海の向こうでは、やれ「バイデンは衰えた」とか「トランプは意気軒昂で優勢だ」とか、
国内では国会が閉幕して9月の岸田総裁任期切れで自民党総裁選挙の行方が話題になり始めてる。
ごくごく身近なところでは、勤務先の経営陣に就退任があった。
官公庁の中には7月が定期人事異動という役所もあって新聞紙上に異動情報が載っている。
大河ドラマ「光る君へ」も権力争いや人事争いが今も昔も変わらぬ様子を描く。
兄弟や親子の間で憎悪の応酬になる、これが他人との間ならばもっと醜いことになるのか。
人は権力に近づくとより権力を欲する生き物と言える。
稀に、そういったことに恬淡としている人がいる。
考えている次元、拠って立つ場所が違うのだろうと思う。
誰を見て仕事してるのか、上司か顧客かによっても変わるだろう。
欲得や保身、権力維持に汲々としている人はそこらじゅうに居る。
やだね~。
今年は、ゴーヤの成りがいい。
2本目を収穫。
きゅうりは葉っぱやツルの影で発見が遅れると成長し過ぎてしまう。
長さ40cmほどにも育ってしまったきゅうり・・・それでも美味しくいただくのである。
雨が降りそで降らないといった日が続いていたが、やはり梅雨入りのようで雨は降る。
しかも、かなり激しく降る時間帯があったりして、梅雨入りの降り方としては激しい。
息子の情況は以前に書いたとおりで、この週末も所用のため帰省してきた。
せっかくなので、久方ぶりに親子3人で智頭町芦津にある「みたき園」に山菜料理を食べに行った。
森の中、渓流に沿って風情ある建物を配して、地元産の山菜料理とニジマスの味噌焼きがおすすめ。
入り口の門、ここをくぐるだけで癒しの空間に入り込むようだ。
茅葺きの古民家、中では囲炉裏に火が入っていて煙に燻されるがそれもまた風情
自然と一体化したような離れ、喧噪を離れ世俗と隔絶された空間
心洗われる~
関西や県外からもわざわざ訪れて来る人も多いと聞く。
料理も美味しかったし、命の洗濯ができたような心持ちで帰途につく。
暑い…、気温30度前後ともなれば、もう真夏の様相で日差しがチクっとする感じすらある。
外で30分も作業してると汗だくになってしまう。
でも、週末に菜園作業するのが楽しみでもある。
野菜たちはものも言わず、手入れをすればそれに応えてくれる。
それに引き換え、人間相手のなんと面倒くさいことか・・・・・・。
自分の性格は至って穏やかだと自分では思っているが、人様がどう思っているのかわからない。
この歳になると、誰もズバッとストレートに本当のことを言うてはくれない。
女房殿は2歳年下だが長年暮らせばいわゆるタメでズバズバと言うてはくれるが、それは家庭内のこと、
仕事の場での我が身を見ておらず、職場内での言動のあれはダメだといったことまでは言えまい。
ま、仕事のことに関してあれこれ言うて欲しいわけでもないが。
ひとつ、自分の性分として「エラそな奴嫌い」という、どっちかて言うと損な性格だと自覚している。
上司で威張り散らす奴なぞもってのほか、ハラスメントのオジさんとかもバカだな~としか思えない。
底の浅いことも自覚してなくてエラそにする御仁は歳の上下に関係なく気の毒に思ってしまう。
どして、こんな性分になってしもうたのか思い当たる節がないわけでもない。
中学、高校と尊敬できる先生もいれば、唾棄するよな先生もいたり、
働き始めた若い頃に、職場でいろんな大人を見てきたからもしれない。
ええ歳の人が自分ではゴルフしないのに近隣ゴルフ場の空撮写真集を買って、ゴルフをする上司にゴマすり的に見せていたり、
尊敬する上司が、その上の偉い人がゴルフするのに仕事中にメンバー集めに奔走しててがっかりした。確かに業務知識に詳しくて恐れ入る先輩が「誰よりも勉強した」と豪語するのを聞いて、
