旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

最高の季節がはじまる

2009-04-29 12:39:07 | 時局雑感

 今日から大型連休が始まるという。天気予報を見ると、この期間ほとんど快晴が続くようだ。暗いニュースの多い中で、見かねた神はせめてものプレゼントをくれたのかもしれない。
 一方では、神の思し召しなどに負けてなるものかと「豚インフルエンザ」なる新型が現れ、世界中がてんやわんやしている。世の中は常に、善と悪の確執なのだろう。
 中にあって人間どもは、あくまで善にすがってか、今日も何万という人たちが成田や関空を飛び立って世界各地に出かけて行った。その結果何が起こるかわからないが、恐らく大半はよい結果を得るのであろう。

 何年か前にイギリス旅行を企てところ、豚ならず牛の怒りにふれ「狂牛病」が発生、「あえてそんな時に行くこともなかろう」と旅を取りやめたことがある。私は取りやめたことを今もって後悔している。なぜならそのとき計画した「湖水地方」に未だ行く機会が持てず、ついに訪ねることなしに死ぬのではないかと思っているからだ。

 幸か不幸か、この連休に「動く計画」は一切ない。連休後の中旬、13日から長崎、別府、臼杵という国内の旅を計画しているが、まあ、メキシコの豚が、九州まで襲うことはないのではないかとタカをくくっている。(歴史上日本の玄関であった長崎には、一番最初に来るかな?)

 連休中は昨年の今頃やった部屋の模様替えの続きをやることになっている。2日のJcom工事(地デジ対応ほか)に始まり、コンピューターの切り替え(デスクトップをノートに切り替え部屋空間を広くするなど)、不要(?)物の廃棄と机の位置を変えて、模様替えの最終段階を実現しようという計画だ。つまり昨年来、一年がかりの模様替えだ。
 何故、この一番いい季節の快晴の日々に部屋に籠もらなければならないのか・・・? これがもう一つわからないが。
                            


老人の誕生日

2009-04-27 22:08:00 | 時局雑感

 気がつかないふり、というより意識的に無視して、このブログでふれるのは止めようと思っていたのだが、実は、この23日は74歳の誕生日であった。74歳のじい様の誕生日などは、そもそも様にならない。米寿(88歳)とか卆寿(90歳)とかとなれば希少価値も含めてお祝い気分になるのであろうが、70歳前半などは中途半端に元気もあるし、周囲にウヨウヨ居るので値打ちも無い。
 前月の定期健康診断でも、特に悪いところは無かった。ただ、明日死んでもおかしくないとも思っている。毎日の通勤で、駅の階段を下りながら「いつの日か、この階段を転げ落ちて死ぬのではないか…」と常に思う。特に、大江戸線など新しい地下鉄の“奈落の底”に落ち込むような深い階段を下りるときは、何時もそう思う。
 今日の健康診断で「特に悪いところが無く」ても、明日「癌の宣告を受け」て何の不思議もない年代だ。それくらいは当然だし覚悟もしている。そのような人間の“誕生日”など、いかほどの意味があるのか……?

 ところが、ワイフと娘が義理堅くプレゼントをくれた。高級感のある素敵なシャツと、楽譜をあしらった粋なネクタイであった。どちらも74歳には勿体ない「若さ」を感じさせるものであった。ワイフも娘も、未だ私を若いと思ってくれているのかもしれない。
 明日死んでもおかしくないが、今日は「若く、元気に」生きるべきであろう。

 来月ワイフと行く長崎旅行には、このプレゼントのシャツを着て行こう。
 それより明日は、この楽譜のネクタイをつけて出社しよう。
                          


「出色の謝罪会見」――12チャン田勢キャスターの名言

2009-04-25 12:25:20 | 時局雑感

 SMAPの草なぎ何某とかいう歌手(俳優?、タレント?)が公園で裸になって逮捕された事件で、世間は大騒ぎになっている。
 もっぱらの反応は、「なぜ逮捕までしなければならないのか?」にはじまり、「草なぎさんが可哀そう…」ということのようだ。同じ酒の罪なら中川大臣の「酒酔い会見」の方が罪は重く、「中川こそ逮捕すべし」という意見まである。ことの軽重からすれば中川の方が重いかもしれない。ところがそちらは大臣を辞めるわけでもなく、草なぎ某の方は二日近く留置所にいたらしい。法律というものは難しいものだ。

