旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

大分の酒

2008-03-31 21:52:13 | 

 

 臼杵を書いたついでに、大分の酒について触れておく。                       
 わが家に帰ってまず飲む酒は「一の井手」という酒である。臼杵市内の久家本店の造る酒で、蔵はわが家のすぐ近くにある。かつて大吟醸「慶」で全国新酒鑑評会の金賞をとったこともある酒だ。最近は「九六位」という大吟醸が有名。臼杵湾の海の幸アジやサバなどによく合う柔らかい酒である。

 私が家に帰ると、親戚や知人が酒を持参してくれるが、「あの酒飲みには酒であれば何でもよかろう」と思われていたのか、かつてはアル添酒や三増酒が多かったが、最近は純米酒や吟醸酒を届けてくれるのでうれしい。蔵自体が純米酒の生産量を増やしてきたのではないかと頼もしく思っている。
 臼杵市内にはもう一つ、「宗麟」という酒を造る小手川酒造がある。臼杵の生んだ大作家野上弥生子の生家で、ここには弥生子の直筆になる「白壽」のラベルをつけた名焼酎もある。
 昨年臼杵と合併した野津町の酒「龍梅」をはじめて飲んだ。高校時代からの親友S君が持参してくれたのだ。芳香、味ともにバランスのよい大吟醸であった。このようなすばらしい酒がたくさん生まれてきているのだ。

 大分県は、三和酒類の「いいちこ」や「下町のナポレオン」、二階堂の「麦焼酎」など焼酎――特に麦焼酎が有名であるが、清酒もすばらしい酒がたくさんある。現在でも清酒を作る蔵が38蔵存在しており、有名どころをざっと挙げてれば、「西の関」、「八鹿」、「薫長」、「千羽鶴」、「老松」など。中でも国東半島の「西の関」は名酒として名高い。
 この西の関は、吟醸酒を市販した最初の蔵としても有名だ。今でこそ一般市民が吟醸酒を飲んでいるが、昔は杜氏仲間の研究用の酒で、鑑評が終われば一般酒にブレンドされていた。それを、「こんな美味しいものを世間の皆さんに飲ませないのはもったいない」と市販を始めたのがこの蔵だ。昭和38年のことであるので半世紀近く前のことである。
 その意味でもわが故郷は先駆的であったと自負している。
                             


臼杵にいます

2008-03-29 20:51:35 | 

 

 大分県臼杵市にいる。「いる」というより「帰っている」と言うべきだろう。前回書いたように親父の50回忌で親族、近しい友ども集まっている。

 私は昭和10(1935)年臼杵に生まれ、33年大分大学(経済学部)を卒業するまで臼杵で育った。臼杵は戦国時代は大友宗麟が18年にわたって治め、ローマに少年使節団を送るなど先見的な時代を開いた。それを知ってか最初のオランダ船「リーフデ(慈愛)号]
が漂着したのも臼杵であった。
 その乗組員の一人がイギリス人航海士ウィリアム・アダムスで、彼は三浦按針と名乗って長く日本外交のために尽くした。もう一人のオランダ人パイロット、ヤン・ヨーステンは、和田蔵門外の堀端に住み耶揚子と名乗り、その地は「ヤ・
ヨース・・・ヤエス」と呼ばれ現在の八重洲となった。その二人を臼杵湾で救い丁重に取り扱って徳川家康につないだのは、大友宗麟の二代あとの臼杵城主太田一吉であった。私はこれら先人にひそかな誇りを抱いている。
 臼杵はまた、経済人としては山本達雄(第五代日銀総裁)、荘田平五郎(三菱財閥の前身三菱商会の大番頭)、中根貞彦(三和銀行の創立者)などを輩出し、文学の世界でも『早春賦』の吉丸一昌や『迷路』などの野上弥生子を生んだ。
 その人たちの足跡の残る臼杵公園を歩いた。まだ桜は五分咲きであったが…。
 その後の50回忌の状況については、酔っ払ったので、後に機会を見て記すことにする。極めてすばらしい会であったことだけを記しておく。
                              
                                    


春爛漫・・・旅に出たくなる季節

2008-03-27 21:01:20 | 

 

 東京の桜は今日満開を迎えたという。これから五月にかけてが私の一番好きな季節だ。この年寄りも何かうきうきして、旅に出たくなる季節である。
 明日から郷里、大分県臼杵市に帰る。親父の50回忌という気の遠くなるような儀式を執り行うためである。親父の死後、おふくろと子供五人、その後生まれた子供たちも一人として欠けることなく50年が経った。全員は集まれないが、このような形で50回忌に集まれるというのは幸せな一族だと思い、お祝いのつもりで法事に向かう。久しぶりの郷里の桜――恐らく満開であろう桜にも期待して。