「それ、自分から言うこと? なんで誰よりも…って言えるん?」と思って幻滅したり。
だからか、政治家で底の浅い発言してることに気付かずエラそうにしとる奴ははっきり言って嫌いだ。
ま、政治家に限らず、身近にいる人でも嫌い感情を持ってしまうのであるが。
これに加えて、自分でもダメだと自覚しているのは、そんなネガティブマインドを隠しきれないのである。
懸命に抑えてはいるのだが、おそらく非言語コミュニケーションとやらで分かってまうのだろうな。
まだまだ、修行が足らんと自覚する日々なのである。
ヤマボウシの花が咲いた。
早いところでは”梅雨入り”の声も聞かれるようになった。
我が家周辺の田んぼでも代掻きのトラクターがゆうたりと動き、既に田植えを済ませた田もある。
田に水を引くために川の堰が上げられて、その川に流しこんでいる土管から川の水が逆流し、
その水が我が家前の側溝までさかのぼってきて、進入路の半分から3分の1ほどを水浸しにしている。
毎年恒例のことである。
堰を10cm下げるだけで解消するのに、水利組合に苦情を言っても田に水引くことしか頭になく、
「土管に蓋をすりゃええ」などと頓珍漢な返答で埒が明かない。
ま、田植え時期だけのことと受容するか、別の根本的対応を考えるかせんといかん。
身辺雑多な話ではあるが、平日は仕事に出て、週末は家庭菜園で野菜などの手入れに勤しむ生活。
野菜や庭の木々は手入れすれば生育や収穫にも跳ね返るのを実感すると時間がもっと欲しいと思う。
還暦過ぎて早3年、健康面に特段の不安を抱えることも今のところは何もない。
歯の手入れに毎月の歯医者通いと視力の衰えが自覚されるくらいのものである。
そんな平穏な日々にも心穏やかならざる事はままある。
仕事上のあれこれは付き物だし部下も仕事がよくできるのでなんとかなるが、
経営の一員としての役割は一筋縄ではいかないことも多く「これでええのか」と悩ましいことも多々。
それに加えて、最近勃発したのは、息子が離婚に向けて動き出して脳を活性化させてくれている。
現在の日本では、3組に1組の夫婦が離婚しているらしく、離婚自体珍しいことじゃないし、
”離婚絶対悪”などというつもりはない。
むしろ、これ以上続けられんのなら次のステージに移行して心機一転したほうが良いと思っている。
息子がここに至った経緯は、3、4年前まで遡ることになるような話でここでは書き切れない。
親としては、当然に複雑な心境だが、次のステージへの移行に踏み出したことを受け止めるしかない。
息子の家庭内でのこれまでを聞くにつけ、よくぞここまで頑張ってきたなと慰めてやりたいし、
これ以上我慢せんでもええよとも思う。
あとは、一日でも早く望むような平穏な暮らしになることを祈り応援するだけだ。
たまねぎ、じゃがいもを収穫
意表をついたアマガエル君
この土日、義母の法事にと義両親の墓のある岩国へ。
法事といっても、義兄夫婦と妻と小生の4人で両親の遺影を並べての会食。
お坊さん呼んで読経とかはなしで両親を偲びながらの、まぁ、いわゆる飲み会である。
孫やら従兄弟従姉妹やら集まれば十数人にはなるだろうが、そこまでする必要もないとの考え。
それはそれでいいし、一番の近親者がそれでいいなら何も言うことはない。
3月に亡くなった伯母の葬儀は家族葬だったが、伯母の子供…従姉妹弟が3人とその子供が9人、
伯母から言えば、子供3人、孫9人、ひ孫19人だったか、子供と孫の配偶者を入れると40人近く、
他の親族入れると50人以上、家族葬でこれだけの人数ってのもなかなかなかろう。
これから3回忌、7回忌と大法要となるやもしれない。
故人の偲び方は家族それぞれだし、親族との親近度もそれぞれだ。
