旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

やっと夏が来た … ビールだ! 蒸留酒だ! いや、日本酒のオンザロックだ!

2019-07-31 14:49:17 | 

 遅れに遅れてやっと梅雨が明けると、一気に猛暑が来た。年寄りでなくても急階段の上下はきついのではないか? もう少しなだらかな季節の変化を味わいたいものだ。昔は、「目にはさやかに見えねども」いつの間にか季節が移ろっていることに自然の趣を感じたものだが、世はデジタル時代、ゼロか1かの世界になったようだ。
 酒も、あわてて冷蔵庫の隅からビールを見つけ出して呷ったり、押し入れの奥の蒸留酒を思い出して、久しぶりに栓を抜いたりしている。夏はやはりサラリとしたものを飲みたいのだろうか?
 私は夏でも主流は日本酒だが、それでも汗の体を冷やすためにオンザロックで飲むことが多い。純米酒を中心にした最近の美味しい日本酒は、アルコール度1718度ぐらいの酒が多いので、少々の氷を浮かべても本来の味を落とすことはない。いろんな酒を楽しむのも夏の特権かもしれない。
 このような話をしていたら、我が家に酒飲みに来たいというグループがいくつか出てきた。日本酒だけかと思ったら蒸留酒もいろいろあるらしい、というのがその理由のようだ。そして、その狙いの一つが沖縄の泡盛だ。
 我が家には泡盛の名酒『久米島の久米仙』の三升壺が安置されている。私はこの壺を3年前のある酒の会の抽選会で引き当てた。それは3年物とその年の新酒をブレンドしたものと聞いたので、それから3年経って、よく熟成しておれば6年物に育ったはずだ。その後私は数回にわたり1升強は飲んだが、その都度、同種の新酒を「仕次(しつぎ)」(注)したので、今も3升を保っている。
 それを一口でもいいから飲んでみたい、という者がいるのだ。もちろん、日本酒好きの者どもは、私の書斎にある酒用冷蔵庫に、「作(ざく)」や「亀の翁」のあることを知っておりそれを狙っているのだが…。
 まあ、厳しい夏を乗り切るには、それくらいのものは要るだろう。

(注)年月と熟成を重ねた古酒の壺から、その一部をくみ出し飲んでも、その量だけ新酒を加えておけば、全て元の古酒に熟成する。泡盛の古酒の育て方。


最悪の政権に「安定」を与えた … 参議院選挙の国民の選択

2019-07-22 13:57:51 | 政治経済


 昨日の参議院選挙の結果がほぼ固まった。最終的評価は細かい数字が出そろった後でなければできないが、直感的に感じたことだけを記しておく。
 安倍自公政権というのは、かつてない最悪の政権だと思っている。アベノミクス政策は、それに呼応する日銀政策と相まって、富裕層だけを利して、一般国民には貧困と格差を押し付けるだけのものである。1千万を超すワーキングプアを始め国民の多くは、貧困と労働苦に打ちひしがれ、選挙どころではないのではないか? 「民のかまどに火がついているか」を政策の原点に置くことは政治の要諦であるが、安倍自公政権にその目はない。
 それどころか安倍首相は、憲法を改悪して自衛隊を明記し、いつでも海外に出ていける、戦争のできる国にしようとしている。日本が世界に誇る憲法9条を無力化することに執念を燃やしている。
 国民は、この安倍自公政権に過半数議席という「安定」を与えた。つまり「何でも決めて実行してください」ということだ。ただ、さすがに憲法だけは勝手に変えてはいけませんと、改憲勢力に発議を許す3分の2議席は与えなかった。たった4議席の差であるが踏みとどまったところに、日本国民の最後の見識がキラめいた、と言えるのかもしれない。
 ただ安倍は諦めていない。昨夜のNHK番組で、「憲法をしっかり議論していく政党を選ぶのか、選ばないのか決めていただきたいと言ってきたが、(与党で)改選議席の過半秀を得ることができた。この国民の声に応え、野党も義務を果たしてほしい」(本日付毎日新聞一面)と発言、厚かましくも、過半数を取った与党に野党はすり寄れ、と言っている。それだけではない。TBS番組では「国民民主党に改憲の考え方を持っている人は多い。積極的に(改憲を)呼びかけていく」(同)と具体策を示し、さらに日本テレビでは、「審議を通じて3分の2を形成する努力をしなければならない」と強調し、「期限ありきではないが、私の(2021年9月までの自民党総裁の)任期中に何とかしたい」(同)と執念を燃やした。
 国民は、辛うじて、形の上では改憲阻止の意思を示したが、わずか4議席! 風前の灯かもしれない。


活力に満ち溢れた「卒寿(90歳)を祝う会」(補足)

2019-07-12 13:40:33 | 時局雑感

 