 4月中旬は、フランスからセルジュ君一家が来日する。昨年秋リヨンを訪ねて三日間お世話になった友人だ。2週間の在日のうちわが家に三泊して、浅草、横浜、鎌倉を案内する。浅草はさておき、横浜にはトヨタの経営する「リヨン旧市街コーナー」があるのでそれを見学することになり、鎌倉は流鏑馬(やぶさめ)を見ることになっている。これらの日程はすべてセルジュ君の選択によるもので、こんな機会がなければ流鏑馬など見ないかもしれない。フランス人に逆に日本の伝統芸能を学ぶことになるのも楽しい。

 5月上旬には、急遽台湾に行くことになった。ワイフの合唱ツアーのお伴だ。彼女の所属するコーラスグループが毎年海外に合唱ツアーに出かけているが、今年は近場の台湾となったので一緒に行かないかということになった。実は、合唱団の指揮者が無類の酒好きで、私にその相手をしてくれというのが誘いの理由だ。
 「歌は唄わなくてもよいから酒の相手をせよ」というわけで、若干自尊心の傷つく思いがしたが、まあ、台湾の空気が吸えて酒が飲めるのなら悪い気もしないので付き合う予定である。

 台湾に続いて、10月に韓国に行かないか、という別の仲間の誘いがある。韓国は北のソウルと南のプサンに行ったが、今度は中部に行くというので、これにも乗ろうかと思っている。
 その前に、昨年秋上高地に行った義兄が、今度は磐梯の五色沼に行こう、などと計画している。緑の五月か紅葉の十月だと言う。
 陽気が良くなると急に忙しくなるものだ。
                             


新自由主義経済の爪あと

2008-03-25 17:33:57 | 政治経済

 

 伊藤千尋氏の『反米大陸』(集英社新書)という本がある。反米大陸とは中南米のことである。長年にわたりアメリカの支配下に甘んじてきた中南米諸国が次々と反旗をひるがえしてきた実情に触れ、その原因を解き明かしている。
 1998年ベネズエラにチャベス反米政権が生まれて以来、次々と左翼あるいは中道左派勢力が政権を取り、現時点では南米12カ国のうち9カ国が左派政権の国となった。アメリカが支配の道具としてきた米州機構(OAS)にも、米国の影響力の及ばないチリの前内相がつくという異例の事態が起こり、しかも南米諸国は「南米南部共同市場(メルコスール)」を立ち上げて独自、自立の貿易機構を作って、いっそうアメリカから離れようとしているという。
 どうしてそのようなことになったのか?
 
同書はそれを、80年代から90年代にかけて、アメリカが南米諸国に新自由主義を押し付けた結果、その矛盾の帰結するところと明確に指摘している。つまりアメリカは、「規制を緩和し自由な競争による繁栄が、富を貧しい層にももたらしていく」(どこかで聞いたようなセリフ!)と説いたが、それを受け入れた南米諸国の得たものは、格差拡大、中間層の没落、貧困層のいっそうの貧困化、などであった(これまたどこかで見たような現象!)という。
 わが国が「小泉、竹中路線」による新自由主義経済でこうむった格差拡大、貧困層の増大などは、すでに南米で試され済みであったのだ。そして賢明にも南米諸国はそれに気づき、その新自由主義と袂を分かとうとしている。

 同書は、日本が米国に従うだけなら、米国の餌食になることを南米の歴史は示している、と説いている。

 われわれも、そろそろ眼を覚まさなければならないのではないか。
                            


むつかしい国際情勢

2008-03-23 21:35:46 | 政治経済

 

 サブプライム問題や急激な円高など、日々むつかしい国際問題が打ち続く。
 チベット問題もよくわからない。そもそもチベットという国(?)はどのような歴史を辿ってきたのだろうか? 中国との関係はいつからどのような関係を織りなしてきたのか? 双方にはそれぞれ言い分があり、それぞれ正反対の主張がなされている。
 ただ、どうみてもまったく別の民族であり、歴史的に見ても別の生き方を辿ってきたことは事実であろう。
 とすれば、力によって合一を図ろうとしてもそれは所詮無理であろうし、お互いの不幸を深めるだけではないか、と思う。植民地時代――帝国主義時代に、強国の力による国土拡張が為されてきたが、第二次大戦後の趨勢は、それら併合された国々や民族の独立、自立の歴史であった。チベット問題も究極的にはその趨勢を免れることは出来ないと思うが・・・。

