡城の城壁と滝廉太郎像

 
    
    四浦半島突端の保土島(上)と高浜海岸(美しかったなあ!)

  
               
     CraftsmanShip 号の全貌(上) 操縦もさせてもらいました(下)

 
     
   やっと姫島に上陸、待望の車エビを二人で6匹食べました    
       
  


初孫が生まれる

2015-05-15 13:57:00 | 時局雑感

 

 私は先月23日で80歳になった。あちこちで傘寿のお祝いをしていただき、立派な記念品をいただいて恐縮したりしている。ふり返ればいたずらに齢を重ねたにすぎないが、80年というのはそれなりに長く、逆に言えば、その先の短さを示しているのかもしれない。
 気がついてみれば孫がいない。同僚どころか後輩の中でも、「孫が生意気にも医者になりました」というのもいるし、「孫の高校(中学)の入学祝いで…」などという話は日常茶飯事だ。私の子供は3人いるが、独身を貫くものから、結婚しても長く子供の生まれる気配もなく、私も、「それぞれの生き方に委ねる」としてきたので、今日まで特に気にはしてこなかった。
 ところが、80歳を迎えた途端、それを待っていたかのように、その20日後に次男のところに子供が生まれた。早速拝見に及ぶと、立派な男児の誕生である。その小さい生命を見て、これまであまり考えなかったが、「俺の命は、この後の世代も生き続けていくのだろう」という不思議な充足感につつまれた。

 この充足感には別の意味合いも含まれている。実は、次男はO家の婿養子に入った。従ってこの初孫は私にとっては世にいう外孫であり、わが家系を継ぐことはない。しかし別の大きな期待があるのだ。
 O家は、江戸末期から明治に至る時期以降、4代にわたって女系の家系が続いている。すべて婿養子をとって家系を支えてきた。私の次男はその4代目というわけだ。そこに今回、4代、150年を経て男児が生まれた。
 私は、天皇家を巡る議論のような男児一系思想など持っていない。事実O家は、150年、4代にわたりたくましく女性が支えてきているのだる。明治、大正、昭和、平成と続いた近代日本史を生き続けた女系家系に、150年ぶりに誕生した男児がいかなる彩を添えるのか…、それを楽しみにしているのである。


海に生きる人々 … 映画『赤浜ロックンロール』を観て

2015-05-09 16:14:15 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 東日本大震災から立ち上がろうとする、岩手県大槌町赤浜の人々を追ったドキュメンタリー映画を観てきた。小西晴子監督作品の『赤浜ロックンロール』という映画だ。
 2011年3月11日、最大22メートルの高さで襲った津波は、町の85%を奪い去り、1280余人の死者・不明者を出した。国と県は、その復興策として、高さ14.5メートルの巨大な防潮堤で海岸線を囲う案を提示するが、赤浜の漁師たちは、この案をキッパリと拒絶する。理由は一言、

 「海が見えねじゃねえか! バカヤロー」

彼らは続けて言う。

 「海が見えねえで、どうやって海から身を守るんだ!」
 「人間の作ったものは壊れる。防潮堤には頼らねえ」
 「自然と闘えるのは、人間の知識と知恵しかねえ」

 14.5メートルといえばビル5階の高さ、それで海岸をふさがれたのでは海は全く見えない。彼らは、そうではなく、毎日海と向き合いながら、経験と知識と人間の叡智をもって海とともに生きる道を選んだのである。
 この地は背後に豊かな森をかかえ、そこで育まれる良水が人々の生活を支えるだけでなく、その水は海中に湧き出て、牡蠣、ほや、わかめなど海の幸を育てる。山も森も海も、一体となって豊かな自然を育んでいるのである。その中に生きる人々にとって、その自然を遮る人工物は考えられない異物でしかないのであろう。
 舟べりに引き上げられる豊かに生育したわかめを見ながら、漁師はつぶやく、

 「良く育った。海はよみがえった。海を汚すのは自然ではなく人間だけだ」

 この漁師は津波のことを聞かれて、「おっかなかった」と本当に怖そうに語ったが、それでもなお、「あの津波も、人が汚した海をきれいに洗い流してくれて、再びこんなにきれいな海に育ててくれた」と言っているかに見えた。
 海とともに生きるということが、どんなことであるかを教えてくれる映画であった。

    


鯉(カープ)の季節の到来か!

2015-05-06 17:52:40 | スポーツ

 

  カープファンにとって、今シーズンのすべり出しほど胃の痛む思いをしたことはない。
 昨年オフの、マエケンの残留、黒田の復帰という相次ぐ朗報は、カープファンを熱狂させた。特に黒田が、メジャーリーグ20億円の報酬を捨てて、4億円で「古巣広島への恩返し」を決意したことは、単にカープファンだけでなく多くの日本国民に感動を与えた。この快挙は、人々に、「日本人が久しく忘れていた生き様」を思い出させたからだ。
 渦中のカープファンは狂喜し、今年のカープ優勝を確信した。当然のことながら、快調なすべり出しを疑わなかった。4月を終えて鯉のぼりの泳ぐ時期には、当然Aクラスにいて、巨人、阪神と1位を競り合っているはずであった。
 ところが、最下位、借金8、10勝18敗でゴールデンウィークを迎えた。しかも、その負け方が悔しい。ほとんどが1点差の敗北だ。しかも延長戦での敗北が重なり、ファンの胃の痛みは頂点に達している。加えて、優勝に向けての象徴的存在である黒田の戦列離脱だ。
 こうなるとファンとしては、優勝どころか、「カープはもう勝てないのではないか」とさえ思うようになる。
 どちらも、何の科学的根拠もないのであるが。

 こうして迎えた巨人三連戦は、カープファンのこの思いを吹き飛ばした。第1試合で、何十年ぶりの珍事という敵失で1点差の勝利を呼び込んだ。これまで悔し涙に泣いてきた1点差敗北を勝利に変えた。しかも何としても勝たせたかった大瀬良の勝ち星だ。弾みがつくと怖いもので、翌日は13対1の大勝だ。マエケンならせいぜい3点取ればいいのに13点とはモッタイナイなど、こうなると余裕が出てくる。続く第3戦も当然のように余裕の勝利だ。
 鯉(カープ)の季節は本当に来たのだろうか?
 毎年ゴールデンウィークは、地元広島で巨人との3連戦を行うが、三連勝の記憶はあまりない。それどころか、5月(鯉の季節)までは好成績を残すが、その先力尽きるシーズンが多かった。今年はもしかすると逆を行くのではないか? ファンとしてはそう信じたい。これまた、何の科学的根拠もないのであるが。

  

                    
                           すっかり緑を増した甲州街道のけやき

 


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