旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

ようやく富岡製糸場を訪問 … 日本の輸出産業興隆の草分け

2016-11-28 14:33:46 | 

 

 富岡製糸場が世界遺産になって、一度は見ておく必要があろうと思いながら、今日まで果たせなかった。たまたま、日蘭協会が日帰りバス旅行を計画してくれたので、これ幸いと妻とともに参加した。
 まず、高崎市の「日本絹の里」に案内され、蚕や繭についての詳しい予備知識を与えられた。母の実家が農家で、蚕を育てていたので、蚕や繭については十分に知っているつもりでいたが、一歩専門的な話を聞くと知らないことばかりであった。人間いくつになっても知らないことばかりだ。そして、群馬のこの地に、日本輸出産業の草分けとなる「富岡製糸場が開設された背景」(注)もよくわかった。
 (注)五つの要因:①養蚕が盛んな土地柄、②広い工場用地、③外国人指導による工場建設に住民が同意、④既存の用水など水の確保、⑤燃料の石炭が高崎からとれる。

 当地出身の渋沢栄一などの働き掛けもあったようであるが、こうして明治3(1870)年に早くも「官営製糸場設立の儀」が発っせられ、フランスの先駆者ポール・ブリュナと指導契約を結び発足する。初めは、ブリュナ一行が飲むワインを生血と間違え、「血を吸い取られる」と女工が集まらなかったこともあったらしいが、ブリュナの指導はきわめてよかったようで、一日8時間労働、休憩時間の確保、無料の病院による健康管理、教育指導の徹底(社内教育の日本のはしり)など優れたものがあり、それが後々までの成功につながったのであろう。
 その後、三井家、片倉製糸へと民間に払い下げられるが、昭和62(1987)年操業停止するまで実に115年間操業を続け、日本の輸出産業の一翼を担ったとは、まさに世界遺産の名に値するものだと思った。

  
     
   東置繭所――木造レンガ建ての構造(柱は木、レンガも不揃い)
   
  ブリュナ一家の住居跡(帰国後は女工たちの夜学教室となった)


 当日は昼間は快晴となり、榛名山や妙義山、また噴煙を上げる浅間山などが美しく展望できた。
 帰りに立ち寄った「こんにゃくパーク」でたっぷりと試食後、各種こんにゃくの袋詰めを10個も買い込み、重みが肩に食い込んだことも書き加えておく。因みにこんにゃくは97%が水であるので、水を運んで帰ったようなものである。いやあ、重かった。

  
      
          
           

 


次男家族とはしご酒を楽しむ … 八幡山商店街の「ちょい飲み&つまみ食い」コース

2016-11-19 14:26:24 | 

 

 地元八幡山商店会の年中行事「ちょい飲み&つまみ食い」行事に参加した。第3回目になるが、私は初めての参加、これを楽しみにしてきた次男家族(含む孫)も含めたはしご酒の夜となった。
 「3500円で5店舗食べ歩き!」というのが宣伝文句で、参加券5枚つづりで3500円であるので、1枚700円で目指す店の自慢料理一品と飲み物一種類が出てくる。地元の居酒屋、小料理屋、各国フード店など24店が参加しているので、その中から好む店を選びはしごをするという仕掛けだ。
 私は、これまで入ったことがなく、一度行ってみたいという店を中心に、居酒屋『潮』、々『彦や』、魚料理『菜和(なごみ)』、うなぎ屋『由良川』を選び、二男を道連れに4軒を回った。酒も思いかけず「加賀鳶純米酒」とか、「高清水本醸造」などそれなりのものを出してくれた。料理付き700円では普通酒しか出せません、という店もあったが。女性群3人(孫を含め4人)は、1歳半の孫をあやしながらとなり、イタリヤ料理『CURE』とスパゲッティ『ICHI』の2軒にとどまったようだ。
 4軒回り4杯の日本酒を飲んで帰宅すると、孫は、もうぐっすりと寝付いていた。女性群には十分な食べ歩きとはいかなかった様で申し訳なかったが、いやあ、なかなかのいい街の催しではある。

  
    
    
        
  大人の扱うケータイに大変な関心があり、たまに持たせてもらうと大喜び。
  指でなぞったあと耳に当てて、わけのわからぬ声を発して話すふりをする。
  (生後1年6か月の遥人)


米大統領選(つづき) … 底流に見る民意の動きに注目

2016-11-14 14:56:56 | 政治経済

 

