旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

雛人形を飾る

2015-02-23 14:16:35 | 時局雑感

 

 妻を手伝って雛人形を飾った。娘が開いているピアノ教室に、小学生など10数人の子供がレッスンに来る。3月3日を前に「情操教育の一環…」というのが妻の思いだ。
 人形飾りといっても、5段や7段飾りなど大袈裟なものではない。一対の男雛と女雛をピアノの上に飾るだけだ。しかし、赤い絨毯を敷いて、後ろには屏風を立て前は柵で囲い、両側にはぼんぼりをたてる。男雛には太刀を佩かせ烏帽子をかぶせるなど小道具も多い。妻は、「この男雛きれいな顔している。長谷川一夫よりきれいだヮ」と言いながら烏帽子のひもを結んでいた。
 たった一対の雛人形だがグランドピアノの上いっぱいに広がった。子供たちはこれを見て、春の到来を感じ、また自分の成長を実感することだろう。
 こうして、わが家にも春が来るのだ。

     

 日本の季節の変化は大きい。それを彩る行事も様々だ。暮れの餅つきから正月の雑煮や七草粥、2月の豆まき、3月の雛祭り、4月の花祭りから5月は端午の節句……と数えればきりがない。お風呂にしても、初夏には菖蒲湯に入り冬至には柚子湯に浸かる。夏の土用はウナギを食べて暑さを乗り切る。すべて子供の成長、家族の健康を祈ってのことだ。
 妻が、毎年これらを忘れることなく行ってくれることをありがたく思う。このような良き風習は、これからも末永く伝えられていくのだろうか?


黒田が広島に帰ってきた!

2015-02-18 17:09:59 | スポーツ

 

 黒田博樹投手が、ニューヨークヤンキースから8年ぶりに古巣広島カープに帰ってくるニュースは,昨年末ビッグニュースとして伝えられた。私も半ば興奮気味に、このブログに投稿した。(2014.12.29付「今年はどんな年であったか?…スポーツ界、爽やかなり40歳」)
 そして、黒田は本当に広島に帰ってきた! 昨日の各紙は、16日広島市内で行われた記者会見を、かなりのスペースで詳しく報じた。会見には40社、150人の記者が集まったという。黒田自身、「驚いている。カープ、ドジャース、ヤンキースを経験した中で一番多い」と語っている。

    

 何が彼の帰国をこれほどのニュースにしたのであろうか? メジャー有数のチームで好業績を残したとはいえ、もはや40歳。ピークは過ぎているといわねばなるまい。アメリカに残留すれば年収20億に近いオファーが提示されていたが、それを袖にして、わずか(? それでもカープにあっては最高給であるが)4億円のカープに帰ってきた金額差が関心を引いたのだろうか?
 そんなことではあるまい。「広島ファンに恩返しをしたい」、「最後の一球は、私を育ててくれた広島カープで投げたい」という、最近聞くことが少なくなった言葉(帰国の動機)に、世間が目を覚まされたのではないか? 名誉と高給だけが騒がれるプロスポーツ界にあって、このような人間が未だいたのかということに、世間もマスコミも驚いたのではないか?
 そしてその行動は、あまりにも日本的であったといえる。グローバル化の荒波の中で、翻弄され続けてきた日本人が、日本人魂みたいなものに目覚めさせられたのではないか? 黒田の言動は、久しく目にすることなく、むしろ忘れ去られようとしていた言動であったのだろう。
 「人生意気に感ず」ということは、何も日本人の専売特許ではあるまい。しかし合理主義に生きるアングロサクソンやゲルマン民族にはあまりないように見える。ラテン民族にもあまりそぐわないか?
 日本人が最も尊ぶ精神を、日本の一弱小チームで育った黒田という男が見せてくれたことに、ニュース価値があったのだろう。昨年暮れこのニュースが流れたとき、テレビが広島市内のおばちゃんの声…「こんなうれしいことはない、一勝もしなくていい、ただカープにいてくれさえすればいい」という声を放映したが、これまた何とも日本人的な声である。
 日本の一小都市に、時ならぬ日本精神がこだまし合っているのである。


オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」について

2015-02-11 18:04:33 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 ビデオであるが「カヴァレリア・ルスティカーナ」を観た。何故かと言えば、娘のオペラ創作集団「ミャゴラトーリ」が、これを公演することになったからだ。
 娘たちは昨年、小劇場演劇的オペラとして「ラ・ボエーム」を公演し、クラシック専門誌『MOSTLY・CLASSIC』の「副編集長の選ぶ今年の催しベスト5」の2位に選ばれるなど好評を得た。それは、オペラ界の鬼才と呼ばれる岩田達宗氏の演出を頂いたことによるが、その岩田氏から「今年も何かやろう」と言うお声がかりを頂いて、急遽とり組むことになったのだ。5月30日(土)、牛込箪笥ホールで上演する。

