旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

サルデーニャに息づく「島の文化」

2007-01-30 18:04:59 | 

 

 今回は拙著『旅のプラズマ』に返る。
 「はるかな国で」というくくりで、中南米のコスタリカと地中海に浮かぶ二つの島--シチリアとサルデーニャを採り上げたが、そのサルデーニャについて。

 はるかな国…というのは本当にそうで、直行便がない(少ない?)ので長時間のトランジットを含め行くだけで時間がかかる。しかしそれだけに魅力も大きい。
 何故サルデーニャなどに行ったかというと、そこには豊富な羊毛を使って「一日7センチの丁寧さで織っているタペストリー」があると聞いたからだ。勤務していたホームメーカーの宣伝品としてその買付けに行ったのである。島にはイソラISOLAという産品輸出を取り仕切る機構があり、その機構の会長(アッシリ氏)自らの案内を受けた。
 アッシリ会長はモルゴンジョーリという小村の工場(といっても織機2~3台を置いた民家であるが)を案内してくれた上、500メートルも登る山の山頂に近い山小屋で盛大なパーティを開いてくれた。パーティの席上、わが代表が謝辞を述べたつもりで、「わが社は年間一万戸の家を建てている。タペストリーの需要も相当ある」と発言したところ、それに対するアッシリ会長の答弁が強烈であった。要旨以下のとおり。

 「われわれは多くの物を作ろうとは思っていない。あなた方が多くの物を望む気持はわかるが、われわれは先ず島を守りたい、人を守りたいのだ。この世は物のためにあるのではなく人のためにあるのだ。多くの物を作るより良い物を作りたい。良い物をを作ればよい社会になるのだ。われわれは島の文化を守りたいのだ」

 私はヘビー級のパンチで顔面を殴られた気がした(実際に殴られたことはないが)。
 物中心の工業社会、利益中心の高度(?)資本主義社会にドップリ浸かって生きる私たちは、人間の生き方の原点を遠く遠く離れてしまっているのではないか?

 パーティを終わり戸外に出ると、野生の馬がゆっくりと草を食んでいた。モルゴンジョーリは人口1100人、織姫たちも、大らかマンマも、村の村長さんも、その笑顔は底抜けに明るかった。
                            


行きつけの飲み屋

2007-01-29 14:16:00 | 

 

 もうずいぶん前のことになるが新潟日報のコラム「甘口辛口」に「行きつけの飲み屋」と題して書いたことがある。
  森下賢一の『居酒屋礼賛』に「…イギリスの田舎のパブに行くと、毎日同じ時刻に同じ人が同じ席にすわり、同じ酒を飲みながら同じ話をしている…」と言うような節があったのを採り上げ、それこそ行きつけの飲み屋だと思ったからであった。ちょうど娘がイギリスの田舎の短期ホームステイから帰ってきて、「お父さん、毎日歩いて学校に通ったが、同じ場所の同じベンチに同じ人が座り、同じ格好で新聞を読んでいた」という報告を受け、未だ見ぬイギリスの田園風景に思いを馳せたことも手伝っていた。そのコラムで私は、「…日本には真の意味の行きつけの飲み屋は育たないのではないか…?」と書いた。

  西新宿に私が20数年通っている『吉本』という店がある。酒の質、種類および料理の味など全ての面で満足している店である。
 先日そこで新年の会を持ち、かなり飲んだ後、店主に「そろそろお燗にしてくれないか」と頼むと店主から「かしこまりました。今日は何度のお燗にしましょうか」という問いが返って来た。
  私は即座に42度と答えたのであるが、「今日は何度にしましょうか?」というのがいい。究極の日本酒は燗酒と思っているが、それでも、その日の気温、自分の体調、それまでに飲んできた酒の量やその日の料理などで燗の温度は微妙に違う。そのような私の飲み方をよく知ってくれている店主の対応は、まさに行きつけの飲み屋でしか得られまい。

 行きつけの飲み屋は日本には育たないのではないか、という以前の記述を改めなければならないと思っている。
                           


感性について

2007-01-27 15:37:57 | 時局雑感

 

 久しぶりに高校の同窓会に出席した。集まった20人は既に古希を超えて大半が71歳、高校を卒業して半世紀(53年)が経過している。幾人かが、私がこのたび出版した『旅のプラズマ』に触れてくれた。多くは過分な評価であり、お世辞と分かっていても、同郷で心を許しあって青春を生きた友の評価はうれしいものだ。
 中でもI君のスピーチが心に残った。彼は「首藤、お前はいい感性をしているなあ・・・、いくつもの章で俺は感動したよ」と言ってくれた。しかし、私はむしろそれに続くスピーチに彼の「豊かな感性」を見たのであった。要旨は以下のとおり。

