旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

ミャゴラトーリ第3回オペラコンサート 予告編(1)

2010-06-29 15:40:12 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 息子の結婚式が終わったら、娘のコンサート(7月10日)が近づいてきた.
  娘が企画するコンサートも3回目となったが、はたしてみんな来てくれるのか心配になる。

 前2回を通じて人気者のひとりが、バスのジョン・ハオさんだ。今回『ドン・カルロ』のアリアなどを歌うというので期待している。
 彼は今度、NHK交響楽団、井上道義指揮のベートーヴェン『第九』のソリストに選ばれた。7月2日に日比谷公会堂で行なわれれ、その模様は8月15日のN響アワーで放送される。『第九』のバスソリストといえば重要な役で、さぞかし緊張しているかと思ったら、「『第九』はいいですねえ。歌は短くてお金もらえるし・・・」と平然としているようだ。
 この大らかさが人気の原因であろう。中国は沈陽省出身、中国中央音楽院卒後、中国中央オペラハウスに入り『アイーダ』のエジプト国王の役などを歌ってきた。
中国人特有の大陸的風格が他にない雰囲気を醸しだすのであろう。

    
    ジョン・ハオさん 

 今回は6人構成となったので、一番期待しているのが『コジ・ファン・トゥッテ』ハイライト部分の六重唱と、『リゴレット』の四重唱だ。苦労して練習を重ねているようだが、四重唱や六重唱となれば、各人の正確な音程とリズムを引き出し一つにまとめて行かなければならない。その役を果たす人を「コレペティトーレ」と呼び、その人は全曲を記憶し、4人あるいは6人すべてのパートを熟知した上で、各人のミスを全て指摘して正確な音程、リズム、言葉に直してまとめていく。気の遠くなるような仕事だ。
 ミャゴラトーリのコレペティ役が、ピアノの藤原藍子さん。彼女はピアノ伴奏をやりながら、全員のミスを見逃すことなく指摘し、正確で美しいアリアや合唱をつくり上げていく。
 因みに藤原藍子さんは、あの藤原義江のお孫さんである。日本を代表する音楽家のDNAは、失われることなく今につながっていると言うべきか・・・。

 
   藤原藍子さん


息子の結婚式

2010-06-28 19:49:43 | 時局雑感

 

 昨日、息子の結婚式が無事終わった。親の口から言うのも変だが、なかなか良い結婚式であった。出席者42名、大げさでなく心のこもった人たちだけの内容の濃い集いであった。
 二人の付き合いは8年に及ぶようで、しかも40歳を超えての結婚ともなれば相応に枯れており(新婦の美しさは若いだけに中々のものであったが)、べたべたしたものもなく爽やかな雰囲気に包まれていた。
 新郎新婦は飾り物ではなく、披露宴冒頭にお礼の言葉を述べて司会者ともども会の進行を図っていた。やっとここまで来ましたので今後とも共に生きていきましょう、と新郎新婦自ら現状を披露しながら呼びかけているわけで、もしかしたらこれぞ披露宴と言えるのかもしれない。

  

 息子は39歳で大学に入り来年卒業することになっている。その後何をするのか知らないが、今更甘い気分よりも生活感のほうが先行しているかもしれない。

 

     

 22日付ブログ「結婚式の酒」で書いたように、私は5種類の日本酒を持ち込み、解説付きで振舞った。続いて息子の友人が千葉県大原の『木戸泉』の「8年熟成古酒」を提供した。前述したように二人の付き合い期間8年に因んだもので素晴らしい企画であった。同時に木戸泉の新酒も持ち込んだので合計7本(2升5合)と結構な量となった。
 純米大吟醸クラスの酒をはじめて飲む人も含めて大変喜ばれたが、この人数では、もったいないことに大半を飲み残した。全て式場に置いて帰ったので、式場関係者の方々にむしろ喜ばれたかもしれない。支配人や司会者の方など日本酒への関心が高かったようなので、この企画は参考になったと思われる。
 このようなことを続ければ、低迷する日本酒の宣伝になろう。この式場は幸いなことに持込を許してくれたが、それだけに勉強にもなったと思う。このような機会を、もっともっと広げていくべきであろう。

                


サッカーというスポーツの特異性

2010-06-26 13:47:11 | スポーツ

 