昔のように型にはまった法事法要をする風習も薄れつつあるのだと思う。
特にそうしたことが進んだのは、コロナ禍によるところ大だろう。
第5類相当になって、飲み会も旅行もコロナ前のような様相だが、完全鎮静したわけではない。
ぽつりぽつりとコロナ感染したという話も聞くし、ごくたまにニュースで報道されたりもしている。
こうして、長年続いてきた風習すら世に連れて変わっていくものなんだなぁとしみじみ思う。
さて、自分が逝ったとき、その後の法要なぞどうしてくれるのだろうか。
楽しみである。
きゅうりが奔放に育ってきた。もともと地這いの野菜だとのこと、今年はこのまま育ててみるか。
ブルーベリーもだんだんと色づきはじめた。
傍から見てて、まともとは思えないこと言うてるな~ってなことが多々ある。
本心からそう思ってるのか、もしそうなら思考がおかしいんじゃないかとしか思えないこともある。
政治家でも特に大臣やなんたら担当議員の言葉ってのは組織を背負っているとはいえ、
大丈夫かと思ってしまうことも多々ある。
岸田首相も就任前は”聞く力”をアピールしたが、アピール倒れはすぐに露呈した。
「丁寧に説明する」ってのも、丁寧という言葉の意味が変わってしまったのかと思わされるほどだし、
木で鼻をくくったような対応が丁寧なことなのか、とブラックな辞典の語釈になりそうな情勢である。
先日、袴田さんの再審事案で検察側は「血痕が残っている可能性は数%ある」と主張していた。
もちろん、私は真相は分からないし、検察の主張が正しいのかどうか判断できない。
ただ、その報道を見ていて「何が何でも有罪にしたい」という検察の執念すら感じて恐ろしくなった。
こうして嘆いてみても、こんなことは世界中にゴマンとあって、驚くことじゃないのかもしれない。
むしろ、逆に普通のことなのかもしれない。
だからとって、傍から見ててまともじゃないこと言うてるな~って感覚をなくしちゃいけんと思う。
それと、自分の思う「まとも」が本当に「まとも」かどうかを常に自己点検しとかにゃいけん。
などと考え始めると「まとも」の基準っていったい何なんだろうということにもなってくる。
よく謂われる「〇〇での常識は世間では非常識」とか「〇〇目線で考える」とか、
自己点検の手段もそれなりにあるし、独りよがりにならないよう気を付けんにゃと思うのである。
山陰海岸の海、癒しの風景
今年はちょっと丁寧に育てているズッキーニ
自民党パーティー券収入裏金問題、自民党が策定した政治資金規正法改正案が公明党との協議不調で、
自民党単独で国会提出したとのこと。
大筋合意はしたものの細かい点では協議の溝を埋めない対応をしていたのだ。
先週、公明党の対応を批判する書きぶりをしたが、生半可で書いてしまったことを反省している。
新聞報道によると、自民党内では、法律を守らなかった安倍派と二階派が悪いのであって、
法律が悪いわけではないとの見方があるという。
もともと「ざる法」と揶揄されていた政治資金規正法、そうした緩い法律すら守れずに違法行為をしていた。
それが一部の議員の行為であったとしても、規制強化して信頼を取り戻します。
というのは、筋の通った話だと思う。
一般国民が規制や制約を受ける法律だって、一部のふとどき者が法律違反を犯したために、
法規制が強化されている事例はいくらでもある。
自民党寄りの日本維新の会でさえ、自民党案についてまともに議論できるものではないとのスタンス。
岸田首相は「実効性のある改革案だ」と表明したが、公明党や維新の会が難色を示していることの意味、
世論調査で国民の多くが実効性がないとみているという事実を見ようとしない。
さぁ、これからどのような展開となっていくのか、目を離さないようにせにゃいかん。
