旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

三陸海岸縦断の旅⑧ ・・・ 気仙沼

2010-09-28 14:07:27 | 

 

 碁石海岸の興奮を乗せて、バスはその日の宿気仙沼プラザホテルに向かう。
 美しい海岸から、だんだんと魚の匂いと人いきれが聞こえてくるようだ。そう、この気仙沼こそ三陸海岸一の漁業の町である。特に秋刀魚の水揚げ量では日本一、また、「大島を懐に抱く気仙沼湾は水の汚れもなく、カキ、ノリなどの養殖も盛んに行なわれ、松島名物のカキもこの付近で養殖することが多い」(実業之日本社『ブルーガイド』132頁)ということだ。
 海岸線から深く入り組んだ入り江は天下の良港で、これでは台風や津波の被害なども受けにくいであろう。津波といえば宮古の手前に「田老」という町があったが、かの“三陸大津波”最大の被害地であったらしく、町中には「三陸大津波ここまで」という甲板がいくつも立っており、今後の被害を防ぐために街のまん中に長い堤防が築かれ「万里の長城」と呼ばれている。昭和8年の津波は高さ12m、明治29年は高さ15mに及び、全戸壊滅に近い被害であったという。
 そのような点からすれば、気仙沼はいい港なのであろう。

 三日目の朝、早く起きてワイフと港を散歩した。昨日までの快晴と打って変わって、空を厚い雲が覆ってきたが、その重々しさが“東北の漁港”の厳しさのようなものを感じさせてくれた。桟橋には連絡線や様々な船がギッシリと並んでいる。早朝で静寂に包まれていたが、これらの舟が様々な役目を帯びて各方面に出航していくのであろう。

      

 桟橋の傍に、恵比寿様が魚を釣上げた建造物があるので近づくと、「世界一大きい鮪の貯金箱」とある。世界一素晴らしい街づくりのための基金を集めているそうだ。また大きな錨がそのまま飾られていたり、港町ならではの風景だ。

      

   


 公園の隅に、俳句とサンマ川柳と短歌の「全国大会入選作」が掲げられていた。心に残った作品を書き留めておく。

   俳句   競り終えて 港祭りの笛稽古
   川柳   どどどっと海を引き連れさんま来る

 いずれも港気仙沼ならではの句である。そしてまた、次の歌は心に響いた

 ビルマ戦線の被爆の破片拾い上ぐ 兄の火葬の灰の中より

 この平和な港町にも戦争の惨禍は等しく押し寄せて、65年を経た今なお、その苦悩を残しているのである。

 


三陸海岸縦断の旅⑦ ・・・ 浄土ヶ浜と碁石海岸

2010-09-27 20:54:17 | 

 

 列車とバスと船の組み合わせが、このツアーの魅力の一つ。三つの船旅のうち二日目に二つが重なる。浄土ヶ浜の遊覧船と碁石海岸の“さっぱ舟”。船と舟の違いも楽しいところだ。

 

 三陸海岸は宮古で北陸中と南陸中に分かれる。その真ん中に当たる宮古市の海岸に浄土ヶ浜がある。この浜は、「約300年昔、宮古市常念寺の7世霊鏡和尚が発見したものと伝えられている。深い山に分け入った霊鏡和尚が、山の向こうの秘められた美しい浜に出あい、そこに極楽浄土を見て、浄土ヶ浜と名付けた」(実業之日本社『ブルーガイド東北』145頁)

  
         
       

 その通り、わがツアーバスも岩泉の山里から海岸に向かい、深い山を下るように浜に出た。そこは確かに静寂に包まれ、海浜に並ぶ岩山は「極楽浄土はかくあるのか」と思わせるものがあった。美しい海水に浮かぶ岩々を眺めしばし散策、船着き場から遊覧船に乗り込み、今度は外海から浄土ヶ浜の長い海岸を観覧する。
 船が出るや“ウミネコ”の大群が餌を求めて周囲を飛び交う。餌となるパンを購入して“ウミネコの餌付け”を楽しむ。快晴の空、青い海、白い岩と緑の松の浄土ヶ浜…そこを飛び交う白いウミネコの乱舞は、たまらなく美しかった。

         
  


