旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

みちのく・下北・津軽の旅⑥ ・・・ 『津軽海峡冬景色』雑感

2010-07-31 12:45:39 | 

 

 龍飛岬(タッピみさき)は霧の中で何も見えなかった、と書いた。しかしそれは、そこで何も思わなかった、ことを意味しない。
 この岬一番の観光名所は、『津軽海峡冬景色』の歌碑であろう。なんと言っても、この歌謡曲がこの地を全国に知らしめたのであろうから。当然のことのように私もワイフもこの前で記念写真を撮った。次々とその碑の前に立つ人たちの順番を待ってまで・・・。そして、そこに書かれた歌詞をよんで、改めて作者阿久悠の作詞力に感じ入った。私はこの演歌を
好きではないが。

 上野発の夜行列車 おりた時から 青森駅は 雪の中
 北へ帰る人の群れは 誰も無口で 海鳴りだけをきいている
 ・・・ ・・・

 「上野発の夜行列車」という言葉だけで、多くの人はエレジー(悲歌)を感じる。「おりた時から・・・雪の中」でそのわびしさが増す。「北に帰る人」は誰も無口だが、みんな共通の意識の中にいる・・・口などきかなくても。
 すばらしい導入である。しかしこの一番の歌詞は龍飛岬では流されていない。歌碑のボタンを押すと流れ出るのは二番の歌詞である。それは、二番にこそ「タッピ」という地名が出てくるからだ。歌碑を見た人は次々とボタンを押すので、この二番の歌詞だけが龍飛岬を終日流れ続けているのである。

 ごらんあれが龍飛岬 北のはずれと 見知らぬ人が 指をさす
 息でくもる窓のガラス ふいてみたけど はるかにかすみ 見えるだけ

 「見知らぬ人が」指をさす・・・というのが、一番の歌詞の「人の群れは誰も無口で」と響きあって聞こえた。みんな無口でも思いは通じ合っている・・・「北のはずれ」を見納める思いは誰にも共通で,無口だった「見知らぬ人」の話しかけがきわめて自然だ。「並みの作詞家じゃあないんだなあ・・・」と思った。
 そのようなことには関係なく、二番の歌詞だけが流れていたが。

 快晴の龍飛岬で、夏の津軽海峡と北海道を眺めていたらこんなことは思わなかったかもしれない。霧の中に浮かぶ歌碑が、他を捨象して阿久悠をひときわ浮かび上らせたのかもしれない。

   
            歌碑


みちのく・下北・津軽の旅⑤ … 岩木山からタッピ岬へ

2010-07-29 16:12:41 | 

 

 二日目の宿は岩木山中腹から日本海を一望する絶好のロケーション。蟹田港から鰺ヶ沢を過ぎてホテルに向かうにつれ空は晴れてきた。まだ岩木山頂には雲がかかっていたが、山裾が左右に流れて美しい。
 岩木山を見るのは二度目である。一回は弘前市から眼前に威容を見て圧倒されたのを覚えている。今回は逆の日本海側からの眺めで、遥かに美しい山形を見て改めてきれいな山だと思った。この岩木山を堪能できたことは、今度の旅の最大の収穫の一つであった。というのも、ホテルに着くや空は晴れ渡り、しかも部屋から正面に見えて飽きることなく眺めつくしたからである。

   
 翌朝も全くの快晴で、ベッドの中から岩木山を眺めつくし、起きだして、岩木山に連なるホテルの裏側のスキー場らしき丘陵を散歩した。

 三日目の目玉は、津軽半島西海岸の、最北端「龍飛(タッピ)岬」と海岸を走る「五能線」。津軽半島西海岸は美しかった。午前中の空は、雲は多かったが遠望はきいて、弓なりの海岸に心を委ねた。

    


 
      タッピへの道

 

 この調子ではタッピ岬から北海道が見えるかも…、などと思っていると、そうはいかない。タッピ岬に立つには、海岸から約6百メートル登って3百メートル下らなければならない。つまり、海抜3百メートルの位置にあるのだ。バスで山を登り始めると霧が襲ってきた。峠では視界10メートルぐらいだ。そこから3百メートル下ったが、竜飛岬も霧の中…せいぜい数十メートル先しか見えない。
 「北海道はどこだ!」