 前回のブログで、私はサッカーをあまり好まないと書いた。しかし断っておくが、私はサッカーというスポーツそのものを好まないわけではない。デンマーク戦については、前夜は9時に寝て夜中の3時に起きて、試合の最後までつぶさに観た。サッカーそのものは好きであると言えよう。
 これを言うと大方のお叱りを受けるだろうが、実は私は、あのサポーターというのが嫌いなのだ。もっと言えば、サポーターといわれる人たちの応援の仕方になじめないのだ。

 勝負事である以上、観戦者がその勝敗に興奮し狂喜するのは当然であろう。しかし、サッカーのサポーターの人たちのそれは、私にはいささか異常に思える。
 一つは、何か勝つか負けるかだけにしか関心がないように思える。ゴールするかどうかが全てであるように思える。ゴールするか勝てば異常に騒ぐが、1点取られたり負ければ悲しみだけに打ちひしがれる。 しかしスポーツは技を競う競技でもあるので、「敵ながら天晴れ」ということもある。野球などでも、相手選手の超美技にスタンディングオーベーションで応じることがあるが、サッカーではあまり見かけない。相手にゴールされた時のポーズは、監督もベンチもサポーターも、頭を抱えてしゃがみこむという姿まで全世界共通している。

 日本の相撲道などには、負けた相手の心情に思いをいたすとか、惻隠の情という相手の不幸への思いやり等の精神があり、敗者の前の勝者の喜びは慎むなどが求められる。私はそこまでは言わないが、しかしサッカーのサポーターたちの喜び方はあまりにも異常ではないか? もっとも、最近の相撲界の賭博騒ぎなどを見ていると「日本伝来の美」も怪しいものだが・・・。
 ただ、サポーターたちの喜び方、仕草、衣装の仕方などは、どうも世界に共通している。全世界に共通のものである以上、それになじめない私のほうが異常なのだろう。これらサポーターの有様は、どうもサッカーというスポーツが生み出したようだ。このスポーツの何が他のスポーツと異なり、そのような特異性(?)を生み出したのだろうか? それがどうも分からない。


あわただしい世相

2010-06-24 17:05:24 | 時局雑感

 

 620日のブログに、秋田を訪ねた印象として「6月の秋田は何もない…静かで、しっとり、緑濃くいい季節…」などと書いたが、東京に帰ると毎日があわただしい。

 私はサッカーをあまり好まず、国内の試合を見ることはテレビも含めてほとんどないが、ワールドカップとなるとかなりの率でテレビを見る。昨夜もイングランド・スロベニア戦を最後まで見て寝たのは午前一時を過ぎた。理由は分からないが、オリンピックと同じ4年に一度という希少価値と、何よりも技術水準の高さにひきつけられるのだ。

 参議院選挙も始まり、これはそもそも政治に関心の高い自分としては、その行方に注目している。ただ、昨年の政権交代に期待を寄せたがその後の民主党の体たらくに失望、ようやく金に汚れた小沢、鳩山を排除して本来の姿に帰ったかにみえたが、争点となる消費税や普天間問題で民主党と自民党の差がなくなり、かつてない「争点なき参院選」になるのではないか? 
 管直人というのは、市民派として登場して自民党の世襲や利権付き政治家と違うのではないかと思っていたが、これでは全く変わらず、民主党が勝っても実質的には自民党と大連立して、ひょっとすると保守派の懸案事項(消費税増税、比例区定員削減などの選挙制度改悪など)を実現する先頭を走るのではないか?

 個人的には、627日息子の結婚式、724日は北東北の旅(初めて下北、津軽の両半島を歩き、五能線に乗って帰る)、10日には娘のオペラコンサートと諸行事が続く。その翌日が参院選挙であるので、その後もしばらくあわただしさが続くであろう。
 日本は少しは良くなるのだろうか? ただ、娘のコンサートにはじめて呼び掛けた人たちがたくさん来てくれることで、「人のつながり」の貴重さを感じている。実は、5年も前にシチリアツアーに出かけたメンバーの一人に呼び掛けたところ、その方が次々に呼び掛けてくれて8人の方々が来てくれる。もちろん、そのツアーで初めて会った人ばかりだ。また、昨年のトルコツアーで初めて会った人がご夫婦で来てくれるなど、海外旅行でのお付き合いは意外に濃いものがあると思った。
 うれしいことである。