 加えて、中川大臣の謝り方などは、人を馬鹿にしたような態度に見受けられたが、草なぎ某は実に真面目に、しおらしく謝罪した。これは勝負ありで、この「真面目な謝り方」が評価され、同時に同情心を誘っているようだ。
 今日の12チャン『週間ニュース新書』で、田勢康弘キャスターは、裸になった罪は罪として、この謝り方を「出色の謝罪会見」と評価した。とにかく真面目に、本当に「本心を言っている」と受け取れたというのだ。出色というのが面白い。
 そういえば、中川大臣だけでなく世の謝罪会見に真実味の感じられる会見を見たことがない。最初は自分が正しいと言いながら、最後は社長はじめ何人かの役員が並び、決まったような形で頭を下げる。「本当に本心を言っている」と感じさせる会見は皆無に等しい。
 そのような会見の中では、まさに出色であったといえよう。

 なお私は、草なぎ某に同情はしていない。芸能界という異常な世界に生きる厳しさには同情するが、その中にいればこそ自己を規制できる厳しい姿勢が必要なので、何か欠けていたと言うしかあるまい。この出色の会見を機に、一回り大きく成長することを願ってやまない。
                         


山形県新酒鑑評会に参加して

2009-04-24 11:38:06 | 

 22日、池袋のメトロポリタンで開かれた山形県新酒鑑評会に参加した。既に何年も回を重ねてきた催しと聞くが、私ははじめて参加した。
 驚いたのは、山形県の酒だけでなく全国の銘柄が並ぶ会であるということだ。山形県の蔵から43蔵の他、東北・新潟から64蔵、そのた北海道から九州に及ぶ全国から67蔵、総勢174蔵の酒が飲めるという壮大な催しだ。何百石という小蔵から、月桂冠、黄桜、大関というナショナルブランドまで並んでいる。
 新酒鑑評会と銘打つだけに、5月の全国新酒鑑評会への出品酒が中心であるので大吟醸酒が主役の会だ。一堂にして全国174蔵の鑑評会を目指す酒が飲めるというのは、酒好き、特に利き酒師たちにとっては絶好の会であろう。それだけに、利き酒能力を誇る面々にたくさん会った。

 その点では楽しい試みであるが、率直な感想としては、山形の酒を中心にした会の方が的がしぼれてよいのではないか、と思った。一週間前に栃木の新酒発表会に参加したが、ここでは各蔵とゆっくりお話をしながら回ったので、思わぬ発見などがあったが、今回はあまりに多い酒に目移りして、何がなんだかわからないうちに終わった。
 もちろんそれは、私の回り方が悪いのであろうから、会に文句をつける筋合いではない。加えて、かく言いながらも結構楽しんだので念のため。

 山形も良い酒が多い。ますます人気の高い「十四代」をはじめ、「出羽桜」がJALファーストクラスの機内酒になるなど全国へ羽ばたいている。「上喜元」、「日本響」、「山吹極」、「秀鳳」さんなど、純米酒フェスティバルに一貫して出展されて素晴らしい純米酒を提供している。
 そのほかでも「初孫」、「米鶴」、「大山」、「くどき上手」など以前から飲み親しんできた。このような酒を中心に、地元文化と絡ませた会を計画すれば、「山形の酒」だけで相当中身の濃い発表会になるのではないか…、と思ったまでである。
                         

米鶴梅津陽一郎社長と


太陽までも元気が無い?