 「・・・毎朝一時間ぐらい散歩をしている。犬を連れている人によく会うが、多くは犬のウンチをきれいに掃除している。中にはそのまま放置しているのを見て怒りを覚えることもあるが、先日美しい光景を見た。連れている犬が電柱にオシッコをかけたところその飼い主は湿したタオルで丁寧にその電柱を拭いていた。すばらしい光景であった・・・・・・」

 私は未だ出くわしたことはないが、もしかしたらウンチだけではなくオシッコも掃除する飼い主もたくさん居るのかもしれない。しかし私は、I君がそのようなことを見逃さず、その行為に深く感動する感性の持主であることがうれしかった。
 実は彼は、高校時代ラグビー部だった。常に泥んこになり体と体をぶっつけあっていた彼しか思い出にない。私はむしろ青白き学徒を気取っていたので、彼と話し合ったことなどほとんどなかった。その彼は私などよりはるかに豊かな感受性を養ってきていたのだ。私の本の隅々にまで感動してくれ、街角のふと見る行為に心を動かしているのである。
 I君は、半世紀前の高校グランドで泥にまみれながら、土のにおい、ぶっかる相手の体温、スクラムを組む敵の息遣いの中で今の感性を築いてきたに違いない。
                           


スペインと鳩

2007-01-25 15:25:58 | 

 

 前回はいきなり本の最終章に触れ、これで終わりと思われると困るので、今回は第一章について書く。もう20年近く前のことだが,初めてスペインのバルセロナを訪ねた時のこと。

  有名なモンジュイックの丘から市街や地中海を眺めていると、丘の中腹でクレイ射撃をやっている。よく見ると、なんとその標的は生きた鳩であった。広場の真中に鳥かごをおき蓋を開ける。そこから飛びたつ鳩を撃っているのだ。これには驚いた。さすが闘牛の国…などと思いながら何か背筋の寒くなる思いがした。

  旅の最終日、最後の思い出にと目抜き通りであるランブラス通りを歩いていると、某放送局のインタービューに引っかかった。何ともスパニッシュというかっこいいおねえさんが「スペインをどう思う。バルセロナはどうか?」と問う。私は数多い思い出の中から「鳩のクレイ射撃」を取り上げ応えた。

「バルセロナは素晴らしい。来年のオリンピックも成功するだろう。ただ、モンジュイックの丘で生きた鳩のクレイ射撃を見たがあれはよくない。あなたの国が生んだ偉大な画家パブロ・ピカソは、平和の象徴としてたくさんの鳩の絵を描いた。これまたあなたの国が生んだ偉大なる音楽家パブロ・カザルスは、各国首脳が打ち並ぶ国連でスペインのカロニアの民謡『鳥の歌』を演奏し平和を訴えた(注)。にもかかわらずあなたの国の国民は、その鳩をゲームの対象としている。それはよくない」

  私の話を、最初はニヤニヤしながら聞いていたおねえさんもだんだん顔が引き締まり、聞き終えた後「名だたるインテリの方とお見受けしたが、どのような身分の方か?」と聞いてきた。私は名乗るのはやめて「日本の1ホームメ-カ-の者だ」とだけ告げて立ち去った。

 「あのインタビューは放送されただろうか…。しかし放送されたとしても、『全く血を異にする東洋人が、つまらない話をしていた』としか受け取られなかったであろう」
というのが『旅のプラズマ』のむすびであるが、最近、ある人から「首藤さん、今スペインでは生きた鳩のクレイ射撃は中止されているらしいよ。あなたのインタビューが効いたんじゃないの?」と言われた。
  まさかそんなことはないと思うが、今は中止されていると聞いてほっとしている。
                                                     

(注)1971年10月24日、94歳のパブロ・カザルスは国連で
  『鳥の歌』を演奏し、「私の生まれ故郷カタロニアでは
  鳥たちはピース、ピース(英語の平和)と鳴くのです」
  と各国首脳に語りかけた。この話を聞いた私は、この老
  チェリストの「お前たちは、まだ殺し合いなどして い
  るのか」という魂の叫びを聞く思いがしたのであった。                                


「日本の心」の歌ーー弘田龍太郎について

2007-01-21 17:53:12 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 「弘田龍太郎って知ってる?」 これが『旅のプラズマ』最終章「波の国から生まれでた調べー弘田龍太郎の里を訪ねて」の書き出しの言葉である。
 実はこの言葉は、妻に問いかけられた問いであったのだが、今、同じ言葉を皆さんに問いかけたい。多くの人が「知らない・・・」と答えるのではなかろうか? しかし、妻に問いかけられたときの私と同じように、「お手てつないで・・・」や「チーチーパッパ・・・」また「叱られて」や「浜千鳥」などの歌を知っているかと問えば、ほとんどの人が「もちろん知っている」と胸を張って答えるのではなかろうか。
 弘田龍太郎はこのような歌を何千曲も残した作曲家である。日本を代表する作曲家となれば山田耕筰、滝廉太郎などがずっと有名であるが、それに負けず龍太郎の歌は一億国民の中に生き続けている。