 それに対し、大船渡沖の碁石海岸はやや趣を異にした。これは船ではなく舟で太平洋に乗り出したのだ。漁民が日々漁を行う小さい舟に4人ずつ乗り込み、船頭が手で操る操舵で大海に乗り出すスリル満点の遊覧だ。その日は、午後となって結構波が荒く、碁石岬の突端に出ると“さっぱ舟”は葉っぱのように揺れて波に打ちつけられる。呼び物の“岩穴くぐり”はだめかもしれないと言われたが、「船頭さんの勇気と英断」で見事に成功、全員で歓声をあげる。

   
         

 メンバーの一致した意見では、この“碁石海岸さっぱ舟”が、本ツアーのハイライトということになった。平均年齢は恐らく70歳を超えていたと思うが、いくら年寄りでも自ら身を挺してスリルを味わう喜びに勝るものはないのだ。いや、人生を知り尽くした年寄りだからこそ、単に景色を眺めるだけでは物足りないのかもしれない。
 いやあ、良かった、よかった。

  
        


おめでとう イチロー

2010-09-25 09:25:08 | スポーツ

 

 このブログのカテゴリーにも、一応「スポーツ」を掲げているが、過去3年8ヶ月で20項目しか書いてない。ほとんどが、イチローかマラソンか、オリンピックや世界選手権のことだ。
 その数少ない中にも、このイチローの快挙「10年連続200本安打」については書き残しておかねばならない。

    

 このような記録がどうすれば生まれるのか、どのような人間に与えられているのか? 私には想像もつかない。ただそれが、想像を絶する苦悩の中で生み出されることだけは確かであろう。それは単に努力と言うようなことだけでなく、周囲からもたらされる様々な圧力に対する強い精神力から生み出されることも確かであろう。
 記録達成直後のインタービューでの、彼の言葉が示している。
 「10年前、豪腕投手と対戦する時、メディアの質問は『彼からヒットを打てると思うか』と言う侮辱的なものだった。しかし今は、一日ヒットが出ないと『どうしてヒットが出ないのか』と言う質問に変わった。10年間で周囲を変えたことには気持ちよさがある」
 そして、「200安打の意味は?」と言う質問に対する回答は、この十年間の苦悩を言い尽くしている。
 「簡単でないことは僕が一番知っていますからね。それはそれなりの思いがある。」
 この二つの言葉を聞いただけで、“この日”は値打ちがあった。

 彼が破った大リーグ記録には、108年ぶり(8年連続200安打)とか84年ぶり(シーズン最多安打262)など、気の遠くなるような数字が出てくる。再びこのイチローの記録を破る者が出るのだろうか?
 
しかし、イチローがこの大記録を打ち立てたその日、地元の日本でも白鵬が60連勝を達成して、73年ぶりに双葉山の記録(69連勝)を破ろうとしている。

 2人に共通するものは「心、技、体」の一体的充実であろう。
 これらの超人が、常に新しい時代を切り開いていくに違いない。

     (写真、記事とも毎日新聞より)


三陸海岸縦断の旅⑥ ・・・ 龍泉洞、岩泉

2010-09-24 09:31:27 | 

 

 二日目は、先ず岩泉に向かい龍泉洞を訪ねる。このツアーは「三陸海岸縦断…」とあるように、ほとんど海岸線を南下する旅であった。唯一内陸の北上山地に分け入ったのが、この岩泉、龍泉洞である。

     

 龍泉洞は、高知の龍河洞、山口の秋芳洞と並ぶ日本三大鍾乳洞のひとつ。奥行き1700mに及ぶそうで、地底湖の深さ100m、透明度はバイカル湖の40.5mをしのぐ41.5mとのこと。
 しかし残念ながら中は暗くて、ガイドも中までついてこなかったので解説は流れるテープだけ、肝心の地底湖も十分に堪能できなかった。これまでみた鍾乳洞は横に広がっているものが多かったが、ここは縦に掘り下げられており、階段を上下するのにフーフー言った。

   1センチ伸びるのに50年を要すという。

 それよりも興味を引かれたのは「岩泉」という町であった。数日前にたまたまNHKで「日本の里山」を巡る番組があったが、それに岩泉が登場して懐かしく思った。その番組にも出たが、南部牛の産地である。だから「南部牛追い歌の全国大会」なども開かれているという。
 またなんと言っても「松――特に赤松」の里で、つまり松茸の里ということだ。いずれにせよ「日本の里山」風景が未だ十分に残っている地域なのだ。ガイドもそれらを、かなり力をこめて解説していた。
 特に、ガイドの次の言葉は記憶に残る。
 「三陸海岸は、①白い岩、②青い海、それに③松の緑…特に赤松の風景、という三つの要素が生み出す景観で、これが国立公園になった理由。この松が無ければこれほどの趣は無く一般の海岸であったろう。」
 これは説得力があった。
 だから来てみなければ分からないのだ。旅の素晴らしさはそこにあるのだ。私はガイドの言葉を胸に刻み、以降の三陸海岸を眺め続けた。

