旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

寒い! しかしあと5日で立春

2016-01-30 14:32:59 | 時局雑感

 

 日本列島が寒さに震えている。鹿児島、奄美、沖縄も例外ではないようだ。時ならぬ南国の雪は、「初めて雪の降る様を見た」という望外の喜びも与えたようだが。
 日本だけではなくアメリカもヨーロッパも大雪に見舞われている。ニューヨークやワシントンの懐かしいスポットが見事な雪化粧をして放映されている。
 政治も経済も大荒れだ。政権の中枢を担う甘利大臣の口利き料疑惑辞任で、安倍政権も屋台骨が揺らぎ始めた。後を絶たない政治と金の問題は、どこまで奥深いか想像もつかない。金儲けのネタを権力に求める者、そして権力は、それらの者たちが提供する金の力で権力を維持する…、今の政治が続く限り政治とカネの問題が解決されることはないだろう。
 日銀も異常だ。しゃにむに2%の物価上昇を実現しようと「マイナス金利」なる策に出た。マイナス金利というのは、今までは「預金をしたら利息が付いていた」が、「預金をしたら利息を払わなければならない」ということだ。そんなことまでして2%目標を実現したいというのか? そもそも、2%の物価高など国のため、国民のためになるのか?
 年明けから平安を祈ってきたが、政治も、経済も大荒れだ。異常寒波の自然現象が加わって、身も心も寒さに震える。
 しかし、その寒さの中でわが家の紅梅は満開だ。庭の片隅の沈丁花も、既に芽吹いている。気が付けばあと5日で立春だ。やはり自然は正常に動いているのだ。夜明け前が一番暗く、春を迎える直前が一番寒いのだ。心を強く持って春を迎えよう。

 
      


日本酒消費量の種目別推移

2016-01-25 15:18:11 | 

 

 平成の代になって四半世紀が過ぎたが、この間、日本酒はどのような飲まれ方をしてきたのであろうか? 次の表は日本酒の種目別消費量の推移表である。(単位:千kl)
 
     平成元年 構成比 平成26年 構成比 伸び率
アル添吟醸 16.2  1.2%  24.9 4.4%  151%
純米吟醸  10.3  0.7% 31.5 5.6%  306%
純米酒  36.1 2.6%  59.4  10.6%  165%
本醸造  158.7 11.4% 51.6  9.2%   34%
普通酒  1165.9   84.1% 393.3 70.2%  34%
 合計  1387.2 100.0 560.7 100.0% 40%


 日本酒の消費量は、1973年(昭和48年)ごろをピークに減少に転じたが、平成に入ってもその傾向は続き、この25年間でも1387千kから561千klへと40%に減じている。半減どころではないのである。しかしその中身を見ると、普通酒と本醸造酒(普通酒よりは添加量を抑えているがアルコール添加酒)が三分の一に減ったことが主因だ。
 逆に、純米吟醸酒は3倍へ、純米酒は1.6倍へと純米酒系は増えており、アルコール添加酒でも大吟醸酒など吟醸造りの酒も1.5倍に増えている。つまりよい酒は増えているのだ。
 普通酒というのは、醸造用アルコールを大量に添加し、糖類や調味料などを添加した酒だ。本来の日本酒である純米酒とはかけ離れた酒で、これが戦後の日本を席巻してきたのであるが、前述したように1970年代中葉以来、本物に目覚めた人々に見放され減少を続けているのである。とすれば、これはむしろ喜ばしいことであり、ニセモノが淘汰され本物の評価が高まって、近時の輸出拡大に見られるように世界的にも日本酒が評価が高まってきているのである。
 本醸造酒は普通酒よりアルコールの添加量を抑えているが、それでも本来の日本酒からすればニセモノに相違なく、これもやはり三分の一に減じている。ゴマカシは効かないのである。しかしそれでも、普通酒がまだ70%を占めており、本来の日本酒である純米酒は20%に満たない。この傾向は今後どうなっていくのであろうか?

 


東京の大雪?

2016-01-18 13:58:43 | 時局雑感

 

 朝目が覚めると時ならぬ大雪(?)となっていた。出勤日であったので出かけたが、八幡山駅は改札締切り、黒山の人だかりであった。近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら模様を見るも、一向に解決する見込みがないので帰宅。わずか積雪4~6センチで、このような交通マヒを起こすところに大東京の弱点がある。
 書斎から眺める大雪(?)の模様をいくつか収めておく。特に清楚な紅梅の姿を。

 
  
    
      
        
 
 重要な打ち合わせがあるので、遅ればせながら今から出かける(午後2時)。年寄りにとっては雪解け道を歩くのは大変な苦痛であるが、これも務めだ。何事もありませんように……。


一気に不穏な年明けとなった(つづき)

2016-01-13 16:05:49 | 政治経済

 