 会の顛末につき2点だけ記しておく。

 第1点は、会への参加状況について。
 このような高齢者の集りで、しかも20名もの多数となれば、通常は欠席者や遅刻者が出る。前日になって「転んで足を折った」」とか「急遽入院することになった」などの電話が入る。また当日開始時刻になって「地下鉄の出口を間違えた」とか「降りる駅を間違えた」などで遅刻の連絡が入る。
 ところが、今回は一人の欠席者も遅刻者も出なかった。約2か月前の出欠確認であったにもかかわらずだ。参加者の健全な知力と体力、この集まりに懸ける思い入れの深さを痛感した。

 第2点は、唯一最大、痛恨の失敗について。
 この会合に準備した酒の銘柄は以下のものであった。
・乾杯の酒
 『天の戸』生酛純米大吟醸、秋田県産美山錦40%精米(180L)
 『GAVI』イタリアワイン、ピエモンテ州産の白ワイン
 『エビスビール』と『サントリー・モルツ』、他ジュース
・談笑中に酌み交わす酒
 『天の戸』純米大吟醸「白雲悠々」、美郷錦40%精米
 『作(ざく)』純米大吟醸「雅乃智」、一回火入れ、中取り
 『七田』純米大吟醸、山田錦45%精米
・卒寿のお二人への記念品の酒
 『天の戸』純米大吟醸、今年度金賞受賞酒、秋田酒こまち35%精米

 ところが、この中の唯一の一升瓶、乾杯用の酒『天の戸』生酛純米大吟醸を、会場に持ち込む寸前、私の不始末で割ってしまったのである。タクシーから降りて会場を探している間に、狭い路地を突っ込んできた車を避けようとした瞬間、手元が緩んでコンクリートの上に落としたのだ。底が割れて、アッという間に黄金色の液体は流れ去った。今回準備した最高の酒であった。一滴も参加者の喉を越すことなく、神楽坂の土に染み渡ったのである。
 実はこの酒は、弟の健次が提供してくれたもので、ラベルも「祝卒寿」と特別誂えしてくれた思い入れの品であった。弟の行為を無にした申し訳なさと、みんなに飲んで頂いたらどんなに喜んでくれただろうと思う悔しさで、今も私の心を暗くしている。唯一の慰めは、これを聞いた参加者の一人、テノール歌手の所谷直生さんが、「それは交通事故を避けた厄落としだったのだ」と言ってくれたことだ。

 


活力に満ち溢れた「卒寿(90歳)を祝う会」③

2019-07-08 14:50:13 | 時局雑感


 この会を一番喜んでくれたのは主役のご両人であったかもしれない。7月に入り時を待たず、お二人から丁重なお礼のお手紙を頂いた。それには次のような言葉があった。
 Kさんから:「…まさに『一生の思い出』になります。90歳まで生きて、このような喜びに出会える人は少ないと思います。…」
 Mさんから:「…昨日は夢のような甘美な一日を賜り、誠に感激いたしました。九十歳という消えかかった人生に、ドンと気力を吹き込んでくださった素晴らしい企画に改めて脱帽いたしました…」

 加えてうれしかったのは、ほかの参加者から、ほとんど同じような内容の喜びの声が届いたことであった。参加者がみんな同じ満足感に浸ってくれたとすれば、それはこの会が「いい会であった」ということを示しているのかもしれない。主催者としては冥利に尽きるものがあった。
 参加者は25名。そこからKさんのお嬢さんと私の娘、それにミャゴラトーリの歌手たち3人の5名を除く20名が、主役のお二人と様々なかかわりを持ちながら戦後の三井銀行を中心に生きてきた人たち。この20名の内訳は、80歳以上が10名、70歳代が10名となる。この二つのグループの差は、年齢にして最大20歳、最少は数歳に過ぎないが、時代の変化を反映してかそれなりの差を生み出している。なかなか平常に交わることができるグループでもない。
 私は、年齢から言ってその中の8番目で、ほぼ中間に位置し何となく双方を理解する地位にある。ここに一堂に会する機会をもって、若者たち(と言っても70歳代だが)は、「聞いてはいたが何とすごい人たちか!」と思っただろうし、老人たち(失礼!)は、「まだお前たちには負けないぞ! 俺たちの文化を引き継げ」と叫んでいたに違いない。
 私は、つなぎ目を果たせたことに満足している。若者が老人会に出席して何とも面白くない雰囲気におちる、また老人たちは一層淋しさを感じる…、そのような溝はこの会にはなかった。

 以下は元気に演じるお三方

  Kさん
       Mさん
           Sさん

 