結婚式の酒

2010-06-22 16:36:38 | 

 

 今週の週末(27日の日曜日)は、息子の結婚式だ。この齢(75歳)になって息子の結婚式(初婚)はあまり予想していなかったが、これも世相を反映していると言えるのかも知れない。
 それはさておき、披露宴に持ち込む酒の選択を息子に頼まれた。これもまた予想していなかったことで、そもそも結婚式場などというところは、決まりきったように大手の酒か有名どころの普通酒や本醸造酒など並べて、持込など一切許さないのが通常だ。料理は立派なのに何故よい酒を選ばないのか、と思いながら飲むのが披露宴の食事の常だ。

 そのような文句を日頃から聞いていた息子は、式場側と食事の打合せをする中で、酒について「どんな酒を置いているのか」しつこく聞いたらしい。それを聞いて先方は、そんなに飲みたい酒があるのなら持ち込んだらどうかと提言してくれたようだ。
 これは素晴らしい結婚式場だと私は絶賛して、その銘柄の選択を引き受けた。結婚式場として最も心すべきは「客の喜ぶ結婚式」、「顧客満足度」であるはずだ。このようなサービスこそ値打ちがある。
 こうして私の選んだ酒が今日ようやく手元に揃った。それは以下の通り。

 『亀の翁』(純米大吟醸、新潟)
 『米鶴「鶴ラベル」』(純米大吟醸、山形)
 『開運 作 波瀬正吉』(大吟醸、静岡)
 『梵・吟撰』(純米酒、福井)
 『十四代「酒未来」』(純米大吟醸、山形)

 つまり、最初の三つがおめでたい酒――鶴、亀と開運(運を開く)、次の二つが話題の酒というわけだ。「梵・吟撰」は今年のインターナショナル・ワイン・チャレンジ(ロンドン)で金メダルを獲得、十四代は言わずと知れた「日本で一番有名な酒」だ。純米酒普及推進委員としては全て純米酒か純米大吟醸としたかったが、大吟醸(醸造用アルコールを適量添加)を1本入れる気配りもした。しかもそれは、大吟醸で金賞を取りまくった名杜氏波瀬正吉の遺品作だ(波瀬杜氏は、残念ながら昨年なくなった)。

 などと言いながら、一人悦に入っているのであるが、はたして参列者は喜んでくれるのだろうか? 全国約1350蔵、1万はあると言われる銘柄の中から5銘柄を選ぶというのは、それなりの難事業であるのだが・・・。


「一年で一番いい季節」 ・・・ 六月の秋田を訪ねる

2010-06-20 12:51:05 | 

 

 昨日、一昨日と秋田を訪ねた。関係会社の株主総会出席と、その会社に保管を依頼してきた書類の整理のためだ。書類整理は処分方法の理解不足などで中途半端に終わり再訪のこととなったが、この不況の中で苦労を重ねて好業績をあげた株主総会は、苦労を讃えあうよい会議となった。
 不況に伴う売り上げ不振、特に大企業の内製化や外国転出で、下請け小企業には仕事が回ってこない。世間に言う「景気上向き」は一部大企業のことであって、中小零細企業は塗炭の苦しみにあえいでいる。その中で収益をあげるのは至難の業、身を削る思いである。

 夜は、株主の皆さんはじめ町の人々と一年ぶりの親交を深めた。文化活動や奉仕活動で、実質的に町を支えている人たちとの話は実に豊かである。しかも彼らにとってこの六月は、一年で一番寛げる季節であり、大いに羽を伸ばせる時節なのだ。
 昨年一年間にわたり『秋田歳時記』を書き続けたが、「六月」
の冒頭に秋田の男女の言葉を引用した。

 男性:「一番いい季節・・・何もない、のんびり暮らす良い季節・・・」
 女性:「物静かで、しっとりしていて、緑が濃く映えて素敵な季節・・・」

 田植えを終えて「早苗饗(さなぶり)」の時期・・・、夏から秋の収穫期に備えて英気を養う一番いい季節なのだろう。稲は早くも伸びて青さを増し、木々の緑が色濃く映えわたり、人々の心を潤す・・・。
 この自然の移ろいは、神の恵みと言うべきだろう。