我が家の菜園、構想していた野菜をひととおり植え終えた。
このあとは、プランターで種から育てている白ネギを定植したら終わり。
草取りやら伸びた茎を誘引したり支柱を立てたりというメンテナンスをして収穫に備える。
連休明けた最初の週末は雨、ほぼ引き籠りの一日。
自民党パーティー券裏金問題への与党の対処が甘いとの報道が続く。
自分に甘くなるのは人情とはいえ、信頼を失っていることへの自覚がどこまであるのか、
口先では「信頼回復」をいうものの自らを規制することには及び腰、
いつものことながら言うてることとやってることが違うし、それに気づいてさえいないようだ。
その認識の中に「今の野党なら政権交代など起きるはずはない」という驕りもあるのではないか。
確かに、今の野党に政権を委ねほどの能力が備わっているかと聞かれると返答できないのも事実だ。
よく「政治は国民の政治的成熟度の反映」などと言われる。
政治的成熟度が低ければ選ぶ政治もレベルの低いものとなる。
選挙の度に誰に投票しようかと頭を抱えて結局のところ消去法で投票してるってのも実態だし…。
パーティー券売上げの一部裏金化の問題についてパーティー券を買った側はどう考えているんだろう。
その声は聞こえてこない。
そもそも発言していないのか、マスコミは取材していないのか、取材はしていても報道できないのか。
マスコミにとってもパーティー券を買うような企業は広告主でもあるわけだし、なかなか本音を探るのも報道するのも腰が引けることはあるのかもしれない。
4月28日に投開票の補欠選挙で島根1区で自民党候補が立憲民主党候補に負けた。
長年の自民党員ですら今回は野党候補に入れたことも投票後の報道で紹介されていた。
選挙結果は痛烈な自民党批判だ。
ただ、国民が政治に対してする意思表示は「選挙」だけなのだろうかと思うのである。
そう思うと、パーティー券を買った側は自民党の裏金化問題をどう考えているのかが俄然気になる。
パーティー券を買った側とは大企業や地方の中堅企業だが、既得権益を守り企業利益を増大する政策をしてくれる自民党に“金”を出すのは“企業として当然”となるのかもしれない。
ただ、利害一致の共同体という長年の間柄が自民党をここまで堕落させたという自覚があるのかないのか、
そこが気になるのである。
”金”は出したが、そのあとは”金”を貰った側の問題で、出した側の問題ではない、と思っているのか。
もし、そう考えているのであれば、その”金”の原泉を考えてみてもらいたい。
降って湧いたあぶく銭ならば何も言うことはない、が、その”金”は従業員、取引先が生み出した金だ。
経営者個人が自分の報酬から出している”金”ではない。
その金をルールに基づかずに扱われ、真っ当な政治に使われたかどうかも分からん処理をされて黙っとるのか。
企業人の中には、個人としての考えと経営者としての考えは違うという人もいるかも知れない。
しかし、共同体を構成する政党への国民的信頼が揺らいでいるときに「しゃんとしろ」と叱咤するのも共同体構成員としての責任ではないのか。
当面、パーティー券は買わない、献金も控えるくらいの対応があってもええのではないのか。
そんな“気骨のある”企業人は出てこないものか。
それも「政治的成熟度」を計るひとつの見方になるのじゃなかろうかと思うのである。
長くなるので多くは言わないが、連立を組む公明党もあんな自民党の対応でよく了承したもんだ。
そこまでして与党にとどまりたいのか、と思う。
春になってカエルの出現が増えてきた。
アマガエルは時として意表を突く場所にいる。
直径1㎝くらいのゴムロープ、どうやって、こんなとこまで来たのか。
連休も終わり、息子と孫が4泊して京都に帰っていった。