2009-04-22 15:22:33 | 時局雑感

 昨日来の雨も上がり今朝は快晴! 甲州街道のケヤキの緑が青空に映えてきれいだった。私の住所は上高井戸1丁目、甲州街道から北へ入り四軒目の家で、毎朝甲州街道を渡り京王線の八幡山駅から新宿に向かう。信号待ちの甲州街道で、高くうち並ぶケヤキ並木を必ず仰ぎ見て一日が始まる。
 そしてこのケヤキの新芽時期は、甲州街道沿いに住んでいる幸せを一番感じる時節である。特に雨上がりの快晴の朝の新芽は、言いようのない美しさである。

 ところで、今朝のNHKテレビ『おはようコラム』で「元気のない太陽」の話が報じられていた。これには驚いた。太陽が元気になったり元気を無くしたりするなんて知らなかった。聞けば、11年ぐらいの周期で元気、不元気を繰り返していると言う。元気のときは黒点が多く、黒点が少なくなると元気がなくなるというのだ。
 元気がないからと言って、特に天変地異が起こるほどのことは無いようであるが、17世紀の不元気な時期に寒冷化が進み、ロンドンではテームズ川が凍ったというから、それなりの地異はあったようだ。

 地球温暖化が進んでいるので、太陽は元気を弱めてそれを調節してくれているのかもしれない。それにしても100年に一度の不況で世界中が元気を無くしている時に、太陽まで元気を無くしたのでは、いよいよ世も末ではないか? 周期的に見ると今年は11年目を過ぎたようであるので、本来は元気が上向くはずなのに逆の傾向が現れている、というようなことを言っていたが、それが気になるのだ。
 太陽だけは常に明るく元気であると思っていたのだが・・・・・・。
                                                       


24節気の酒 ・・・ 穀雨

2009-04-20 20:34:46 | 

 420日、またはそれから55日の立夏までを、24節気では穀雨とする。文字通り、穀物が育つために雨の降る時節である。なにも穀物だけではなく、この雨で万物が生育するが、中でも米つくりを始める水田に雨を欠くことはできない。つまり田植の時節である。

 このブログでも温暖化をはじめ気象異変に何度も触れた。2月ごろに初夏の陽気が来たかと思うと、桜の開花を迎えて真冬の寒さが見舞う。近年の異常気象は年毎に激しくなるが、しかし、大きい流れの中で見ると季節の変化は争うことなく訪れる。
 穀雨の今日は晴(曇)天であるが今夜からは雨の予報だ。4月になって、週を通して同じ気象が続くことがない。2,3日の晴天の次には必ず2、3日の雨が続く。その雨が、田おこしされた水田の土を潤し、田植の準備をすすめ、稲を受け入れ(田植)、生育を約束する。
 あれほど乾季が続いていたのに、必要な時期がくれば必ず雨が降る・・・、自然はよくできているのである。

 この時節を迎えると思い出す酒がある。姫路の本田商店が造る『龍力米のささやき』という酒だ。酒を思い出すというより、その酒を造る本田武義(本田商店会長)という人物を思い出すと言った方がいいかもしれない。
 本田武義会長は70歳代半ばを過ぎるが、一貫して酒つくりにたずさわり、純米大吟醸「米のささやき秋津」などの名酒を造ってきた。この酒は高価(一升31,500円)で簡単には飲めないので、純米酒フェスティバルでは、それを飲もうと『龍力』のブースに長蛇の列ができる。
 本田会長の関心は、その酒つくりから原材料の米に向かった。中でも山田錦の探究に没頭し、自ら栽培して研究を続け、数々の研究業績を残している。
 その後会長の研究心は「米を作る土」に向かう。酒つくりは若い者に任せ、もっぱら「土の研究」を重ね、ついに学位を取るまでに至ったのである。
 この追求心は、並みの人間では持ち得ないのではないか。

 私は穀雨を迎えるたびに『龍力米のささやき』という名酒を思い、原料の「兵庫県特A地区産秋津産山田錦」を経て、それを育てる「本田武義の土」を思う。
 穀雨の雨に潤されたその土は、今年も山田錦の早苗を受け入れる準備をすすめていることであろう。
                        