 標識や、『津軽海峡冬景色』の歌碑の前、また有名な「階段国道」などで写真ぐらいは撮ったが、最も展望を求められる場所の視界ゼロはあんまりではないか! 岩木山で「視界」を使い果たしたのかもしれない。

  「風の岬 龍飛」の標識


みちのく・下北・津軽の旅④ ・・・ 仏が浦から陸奥湾へ

2010-07-27 11:05:35 | 

 

 ツアー2日目のメインは「仏が浦」。
 下北半島を上りつめ、最北端の大間岬を回ったバスは、マサカリの刃にあたる海岸を南に下る。その刃の部分の真ん中あたりが仏が浦だ。ただ、海岸に切り立つ仏が浦には、陸路では行けない。手前の「佐井」という村から遊覧船に乗り込み、海からこの奇岩を眺めると言うわけだ。

 
      

 白緑色の疑灰岩が、長年にわたり風雨と荒波に削り取られて出来たいう奇岩は、海抜100mにおよび屹立、約2キロにわたって立ち並ぶ。リーフレットによれば、「五百羅漢」、「にがこ岩」、「岩龍岩」、「屏風岩」、「天龍岩」、「蓮華岩」、「極楽浜」、「一つ仏」・・・などとなっているが、離れた船中から見るのでは、どれがどれかよくわからなかった。
 どこかの浜にでも船を着けるとか、岩の間をくぐるなどあれば、もっと迫力があるかもしれないが、そのような時間もない。加えて、甲板に出すこともなく船室内のガラス越しの観覧では、良い写真も撮れない。
 大町桂月は、「神のわざ 鬼の手づくり仏宇多(ほとけうた) 人の世ならぬ処なりけり」と歌っているが、それほどの感慨は受けなかった。

     

 再び佐井に返り、今度は山中を超えて陸奥湾に臨む「脇野沢」(マサカリ刃最南端の内側)に出て、脇野沢港から陸奥湾フェリーで津軽半島の蟹田港に渡る。
 午後の逆光に映えた陸奥湾は、波静かで美しかった。フェリーに沿ってイルカがついて来ることもあるというので
期待したが、それは5、6月頃までのことらしい。何事もそううまくは行かない。

       
        ひたすらイルカを待ち続けるワイフ

   
     イルカは来なかったが、鯨のような島が現れた


体調不良(風邪)の老骨にこたえた引越し

2010-07-25 19:53:52 | 時局雑感

 

 今回の引越しはK社に頼んだが、引越し手順もずいぶん合理的になっていると思った。まずラベルが3種類ある。最初のラベルをキャビネや机などの器物に貼り番号をつける。、次のラベルを、その器物に入っているものをダンボールにつめ、その箱に貼って器物と同じ番号をつける。最後のラベルはは廃棄用で、これもダンボールにつめそのラベルを貼る。
 転居先事務所の見取り図に器物の番号を書き入れてあれば、そこに据付け、その前に同じ番号のダンボールを積む。廃棄物は全て引き取り責任を持って廃棄する・・・という仕組みだ。
 だから余分なことはしないで、運ぶ物をダンボールにつめ、間違いなく番号を振っておけ、その先は「プロであるわれわれが運ぶ」と言うわけだ。従って、数日前からまず廃棄物を選別し、対外秘のもはシュレッダー、それ以外はダンボールにつめ廃棄のラベルを貼る。2~3日前から必要物をキャビネや机から出してダンボールにつめ相応するラベルを貼る。引越しと言ってもそれだけのことである。