孫は9歳の男の子、小学校4年生、言動にも可愛さが薄れてくるお年頃である。
多動症との診断されてて落ち着きがなく一つの事を根気よく続けることができない。
観ていると、一つのことを続けられるのはテレビアニメを見ることとゲームをすること。
それでも、注意すると途中で止めたり、テレビ消しても以前のように泣きわめくことがないのは、
多少なりとも聞き分けが良くなって成長した証かとも思っている。
去年来た時には外出予定もなくゲームにもテレビにも飽きて手持無沙汰なのか
「ぼく、何したらええの?」と聞いてくるので「何がしたいん?」と聞くと「わからへん」
といった会話で、大丈夫かと思ったが、
今回は、一緒に庭の草取りをしようと誘うと「分かった~」と言って素直についてくる。
もっとも、3分と続かず「疲れた~、休憩」と言って中断することしばしばで、
「とーりゃぁ~」「こんにゃろ」とかぶつぶつ言いながら草取りの真似事、それを黙って見ているのと
その後始末をするのもジイジの仕事かと思う。
精神年齢は6歳くらいと云われてるらしく、天真爛漫、自由人だ。
かなり昔のCMで「わんぱくでもいい、たくましく育ってくれれば」ってのがあったが、
人生100年と云われる現代、ゆっくり成長すりゃええと思う一方で、高卒でも大卒でも社会へ出ると
40年前とは比べられない速さで社会や仕事へのキャッチアップが求められる時代になってきている。
今の孫の姿をみていて心配するのも詮無いことだし、ジジババがあれこれと口を挟むのもどうか、
とも思うが、帰省してきとる間だけは、ごはんの食べ方やら風呂の入り方やらなんやら、
気になったところは口を出してあげようと思う。
生意気でも粗雑でも可愛い孫だもの。
通勤事情については以前に書いたことがある。
朝7時半発の汽車に乗る。駅まで徒歩5分ほどなので7時20分に家を出る。
帰りは早く退社できたら17時半発の汽車に乗り帰宅は18時、その1本後なら帰宅は19時半。
まことに規則正しい生活だが、平日は汽車の時間に合わせての判で押したような生活パターン。
広島で生活していた時、朝夕はおよそ7分おきくらいに新交通システムが運行していた。
仕事帰りや飲んだ帰りに駅に行ってしばらく待てば電車が来るので、ある程度マイペースが通る。
唯一気を付ける必要があるのは飲み会の帰りの「終電」だけでよかった。
ところが、鳥取というか山陰地方(だけではなく田舎では)の鉄道運行は都会のようにはなく、
1本逃すと次は1時間後とか1時間半後という様相で、生活時間は通勤通学の足に合わせることなる。
最終の汽車が21時50分と、若い時分なら「今からもう一軒行こうや~」って時間なのである。
今更それを嘆くつもりはなく、今では「そんなもんだ」との境地で過ごしている。
なので、平日は朝6時に起きてから家を出るまでのルーチン時間もほぼ決まっていて狂うことがない。
土日祝日そして大型連休はこうした規則正しい生活から解放されて晴れて自由の身だ。
自然に目が覚めるまで寝てられるってのがこんなにも気持ちをゆったりさせるのだと実感する。
家庭菜園の仕事もマイペースでぼっちりぼっちりと進める。
今年は、冬の間に雪も少なくて土を耕したり元肥を施したりといった農閑期作業ができていたので、
春先から順次、野菜の苗を植えたり種を撒いたりといった作業に余裕を持って取り掛かれた。
やっぱ、気持ちと時間に余裕があるってのはええことだな~と思う。
この3連休初日は鳥取市内に所用あってお出掛け。
そういえば端午の節句
こいのぼりがうじゃうじゃと。
細かい雨にけぶる日曜日、こんな細かい雨のことを確か小糠雨といったなと電子辞書を引いてみる。
「こぬかあめ:小糠雨:こまかい雨」
NHK-BSで放映のドラマ「舟を編む」が終わってしまう。
