旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

『イタリアの小さな村』に見る「しあわせな生活」

2013-04-29 11:42:27 | 政治経済

 

 BS日テレが、毎週土曜日午後9時から『イタリアの小さな村』という番組を放映している。心地よい感動を与えてくれる実にいい番組だ。題名の通り、山間や海浜、または湖のほとりに広がる小さな村の、普通の人たちの生活を追っている。

 斜面に広がる、決して肥沃には見えない土地を耕し、そこに合った作物を植えて生活を営む。あるいはブドウを植えてワインを醸し、また果物や野菜を育て生きている。おじいさんがやってきたことを父が受け継ぎ、今その子がそれを継承しようとしている。
 富や名声を求める姿はそこにはない。というより、そのようなことを必要としない生活がそこにはある。若者がミラノやローマに出ていくが、いつの日かこの「小さな村」に帰ってくる。そこでバールを開き、パン屋を構え、また教師となって村人と接しながら生きる。

 よくイタリア人は働かない、と言われるが、この物語を見る限り実によく働く。朝早くから野良に出る。暗いうちから仕事場に行く。もちろん、高度成長時代の日本人のような、ワーカホリック的な働きではない。自分と家族の幸せのために精いっぱい働くのだ。
 生活はつつましい。しかし夜はバールに集まり、週末は近郊の家族も含めてみんなで食事をする。同じメンバーが同じように集まり、同じ話を楽しむ。昨日と同じ生活が今日もできた…これほど幸せなことはないのかもしれない。
 名声など求める者はいない。ある村の村長は郵便配達夫を兼務している。郵便を配りながらすべての村民と言葉を交わす。そこで得た総意に基づき村の運営をやっているのだろう。

 昨日のこの欄で、「イタリア人は国など頼りにしてないのではないか」と書いたが、この物語を見ている限り、政治空白の2か月や3か月は、全く関係ないと思える
 道が崩れれば村民総出で直すし、村民の慶弔にも全員で当たる。国や自治体に文句を言う前に、人間生活に最低必要な部分を確立している。
 日本人がこの境地に達するには、どのくらいの時を必要とするのだろうか?


2か月の空白を経て、ようやく成立しそうなイタリア政権

2013-04-28 15:30:33 | 政治経済

 

 2月の総選挙のあと2か月の政争を経て、イタリア政権がようやく成立の雲行きだ。日本は自民、民主、公明という保守勢力と、維新なる右翼がかった政党が主力を占めて政治を動かしているが、ヨーロッパは中道勢力が政治の主流だ。中道左派と中道右派が政権を交代し続けているといえよう。
 イタリアも、2月の総選挙で中道左派が下院で勝ったが、上院で過半数を取りきれず、いわゆるねじれ、2か月かけてようやく中道右派と左派の大連立を作ることにまとまったようだ。民意を最も反映する選挙制度は比例代表制であろうが、それを採用するイタリアでは、多様化する民意を反映して多様な政党が分立する。当然連立政権しか政権は成立しない。

 イタリアは、ギリシャ、スペインとともにEUのお荷物だ。財政破たんが危ぶまれ、EUにお灸をすえられて緊縮財政に取り組もうとするが、その方針を採ってきた中道左派は、ベルルスコーニの率いる中道右派との連立で緊縮策を修正せざるを得ない。果たしてEUの中でやっていけるのか?
 ギリシャ、イタリアといえば、2千年以上前に古代文明を誇った国だ。今更、緊縮財政などでミミッチー生活などやってられるか、というところであろうが、ドイツをはじめEUの優等生国にとって、これら「古きヤンチャ坊主」は御しがたき存在だろう。

 2か月の政治空白と言えば、日本なら大問題となろう。几帳面な日本人にとっては、一日の政治空白も許されない。しかし、地中海の真ん中で「食べて、歌って、恋をして」生きる人々にとって、1か月や2か月の政治空白など関係ないかに見える。
 もしかして彼らは、ギリシャ、ローマ文明を経た長い歴史の中で、国などに頼らない、自分の生き方を確立してきたのかもしれない。(つづく)


