旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

夏と秋のはざま

2016-09-29 16:53:02 | 時局雑感

 

 テレビのお天気番組が、異常気象の続く予報を苦労しながら報じている。予想の焦点は秋雨前線の動きである。日本列島の上に居座る前線の、北側に冷たい冬の空気が迫っているが、その南側の暖かい夏の空気ががんばっているので、なかなか暑さが収まらない。東京地方は前線の南側が多く、湿った暖かい夏の空気に覆われている。いつまでも蒸し暑さが続く。
 この蒸し暑い残暑ほど嫌なものはない。すっきりした秋の空気が待ち遠しい。しかし周辺を散歩すると、装いはすっかり秋だ。近くの、都心(上北沢は都心ではないか?)には珍しい栗林を覗くと、既に栗の実ははじけていた。そして気がつけば、わが家の彼岸花も盛りを過ぎていた。

       

 
       
           

 
     


 今日は妻76歳の誕生日。子供や孫を加えていくつかの行事が予定されているが、いろいろな理由から来月に繰り延べされている。76回目ともなれば、「その日」など大して意味もなく、すべてアバウトである。先も長くないが焦ることもなかろう。スローこそ大事にしたい。

  
 


黒田投手ご苦労さま … 最終登板は雨に流れたが。

2016-09-25 20:16:35 | スポーツ

 

 今日のカープ対ヤクルト戦には期待した。黒田投手の10勝を期待したからだ。ところが不運にも雨で流れた。今年のカープは天候に恵まれ、ほとんど順調に試合を消化してきた。現時点でも残り試合は一番少ない。その最終場面で黒田の登板となった。
 メジャーリーグを通じて続けている二けた勝利を、この最終場面でも残すべく、黒田は満を持していたに違いないし、首脳陣もその機会を十分な休養の末与えたと思う。その機会は雨に流れた。それは黒田にとって不運であったのかどうかわからない。神は何を考えたのだろうか? それは誰にも分からない。チームはあと2試合を残すがおそらくそれに登板することはないだろう。
 何とか10勝させたかったとは、ファンなら誰も思っただろう。何よりも黒田が一番欲したかもしれない。しかしもういいだろう。私も今年の黒田に10勝を期待した。それは、日米通算2003勝を達成して野茂の記録を凌駕することであった。しかし野茂は201勝であるのですでに超えている。もう十分であろう。
 CSシリーズとか日本一とかまだいろいろあるようだが、私にはあまり興味はない。そんなものはお祭りに過ぎず、チームの力は「いかにレギュラーシーズンを勝ち抜くか」にかかっている。今年のカープは、いくつかの幸運にも恵まれたが、その力を十二分に発揮した。その中心が黒田であったことを疑う人はいないだろう。
 黒田投手ご苦労さま。素敵な夢を見続けたシーズンでした。ありがとう!


お酒のさかな 話題篇(7) … 酒つくりの物語性(つづき)

2016-09-18 14:22:32 | 

 

 日本の酒を代表するのは、醸造酒の清酒と蒸留酒の焼酎であるが、戦後の混乱期を経て昭和の終わりから平成初期にかけて両部門で不動の地位を確立したのが、清酒の「十四代」と焼酎の「森伊蔵」と思う。
 私は、この二つの酒が清酒と焼酎の質を格段に高め、その後の日本酒ブーム、焼酎ブームを起こして日本の食文化に新しい時代を確立したと思っている。そしてこの二つの酒の成立には、不思議と多くの共通点があるのである。
 「十四代」の高木酒造は山形県村山市、森伊蔵酒造が鹿児島県垂水市と北と南に別れ、前者を造った高木顕統(あきつな)が長男で、後者を生み出した森覚志が8人兄弟の末っ子という正反対の面があるが、その他は共通点が多い。
 先ず、二人とも酒つくりを離れサラリーマンとして生きて(森はその後飲食業自営)、東京を中心に大いに青春を謳歌していた。ところが突然親父から呼び出しがかかり、「ほかの兄弟はだれも家業を継がない。お前がやらねば酒つくりは廃業となる。帰ってこい」と呼び出される。二人とも泣く泣く故郷へ帰るのである。
 帰ってみると、いずれも酒つくりはすたれ杜氏もいないありさまだ。思い悩んだ末いずれも、「よし。どうせやるなら自分の酒を造ろう」と決意し、一から勉強して自ら杜氏の資格を取り酒造に取り組む。旧来の杜氏制度(蔵元は酒造にタッチせず、杜氏集団に任せる)から脱して、自ら杜氏として酒造りの先頭に立った。その後このような蔵が多くなったが、その先陣を切り開いたのも二人と言えよう。
 そしてできた酒を、いずれも親父の名前で売り出した。つまり森覚志ではなく「森伊蔵」であり、十五代(顕統は十五代目)ではなく親父の「十四代」であったのである。しかも今や、双方ともプレミアムを出さねば購入できないほどの酒になった。

 日本の酒産業は、戦後の長い荒廃を経験した。それを救った一端が、この二つの銘柄と言っても過言ではないと思っている。そしてその裏には、「ホンモノを、自分の酒を造ろう」と決意した二人の若者の生き様があった。その多くの共通点に、何か運命的なものを感じるのである。


