旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

湯河原で温泉休養をしてきました

2016-02-29 15:28:01 | 

 

 次男夫婦の計らいで湯河原に行ってきた。だんだん老衰の度を深めていく両親の体を癒してあげたいという思いと、息子遥人を含めた5人で団らんの時を持ちたいという思いが重なっての計画であっただろう。昨年暮れからの計画であったが、ちょうどこの2月に私が倒れて緊急入院したことが重なり、願ってもない温泉休養を与えられたことになった。次男自らが運転する車でのお出迎えで、「何も要らない、手ぶらで来てくれ」という言葉に、すべてを委ねた心休まる旅であった。

 宿は『山翠楼』という老舗旅館。藤木川の河岸に連なる温泉街の一番奥に当たる奥湯河原の一隅に佇む、まさに箱根の山懐に抱かれた宿…、という感じの旅館であった。ゆったりとした大広間のほかに二間(合計三間)の部屋どりという贅沢で、両親と、生まれた息子の双方を喜ばせたいという次男夫婦の思いが込められていた。以下にその贅沢のいくコマかを並べておく。

   
      

 玄関の大広間の一隅に、「龍吟」と大書した掛軸がかかっているので聞けば、大徳寺の住職大亀の揮毫という。部屋に入ると、広い床の間に同じく大亀の「緑毛亀」の軸が下がっていた。

 風呂は、8階の屋上に、二面に面して三つの大露天風呂が構えられ、270度の山々が臨まれる。これは気持ちよかった。残念ながら曇っていたが、夏にでも来て満天の星空を眺めたらいかばかりかと思いを馳せた。お湯の質もくせがなく、柔らかくて、湯河原温泉の良質性を実感した。

   
 旅館のパンフレットより(上が屋上露天風呂、下が2階の大風呂)

 食事も豪華であった。料理長主藤誠一氏(同じ「しゅとう」の苗字に感動)の署名入り献立表によれば、食前酒(冬香梅の梅酒)、先付(自家製 引き上げ湯葉)に始まり、デザート(自家製ゆばババロア)に至るまで実に12種の料理が次々に運び込まれた。そのうちの2種類「前菜」と「造り」だけを掲げておく。

 
 前菜…瀬戸内産生子みぞれ和え、三島あずま茶わん蒸し、浦和産山東菜辛し浸し、宮崎産金柑蜜煮、伊勢湾産太刀魚棒寿し、遠州美味鶏の蒸し焼き、北海道羊蹄産の馬鈴薯チップ(右上は先付の湯葉)

 
 造り…留萌産蛸、鹿児島県産本鮪、駿河湾産ごそ、真鯛炙り、噴火湾産帆立貝、これらを、伊豆天城の本山葵、梅醤油、特製出し汁醤油で食べる

 いやあ~、いずれも全国各地の名産が取り込まれているのには驚いた。因みに、翌朝の朝食も、以下の通り盛り沢山。駿河湾産「真鯛のカルパッチョ」と、伊東「まるたつの鯵の干物」のおいしさに、ついに禁を破って朝から一杯やりました。満足、まんぞく……(ご飯のお米は北海道産「ゆめぴりか」、これもおいしかったなあ)
 
      
 
       


春、近し

2016-02-23 20:55:15 | 時局雑感

 

 2月20日、遥人来訪… 9か月と7日、いよいよはっきりしてきた。

  
     仕草もだんだん細かくなってきたし
     
     立ち姿もしっかりしてきた
 
    時計の振り子に惹かれ、ハイハイも寸前!


 遥人の春は近い! 
 散歩に出ると、松沢病院の周囲の早咲きの桜(なに桜?)も満開だし、アヒルたちもいっぱいに背伸びをしていた!

   
       
   

 わが庭の沈丁花も、まだ寂しげだが咲き始めた

      
   


孫、遥人(はると)の成長

2016-02-19 19:58:35 | 時局雑感

 

 傘寿にしてようやく得た初孫遥人の成長については、何度かとり上げてきた。お宮参りからお食い初め、5か月を経て笑顔をつくるようになった写真も掲げた。(2015.10.31「人口問題のむつかしさ・・孫の成長を見つめつつ」)
 その後も、その成長には目を見張るものがある。

  
       
 6か月過ぎお座りと腹這いができ(2015.12.10)

   
 正月元旦(7か月半)には、おもちゃに反応

 
       
   お座りしてもはしゃぐようになり、はしゃぎ過ぎてひっくりかえっていたが、(2016.1.17)

           
   
今月に入ると、背筋を伸ばし一人で遊べるようになり、ハイハイも近いか…(2016.2.5)


 明日はご来訪遊ばすとの報が入ったが、いよいよハイハイをご披露するか?
 