活力に満ち溢れた「卒寿(90歳)を祝う会」②

2019-07-05 15:55:18 | 時局雑感


 振り返ってみるとこの会は、主役の二人の独断場で終わったと言える。
 しばらく参加者からお祝いの言葉が続くと、たまりかねたようなお二人から、「そろそろ俺たちにも挨拶させてくれ」と要望が出た。待ってましたと指名すると、まずK氏が、例の「人生につまずくのが18歳、小石につまずくのが81歳」に始まる『18歳と81歳』11項目を語りながら自己の近況を紹介する。加えて自作の「「愛してる?」って聞くのが18歳、「息してる?」って聞かれるのが81歳」や、『19歳と91歳』などを披露したものだから大喝采! 因みにその結びは、「お化けをすごく怖がるのが19歳、お化けの方が怖がるのが91歳」。
 続いて立ち上がったM氏は、最近入居した老人ホームの状況を漫談調で語る。これまで長いことお一人暮らしを続けたMさんの、お久しぶりの集団生活、しかも老人ホームという私たちの知らない社会を、面白おかしく語ってくれたので大喝采。
 それだけにとどまらない。2歳年下だが現役時代にK氏とM氏と組んで「文化人三人男」と称されたS氏が登壇、「昔ご一緒した歌舞伎のなかから一つ」と、『切られ与三郎』の一幕を、メモひとつもたず滔々と諳んじた。

 それを聞いたK氏、「私も一つ」と、中原中也の詩「思えば遠く来たもんだ」を歌舞伎調で朗読した。もちろんこちらもメモ一つ持たずに。
 こうなるとM氏も黙っていない。得意の落語を一席。
 「ええ~、志ん生は90歳になればやめろと言ったが、私はやめません。ただ、ここ40年やっていないんで喋れるかどうかわかりません。ある噺のオチの部分から、そのまた一部をやらせてもらいます」と言いながら、『山号寺号(さんごうじごう)』を10分近く演じた。
 聞く者たちはみんな唖然とした。「とても90歳とは思えない。化け物ではないか?」というのが大方の評であった。

 思えばお二人は、文化人を多く輩出した麻布中学のご出身。K氏はそこから早稲田大学に学びマン研を経て、間違って(?)銀行に入った。M氏はフランキー堺などと演劇をやりながら(小沢昭一、加藤武も同期)慶応大学に進み、これまた間違って(?)銀行に入った。そして、金の匂いのする冷たい銀行の職場に、多様で温かい文化の足跡を残した。
 もちろん、二人は間違って銀行に入ったわけではない。お二人とも立派に支店長まで勤め上げたのだから。ただ、もしお二人が自分の思う人生を歩いていたら、銀行の支店長どころではなかったかもしれない。(つづく)


  
 談笑するKさん
      
      熱弁をふるうMさん

  
  戦後民主文化を築いた人々(除く右端)


活力に満ち溢れた「卒寿(90歳)を祝う会」

2019-07-03 10:49:28 | 時局雑感


 6月30日、神楽坂の『香音里(こおり)』で、大先輩K氏とM氏の「卒寿(90歳)を祝う会」が行われた。90歳と言えば昔はあちらの世界の話であったが、この会は最近では珍しい活力に満ちた集まりであった。しかもその活力は、高い知性と豊かな文化性が生み出すものであった。
 お二人は90歳であるから1929(昭和4)年のお生まれ。昭和は64年であったので、つまり、昭和の60年と平成の30年を生きてきたわけだ。昭和をその中身で分けてみると、前半の30年は「戦争と戦後処理—自由と戦後民主主義の確立」の時代で、後半の30年は「高度経済成長からバブルに向かう時代」に分けることができよう。そして迎えた平成の30年は「バブルの崩壊から停滞の持続」した時代と言えよう。
 お二人は、この波乱に富んだ「三つの30年」を丸ごと生きてきたのだ。その中でじっくり各時代を見つめ、自分の人格形成に必要なものだけを身に着けてきたのではないか? そこで培われた高い知性と豊かな文化性こそ、いま私たちは引き継いでいかねばならないのではないか、と思った。
 会の前半は、お二人に物心両面のご支援を受けているミャゴラトーリ(オペラ普及団体)の歌手二人(テノールとバスバリトン)によるお祝いの歌に始まり、90本づつのローソクは1本づつにまとめられたがケーキに立てられ、全員合唱の中で二人がそれを吹き消すというセレモニーも行われた。肺活量を心配して90本を1本にまとめたが、その必要はなかったようだった。

 後半は参加者(全25人)が次々とお祝いの言葉を述べていったのであるが、それらを押しのけるようにお二人からの「出し物」が続いた。(その模様は次回に)

 
「オオ・ソレ・ミオ」を歌うテノールの所谷直生さん。ピアノは神保道子さん
    
    大澤恒夫さん(バスバリトン)からは「お祝いの替え歌」まで飛び出した

   
    90本を各1本にまとめて


  
  参加者も大満足


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