     
     白い岩、青い海、松の緑…


三陸海岸縦断の旅⑤ ・・・ 羅賀荘の日の出

2010-09-22 21:16:42 | 

 

 第一泊は北三陸海岸では有名な羅賀荘。後で述べるが料理も美味しく、リアス海岸に位置する佇まいも麗しく期待に違わぬものがあったが、何よりも期待したのは太平洋から上る日の出であった。
 朝に弱い私は、日の出の美しさをあまり見ていない。若い時は正月に高尾山に登り初日を拝んだが、それとて「典型的な日の出」…つまり水平線に上る太陽などは見た経験はない。
 夜に強いためか、夕日はいくつか見ている。(夕暮れと「夜に強い」とはあまり関係ないと思うが) 一番美しかったのは、秋田県男鹿半島の西端「入道崎」の日没だ。これは地元の人も珍しいと言うぐらい、全く雲の無い水平線に“どろどろと溶けるような大きな太陽”が沈んでいった。

 私はひそかに、そのような太陽が昇っていく様を期待した。しかしそう甘くは無かった。「あなた、そろそろ日の出よ」というワイフの言葉に眠い目をこすりながら起き出す。カメラを手に窓に向かうと、残念ながら水平線は雲がたなびいていた。中天は晴れ渡っているが、必ず水平線には雲があるのだ。日中になると水平線に雲のあることは少ないが、日が昇り、日が沈む時間はほとんど雲が覆うのは、単なる自然現象か、それともアポロの恥じらいを示しているのか?

 しかし、恥じらいを隠す雲の存在が、その日の“羅賀荘の日の出”を美しく装ってくれた。私たち2人は、日の出時刻5時7分を挟む4時45分から5時15分までの30分を、たっぷり楽しんだ。2,30枚は撮った写真の中から、典型的な写真だけを掲げておく。

  4時50分頃

     5時前後

         5時10分


三陸海岸縦断の旅④ ・・・ 北山崎の景観

2010-09-20 11:16:55 | 

 

 普代でスイーツ列車を下りて、これから先はバスと船の旅である。
 まず、三陸海岸随一の名勝といわれる「北山崎」に向かう。直通の道路が補修中で、山中を大回りして当日の宿『羅賀荘』の前まで行き、Uターンして北山崎展望台へ。

 高い展望台から眼下に見下ろす200mに及ぶ断崖は勇壮であった。ただ、写真などで見て期待が大きかっただけに、遠望するだけでは物足りない感じがあった。その後に訪ねた浄土ヶ浜や碁石海岸が、眼前で見たり小船で岩穴をくぐったりしただけに迫力があり、強い印象が残ったことにもよる。

    

 それはさておき、北山崎のこの地形は、地盤沈下や海面上昇などによるものではなく、地盤隆起、海面低下により出来た隆起海岸と言うことだ。写真で分かるように、断崖絶壁の上は平坦な地形になっているが、これはかつての海底で、それが隆起して今や海上200mにせり上っているのだ。その隆起過程で風雨や津波などで削られ、海岸線の勇壮な絶壁が出来上がったらしい。(以上、展望台にある環境省の掲示板より)
 何事も聞いて見なければ分からないものだ。事前に写真を見ていた限りでは、北太平洋の荒波に洗われ続けて出来たもの思っていたが、考えてみれば200mの高さだ。いくら津波だって200m上まで洗うのは無理だろう。
 能書きはさておき、下手な写真だが見てもらうほうがいいだろう。

   
       

  
   夕暮れの羅賀荘。後ろの山も隆起海岸か?