 それでも私は、数日かけて20数個のダンボールを詰めた。そして昨日新事務所で待っていると、すべての器物は配置され、私の詰めたダンボールはすべて周辺に運ばれてきた。私はそれをひたすら開いて、キャビネや机にしまった。
 では大したことはなかったではないか、と言われるかもしれないが、これが老骨にはこたえた。ダンボールを全く動かさずに処理が出来るわけはなく、相応の力を使っているのであろう。加えて風邪をひいて体調は最悪。自分のものだけは片付けて皆さんより早めに帰らせてもらったが、家に着くとそのままベッド・・・、飯も食わず風呂にも入らず(そんな気力はなかった)ひたすら寝た。
 合理的になっただけ、それだけ密度が濃くなり年寄りにはこたえるのか? いや、75歳の老人には引越しなどできないのであろう。何事も起きなかったことをよろこぶべきかもしれない。

    
    新事務所(16階)から見る芝離宮


酷暑の中の株主総会、事務所移転

2010-07-23 16:33:33 | 時局雑感

 

 今年は例年になく梅雨の終わりが鮮やかであった。このところ毎年毎年、何時梅雨が終わったのか、何時から真夏が始まったのかわからないような年が続いていた。
 子供のころの九州では、梅雨の終わりと真夏の始まりが明瞭であった。つまり梅雨が終わるとカラリと晴れて、その青空に入道雲が浮かぶ。「ああ、夏だ!」と夏を実感したものだ。
 今年の東京は久しぶりにそれを実感させてくれた。梅雨の終わりの豪雨の後、快晴が続く…。それだけに一気に猛暑が襲ってきた。その暑さにはいささかまいっているが、これぞ季節の変わり目だと思う。

 昨日はその中で株主総会を開いた。参加者は北は秋田、南は名古屋に及んだが、東京の最高気温35,6度を中心に、名古屋は37度、秋田でも32度とか報じられていたので、日本列島は酷暑列島となっているのであろう。
 しかし秋田からの参加者は、「東京は暑い。秋田の暑さと質が違う」と言っていたので、都会独特の暑さがあるのであろう。

 その中で昨日に続き引っ越し作業だ。中野坂上には2年間いたが、駅から事務所までの環六沿いの道路は工事が続き、ここにきてようやく完成、欅と花水木の美しい歩道ができた。それを歩くことわずか一、二カ月でこの地にもお別れだ。

 さようなら中野坂上…、短くとも思い出は多い。
 何時の日か、再びこのきれいな歩道を歩く日があるだろうか?

    


酷暑の中の引越し騒動

2010-07-21 20:29:46 | 時局雑感

 

 わが社は2年前に新宿より中野坂上に引っ越してきたが、故あって浜松町に引っ越すことになった。わずか2年での引越しはもったいなくもあり複雑な気持ちであるが、これを機会に「無駄なものを捨てよう」と、毎日ゴミ出しが続いている。
 2年前は、過去20年のゴミを出したので大変であったが、今度はわずか2年分なので、前回とはかなり違う。ところが、前回の経験も生きて「もしかして要るかもしれないと持ってきた物が、結局不要であった」ことが多いことから、前回以上に厳しい基準で捨てているので、結構ゴミが出る。
 もう一つは、コンピュータの活用度の高まりから、「ほとんどの資料はサーバーの中に保管され、紙で持つ必要なし」という基準から、一つのキャビネットが丸ごと空になるケースも出てきた。

 大変結構なことだと思っている。恐らく、2年前までに持っていた書類の5分の一ぐらいに減るのではないかと思っている。経理も、税務調査の経験から従来は5年から7年分持つこととされていた資料を、「そんなにさかのぼって見られることはない」とう経験から3年分ぐらいに減らした物も多い。法で定められているものは仕方ないが、しかし、お上だってそんなに遡って調査する余裕などないのではないか?