明け暮れる同窓会

2013-04-26 16:22:02 | 時局雑感

 

 老齢者(65歳以上)人口が全人口の4分の一を占めようとしている。しかもみんな元気でいるので、とにかく集まって気勢を上げたい。
 一昨日、銀行時代の先輩3人と一杯やった。3人とも八十3、4歳だが元気だ。M銀行に昭和二十年代に入行した連中であるので、戦後史を語り始めたらとどまるところがない。。
 集まったきっかけは、私がブログに書いた「歌い継がれた日本の心・美しい言葉」という文集につき意見を交わすことであったが、もちろん、そのようなきっかけはほとんど意味がなく、昔話に明け暮れた。話す内容は、過去何十年にわたり、何十回も話し合われた同じ内容でったが…。

 今日は、臼杵高校の同窓生(同級生)が集まった。東京周辺に3、40名は居るのだろうが、20名が集まり、80歳を前にした老人どもが、いかに同郷の者に思いを繋ごうとしているかを示していた。
 うっかり「老人」と書いたが、みんな若いのに驚いた。とても老人という雰囲気ではなかった。特にご婦人方の若さには驚く。男は何とも頼りないが、女性群には、「これから…」、という空気が匂い立っていた。この写真を見ても、男と10歳から20歳の差があるのではないか?
 そのことを告げると、某女が「女性はお化粧を塗りたくっているから…」と言うので、「いつか貴女の素肌にふれたい」と告げておいたが…。

   


78歳になりました

2013-04-24 13:12:15 | 時局雑感

 

 昨日で78歳の誕生日を迎えた。
 ワイフと娘からのプレゼントは、「Hazukiメガネ」であった。いわゆるメガネの上に更にかける拡大鏡である。私がメガネ越しに天眼鏡を覗きながら新聞などを読んでいる姿を見て、見るに見かねたらしい。
 ところがこれは意外に役立つ。休みの日の朝など、布団の中で新聞を読むのを恒例としているが、左手に新聞を持ち、右手に天眼鏡を抱えて読むのは手が疲れて大変だ。ところがHazukiメガネをかければ、両手で新聞を広げながら読める。有難いことだ。

       

 会社に出かけると社員一同からバースデイケーキをプレゼントされた。これは思ってもいなかったので驚いた。週二日、よぼよぼと出社している姿を見て、せめて励ましてやろうという心をうれしく思った。何か一言、と言われたので、次のようにあいさつした。
 「親父が54歳で死んだので、せめておやじを越えて60(還暦)まで生きようと思っていた。60になったとき、何とか70歳(古希)まで生きようと欲を出した。いつの間にか77歳(喜寿)を越えたので、当面の目標を80歳とする。あと2年のお付き合いをお願いする」

    

       
  
 65歳以上の人口(老齢人口)が3000万人に達し総人口の25%に迫り、その率は年々高まるだろう。年寄りの長生きは迷惑な話であるが、死ぬというのも難事業で簡単にはいかず、困ったものだ。世の中の仕組みを根本的に考え直す時代に入ったのではないか?

 

 


ミャンマーの夜明けとアウン・サン・スー・チー氏の使命

2013-04-21 14:37:38 | 政治経済

 

 約一週間日本を訪れたアウン・サン・スー・チー氏は、各地にさわやかな涼風を残し、19日帰国した。発する言葉は哲学に満ち、立ち居振る舞いは気品にあふれていた。私はNHKのクローズアップ現代と、5チャンネル古舘キャスターのインタビューを聞いたに過ぎないが、発言の一言一句に感動を覚えた。

