旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

85歳になりました(その2)

2020-04-29 14:45:00 | 時局雑感



 さて、これからどう生きるか? 85歳と言えば平均年齢も越え超後期高齢者の領域だ。これまでのように順調には生きられまいが、それでもとにかく生きていかなければならない。
 第一に。人として生きるということは、家族や近親はもちろん社会とのつながりの中で過ごすことだ。とすれば、世界も含め世の動きにそれなりの反応を示し、でき得れば自己の見解を示すことぐらいは出来たいものだ。決して大言壮語しようというのではない。「俺はこう思う」ということを、自分なりに整理しておくことぐらいはやりたいものだ。
 第二に。定例の仕事もなく十分な時間があるのだから、これまで通り(いや、できればこれまで以上に)いろんな文化に触れたいものだ。具体的には、歌舞伎、能、落語、オペラ、などなどに、それぞれ年に一つや二つは行きたいものだ。視力の低下で、絵画展や映画(特に外国物は字幕が読めない)などに制約があるが、これら文化諸般に接する感受性だけは維持したい。
 第三に。以上を続けるには、再び前回投稿に戻るが健康の維持が大切だ。体力も能力も確かに衰えた。しかし、歩くことはできるし脳は動いている。かつてに比べればはるかに低下したが、脳の働きではまだまだ負けないとひそかに自負している。何とかしてこの状態を維持していきたい。そう長くはないと思うが…

  
           

           
            リビングのつつじ


85歳になりました

2020-04-25 14:33:45 | 時局雑感



 23日で85歳になった。何人かの人からオメデトウと言われたが、その実感はあまりない。むしろ、知力、体力の衰えを感じ、先行きの不安の方が大きい。
 70歳を越えるころから、5歳ごとの衰えの進展を感じるようになった。物忘れ、思考力をはじめとする知力全般の衰えと、脚力、反応力をはじめとする体力の衰えが、確実に5歳刻みで進行するように覚える。年2回の健康診断では、特に悪いところはなく、各指標も一応正常値だ(目を除いて)。しかし、5年刻みの全般的衰えを確実に感じる。
 問題は目だ。左眼は加齢黄斑変性でほとんど見えず、右眼も黄斑浮腫(網膜のむくみ)で視力は0.5~0.3だ。まあこれでも、毎日CPを開きメールをチェックし必要な返事を書き、天眼鏡を使いながらではあるが新聞を読み、書物の何ぺージかもめくっている。ただ、85歳を迎える最近、一段と見えにくくなってきたので、0.3を割っているのではないかと心配している。仕方のないことだろう。
 家の仕事としては、三度の食事後の食器洗い、掃除機かけ、風呂掃除、時折庭の草取りや清掃などをやっているがそれもだんだんきつくなってきた。料理は一切できない。買い物も荷物運びに同行することはあるがほとんどできない。ただ、一日2合弱の酒の購入は自分でやっている。これは最も喜ばれない買い物だし、人に任せて変な酒を買われては困るので自分でやっている。
 5歳ごとの知力・体力減を自覚しながら、いよいよ役立たずになってくだろう先行きを思い、めでたさより不安の大きい誕生日である。


新型コロナ感染で明らかになってきたこと

2020-04-21 14:57:58 | 時局雑感


 
 新型コロナ感染は、ついに全国緊急事態宣言の発令までに至った。これをめぐり毎日報道されているニュースなどにより、これまで表面化していなかった問題が次々と明らかになってきている。いろいろあるが次の三点が目を引く。
 第一は、貧困層の問題だ。もちろん、貧困問題は格差問題ともども問題化されていたが、コロナのような得体のしれない害敵からまず被害を受けるのは貧困層であるということが鮮明に映し出された。日本も例に漏れないが、皆保険制度のないアメリカの貧困層が、病院にも行けず、打つ手もなく死へと追いやられている状況を見ると、その致死率の高さとともに身震いする思いだ。
 第二に、音楽や芸術に携わるアーティストと呼ばれている人々が、先ず生活の場を奪われるということ。これらの人はフリーランスとも呼ばれているように、一瞬にして事業の場を奪われ、その瞬間、生きる術を失う。それを放置すれば、彼らが生み出し、育て、過去から受け継いできたいわゆる文化を我々は失う。恐ろしいことだ。
 第三に、これまで行政改革、効率化、合理化の名のもとに進められてきた保健所や病院の整理縮小、医師はじめ医療従事者の削減が、ここにきて、ベッド不足、医師不足、検査体制不足(ここでも検査医師の不足)、などを呼び起こしている。中曽根、小泉などの行革内閣の歴史のシッペ返しを受けているのではないか?
 戦後史の総決算のやり直しが必要ではないのか? コロナはそれを教えている。高い代償だが……。


新型コロナといかに戦うか

2020-04-13 15:23:28 | 時局雑感



 国が主要6都道府県の緊急事態宣言を発して一週間が経った。急速に増え続ける患者や死者の動静に歯止めをかけることができるか? あと一週間もすればその結果が現れてくる。特に、繁華街の事業者に対する休業要請と、広く国民への外出自粛要請が柱だ。
 しかし、休業補償なき休業要請が効果あろうはずはない。事業者は生きていけないからだ。しかし政府は「休業補償はできない」の一点張りだ。全く無策だ。いったい日本には、このような緊急事態に至っても、そこに投じる金もないのだろうか? 日本はそんなに貧乏なのだろうか?
 政府に一体どれだけの備蓄があるのか私は知らない。ただ、大企業の内部留保が450兆円に達したという記録がある。また、「資産50億円以上の富裕層」の国別ランキングで、日本は世界第2位の9960人が存在するという記録もある。約一万人の人が資産50億円以上を保有しているのだ。富は偏在しているが在るには在るのだ。
 もし、企業がその内部留保の10%(45兆円)を出し、富裕層1万人が資産の10%(5億円)を出せば5兆円となるので合わせて50兆円。これは国家予算の半額でかなり使い勝手があるのではないか? それに国の備蓄を加えれば、かなりの額になるであろう。備蓄とはこのような時にこそ使うのではないか?
 これらの金はドブに捨てるわけではない。困ってる人の事業に投じるのだ。それは即座に生産、消費に当てられ、やがて企業収益や富裕層の収入、国の税収に跳ね返ってくるだろう。金とはそういうものではないのか?
 誰か、国の備蓄も含めてこれらを解明し、この国難を乗り切る良い施策を提案してくれないか、と切に望む。

       
         わが庭のハナミズキ


木々は芽吹き、百花繚乱の春を迎えたが・・・

2020-04-07 11:22:29 | 時局雑感



 桜は早くもその盛りを過ぎたが、木々は芽吹き鮮やかな緑が眩しい。散歩コースの松澤病院周辺には、春たけなわを告げる花々が咲き誇る。百花繚乱とはこのことだろう。
 反面、人間社会は暗いニュースに覆われている。新型コロナ感染者は日ごとに増加し、ついに今日、緊急事態宣言を発することになった。もはや手遅れであり、日本も欧米の後を追って深刻な事態に向かうのであろう。それを阻止するのは、日本人が高い自制心をもって真剣に自粛に取り組めるかどうかにかかっている。今こそ日本も、「日本人の質の高さ」を問われることになるのであろう。

 
      
         
  

      
  
          


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