黒田、新井の号泣に見る広島カープ優勝の値打ち

2016-09-11 14:01:37 | スポーツ

 

 ついに待ちに待った日がやってきた。今年はこの日だけを待ち続けてきた、とも言える。その日は、思ったよりもずっと早く、それほどやきもきすることもなく来たが、与えられた感動に変わりはなかった。
 広島カープの優勝! その優勝の値打ちは、勝利の雄たけびを上げるカープ選手の中にあって、ひしと抱き合って号泣する黒田と新井の姿の中にあった。二人とも、広島カープに育ちながら一度はそこを離れ、最後の野球人生をかけて再びカープに帰ってきた41歳と39歳のベテランである。
 親会社を持たない日本で唯一の市民球団広島カープは金がない。市民の浄財に助けられながらも資金不足に悩まされ、出来上がった選手を買うことはできず常にゼロから選手を育ててきた。他球団にないこの特性は多くの名選手を育て上げてきたが、出来上がった選手は巨人や阪神に出ていく。
 それでもあきらめることなくチーム作りを続けてきたが、資金力に勝る他のチームにそう簡単に勝つことのできないのがこの社会だ。ただ、いくら負けてもこのチームを愛し続けるファンは徐々に増えて、「この弱いチームのどこがいいのだろう?」と集まる人々が膨大なファン層を作り上げていった。
 そして、このひたむきなチームの姿勢に「育ててくれた恩義」を忘れず、最後の献身をしようと帰ってきた男もいたのだ。黒田と新井は、チームワークを第一義とする点で野球観を同じくするという。団体スポーツにとって当然ながら、投手と野手の中心としてその一体感醸成の先頭に立ってきた。ちょうど育ってきた中堅、若手との一体感がこの優勝を成し遂げたのであろう。
 投手というのはさびしい存在だと言われている。特に黒田は援護が少なく、不運に泣くことが多かった。黒田が投げて5回までにカープが3点以上取ることは少なかったのではないか? それでも黒田は投げ続け、優勝決定戦に見事その花を咲かせた。
 これらを一番知っていたのは新井であったろう。このタフな二人の男が、4万7千の観衆の前で号泣するとは尋常なことではなかろう。二人には、我々一般人には理解しえない苦しみとそれを乗り越えた喜びがあったのだろう。この二人を精神的支柱として成し遂げたこの優勝は、カープを新しいチームに作り替えたのではないか? 広島カープ第二次黄金時代の幕開けが近い予感に駆られている。

  
    黒田を胴上げするカープ選手(スポニチ紙一面より)


    


お酒のさかな 話題篇(6) … 酒つくりの物語性

2016-09-04 16:15:40 | 

 

 「お酒のさかな」という連載を続けていたが、かなり前から途切れてしまった。投稿の回数を減らしたことから、出番がなくなってしまったのだが、それでは「酒」というカテゴリーに申し訳ないので、思い出したのをきっかけに続けることにしよう。

 日本酒がこれほど多種多様に花咲いてくると、それぞれの酒がどんな酒なのか、何が違うのでこの酒はこれほどおいしいのか…、など酒の由来を話題にして飲むことが多くなる。そしてそれこそ、「お酒のさかな 話題編」としては最もふさわしい話題なのかもしれない。
 もう四半世紀も前のことになるが、『酒は風』という本を出した(写真家英伸三夫妻と共著)。新潟県和島村の久須美酒造が造る「亀の翁」にまつわる話である。この酒ほど物語性の富んだ酒も少ない。
 なにせ、戦前に撲滅した「亀の尾」という米を半世紀ぶりに復活させて造った酒だからだ。今はなき「亀の尾」が戦前名酒を醸していたという話を聞いた久須美酒造の専務(当時)
は、この米を探し求め、国の農事試験場が種子保存のため育てていた稲穂10本を入手、その米粒約1000粒を3年がかりで増産し80俵として酒を仕込み、生まれた酒を「亀の翁」と名付けて世にだし大ヒットする。
 物語性はそれだけに済まない。その「亀の尾」なる米は、明治26年に山形県余目の篤農家阿部亀冶の発見によるもので、当時は飯米としても好まれ東北一帯で育てられた。世間はそれを称え、亀冶の亀をとって「亀の王」と呼んだが、亀冶は謙遜して「王ではなく尾で結構」と「亀の尾」と名付けた美談もある。
 加えて、背が高く米粒が大きく倒れやすいので育てにくいこの米を育てる苦労話も多い。このような話題を語れば、とても酒の肴にするには膨大すぎる内容を持つのだが、これらの話はかなり肴にさせてもらった。

 日本酒も今日ほどおいしい酒が多様に出回るようになると、その裏には様々な話題性を持つ酒があるはずだ。もっとそれらの話題を肴にしながら飲めば楽しいと思う。ところが飲み屋に入ると、1万銘柄はあるだろうといわれる日本酒を、その銘柄も示さずに単に「お酒」とだけ表示している店も数多い。何とももったいない話である。


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