旅心を誘うフランスの友

2009-04-19 11:07:06 | 

 昨年の今頃は、フランスからセルジュ一家(親子5人)がやってきててんやわんやしていた。その時セルジュ君の友人ヤンニック夫妻も日本に来ており、浅草で合流して下町探索(写真は江戸博物館の夫妻)をした後、わが家にも来て晩餐をともにした。
 そのヤンニック夫妻から「フランスに来ないか」という誘いがたびたびある。「残念ながら今年フランスに行く計画はない」と返事すると、今度は「私たちは3週間の休みをとってヴェトナムに行く。ベトナムの情報をくれ」というメールが来た。彼らはヴェトナムと日本は隣町ぐらいに思っているのかもしれない。

 それにしても3週間の旅とはうらやましい限りだ。やっかみ紛れに「ヴェトナムは最近日本人にも人気があるが、私はその国の情報など全く持っていない」と、やや突き放した返事をしておいたが、実はわが社の社員旅行で「ヴェトナムに行こうか」という計画が持ち上がってはいる。グアム、上海、韓国と、2年毎の社員旅行を続けてきたが、このところの不況も重なり大分期間が開いている。

 「次に行くならヴェトナムかなあ…」と社長と話し合っている矢先であり、そろそろ情報集めを始めようかとは思っていたのだ。それを見透かすような先制攻撃で、しかも3週間というのが気に食わない。なにせこちらは、2泊3日にしようか3泊4日にしようかなどミミッチー計画を練っているのだから。しかも、この不況の深まりでは、今年はおそらく実現しないだろうと危惧しているのだ。

 個人的には、今年の計画としてトルコとオーストラリアが候補に挙がっている。トルコは私の旅仲間の意向が強く、オーストラリアはワイフがしきりに行きたいという。
 国内では、来月母の49日で臼杵に帰るので、その機会にワイフと長崎に行こうと思う。ワイフはもちろん初めてだし、私も何十年も行っていない。そのほか従兄との「恒例の旅」で、三陸海岸が候補に上がっている。私の予てからの希望の地だ。

 旅はいろいろと思いを巡らす時がいいのだ。その点では、火をつけてくれたヤンニック夫妻に感謝しよう。
                         

ヤンニック一家(09年年賀状添付写真)

 


佐倉を訪ねる(2)――オランダとのかかわり

2009-04-18 13:05:23 | 

 4月3日に「佐倉を訪ねる」と題して書いて、そのままになっている。続きを書こうと思っていたが、前述したように母の死で一週間の空白が出来てそのままになっていたのだ。。
 佐倉とオランダとのかかわり、佐倉の文化的遺産の根源は何か?

 前回の投稿で、リーフデと呼ばれる風車のことや、川村美術館(写真)がオランダのクローラー・ミューラー美術館を模していることを書いたが、その遠因は、幕末の藩主堀田正睦(まさよし、1810~1864)の先駆的藩政にある。堀田は「蘭癖」と揶揄されながらも蘭学を取り入れ西洋医学に力を入れたという。堀田に招かれた蘭方医佐藤泰然が開いた蘭医学塾兼診療所が「順天堂」で、現在の順天堂病院となった。

 このようなことは今度初めて知った。それにつけても、時の為政者の質がその地の将来を決めることを思い知らされる。こうして生み出された進取の気象は、その後も多くの人材を生んでいく。
 岩倉使節団の一員としてアメリカにわたった林菫(ただす)は、日米同盟の調印、日英同盟の締結に力を尽くし、外務大臣や逓信大臣を歴任した。津田梅子は日本人初の女子留学生として渡米し、現在の津田塾大学を創設した。この地の生んだ文化人は、他にもたくさんいる。

 佐倉はこのような人材を生んできたのだ。まさにインターナショナルな気風を備えた地で、その根源にオランダとのかかわりがあったことが理解できた。
 そういえば、印旛沼の桜並木と風車リーフデは実に自然に融合していたし、あかぬけた雰囲気の川村美術館は、オランダに居るような思いを与えてくれた。全ては無理なく溶け合っており、これが歴史というものであろう。