夜10時の放送なので我が家では録画して月曜日に見る。なので最終回はまだみていない。
出版社に勤める女性がファッション誌の編集部から辞書作りの部署に異動して紙の辞書作りに携わる。
辞書作りってこ~~んなに手間と時間、労力をかけて作られるんだということがよく分かる。
が、ドラマの核心は、主人公の女性が辞書作りを通して言葉の大切さに気付き人生観を変えていく様と
言葉を大切している仲間たちとの会話の一つひとつが観ているこちらにも響いてくるところだろう。
そして、最高の辞書を作るという目的に一丸となる編纂室メンバーのチームワークにも感動する。
こんな仲間たちと一緒に仕事したいな~と思わされる。
辞書編纂室の仲間だけでなくて、辞書に使う紙の製紙会社の人や居候している編纂責任者の奥さん、
元編纂室の社員で宣伝部にいる頼れる社員、要の学者先生、一風変わった装丁家も皆ええ味出しとる。
毎回「いいドラマだな~」と観ていて、終わってしまうのかと思うと寂しい。かなりロスだ。
このドラマ、私的に「しずかちゃんとパパ」以来の☆5つ。
それに引き換えて、政治家の言葉のなんと薄っぺらいことか。
今に始まったことではないが、「薄っぺらい」という言葉を使うことさえ、はばかられる。
言葉を大事にせず、ぞんざいに扱うのは言葉を届けようとする相手を愚弄しているとさえ言える。
その真逆で、「情理を尽くす」という言葉が私は好きだ。
権力や権限に頼らず、問題・課題の本質を捉えて、その解決に困難があっても取り組む必要性を
理路を立てて理解してもらおうとする姿勢こそが大事であり、その姿勢に皆が共感してくれてこそ、
前に進んでいける、進んでいこう、進んでみよう、と思えるのだと思う。
それが、組織の大小を問わず、真のリーダーなのだと思う。
この週末、うららかな春気候。
花壇の積み石に植えた芝桜が咲き乱れている。
シンボルツリーにと植えた桜は一向に成長せぬまま花を咲かせている。
植えて3年も経つ、枯れもせず花は付けるけど、まったく成長せん。なんでなんじゃろ?
細君の敷石作業も進む。
こつこつと並べる地道な作業、隙間に嵌まりそうな小石を探しては嵌め込む。
ま、いつかは終わるだろう。
これから夏野菜の植え付けシーズン、野菜育ての本ではだいたい5月連休明け頃までが適期とのこと。
だから、今時分から畝を耕して準備しておかんにゃいけん。
去年の今頃は、東屋を建てる準備をしてて菜園にまで手が回らんかった。
東屋が完成する8月頃まで、菜園作業が片手間になっていた。
野菜作りは何事も段取り、事前準備が大事だということはようく分かっておる。
去年はビッグプロジェクトがあって、その反省から今年は少し意気込んでいる。
野菜と人を一緒にしちゃぁいけんのんかもしれんが、
「人材育成」ってのも時間はかかるし、事前の段取りも大事だと思うことしきり。
良かれと思ってあれこれ言っても、こちらが思うようにはいかんことも多いし、
特に世代が離れた「Z世代」の若者たちのことがよく分からないことが多い。
それでも、根気よく接していればいつかは……という期待を持ち続けることが肝要なのかと思う昨今。
さ、明日もがんばろ。
この週末までで桜が一機に咲いた。
とはいえ花見に出かけるチャンスもなく、畑仕事をぽつりぽつりと。
我が家の芝桜も開花
庭は今から賑やかになりそうだ。
ちょっと前からパソコンの動きがすこぶる遅くなってて不要なアプリを削除したり、
ドライブの最適化やらと試みてきたが、あまり効果はないなぁとストレスを感じながら使ってた。
これっていつ買ったんだろうと調べてみたら、なんと8年も使ってるではないか。
凝った使い方や大容量のデータ処理なぞしてないのに、だんだんと動作が遅くなるってのは何故?