 スー・チーさんの父は、あの「ビルマ(ミャンマーの旧名)建国の父」アウン・サン将軍だ。将軍はスー・チーさんが2歳の時亡くなっているが、スー・チ-さんはお母さんから「偉大な将軍」の話を聞かされ、そこに学んだ「勇気と責任」を今に受け継いでいると言う。
 彼女は、ミャンマーの民主化こそ自分の責任であると自覚し、それに必要な「父から受け継いだ勇気を、国民から引き出すことが私の使命」と言い切った。
 NHKキャスターの、「2歳の時に亡くなったお父さんが今現れたら、貴女は何と言うか?」という質問に、

「私はベストを尽くしています。見守っていてください、と言います」

ときっぱりと答えた。そして民主化のためには憲法改正の必要があり
、大統領になる必要のあることを明言してきた。ミャンマーの憲法改正は世界一難しいといわれている。議席の4分の一が軍に割り当てられており、憲法改正には4分の三の賛同が必要だからだ。スー・チーさんの党が選挙で全勝しても4分の三の議席で、改正にはなお軍の一部の賛同を要するのだ

 「大統領を目指すのか」という古舘キャスターの質問に、「私は大統領になりたい。名誉や富のためではない。あの広い大統領府は住み心地が悪いだろうし、金も名誉もいらない。しかし、ビルマの民主的改革は大統領しかできないからなるのだ」と答えた。
 すでに67歳のスー・チーさんにとって2年先の総選挙は最後のチャンス。「2年しかないが、選挙に間に合うか?」というNHKキャスターの質問に、彼女は自信を持って答えた。

「人生にあっては、2日でも大変長いこともある。2年は十分に長い」

 ミャンマーの夜明けが近いことを信じてやまない。


この「酒の会」(名前はまだない)は定着するか?

2013-04-20 16:09:15 | 

 

 今年の1月、「山びこの会」のお酒の好きな有志が集まり、大塚『串駒』で酒の会を開いた。大変気持ちのいい会となり、これからも続けようということになった。
 そこで次回は「新宿御苑で桜を見て、御苑前の『うま久』で美酒を飲もう」という計画を立てたが、例年にない早期開花でタイミングを逸した。しかし、桜は去ったが美酒美肴は逃げることはないだろうと、昨夜『うま久』に集まった。

 事前に吉岡店長に会の趣旨を連絡しておいたこともあって、肴には腕によりをかけてくれた。まず、北海道直送の刺身の盛り合わせ…、イカやタコはもとより、「そい」や「ほっけ」の刺身に人気が集まった。そう言えば「ほっけ」は焼き物しか食ったことがなかった。
 そのあと、豆腐のもろみ漬け「豆銘(とうべい)」や「ほたるイカ」など珍味の盛り合わせ、旬のタケノコの天ぷらなどが続く…

 それに対し、酒は南から北へと遡上して飲み進んだ。
 まず乾杯酒は、「獺祭」(山口県岩国市)のスパークリンク。ポン、と乾いた音をたてて栓を抜いた吉岡店長が、発砲してあふれる薄にごり酒を注ぎ分けてくれた。ウエルカムドリンクに似合う酒だ。
 次は、柔らかい味の『梅の宿』(奈良県葛城市)、これまた人気の「醸し人九平次」(名古屋市)と飲み進む…。極上の塩と共に出た天ぷらの段階になると、『大七生もと純米』(福島県二本松市)、このどっしりした酒は天ぷらの油に負けない。

 最後はお決まりの『田酒』(青森市)の燗酒と北上すると、店主が、「田酒燗酒ならこれで味わってください」と「イカの沖漬け」を一匹丸ごと出してくれた。これには全員感激!、大満足! いやあ、結構でした。

 ところでこの会は、定員6名で続けることになったが、会の名前をどうするか? 仮称「山びこ酒の会」としているが、「山びこの会」は歴史ある名前で、了承も得てないので軽々しく使えない。次回までに素敵な名前を考えてくることになったが、はて、さて……。

    
 一斉に真ん中から食い荒らされた「イカの沖着け」の残骸


14年目を迎えた純米酒フェスティバル(3)