キングズ・シンガーズの魅惑のハーモニーに酔う

2010-09-18 13:21:52 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 昨夜、眠気が差してきたので寝ようと思い寝室に入ると、ワイフが聞いているテレビに素敵なア・カペラ・コーラスが流れている。これまであまり聞いたことない美しいハーモニーに聞きほれていると、ワイフの説明で「キングズ・シンガーズ」だと分かった。
 NHK第2の「芸術劇場」で、4年ぶりの来日となった「キングズ・シンガーズ イン 東京」の演奏が流されていたのだ。

 
実は私は、このコーラスを聴くのは初めてである。それにしても美しい。そして何よりも気品がある。かなり派手なパフォーマンスもやるが、また色々とおどけた表情も見せるが嫌らしさがなく品がある。
 男性ばかり6人のコーラスだが、誰一人として声を張り上げることをしない。ハーモニーの間に次々とソロが入ってくるが、カウンターテナーからバスまで、音程こそ違えど声の質が同じである(ように聞こえた)。肩に力の入っていない、柔らかい同質の声だ。
 それがこの素敵なハーモニーを生み出しているのか…などと思いながら、すっかり眠気は覚めて1時間30分(翌0時40分まで)聞き惚れた。しかもその後も目が冴えてしばらく寝付くことが出来なかった。

 このコーラスグループは、1968年、イギリスはケンブリッジ大学キングズ・カレッジ出身者たちにより結成され、爾来42年、ルネサンス時代のマドリガルからロマン派、近・現代からビートルズまでの幅広いレパートリーで世界を魅了してきたようだ。
 アンコールに『大きな古時計』と『故郷』(兎追いし…)を、日本語を交えて歌った。『大きな古時計』など何度も聞いた歌だが、「こんなに豊かに歌うものなのか」と感心したし、『故郷』にいたっては、完全に“日本の心”を歌いきったかに見えた。「山は青きふるさと 水は清きふるさと」のところは全曲を通じて、はっきりした日本語で歌い、それぞれ3人のソロが、柔らかく且つ重厚なハーモニーに支えられて、まさに“日本人の心”を呼び覚ますように流れた。
 単なる歌唱力だけでない、何か一人ひとりの体内に蓄積された気品のようなものが、聞く者に高い芸術性を感じさせるのであろう。
 
  


三陸海岸縦断の旅③ ・・・ お菓子より景観に魅せられた“スイーツ列車”

2010-09-17 14:55:58 | 

 

 久慈から普代までが、このツアーの目玉商品のひとつ“スイーツ列車”。
 実は事前に日程を見たとき、このスイーツ列車だけは余分だと思った。若い女の子やご婦人方は喜ぶのだろうが、なにも東北の果てに行ってまでお菓子を食べることもなかろう、とこの部分の企画には不審を抱いていた。しかしそもそもこのツアーのテーマが『往復とも新幹線グリーン車で行く三陸鉄道「スイーツ列車」と三陸海岸縦断3日間』というものだ。そこまで力を入れるのなら、私にはお菓子の代わりに、純米大吟醸とは言わないがお銚子の一本でもつけてくれないか、と言いたかった。どうしてもお菓子というのなら、せめて“ウィスキーボンボン”ぐらいにしてくれとも思っていた。

  
      

 ところがこの列車は中々のものであった。美しく飾られた食堂車で、天井のシャンデリアも洒落ていて結構な雰囲気だ。席も左側の海岸線の見える席が用意され、若いトレインアテンダントがコーヒーとケーキをサービスしてくれる。ケーキも先ず和菓子が運ばれ、しばらくして洋菓子モンブランが出てきた。コーヒーをお変わりしながら大きなモンブランを食べたら腹いっぱい、和菓子はカバンにしまって持ち帰る始末だ。

       

 それよりも、私が感動したのは車窓を流れる景観の美しさだ。進行方向右側は山間が続き、北東北の山の奥深さを感じさせ、左側は松を中心にした緑の間をぬって次々と美しい海岸線が現れる。山の中腹を走る列車から眺める太平洋は、眼下に広がってどこまでも広い。

  

 ここでもまた好天に恵まれたことに感謝した。冒頭に書いた「台風9号の粋な計らい」のお陰で、快晴の下に輝く樹々の緑と太平洋の青い海原を満喫した。そしてこれはやっぱり、純米大吟醸ではなくコーヒーとモンブランのほうが合うのか、と企画者の慧眼に頭を下げた。
 「不思議の国の北リアス」線は、文字通り、不思議の国を旅する心地を与えてくれた。スイーツを強調するのもいいが、もっと「不思議の国の北リアス」という言葉を強調したらどうか? などと思えたのだが…。


三陸海岸縦断の旅② ・・・ アプローチ「八戸から久慈へ」

2010-09-16 19:53:22 | 

 