 藩にせよ国にせよ、為政者の質がその将来に及ぼす影響は大きい。それを思うにつけ、日本の現今政治家の低劣さが情けなくなるのであるが…。
                         


印旛沼の桜


栃木の酒 新酒発表2009

2009-04-17 09:42:02 | 

 一昨日(4月15日)、「新世紀栃木の酒 下野杜氏新酒発表2009」が開催された。既に7回目ということだが私は初めて参加した。
 栃木県といえば関東にあって隣組であるが、酒となるととかく新潟や東北が出てきてなじみの薄い感がある。しかしなかなか良い酒が多い。

 「四季桜」、「開華」、「天鷹」、「惣誉」、「澤姫」,「忠愛(富美川)」などは、全国新酒鑑評会の金賞受賞の常連(最近20年間で7回以上受賞)。
 また、フルネット社の「地酒ランキング」最新版によれば、決して大きい蔵ではないが次のような蔵が評価されているのが分かる。「松の寿」が純米吟醸の部で15位、吟醸の部で25位、「仙禽」が吟醸の部で31位、「鳳凰美田」が純米吟醸で26位、吟醸で38位、「大那」が大吟醸の部で28位、旭興」が純米酒の部で39位など。このような蔵が、食中酒としての酒を手塩にかけて造っていることが、全国の飲み屋さんが選ぶ「地酒ランキング」の高位に顔を出す結果を生んでいるのであろう。
 「富美川」さんや「天鷹」さんは、わが純米酒フェスティバルに常に出展いただき、「澤姫」さんや「仙禽」さんを出ていただき、多様な要求に応える多様な酒をご提供いただいている。

 初めて接した面白い蔵もたくさんあった。
 チラシで「食事との相性を意識して日本酒を造っています」とふれこむ若駒酒造の純米吟醸『かねたまる』や『善十郎』は、<袋つり搾り>と<酒槽(ふね)搾り>の酒を並べて利き酒させていた。袋つりの方が柔らかい味が出ていることに、皆おどろき楽しんでいた。私が「ついでにヤブタで搾った酒も飲ませてくれ」というと、「うちにはヤブタなんてありません。すべて酒槽か袋です」ときた。これには驚いた。まだまだこのような蔵もあるのだ。
 西堀酒造の『若盛門外不出』も初めて出会ったがなかなか良い酒だった。このような蔵がまだたくさんあるところに、日本酒の世界の楽しさがあるのだ。

 25蔵が出展、料理は地元の食材を使った宇都宮市割烹「酔心」のお弁当、水は日光連山の名水「尚仁沢湧水の郷」,利き猪口は「益子焼のぐい飲み」と、なかなか地元売り込みに工夫を凝らした会であった。
                         


新しい息吹の純米酒フェスティバル(2)

2009-04-15 22:33:13 | 

 「純米酒フェスティバル2009春」のなかでいろいろな方の発言を聞いたが、印象に残ったものをいくつか。

 普及推進委員の重鎮堀江先生の発言。
 「酒は2種類に分かれてきた。一つは、アペリティフとしての酒――香りを主とした利き酒用の酒、鑑評会用の酒。もう一つは食中酒としての酒――米の味を生かした、食事をしながら飲む酒…」
 …これは先生の持論で、今後の日本酒のあり方として追求すべき課題。

 フィリップ・ハーパー氏
 「日本に来て18年…、日本酒には「+13」の辛口から、「-72」の甘口があることを知り、多様性に驚いた。「-72」はアイスクリームを買う客に売る酒だ。その多様な文化を追求しながら、この18年は”日本酒離れ”との戦いであった。日本酒とは何か…その定義から始める時期ではないか」

 いずれも貴重な提言。一方で「小さいが良い酒を造っている蔵」がたくさん出てきた。その中には、かつては「桶売り」で何千石も作っていたが、それをキッパリ止めて数百石になったが「自分の酒」を造ることに立ち返り、素晴らしい酒を提供している蔵もある。
 日本酒界は間違いなく新しい時代に突入しているのではないか
                        


投票ボタン

blogram投票ボタン