2013-04-19 13:25:34 | 

 

 主催する純米酒普及推進委員会を代表して、高瀬委員長は、「13年前始めたときには、100%純米酒蔵(純米酒だけを造る蔵)は片手で数えるほどしかなかったが、今や40蔵ちかくあるのではないか…。まるで夢のようだ」と挨拶した。
 今回の出展40蔵の中でも7蔵ある。「黒牛」などは95%が純米酒で、「あと5%は地元の要望に応えて普通酒の供給をやめられない」と言っているので、100%蔵のようなものだ。それを加えれば8蔵で、実に20%を占める。

 その純米酒蔵の一つに、秋田の「天の戸」がある。残念なことに柿崎社長が今年の正月に56歳の若さで他界した。しかし今回も、従来に引き続き出展してくれた。この蔵は初回から連続出展であり、開会に先立ち挨拶をしてもらった。柿崎社長のご冥福を祈るとともに、今後のご発展を祈る。

  
   酒を注ぐ「天の戸」の森谷杜氏

 最近のもう一つの傾向に、低精米歩合で米の味を引き出した酒が多くなったことだ。かつては米の削り競争で雑味のない酒を求めてきたが、酒造技術の向上もあって60%や70%の精米で多彩な味を醸している。面白かったのは、精米歩合8.5%の酒を出して酒界を驚かせた「白鷺の城」さんが、80%の酒を持ってきたことだ。飲んでみたが立派なものであった。

     
    「白鷺の城」のブース

 長野の「川中島幻舞」さんも記憶に残る。前回書いたように、出展蔵の中では二番目に古い蔵(創業473年)だ。ところがこの蔵の杜氏は女性だ。酒造界は「男の世界」として知られてきたが、近時増えてきた女性杜氏で時代の先頭に立つ。
 杜氏の千野麻里子さんは蔵元の一人娘だそうで、東京農大に学び醸造試験所を経て、杜氏を務める。蔵のリーフレットによれば、「酒にはそれぞれ個性があり、素直な子もヤンチャな子もいる。いいところを引き出し、悪いところを直すのが私の仕事…」と発言している。まさに母の姿勢で、もしかしたら杜氏という仕事は女性の方が向いているのかもしれない。

    
    「川中島幻舞」の千野麻里子杜氏


14年目を迎えた純米酒フェスティバル(2)

2013-04-17 12:58:20 | 

 

 前回、純米酒を中心にした日本清酒が、どんどん美味しくなり、今後ももっともっと美味しくなるだろうと書いた。酒の世界は日々進歩している。
 反面、この世界には常に変わらぬ不動のものもある。それは酒造界の歴史の重みだ。

 今回のフェスティバルには、40の蔵が出展してくれたが、この40蔵の平均創業年数は、私の調べでは実に209年となる。日本には未だ1200以上の蔵が自己の銘柄の酒を生産しているが、その中から、たまたま集まった40の蔵が平均して200年企業であるということは驚きだ。
 40蔵の中で最古の蔵は、茨城県笠間市の須藤本家で、創業は永享3年というから1432年、実に581年の歴史を誇る。「郷乃誉」や「山桜桃」などの銘柄で多くの人の愛されている。2番目は長野市で「川中島幻舞」を造る酒千蔵野、天文9(1540)年の創業で473年の歴史、3番目は、米沢市で「冽」や「東光」を醸す小嶋総本店で1597年創業だから416年続く…。
 以下、300年企業が、秋田の木村酒造(「福小町」、398年)、金沢市の福光屋(「黒帯」、388年)はじめ7社、200年企業が6社、100年企業が18社、最も短くても50年以上の企業であった。