 翌日は田沢湖村に「わらび座(田沢湖芸術村)」を訪ね、ゆっくりと「ゆぽぽ温泉」に浸かり、K社長が自ら摘んでくれた野いちごをいただき、田沢湖ビールを満喫した。
 私にとってはまたとない早苗饗となった。

   
     八郎潟メビウスの方々と

 


福禄寿酒造さんの連続金賞受賞を祝う会

2010-06-17 20:38:41 | 

 

 昨夜は、秋田県五城目町にある福禄寿酒造さんの、昨年に引き続く全国新酒鑑評会金賞受賞を祝う会に参加した。大塚の「串駒」の2階を借り切り、15名ばかりが集まって、実に楽しい会であった。

 福禄寿さんが昨年金賞を取ったのは、実に80年ぶりと言うので、まあ、初受賞みたいなものだろう。数年前に先代社長が五城目町の町長になって、蔵の実態的運営を若い息子に委ねた。息子はこれを機に同年輩の若い杜氏を招いて二人三脚で新しい酒つくりに挑み、だんだんよい酒を造ってきた。
 そのような時にフルネットの中野社長が蔵を訪ね、純米酒に『一白水成』と名づけて売り出した。この酒は人気を博し、そのようなことも相まって昨年の受賞となったと思われる。

 金賞受賞酒は純米酒では難しく(純米大吟醸の方が美味しいと思うが)、アル添の大吟醸で「福禄寿」酒名であるが、その酒のほか次の4本の純米酒が持ち込まれ、この5本をタップリ味わいいささか飲みすぎた。  
 ・一白水成純米大吟醸生酒(秋田酒こまち40%)
 ・ 〃  純米吟醸袋つり生酒(美山錦50%)
 ・ 〃  純米吟醸雄町(雄町50%)
 ・ 〃  純米x酒亀の尾(亀の尾60%)

    

 いずれも飲み応えがあった。出品酒は山田錦であったが、他の純米酒は、秋田酒こまちを初め色々な米で造っているところに、新しい試みと挑戦を感じた。特に「亀の尾」の酸味の効いた味は魅力的であった。

 この蔵は創業元禄13年と言うからちょうど1700年、310年の歴史を持つが、今新しいスタートを切ったといっていいだろう。21世紀のさきがけとなる蔵になってほしい。

        
         今後の連続受賞の決意を述べる一ノ関杜氏


宇宙探査機「はやぶさ」の帰還を讃える

2010-06-15 13:15:12 | 時局雑感

 

 日本は、サッカーでカメルーンに勝ったことで沸き立っているが、時を同じくして宇宙から帰還した「はやぶさ」の偉業にもっと目を向けていいのではないか? もちろん各紙やテレビもとり上げているが、日本の物つくり技術を注視しているはずの日経新聞ですら、一面でとり上げることなく、社説でも2段目、特集記事は3面であったことが少し気になった。サッカーは一面であっただけに・・・。

 当初は4年で帰って来るはずであったが、途中見失ったりトラブルで動かなくなったりしたので、帰って来るまでに7年かかったとか、この間宇宙を旅した長さは60億キロメートルだとか、頭の貧弱なわれわれには処理しきれない大きな数字だ。
 「イトカワ」とかいう小惑星は、地球から3億キロメートルも離れており、落花生形の岩の塊で最長540メートルの惑星らしい。そのような標的に命中するだけで神がかり的なものを感じるが、そこに着陸して砂を巻き上げ、それを採取して持ち帰るという企みであったらしい。砂を巻き上げる爆発はうまくいかなかったらしいが、「搭載したカメラで表面の状況を分析、自動制御システムを使って砂ぼこりをとらえるのに最適な状態で着陸した」(本日付日経新聞3面)と言うので賢いものだ。どんな教育をしたらそんなに賢くなるのか想像を絶する。

 かくなる上は「一粒でもいいから砂を採取していること」を願って止まない。「砂ぼこりの大きさは数百マイクロメートル(マイクロは100万分の1)と小さいとみられる」(前掲紙)ようで、これはまた、頭の貧弱な者には処理しきれない小さい数字だ。その小さい砂を分析して、46億年前の太陽系の生成を調べようという魂胆らしいが、今となっては太陽系などどうでもいいから「砂の一粒だけはあって欲しい」とひたすら思う。凡人の浅はかさだろうが。