 台湾では逆に中国との関係を深めようとする勢力が総統選で勝利した。もちろんこれは中国の支配下に入るという意味ではなく、対等な立場からの接近であるので、チベット問題とは質を異にするが。
 私の感じでは、台湾は一貫して中国と距離を置く方向に向かうのかと思っていたが、現下の経済問題を解決していくには、発展めざましい中国の力を活用していくことが重要なのか?少なくとも民意はその方向を選んだのだろう。その裏には、中国と対等に付き合っていける自信を持てる段階になったということがあるのかもしれない。
 とすれば、裏の裏では中国の心境も穏やかではないかもしれない。

 一方アメリカでは、イラク戦争5周年にあたり、ブッシュ大統領が性懲りもなく「イラク戦争は正しい戦争である」と叫んでいる。これだけ「大義なき戦争」の実態が暴かれてきた中で、この叫びはそれが声高であるだけにあまりにも空虚に響く。
 むつかしい国際問題が多い中で、このブッシュの姿勢だけは明らかな誤りといえると思うが。
                             


甥の六段昇段を祝って

2008-03-22 11:02:54 | 時局雑感

 

 私の甥に、首藤瞬という囲碁のプロ棋士がいることは既に触れた。(07年7月10日付ブログ)
 17歳でプロ棋士(日本棋院初段)となり、昨年五段に昇段、続けて今年六段に昇進した。まだ26歳の若さであるので、これからというところであろう。私は昇段を祝って次のようなメールを送った。

 瞬君へ
 六段昇段おめでとう。心からお祝い申し上げる。
 「棋道を究める」ということが、どういうことか私にはわからない。ただ、囲碁を通して人間形成を為していくことが「棋士の務め」であり、その務めを通してそれは究められて行くのでしょう。
 そして、君にあってその務めは、今後数十年にわたって続けられることも確かでしょう。
 目先のことにとらわれることなく、驕らず、高ぶらず精進していくことを期待します。            和弘

 勝負の世界は極めて厳しい。それを勝ち抜くには、当然のことながら高い技術力を要するのであろうが、最後は「人間力」というようなものが決めるのではないか? もちろん、それがどのようなものか、私にもわからないが。
                            

 
                                                

                                             


ワーキングプアについて

2008-03-20 14:38:19 | 政治経済

 

 前回の「日本の貧困について憂慮する」という投稿に、工藤さんという方から「同感です」というコメントを頂いた。私のブログは、一方的に発信することだけに専念しているものであるが、このような同意的コメントを頂くことはうれしいものである。工藤さん、有難うございました。
 それで調子に乗って書くわけではないが、貧困を考えたついでに、ワーキングプアについてだけは書き残しておきたいと思う。

 フリー百科事典『ウィキペディア』によれば、ワーキングプア(working poor)とは、「正社員並みにフルタイムで働いても、ギリギリの生活さえ維持が困難、もしくわ生活保護の水準以下の収入しか得られない就労者の社会層」となっている。
 そしてその層は、2002年で656万世帯(18.7%)、また「民間企業で働く労働者の平均年収は1998年以降減少傾向で推移しており、2006年の平均年収は435万円と9年連続で減少した。年収200万円以下の労働者は2006年には1985年以来、21年ぶりに1000万人を突破した」とあるので、現時点のワーキングプア世帯は、数も比率ももっと増大しているのであろう。
 これは恐ろしい数字である。600万や700万という世帯は小さくない。5世帯に1世帯は「フルに働いても生きていけない世帯」ということになる。フルに働いても「生活保護水準以下の収入」しかえられない、ということは一流国どころか普通の国でもないのではないか?
 年収200万円以下で、この住居費や物価の高い国で暮らすには、確かに社会保険料や健康保険料が払えなくなるだろう。民間所得階層は4500万人ぐらいと思われるので、1000万人といえば200万以下の所得者が4~5人に1人はいることになる。
 これらの数字は、総務省の就業構造基本調査や、国税庁の民間給与実態統計調査からでた数字であるから、政府のお偉方や官僚連中は十分に知っているはずだ。知っていて、その対策を打とうとせず、むしろいっそう競争を煽り立てようとしているとすれば、そのような連中に国の将来を委ねておいていいのかと思わざるを得ない。
 チベット騒乱の記事を読みながらある人が、「・・・日本でも暴動が起こってもおかしくない状況だが・・・」とつぶやいていたことを思い出す。
                             


「日本の貧困」について憂慮する

2008-03-18 22:50:19 | 政治経済

 

 親父の50回忌から、時ならぬ「貧困論争」になった。それにしても、日本で貧困を問題にする時代はもう来ないのではないかと思っていたが、貧困が日常のテーマとなってきた。どうしてこんなことになったのだろう? 壮大な中流社会を生み出して、真面目に働けばみんなが食っていける社会になったと信じていたのであるが、様相は変わってきた。
 貧困率という指標があり、日本は世界で5番目の貧困国になったというデータがある。一国の所得者を最高から最低額者まで並べ、その真ん中を取った「中位数」(一部大金持ちがいるため平均所得よりも低い数値となる)の「半分以下の所得」の層が占める割合を示す数値が貧困率ということだ。2005年2月に0ECD(経済協力開発機構)が発表した報告によると、貧困率の順位は以下の通り。