 今月14日、文化庁などが主催する「親から子、子から孫へ~親子で歌いつごう 日本の歌100選」の選考委員会が、親子で歌うのにふさわしい101曲を発表した(101曲と端数が出たのは、絞りきれなかったためらしい)。
 その101曲の中に龍太郎の曲は4曲(「叱られて」「浜千鳥」「靴が鳴る」「こいのぼり」)入っている。私の調べでは、トップは中山晋平の6曲、2位が龍太郎、岡野貞一(「春が来た」など)、中田喜直(「小さい秋みつけた」など)の4曲で、その次が山田耕筰や滝廉太郎まどの3曲であった。
 私は龍太郎を追い続けてきたが、多くの人が「そんな名前知らない」という度に「やがて龍太郎は消えていくのではないか」という淋しさにかられていた。なんといっても「ヴェートーベンの運命」とか「モーツァルトのフィガロの結婚」とかいうように、作曲家の名前とともに曲が伝えられている音楽の世界のことだから・・・。
 しかし、たとえ名前は消えても、その調べが国民の中で永く歌い継がれることの方がずっとずっと重要なことであると思った。
 『旅のプラズマ』に書いた安芸市にある七つの歌碑は、そのもっとも重要なこと--龍太郎が「日本の心」を描き残そうとしたこと、を伝えているようであった。
 ぜひ読んでくださいね。         


『旅のプラズマ』について

2007-01-19 22:35:20 | 

 

 「一年に一回は海外旅行に行こう」・・・・・・
 これが第二の人生に踏み出すときの、ひそかな願いであった。あれから17年、古希を迎えて振り返るとその間に15回の海外旅行に出かけていた。思い起こせば、つまらない旅は一つもなかった。そして膨大な資料と写真と書きなぐった”旅行記”が、新鮮な印象とともに残っていた。
 アメリカ5回、イタリア3回、中国3回をはじめ何度も訪れた国もあるが、この間約20カ国、数十都市を回ってきた。もちろん、国内の旅にも数多く出かけた。
 振り返れば、思い出深き街、忘れえぬ人、心に残る言葉の数々がプラズマのように私の脳裏を浮遊する。今回、その思い出の中から外国編15、国内編2つを集め『旅のプラズマ』として出版した。読み返してみると、それは単なる記録ではなく、その間の私の成長の跡を示すものでもあるようだ。
 旅は、それほど自己の成長に大きな滋養を与えてくれるものだと思う。
 まず、以下に目次を掲げておく。

【ヨーロッパの国々で】 
  スペインと鳩         スペイン・バルセローナ
 オランダに授かった自愛   オランダ・アムステルダム
 忘れえぬ店 ヘルベルグブリッシング   
                                        ベルギー・ブルージュ
 間に合わなかった心の準備          イタリア・ミラノ   
      --ミラノでのカルチャーショック   
 街角での予期しなかった政治談議 
                                       イタリア・ヴェネツィア

 【はるかな国で】
  コスタリカのオペラハウス     コスタリカ・サンホセ
   --国の最初の儲けを投じた文化施設
 一日7センチの機織  
   --サルデーニャに息づく「島の文化」
                             サルデーニャ・モルゴンジョーリ
 シチリア、ガリバルディ、ラグザ・お玉    
                                         シチリア・パレルモ
 【お隣の国と】
 
アンニョン ハセヨ      韓国・ソウル、プサン
  上海―10年後との定点観測    中国・上海、紹興
 日米技術力の勝敗の行方     アメリカ・シカゴ

【大国のはざまを生き抜いた国々】
 マリア様は一度も助けてくれなかった  
        --ハンガリーの苦悩を語るガイド
              ハンガリー・ブダペスト 
 音楽の都の極右政権騒動  オーストリア・ウィーン
 チャスラフスカとザトペック    チェコ・プラハ
        --しなやかで強靭な国々

【海外編のむすびに代えて】
 駅に改札口のない国   フィンランド・ヘルシンキ
  --トベ・ヤンソンさんの死のそばで

【忘れえぬ旅《国内編》】
 『奥の細道』の北辺         秋田県八郎潟町
    --蕪村と子規の足跡を追って
 波の国から生まれでた調べ      高知県安芸市
    --弘田龍太郎の里を訪ねて
                        
                     以上  


今日からはじめます

2007-01-12 16:31:26 | Weblog

 

  私の趣味は酒と旅です。その地の酒をその地の食と文化、その地の人々の人情に触れながら飲むのは、この上ない楽しいことです。
  これまで、酒の本三冊、旅の本一冊を出版してきましたが、それらの中から皆さんに読んでいただきたい章を紹介していきます。
  また今後も続けていく酒の旅の中から、面白いエピソードを紹介していきたいと思っています。皆さんの忌憚のないご批評を願ってやみません。

                          07年1月12日   tabinoplasma


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