季節の便り「夏みかん」が着く

2010-06-13 13:25:20 | 時局雑感

 

 先日からワイフが、「今年は夏みかんの来るのが遅いわねえ」としきりに呟いていた。私の郷里臼杵で、三番目の弟がみかん畑をやっている。小学校の校長先生を退職して、仲間と余生を楽しんでいるのだ。もちろん、美味しいみかんを育てるにはそれなりの苦労が必要なようで、「楽しんでいる」などとのんきなことを言うと叱られるが。

 ワイフによると、毎年送ってくる時期は既に過ぎており、今年は不作なのかもしれないと心配している。(不作を心配しているのか、自分の食べられないことを心配しているのか分からないが) 私は、「夏みかんは夏になるのだ。梅雨も始まらないうちに夏の作物が出来るはずはないではないか」などと嘯(うそぶ)いていた。
 そのみかんが昨夜着いた。急いでお礼の電話をすると、「今年は送るのが遅くなってスマン。」と謝られる始末、ワイフは「それ見なさい、私の季節感の方がしっかりしているんだから・・・」と胸を張る。
 早速食べる「酸味の効いた甘さ」がたまらない!
 やはり夏だ!
 確かに未だ梅雨にも入ってないが、あと一週間もすれば夏至である。いわば夏の真っ最中なのだ。季節は確実に動いているのだ。

 ワイフは、大きな夏みかんを2、3個づつ小袋にいれ、「これはあの人に、これは彼女に・・・」と手渡す準備をしている。その一袋を今晩会うことになっているK氏親娘に渡そう。実はK氏親娘は、この春臼杵を訪ね、このみかんを作っている弟の案内で城下町臼杵を散策したのだ。いい話のタネになるだろう。

   
   ふるさと風景の絵手紙つき送付状とみかん


結婚式に見られる新趣向

2010-06-12 12:34:56 | 時局雑感

 

 昨日は、わが社の社員の結婚式に参列した。式自体は、花嫁がお父さんとバージンロードを進みそれを新郎が向かえ、二人で神父の前に進んで祝福を受け、誓いの言葉を交わし指輪をはめて結婚届に署名する・・・という旧来依然たるものであったが、披露宴となると随分様相を変えてきた。
 旧来は、主賓挨拶はもとより参列者から新郎新婦へ一方的に言葉や出し物が多かったが、昨日の披露宴では新郎新婦から旧来の恩人や職場の仲間にプレゼントを贈ったり贈られたりする、相互交換の催しが多かった。
 面白かったのは、新婦のお色直しの退場の際も、職場で日常的に世話になっている同僚男性を指名して、お礼を言いながらその男性たちと退場。また残された新郎も、自分の映像を作ってくれた後輩を呼び出しお礼を言って、その男性を花嫁代わりに抱きかかえて退場するなど、大いに楽しませてくれた。

  

       

 披露宴途中でも、会場に続く庭に出て、そこでケーキの早食い競争をやるなど、なかなか開放的な試みが多くてよかった。従来の、何となく堅苦しい、形式的な披露宴では最早魅力はないであろう。
 わが社(映像を作る会社)にとっては、披露宴会場の壁を利用した映像を活用することが多くなり、これからを楽しみにしている。社員二人が扮装して踊ったが、壁一面の映像と連動して雰囲気を盛り上げた。このような試みが多くなれば、映像屋に新たな仕事が生れて来よう。

    
     新郎の同僚の出し物に喜ぶ新郎新婦

 それにしても、主賓席というのはどうにかならないものか? 毎度のことながら、新郎新婦に背を向けた席に座らされ、そこで行われることが多い催しは見ることが出来ず、とにかく会場の半分しか見れないので、全貌がつかめない。
 新郎新婦を囲む半円形の座席設定などを昔から提案し続けているが、声は届かずこれだけは旧態依然だ。まあ、主賓などという者は、祭り上げてあまり全体が見えないようにしておくほうがいい、ということなのだろう。そろそろ考え直しても良いと思うが。


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