 不穏な情勢は内外の政治情勢だけではない。経済も大荒れと言っていいだろう。
 先ずは株の暴落……。年初来昨日までで、6日連続下落である。下落幅も1814円、2万円を伺うどころか、17,218円と1万7千円を割りそうな状態だ。6年連続の下落というのは、戦後1949年に東京証券取引所が再開して以来はじめての出来事だという。今日は500円近くの反騰を見せているようだが、年初早々この有様では、日本経済も戦後最悪の状態を迎えつつあるのではないか?
 政府筋は、日本経済はファンダメンタル面で悪くない、中国や原油安など外的要因によるものだと言っているが、いずれも早くからわかっていることであり、そのような外的要因で6日間も堪え得ない状態が続くとすれば、日本経済もかなり問題点を内包していると言えよう。
 中国バブルの崩壊はいよいよ迫ってきたように思える。本格的な崩壊を迎えた際は、世界経済はどのような影響を受けて、どの程度の規模の世界不況を招くのだろうか? 本年以降世界が抱える最大の爆弾ではないか?
 それにしても日本の株価を2万円まで持っていった中味には、極めて不安なものが多い。アベノミクスなるものに呼応して、黒田日銀の異次元緩和によるじゃぶじゃぶ資金提供がその最たるものだ。国債を日銀が買い込むという禁じ手破りをはじめ、国民の最後の頼りであるはずの年金資金までつぎ込んでの株つり上げだ。
 それらに目をつけて、世界のファンドが禿鷹のように利ザヤを狙って日本株に目をつけているのだろうが、それらのファンドは危ないと思えば一斉に手を引くので、そのような要素による株高など実に不安定だ。ミニバブルと言われるゆえんだ。先の見えない日銀の出口戦略や、つぎ込まれた年金資金のことなどを思うと、先行きは不安だらけだ。
 安倍は、長期的なことなど考えもしないで突き進むのであろうが、日銀総裁なる者がそれに悪乗りするなどは言語道断で、日本はどうなっているのだろうかと思う。年初の日本は不穏どころではないのではないか?

       
 
気がつけば庭の紅梅は咲き誇っていた(1月12日撮影)


一気に不穏な年明けとなった

2016-01-10 18:38:03 | 政治経済

 

 「平安な年になりますように」などと題して、のんびり始めようとした今年のブログであったが、一気に様相が変わってきた。平安とか平凡とか、そのようなことは許してくれないのが21世紀かもしれない。

 イスラム国なるもののテロが一番のかく乱要因だと思っていたが、気にはなってはいたが突如として、北朝鮮が「水爆実験」なるものを強行した。あのような国を話し合いの輪の中に入れることなく放置しておけば、実験どころかいつ本物をしでかすかわからない。国連をはじめとして世界の大国は(隣国の日本をむくめ)実に無能力であることが示されたのではないか?
 単に「核実験などやめろ」と言っても、簡単にはやめないだろう。そもそも「やめろ!」と言っている国が、いずれも有り余る核兵器を所有しているのだから…。アメリカ、中国、ソ連、それにEUの強国たちが言っても、「お前に言われる筋合いはないよ」と北朝鮮は返すであろう。ここに核問題の本質があることを諸強国は気づいているのだろうか?
 とはいえ、何とかやめさせなければならないが……

 そんなことを考えていたら、サウジアラビヤとイランが国交を断絶したと言う。イスラム国も同じであるが中東諸国は私には遠くて、過去の経緯も分からないし、なぜ断絶したのか、その必要がどこにあったのかわからない。
 そもそも私は、20世紀の「戦争の世紀」を反省して、21世紀は平和の世紀になると信じていたので、「国交断絶」などという言葉は死語と化し、「あらゆる国が国交を結ぶ世紀」と思っていたのだ。それがとんでもない理解不足であったことにこのところ気づいてきたが、少なくとも今年が、平安・平凡な年でないことは覚悟しよう。。

 経済も株価の急落に見られるように大変だが、長くなるのでその話は次回にまわそう。


平安な一年になりますように

2016-01-04 17:12:06 | 時局雑感

 

 特に何もない平安な年明けであった。平安というのは、平和で、安心、安全ということであろうが、平凡ということも重要な要素だ。ある意味では平凡こそいいのではないか?
 昨年は、振り返ってみていろいろなことがあり過ぎた。少なくとも平凡ではなかった。何度も書いてきた弟の死と80歳での初孫は、全く予期してなかっただけに平凡ではなかったし、自分個人としてもいろいろとあり過ぎた。。
 傘寿にちなんだ行事(お祝い会や同窓会など)も打ち続いたし、年頭の「三分の一宣言」に伴う行動もそれなりに頑張った。三分の一宣言は、多くの人からの反応も多かったし、振り返ってみて予想以上の効果を上げた。出来なかったことも多かったが。詳細は省略するが、いつかこの稿でも総括的なとり上げをするつもり。

 今年は何も宣言などしない。したがって去年のような息張った行動もとらない。昨年の効果で味を占めたので、三分の一宣言の延長線で身辺整理は続けるが、特に目標を掲げるようなことはしない。つまり、もっと平凡に生きたいということだ。
 世界も日本も、あまり無理をせず平凡に生きられないものか。成長も発展も不必要とは思わないが、ひっきりなしにそれを追いかけるより、一年ぐらい「現在の到達点」をじっくり味わってみてはどうか。人類はけっこう発展してきたし、無理をして殺し合いや環境破壊をするよりは、その到達点をみんなで分かち合い、じっくり味わってみることも必要ではないか?
 その点で安倍晋三君に一つお願いする。日本を、世界を、余り引っ掻き回さないでほしい。お前の名前を上げるために、日本国民を犠牲にしないでほしい。少し静かにしてくれ。これだけお願いする。
 平凡って一番難しいことかもしれない。


投票ボタン

blogram投票ボタン