 
       


ついに「焼きが回って」きた…

2016-02-14 13:54:38 | 時局雑感

 

 焼きが回る、という言葉がある。広辞苑を引くと次のように出る。
 ①刀の刃などを焼くとき、火が行きわたりすぎてかえって切れ味が悪くなる
 ②年をとったりして能力が落ちる

 なぜこのような言葉を調べることになったかと言えば、その意味を痛切に感じる事態が発生したことによる。実は、年甲斐もなく未だ弟の会社の顧問などを務め、週1回、数時間ではあるがご出勤遊ばしておるが、去る9日の火曜日、折しも開かれた役員会に臨んでいると急に気分が悪くなり、失神してひっくり返ったのである。
 あわてた弟が、5年前の再来(軽い脳梗塞)と救急車で赤羽橋の済生会中央病院に担ぎ込んでくれた。5年前は会議を終えて昼食中の事であったが、右手足のまひなど自覚症状があり、その通り左の脳に血溜の痕跡も発見された。ところが今回はその様な症状はなく、20~30秒間の記憶喪失はあったが脳梗塞症状とは明らかに違う。以降、心臓を中心にいろいろと検査をしたが確たる原因が分からないままに昨日退院した。
 唯一医師が引っ掛かったのが、脈拍数が1分間に50から60と遅く(一般の人は60以上とのこと)、脳梗塞防止のために飲んでいるシベノール(不整脈を調整するため)に原因するのではないかという点だ。しばらくこの服用をやめて経過を診ることとなった。

 再び救急入院ということで急遽駆けつけてくれた妻と子供たちに、力なく吐いた言葉が、「ついに焼きが回ったよ」という言葉だったのである。従来もこの言葉を使ったことは何度もあったが、今回は我ながら真実味があったので、広辞苑まで開いて真意を確かめることにしたのだ。
 それにしても広辞苑の通りだ。これまで80年におよび、少しでも成長したいなどと野望を抱いて能書きを重ねながら生きてきたが、ついにその無能な能書きが「行きわたり過ぎて切れ味が悪くなる」どころか、「加齢によりすべての能力が落ちてきた」のだ。
 広辞苑の続く行には「焼きを入れる」という言葉の説明があり、「刺激を与えてたるんでいるのをしゃんとさせる」という説明があるが、今更焼きを入れても間に合わないであろう。つまり年貢の納め時が近づいてきたのでああろう。
 ところで、人生の年貢って、何処の誰にどのように収めるのだろうか? この勉強に少し時間がかかるかもしれない。


充実してきたミャゴラトーリ支援者の集い

2016-02-06 13:11:20 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 1月31日、オペラ普及団体ミャゴラトーリの支援者の集いが開催された。もう数回目となる集いであるが、今回は支援者相互の、また歌手たち出演者と支援者間の交流に重点を置いて、大変質の高い会になったと感じている。
 恒例による約1時間のミニコンサートも、平野雅世(ソプラノ)、青柳素晴(テノール)、大澤恒夫(バスバリトン)の3歌手が、巨瀬励起のピアノで素晴らしい声を聴かせてくれた。原宿のアコスタジオという小さいスタジオで、わずか30人くらいで本物のオペラ歌手の声を楽しむ贅沢なコンサートだ。「オペラ歌手さんって、こんなところでも手を抜かないで全力で歌うので驚いた」という参加者の声もあった。
 続く懇親会は、各地の銘酒(日本酒からイタリアワイン、チリワインに至るまで)を酌み交わしながら、出演歌手も含めたほぼ全員が様々な思いを語り合う会となって、実に楽しかった。かなり高度の文化論も展開されたが、そのすべてを伝えることはできない。せめてコンサートと懇親会のいくコマかを掲げておく。
 もう一つ。席上でミャゴラトーリの今年の上演内容が披露された。岩田達宗演出の第3弾、ベッリーニの『カプレーティ家とモンテッキ家』(つまり「ロミオとジュリエット」のこと)を、8月6,7日に牛込箪笥ホールで公演する。これには後日談がある。岩田氏お気に入りの箪笥ホールの8月予約は6ヶ月前の2月3日に受付が行われたが、娘はその抽選会で、31人参加の中で1番くじを引き当て見事予約を勝ち取った。31人中一番とは神がかり的で、その夜は関係者が集まり、「オペラの神様がやれって言ってくれているのだ!」と泣いて喜び合ったという。

 
     
    『愛の妙薬』より「何という愛!」(平野雅世と大澤恒夫)

       
「今の人たちは幸せだ。私は85歳になるが戦時中はいい音楽など聞けなかった。平和こそ大切だ。シリア難民の有様などを見ていると、ベルディもプッチーニもあったものじゃない」と力説するK氏。
 その他話題は続く…

 
  
     
               
  

「全くの門外漢だった私たち夫婦は、ミャゴラトーリの1回の公演でオペラの虜になった」と語るMさん

   
 歌手の青柳さん(向かって右)と大澤さん(左)の間で微笑むわらび座丸山さん 


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