 一口に三陸海岸とか陸中海岸とか呼んでいる海岸線は、とにかく長い。一般には北端を久慈とし、南端を気仙沼とするようだ。久慈といえば岩手県の最北部で、気仙沼は宮城県でこの間180kmに及ぶという。この長い海岸を中心に「三陸海岸国立公園」が指定され、それから南は「南三陸・金華山国定公園」となる。
 私はこれらの全貌を把握したいと思い、ガイドブックを探したが見つからなかった。「まっぷる『たびまる』東北」などを見ても、三陸は断片的にしか出てこない。例えば「盛岡からの三陸ドライブコース」とか「花巻からの…」とか断片的な記事で、三陸海岸を包括的に取り上げているものが無い。『たびまる』でも三陸海岸に触れた記事は数ページに過ぎない。
 私は自分の書棚から古いガイドブックを引っ張り出した。昭和63(1988)年発行の実業之日本社版『ブルーガイドブック東北』で、これには陸中海岸だけで約30ページが割かれて詳細に解説されている。前掲『たびまる』をはじめ最近の旅行雑誌では、食べ物や買い物などの浅薄な記事ばかりで、ほとんど役に立たない。こうなると旅行ガイドブックでも“古典”に頼らざるを得ず、今更ながら『実業之日本社』の底力に敬意を表する。
 と言うよりも、三陸海岸の人気が以前に比べて落ちているのではないかと気になった。人気が落ちているとしたら理由は何だろう。これだけの観光資源を持ちながら、岩手県は考え直す必要があるのではないか?

    
       八戸―久慈間の車窓より

 それはさておき八戸に降り立ち、新幹線のグリーン車(このツアーは往復グリーン車というのが売り物なのだ)からすっかり田舎風情の普通列車に乗り換え久慈に向かう。「八戸というのはなかなかの工業都市で大都会だなあ」などと思いながら街中を過ぎると、左側に太平洋に面する美しい海岸線が続く。
 乗客も少ない各駅停車の普通列車に揺られながら、快晴の太平洋に身を委ねる旅の始まりは、都会の喧騒と緊張感を遮断してくれて、三陸ツアー本番へのアプローチとして十分な役割を果たしてくれた。

 一時間40分を経て列車は久慈に到着、ここからは“不思議の国の北リアス”線、つまり本ツアー最初の目玉“スイーツ列車”の始まりである。

    
      アリスをリアスともじったのがいい


辛うじて面目を保った民主党 ・・・ 代表選の結果を見て

2010-09-14 20:09:57 | 政治経済

 

 民主党代表選挙で予想通り菅直人が勝利した。相手が小沢一郎では当然の結果だとも思われるが、それがそう常識どおりには行かず、あの豪腕策士によくぞ勝ったと思わせる面があるところに“政界、つまり永田町の不思議”がある。
 私は既に今月1日、「民意を反映しない民主党代表選の不思議」と題してブログを書いた。民意は圧倒的に菅支持(それが積極的支持でないにせよ)にもかかわらず、国会議員はむしろ小沢を支持しているという空気が報じられていたからである。つまり国会議員などいう人種は、国民の意思など無視して、自分の身を守る(つまり選挙で勝つこと)ことだけを考えている人間であることを端的にあらわしていると思えたからだ。

 さすがに選挙の結果は、民意に押されて少しは良識が働いたのか、国会議員でも菅氏が勝ったようだ。とはいえわずか6票差では勝ったともいえず、国会議員の非常識はそのまま今後の政治運営に反映されていくのであろう。
 情けない議員どもだが、これも国民が選んだのであるから、文句を言ったって天にツバするようなものだ。
 まあしかし、総合的には菅氏の大差の勝利で、民主党は何とか面目を保ったといっていいだろう。折角自民党政治に決別をつけた昨年の総選挙であったのに、最も自民党的金権体質の小沢一郎を再び呼び戻すようでは、民主党の将来はなかったであろう。これを契機に真の出直しを進めて欲しい。

 不況のど真ん中、日本沈没が叫ばれているような中で、国民不在の党内権力闘争などやったのであるから、明日から心を入れ替えて、国民生活改善の政治に全力を入れて取り組んで欲しい。消去法的とはいえ民意を反映して菅氏が支持されたのであるから、クリーンな、国民の側に立った政治を、自信を持って進めてもらいたい。
 それがダメなら直ぐに代わってもらうよう、国民はよく見ているから。


投票ボタン

blogram投票ボタン