昨日は憲法記念日。安倍政権の改憲気運の急なるを受けて、世は国論を二分して憲法問題に目を向けている。しかも、その焦点が第96条、つまり改正手続き論に向かっていることが気に食わない。
自民党は結党以来憲法改訂を掲げているが、これまで発議に要する3分の2条項に阻まれ実現に至らなかった。そこで今回は、そのハードルを2分の1に下げることから始めようとしているところに姑息さがある。国のあり方を定める憲法を変えるのに、まず手続き論から入るなど論外で、なぜ変えたい内容を堂々と論じ合うことから始めないのだ。
憲法は国のあり方を規定する基本法だ。他の法律や一般の物事を決めるように多数決で決めればいいというものではない。特に日本国憲法は、第二次大戦の不幸な体験の中から生まれた平和主義、主権在民主義など、世界に誇るべきものを持っている。
「簡単に変えられない」、というところに3分の2条項の貴重な価値を求め、それを誇らしく思ってきた。先ずそこから崩していこうとする魂胆は許せない。しかも「3分の2」は世界の大勢だ。アメリカにしてもドイツにしても3分の2条項を持っている。
自民党安倍政権が、憲法を変えたい本当の狙いはわかっている。それは第9条を変えて、軍隊と集団的自衛権を持ち、アメリカと戦争のできる国にしようということだろう。それならばそのことをまず選挙公約にして論じ合うべきであろう。そして、世論の3分の2を説得できるぐらいになって発議にもってくべきだ。憲法というのはそれほど重く、かつ、変えるには努力を要する大典であると思う。
重ねて言うが、手続き論から入るような姑息な手はやめるべきだ。因みに、その手続き論からしても、毎日新聞の世論調査によれば、96条改正に反対46%で、賛成42%を上回っている。民意は二分されており、改訂する機運など熟していない。
いわんやそれを、小選挙区制で掠め取った議席の数で決めてしまうなど、民主国家のやるべきことではない。