 自然現象でたびたび起こった「想定外の出来事」が、政治の世界でも起こり世界中が戸惑っているようである。しかし、その後のトランプの言動からしても、それほど想定外な政治が行われることはありそうもない。大騒ぎしたが、アメリカの根本矛盾(貧困や格差など)の解決策は何も出て来そうにない、と前回書いた。
 法人税減税や大規模公共投資などはレーガン並にやるだろうが、それは上記矛盾を深めこそすれ解決はしないだろう。今回の選挙が、アメリカ政治史上に最大の変化をもたらしたのは、サンダースの登場と、彼を若者たちが公然と支持したことではないか? サンダース氏は社会主義者(正確には民主的社会主義者)を公然と名乗った。反共大国、社会主義・共産主義政党は非合法に近いアメリカにあって、社会主義者を名乗るのはタブーではないのか? しかし、氏の最低賃金引上げなどを中心とする貧困打開策を、若者たちは公然と支持し、選挙戦の途中で降りることもなく、最後まで主張しつづけた。
 もしサンダースが民主党候補になっていたら、大統領選は、社会主義者対保守主義者、貧困層対富裕層の様相を帯びて闘われたかもしれない。これは資本主義大国アメリカ、世界資本主義の盟主国にあっては、全く新しい現象と言えると思うが、現在の資本主義経済の行き詰まりはそこまで来ていることを表しているのかもしれない。
 同じような現象は、もう一方の反共・資本主義盟主国イギリスにおいても起こっている。EU離脱は様々な要因が絡み合ったのであろうが、緊縮政策をめぐる国民の閉塞感が底流を蔽っていたことは確かであろう。その様な中で、最大野党労働党主にジェレミー・コービンが選ばれたことに注目する。コービンは、カール・マルクスを称賛する党内最左翼の男である。トニー・ブレア以来、その中道寄り政策で保守党との差が見えなくなっていた労働党は、党員数を大きく減らし続けていた。その中にあって労働党支持者たちは、反緊縮財政など明確な左寄り路線を掲げるコービンを、泡沫候補の中から選んだのである。
 イギリスにあっても、マルクスを称賛する男は選挙戦ではタブーであったはずだ。しかし、これら大国を覆う閉塞感は、その解決策を古典的大道――行き過ぎた資本主義の修正を通じた社会主義への道、に求めようとしているかに見える。資本主義の矛盾は、想像以上に深まっているのではないか? 世界は、ジワリと、動き出しているのではないか?


大統領選に見るアメリカ人の知恵 … 得票数ではクリントンを勝たせ、現実政治はトランプに委ねた

2016-11-10 15:55:19 | 政治経済

 

 大方の予想を裏切ってトランプが勝利し、世界中が大騒ぎをしている。マスコミを中心に世論を読み切れなかったようで、もっと言えば、アメリカ国民は正直な心情を世論調査に反映していなかったようだ。もっと言えば、今のアメリカの現状を解決するにふさわしい人物が、候補者にいなかったということだろう。
 1%の富裕層への富の集中、中間層の崩壊、一方への貧困の蓄積…、という資本主義の行きづまりの中で、さすがの大国も喘いでいる。民主党の予備選の中で、わずかにサンダース候補が、その解決の方向を示そうとし、若者たちが熱烈に支持したが勝利には至らなかった。残された既存政治家クリントンと、新鮮ではあるが下品な金持ちトランプの、いずれかを選ばされたアメリカ国民の当惑が目に見える。
 トランプが勝利したが、彼は、法人税減税、移民の排斥などとともに、強いアメリカの復活を呼び掛けたが、前述の諸問題を解決する策を示したわけではない。彼の経歴、バックである保守党の政策からすれば、格差と貧困はむしろ拡大されていくだろう。ただ、彼には何かが変わるかもしれないというエネルギーが感じられた。「何でもいいから変えてくれ」という思いが、彼に勝利をもたらしたのだろう。
 それにしても、トランプを選ぶには勇気がいったであろう。いくつかの暴言はまだしも、この好色な金持ちへの支持を公然と表明するのは、世界をリードする大国アメリカ国民として躊躇せざるを得ない。しかし、隠れ支持者になってでも、何らかの「変化」を求めたのだ。上品なマスコミには、それは読めなかった。
 上品と言えばクリントンだが、こちらは上品すぎて、およそ一般国民とは相通じない。富裕層の代表、ワシントン――ホワイトハウスを代表するこの「既存政治家」に、国民は心から期待するものを持たない。女性を覆う厚いガラスにようやくひびを入れ、それを打ち破る寸前まで来たクリントンの敗北を不憫に思うが、彼女は、ホワイトハウス政治の「最良の候補者」であったかもしれないが、今のアメリカ国民が選ぶ「最善の玉」ではなかった。
 そこでアメリカ人は、粋な選択をした。得票数ではクリントンが上回ったということは、通常の直接選挙ならクリントンの勝利だ。国民は、下品なトランプは選ばないというプライドを示した。しかしそんなプライドは何の役にも立たないので、選挙制度のあやを使って、現実政治はトランプに委ねた。とてもクリントンに委ねる気にはなれなかったのである。
 それほど、アメリカの、いや世界の直面する病巣は深いのかもしれない。しかも、大騒ぎした選挙結果からは、その病を退治する策は何も出てこなかったようである。
 


弟の一周忌 … 竹宵の街で弟を偲ぶ

2016-11-09 16:26:24 | 時局雑感

 

 早いもので、弟淳の一周忌を迎えた。スイスでバレリーナをやっている姪の家族(娘と主人のご両親を含めた総勢5人)が日本旅行を企画したこともあり、それらを加えた賑やかな法事となった。だいたいお祭り騒ぎが好きであった淳の供養には、相応しい集まりであったろう。
 家で読経を済ませ、菩提寺の先祖代々の墓にお参り、そのあと、恒例のふぐ料理を囲む会食を経て、ちょうど催されていた「臼杵竹宵まつり」を堪能した。写真だけを掲げておく。

 
   鎮南山を望む先祖代々の墓
     
   バレリーナの娘ルナちゃんは、仏間でバレーのポーズをとリ踊る


 以下、竹宵のシーン
 
   
          
 
     
     


投票ボタン

blogram投票ボタン