  一位 メキシコ 20.3% 、二位アメリカ 17.1%、
  三位 トルコ、 四位アイルランド、
  そして、五位がめでたく日本で15.3%という。

 10年前は 8.0%であったというから、この間倍近く貧困が増加したことになる。ちょうど「小泉・竹中路線」で新資本主義の競争原理、格差政策が吹き荒れた時期である。
 競争をあおることにより成長が促され、富は増加すると宣伝されたが、国民は総じて貧しくなったのである。一部のエリート(竹中平蔵など)は富を得たのであろうが。
 貧困層の最たるものは「ワーキングプア」と言われる層だ。働かない奴はまだしも、一生懸命働いて「食っていけない」層があるとすれば、それは少なくとも先進国とはいえない。もっとも太田弘子経済財政担当大臣が「日本は最早経済一流国ではない」と白状したので、日本は今や先進国ではないのであろうが、それにしても、そのような国に導いた竹中平蔵、小泉元総理の責任は問うべきではないか?
                             


「戦争と貧困を容認しない」ーーTNさんのコメント

2008-03-16 17:09:49 | 政治経済

 

 前回の投稿「あわただしい春」で、今月末の父の50回忌について触れたところ、いつもコメントをくれるTNさんから厳しいコメントを頂いた。
 氏は早くお父さんをなくされ、戦後の厳しい生活をお母さんの日雇い労働に依存しながら生きてきた・・・、ということは以前に聞いたことがあった。しかし今度のコメントで、お父さんは30数歳で戦死したことが書かれていた。典型的な戦争犠牲者として、戦後の苦しい時期をお母さんとおばあさんと共に生きてきたのだ。
 思えば私の父は戦争に行かなかった。教師をしていたことから兵役を免れたのだろうか? 振り返ってその話をした記憶もない。戦後の生活は苦しかったが、私が社会人になるまで父が生きていたのは幸せの部類に入るのかもしれない。父は昭和34年脳溢血で急逝し、そのあと家族は母の頑張りで生きながらえてきた点では、TN氏に似ているところもあるが、終戦直後と14年経過した時代とは比較にならないだろう。
 しかも、50回忌を母と5人の子供全員が生きて執り行うことが出来るとは、相当に幸せの部類に属すると言うべきだろう。その分、父は一人早く死んだのかもしれない。最近の日本の状況を見ていると、決して良い時代ではなくなりつつあり、長く生きていることが果たして幸せかどうかわからないが。

 その点、TN氏の「戦争と貧困を容認しない」というコメントは重い。特に急激な格差社会への突入で、貧困層が急激に増加していることが気になる。高度成長を遂げる中で、通常に働けば十分に生きていける社会になったと思っていたが、一生懸命働いても生活できないワーキングプアというような層が生み出されたことは重大問題だ。
 まさに、政治も経済も根本的改革を必要とする時期に来ており、国民は「戦争と貧困を容認しない」という明確な意思を示すべきであろう。
                             


あわただしい春

2008-03-14 22:54:48 | 時局雑感

 

  昨日から名古屋に出張して、いま帰ってきた。
  昨夜は常宿のホテル「トラスティ」のレストランで、ワインを楽しんだ。毎回お決まりの「エスカルゴと茸の小鍋」や「鰯のマリネ」を肴に、イタリア、スペイン、フランスワインを思いつくままに飲む・・・。顔見知りのウェイトレスが、私の好みを知っているので、頃合を見ては注文をとりに来る。その間合いを、お互いに楽しみながらの夕食だ。
 明日は月島に「もんじゃ焼き」を食べに行く。われわれ年寄り(70歳代)と若き(と言っても40歳前後)キャリアウーマン数名との会だ。これはまた賑やかな会で、昨夜の「一人夕食」とは別の世界が予想され楽しみにしている。
 今月末は「父の50回忌」で郷里臼杵に帰る。考えてみれば50回忌というのもかなりのものだと思う。54歳で死んだ親父の50回忌を、おふくろと息子5人及びその妻、子供たちなど総勢25人で執り行う。気がついてみれば、おふくろは親父の死後50年を未亡人として生きてきたのだ。94歳となりほとんど動けなくなったが、その生き様も値打ちがあると改めて思う。
 
昨日から今日にかけて、東京ーー名古屋間で強烈な雨にあった。明日は全国的に晴れるという。

  まさに春は慌ただしい。
 こうして季節も移ろい、私も年輪を重ねていくことを実感する。
                             


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