 良かれ悪しかれ、時代は変化しているのであろう。


みちのく・下北・津軽の旅③ ・・・ 下北半島

2010-07-19 11:13:40 | 

 

 旅の二日目は下北半島を巡るコースだ。青森県の東側、いわば南部藩側だ。明治の廃藩置県で、本州最北端も東西に分けるべきところを南北に分け、東西一緒にして青森県とした。官僚の単純ミスであろう。しかし東と西は、南部藩、津軽藩という呼び名だけでなく、気象条件から産業状況までまるで違う。今でも実態的統一はなされていないと言う話を聞いてきたが、今回の旅でその思いを新たにした。
 後で回った津軽は想像以上に豊かな穀倉地帯が続いていたが、下北半島には緑が少なかった。低地で風が強く、穀物は育たず、産物は専らジャガイモやニンニクなど甜菜類とのことだ。途中の道の駅でそのニンニクを一袋買って帰った。

   


 強い風を利用した風車が丘陵に立ち並ぶ。これによる電力を六ヶ所村などに送っているということだ。風車といってもただ風が強ければよいと言うものではないらしい。あまり強いと羽根を持っていかれるので止める。ほどほどの風がよいというから難しい。

 この旅で初めて知ったが、岩手県は四国4県の広さで、マサカリ型の下北半島は大阪府の広さに匹敵すると言う。この岩手県と下北半島を治めたのが南部藩・・・、この広さで10万石と言われ、一方津軽藩は青森県西半分だけで10万石だから生産力にかなりの差がある。あの伊達政宗にしても、米の採れない南部には食指を動かさなかったらしい。
 しかし、そのような地でこそ人智が働き、また偉人を生む。奥入瀬からバスを下ると青森県十和田市だが、ここもかつては荒廃の地であった。そこに新渡戸傳(にとべつとう)という60歳の老人が現れ、奥入瀬川の水を上げて稲生川という農業用水を作り豊かな穀倉に変えた。この気の遠くなるような事業に取り組んだ老人の孫が、あの新渡戸稲造である。

 バスはひたすら走って最北端の大間に向かう。大間は黒マグロで有名であるが、ガイドの説明によれば全て東京の築地に送られ、地元で食べることはないと言う。金には代えられないのであろうが、これもまた悲しい話である。
 マグロはイカを追って来る。今年は大きいイカの大群がまだ現れず、マグロも来ていない。時速70キロで回遊するマグロの一本釣りを見たいものだが、それは大間岬のモニュメント(下写真)を見るしかになかった。

      

   
       マグロより釣上げている腕がいい


大阪純米酒フェスティバル

2010-07-17 10:41:38 | 

 

 昨年は夏の純米酒フェスティバルを名古屋で開催したので、大阪での開催は2年ぶりとなった。確か2002年より毎夏大阪で開催してきたので、この2年は大阪の酒ファンにとっては待ち遠しかったかもしれない。反面、名古屋のファンにとってはこの夏は寂しいのかもしれない。嬉しい悲鳴であるが、申し訳ないような気もしている。

  
     出展蔵元と記念撮影


 今年の大阪の第一印象は、静かであったという感じだ。というより落ち着いてきたと言うのか、実に内容濃く酒と食を楽しんでくれたという印象だ。
 280人参加、出展蔵20蔵、出品された銘柄約120種類は、ちょうど良い規模と言えるのかもしれない。定席で弁当付きだから落ち着いて飲める。バイキング形式だとどうしても落ち着かない。各蔵のブースもそれほど混むこともない。大阪にも、われわれの目指す「純米酒と食をじっくり味わう」というコンセプトがようやく定着したと思われた。

 東京より静かだ、ということが委員の間で専ら話題になった。東京は最近やや乱れてきた感がする。大阪の二時間に対し30分長いことが原因で、最後の30分で悪酔いするのではないか、などの意見も出たが、東京の50蔵出展では二時間では短すぎるのでいたし方あるまい。

      


 今回大阪の人に喜ばれたのは、人気の『梵』さんはじめ初登場が半分の10蔵もあったことだ。群馬の蔵が二つ(『水芭蕉』さんと『町田酒造』さん)や茨城の『来福』さんなど、関東の酒が大阪で飲める機会は少ない。遠距離の蔵元さんにはご迷惑もかけるが、このようなことも今後考えていかなければなるまい。
 まあ、めでたしメデタシと委員中心の二次会も盛り上がった。


みちのく・下北・津軽の旅② ・・・ 十和田・奥入瀬

2010-07-16 20:18:57 | 

 