 このような業界が他にあるのだろうか? 国もようやく気が付いてきたのか、「日本清酒と焼酎を国酒として世界に発信しよう」(民主党政権下の古川元久大臣)発言に始まり、安倍政権になっても「推進委員会」ができたり、議員連盟ができたりし始めた。
 「遅い!」と言わざるを得ない。また、一方で清酒に「だぶだぶアルコール添加」を認めながら、コメは減反政策でつくらせないなど、やっていることがちぐはぐだ。「心から目覚めてくれ」と言わざるを得ない。


14年目、27回を迎えた純米酒フェスティバル

2013-04-15 13:37:07 | 

 

 2000年春に始めた純米酒フェスティバルも、東京だけでも毎年春秋2回の開催をつづけ、気が付けば14年目に入っていた。昨日、27回目のフェスティバルを、渋谷のベルナール渋谷ファーストのイベントホールで、昼の部、午後の部とも各630名の参加を得て、盛会のうちに無事終えた。

 この間、様々な出来事があったが、なんといっても純米酒の普及が着実に進んでいることがうれしい。日本清酒の全消費量は残念ながら下降を続けているが、純米酒は少しずつでも伸びている。少なくとも減っていない。したがって、日本酒に占める純米酒のシェアーは15%を超え、ついに本醸造酒(アル添酒)を抜くに至った。
 それにつれて、純米酒はどんどん美味しくなってきている。アル添酒は、大吟醸を含めて限界にきているが、純米酒はまだまだ多様化し、まだまだ美味しくなると私たちは思っている。

 参加者で目立つのは、女性、しかも若い女性が多くなってきていることだ。しかもこの若い女性たちは味覚に優れている。美味しいものをどこまでも求め、しかもさまざまな食との組み合わせを追求する。
 多くの女性が会場を去る時、「ありがとうございました。大変においしかった!」と言ってくれる。男は年寄りが多く、むつかしい顔をして飲んではいるが、もう一つ反応が悪い。若き女性たちの味覚と、美味しい純米酒の口コミ宣伝に期待するところが大きい。

 この女性たちが、日常の生活の中に多様な純米酒を持ち込むようになったとき、輸出の伸びもあいまって、日本清酒は長い低迷から脱し、反転の途につくのではないかと予感している。
 その時、わが純米酒普及推進委員会は、その歴史的使命を終えるのかもしれない。

   
        
              


ルーベンスを観てきました

2013-04-13 10:48:26 | 文化(音楽、絵画、映画)

 


「どれほど規模が大きく、取材が多様であろうと、たじろいだことはない」 (ルーベンス)

 このような発言のできる人間にして初めて描けた、というスケールの大きさを感じさせる絵が並んでいた。とはいえ、ここ渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムに並べられてあるものは、ルーベンスにしては規模の小さいものばかりだ。
 ブリュッセルの王立美術館のルーベンスの間で見た、超大型絵画の数々には圧倒された。またアントワープ大聖堂の「キリストの昇架」と「キリストの降架」もしかりだ。これらの大型絵画は、輸送の関係もあり持ち込めないらしい。
 もちろん、スケールの大きさというのは、単位画面の大きさに依るものではない。小さい画面の中にも、その構想の大きさ、物語性の豊富さがあふれ、その筆力とあいまって豊かな気分を見る人に与えてくれるものがある。

 特に、ルーベンスを特徴づける豊満な女性美もその一つであろう。ティツィアーノの作品を模写したという「毛皮をまとった夫人像」などその典型で、胸や腕のふくらみ一つをとっても、もはや模写ではなくルーベンスそのものだ。
 男を描いても同じ。「復活のキリスト」という絵があったが、筋骨隆々、何ともたくましいキリストで、多く見てきた弱弱しい十字架のキリストからは想像もできない、。死を克服して復活した姿をたくましく描いたのだろうが、ルーベンスだから許される、という感さえした。

 ルーベンスは、数か国語を話し、歴史や文学に秀で、学位も持ち、「工房の仕事をしながら、歴史物語を聞き、同時に来訪者と言葉も交わした」と聖徳太子的な人物であったらしいから、まあ、並の人間にはないスケール感を持っていたのであろう。


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