と思いながらも、買い替え時かと観念して、EDIONへ。
いろいろ聞いて、スペックとお値段とご予算を勘案して購入。
初期設定も今は昔のようなこともなく、ほぼプリセット的になってるんだね~。
というわけで、今回のブログからは新しいパソコンで、サクサクと仕事が進んでいるのであ~る。
3月が終わる。早い、早すぎる、が、春が来る。
先週まで寒いと感じる日が多くて例年なら3月最終週には桜が咲いてたのに今年は4月になっての開花となろう。
この週末は金曜日から暖かくなってようやく「春が来た~~」って気候。
庭のチューリップも一気に開花した
自民党パーティー券裏金問題、政治倫理審査会を開いても何ら明らかにならず、そのまま関係議員を処分するのだとか。
その処分に先だって岸田首相自らがヒアリングするのだとか・・・
政倫審で話さんかったことを党内の調査ではしゃべるのか、まぁそーゆーこともあるだろうが、
国会の場ではしゃべらずに、言い替えれば、国民にはしゃべらずに身内の場ではしゃべるってことか、
ふざけるのもええかげんにせーよ。
二階元幹事長、次期選挙には出ないとのこと。
見ている限り「老害」としか言えないし、人を見下しバカにするよな御仁に政治家でいて欲しくない。
それは二階氏に限らず、吉幾三が告発した国会議員の長谷川某にしても、
巷間言われているところでは、茂木幹事長や河野太郎なども官僚を怒鳴りつけてるとのこと。
「政治」とは、利害の異なる立場を上手く治めて双方に多少の損得はあっても納得して事をまとめるのが仕事のはず、
人として謙虚さや年下であろうと他者へのリスペクトの無い人間に全うな政治ができるはずがない。
そういえば、松本人志が文春砲でテレビから消えた。
その理由は、訴えられている裁判に専念するからだとか・・・でも、第1回目の公判には姿を見せんかった。
「無実だ」というのなら正々堂々と出て来いや、まして「裁判に専念する」といって芸能活動休止しとんだから。
人間って名が売れたり権力を持つと図に乗ったり勘違いするもんだ、ということを重々認識しとかないかん。
世の中には、ホント勘違いしとるバカが多すぎるわ。
お庭にはチューリップのほかに、水仙と芝桜も開花した。
日曜の夕方、叔母から電話「鹿肉があるけど、要るかえ?」
以前、母親の法事で件の叔母の夫(義叔父になるのか)その義叔父が鹿を捕まえるので「鹿肉食べるか?」と聞かれ、
「鹿肉食べる食べる」と喜々として返事したら「鹿肉があるときは連絡するからね」と会話したのはもう1年以上前。
「今日仕留めて、今、洗っとる最中で、モモ肉だって。取りにくるならどうぞ」との話
晩飯はもう用意しとるんだけどな~~と思いつつ、以前に鹿肉大好き~と言ったことを覚えててくれたこと、
こうして電話してくれたことだし、多かったら冷凍しときゃええし、とありがたく頂戴しに行った。
待ち合わせの場所に行って、かなりでかい発砲スチロールの箱を渡されて、御礼を言って受け取って帰った。
箱を開けてびっくら玉手箱
モモ肉じゃのうて、モモじゃん。片モモ。
ど、どげんするか~~~
格闘すること1時間あまり、ブロック肉に切り分けて、、誰かにお裾分けせんにゃ我が家だけでは消費しきれんばい。
初めてこ~んな鹿のモモ1本をさばく、格闘中、いろいろと考える。
仕留められるタイミングとおすそ分けに他人の都合なぞ関係なし、
そういった親戚つきあいの意味、上手くさばけんな~~、この白い膜取りにくいのう、
道の駅とかで売られているブロック肉のなんと綺麗にさばいてあることか、手間ひまかけて売られてるんだのう、
でも、こうして野生の命をいただくことの意味・・・・、
白い膜にけっこう身がついてロスの多い解体となったが、それでもかなりの量
カレー、焼き肉、炒めものと美味しくいただこう。
週末、プチ旅で横浜へ
山下公園のむこうに「ガンダム」がいた。
「こいつ、う、動くぞ!」