 中尊寺を経て次の訪問地は、十和田湖・奥入瀬渓流である。私にとってこの地は二度目の旅だ。最初の訪問は19996月であったので、ちょうど11年前になる。その時も秋田側から発荷峠を越えて十和田湖畔に降り立ったが、今度も同じコースだ。中尊寺を後にしたバスは、奥州の背骨の部分を越えて秋田県に出て、鹿角を経て発荷峠へと登る。
 前述したように中尊寺では晴れていたが、秋田への山越えではにわかに掻き曇って車軸を流すがごとき大雨となった。やっぱりダメか・・・と思っていたら平地に降りると幸運にも雨は上がった。私は発荷峠からの美しい十和田湖をワイフに見せたくて、祈るような気持ちで車窓から天を仰いでいたが、快晴の発荷峠とはいかなかったが何とか十和田湖の一部を見渡すことが出来た。湖に突き出す御倉半島と中山半島が霧に霞んで、むしろ幻想的ですらあった。

 
      発荷峠より十和田湖

 奥入瀬は、バスで眺めながら下り、白糸の滝で降りて、銚子大瀧までを歩いた。パラパラと雨が降ったりして、しっとりとした緑の中を流れる渓流が美しかった。

 
         奥入瀬渓流

 
          銚子大瀧

 初日の宿は十和田湖に面する「十和田湖レークビューホテル」。ご承知のようにこの十和田湖は秋田・青森の県境にあり、境界線が湖のまん中を横切っている。驚いたのはこのホテルの敷地内を流れ十和田湖に注ぐ小川がその県境となっており、われわれは言うなれば二県にまたがって寝たようなものだ。
 しかもその小川は「神田川」と名づけられ、それに架けられた橋(いわゆる秋田と青森をつなぐ橋)は「両国橋」と名づけられていた。翌朝の朝の散歩で、両国橋を往復しながら“二県の旅”を楽しんだが、その名前からして東京人を当て込んだ観光目当ての命名であろう。


       神田川(県境表示あり)

 
          両国橋


勝者なき参議院選挙

2010-07-13 21:49:20 | 政治経済

 

 暑い夏の熱い参院戦が終わった。その結果をマスコミは「民主党の大敗北」と報じている。反面、「自民党の大勝利」とも書いてないが。

 民主党は「大」敗北したのであろうか? 最終的には議席を争う選挙であるからから、負けたことは確かであろう。しかし、自民党は本当に勝ったのだろうか? 国民は自民に投票して民主には入れなかったのだろうか?
 「比例代表」の得票数を見ると、民主党1845万、自民党は1407万と4百万以上の差がある。当然議席も民主党が多い。議席で大敗したという選挙区でも、候補者の合計得票数は民主党が2275万、自民党は1949万と民主が3百万以上上回っている。民主党は本当に負けたのか? 各紙が言うように大敗したのか?
 小選挙区的な「一人選挙区」の選挙は非常に難しい。立候補者数など様々な状況で小差で議席は取れない。今度の選挙では一人区で議席がとれず、民主党は確かに負けた。しかし、民意の一つの指標が得票数にあるとすれば、「大敗」したかどうかは疑わしい。

 昨夜のNHK討論会で、民主党は負けたような顔をしていたが、勝ったような顔をしていた党はなかった。みんなの党が元気が良かったが、所詮は少数政党、過去の例から見ても、やがてはどこかとくっついて終わりだろう。
 自民の谷垣など、勝ったような顔はしてなかった。さすがに良く分かっているのだろう。
 公明、共産、社民はいずれも議席を減らし続けている。小選挙区制的要素の強い非民主的な制度の中では、今後もその傾向が続くであろう。それを避けるためには、公明党のように大政党に擦り寄るのだろうが、結局自民党の悪政に手を貸しただけで、今の姿に勝者の面影はない。
 結局、勝者なき選挙戦で、逆に言えば全党が負けたのではないか?
 国民は迷って、誰にも勝利を与えなかったのではないか?

 


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