 1時間もののこの物語は、そこらあたりにたくさんある三角関係の色恋沙汰に見える。舞台となるシチリアなどでは日常的にありそうな物語だ。
 美しい女ローラはトゥリッドゥの恋人であったが、ローラは彼の兵役中に馬車屋のアルフィオと結婚してしまった。除隊後帰郷したトゥリッドゥは、ローラを忘れるべく村娘のサントゥッツァ(サンタ)と婚約したが、留守がちなアルフィオの目を盗んでローラと逢引を重ねる仲に戻る。それを知ったサンタは怒りのあまりそのことをアルフィオに告げる。アルフィオは復讐を誓い、観念したトゥリッドゥは決闘を申し込んでアルフィオに殺される。これだけ聞けば普通の物語だ。
 しかし、シーリアスな場面がいくつかある。サンタは既にトゥリッドゥの子を宿していた。結婚前、つまり神の許しを得てない妊婦は神の館、つまり教会にも入れない。教会の入り口の手すりに触れながら悩み苦しむ中を、トゥリッドゥとローらは教会に入っていく。サンタのアルフィオに対する“激情のつげ口”を招く場面だ。
 彼女はこのつげ口を後悔して苦しむ。そしてそれは神の怒りに触れたのか、愛するトゥリッドゥを死に導く。しかし、キリスト教の社会にあって教会に行けないということはその村には住めないということではないか? その苦しみはいかばかりかと思う。
 あの美しい間奏曲の後、死を覚悟したトゥリッドゥは、母ルチアに「私が死んだらサンタを頼む」と歌ってアルフィオとの決闘に赴く。美しいローラに惹かれながらも、最後に思いを賭けたのはサンタであった。そこには、教会へも行けないサンタへの救いが歌われているのだろうか?
 それぞれの登場人物の心のひだを、鬼才岩田達宗氏はどのように表現するのだろうか? 楽しみだ。


テロにどう対処すればいいのか?

2015-02-05 14:48:20 | 政治経済

 

 「イスラム国」なるテロ集団事件は最悪の事態を迎え、なお日本をより危険な方向に向かわせよとしているようだ。後藤さんの殺害、ヨルダン人パイロットの惨殺、またヨルダン側による死刑囚の死刑実行と、事態は悲劇的方向へと突き進んでいる。
 人間のやることとは思えないテロ集団の行為に、許しがたい怒りを覚える。その怒りは、相手が常識では話し合えない無法なテロ集団であるだけに絶望的でさえある。とはいえこれほどの危険にさらされて放置はできない。どうすればいいのだろうか?

 安倍首相は、1日の関係閣僚会議で、「テロリストたちを絶対に許さない。その罪を償わせる」という声明を発した。この「罪を償わせる」という言葉は、翌日の参院予算委員会で「法によって裁かれるべきと考える」と修正されたようだが、当初の発言は国際社会にかなりの波紋を投げかけたようだ。
 ニューヨーク・タイムス紙は、「安倍首相は日本の平和主義から逸脱し、復讐を誓う」という見出しで、「戦後の平和主義を捨てて、世界でより積極的な役割を日本に担わせようとしている」と述べ、ワシントン・ポストも、安倍首相が集団的自衛権の行使を目指していることを指摘し、「日本の国家主義者らは人質事件を軍事的強化の口実に使うかもしれない」という識者の声を紹介したという。(5日付赤旗一面)
 日本が戦後70年にわたって堅持してきた平和主義、特に戦力と交戦権の放棄をうたった憲法9条は、(実際にはかなりの戦力を持っているが)、想像以上に世界各国に評価されているのではないか? 世界平和の一つの要石と思われているのではないか? その要を外すことに、諸国は不安を感じているのではないか?
 力こそ平和への抑止力、とよく言われる。しかし、力は本当に抑止力になってきたのか? アメリカは世界を何十回も破壊できるほどの核兵器を持つが、9.11テロを抑止できなかった。イラク戦争、パキスタン戦争を繰り返すが、テロを抑止できず、むしろ恐怖におびえ、一層の戦力強化に向かっている。力(戦力)は力の報復を呼び、それを繰り返して一層大きな戦争への道につながる…、これが歴史の教訓ではないのか?
 力ではなく無力(憲法9条の平和主義)こそが平和の保証ではないのか? テロも、この絶望的な相手でさえも、幅広い国際的世論の力で、その原因たる貧困、差別の問題を含め、要因を取り除き根絶していくしかないのではないのか。

 このようなことを言うと、必ず、書生論、理想主義、平和ボケという言葉が返ってくる。書生論が何故悪いのか? 理想論が何故悪いのか? 人類は理想を求めてこそ生きてきたのではないのか? ボケと言われるほど平和にボケなければ、世界平和など来ないのではないのか?

  


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