7月は、わが社の年に一度の悲喜こもごもの大人事異動が挙行されるのである。
私は、去年替わってまだ1年なので、今年の異動はなしで済む。
来年が戦々恐々なのだけど、そんときはそんときで、今から心配してもしょうがない。
「悲喜こもごも」というのは、
今の勤務地を替わりたいとか替わりたくないとか、山口に替わりたいとか広島に替わりたいとか…
昇進するかしないかとか給料もちびっとは上がるだろうか、とか、
いろいろと思うところがあって、それが思いどおりになるのかならんのか、、、
な~んてことが、あからさまに分かるのが、この7月なのである。
「あっしには関係のないことでござんす」
といかないのは、自分の上司や部下が替わるのかどうか、
替わるとすりゃ、どこに替わるか?その後任には誰が来るのか?
その後任の者は、自分が知ってるヤツならええが、知らんヤツならどんなヤツなのか・・・?
といったことなぞなぞも気になるものなのである。
こうしたココロの動きの根源はいたって単純なのである。
「人より早く昇進したい」「人より多く給料もらいたい」「できたら楽に働きたい」
そのためには、「自分が日常に仕事で関わる上司同僚部下は誰なんか」
「その上司は自分をどう評価してくれるかの」
といった欲や損得が大なり小なり気持ちん中で働くのである。
私はそうした「欲は損得」の気持ちを否定するつもりはない、私にだって少しはあるからである。
そして、そんな気持ちをあからさまに表だって表明するんはほとんどおらん。
が、あからさまになってみて、機嫌悪くなったり、極端な場合は職を辞めてしまったり…
その逆に有頂天になったり……
私にとって幸いだったのは、今は退職されている先輩から若い頃に
「職場での自分の評価は自分の人生全体の評価ではない」というような薫陶を受けたことである。
もちろん仕事は一生懸命しているつもりだし関係者にとってこれが一番ええだろう、
とあれこれと考えて、上司も納得するだろうというようなものを、
上司のためでなく組織のためを考えてやってきているつもりではあるが、
それが高い評価を得たとしても、それを狙うんじゃのうて、単に結果なのだよ、、
ということ、
人より早く、人より多く、高い評価を得て…ってのは原動力にはなるが、それは目標ではない。
「それを目標としとるんじゃないか」
ってよな印象を感じる上司がいたりすると、周囲の者、特に部下は敏感にそういう心根を感じて
「なんか、勘違いしとるんじゃないかね」
などと囁き合うのである。
閑話休題
今の上司が退職するってんで、挨拶回りのアポイントの電話をかけまくった。
応答振りは、その会社やその人によって様々で評価するんも難しいが、ひとつだけ、
電話の保留時に流れる音楽については多少感じたことがある。
私の中でのベスト3は、次の3曲
カーペンターズの「青春の輝き」
ハッヘルベルの「カノン」
ディズニーの「スモール・ワールド」や映画「アラジン」のテーマ
どれだけ待たされても待つんが苦にならない。
そして、「ちょっとね~~~」というのは、
「グリーンスリーブス」
なんだか、気が滅入る感じがしてしまうのは、私だけなのだろうか・・・・・。
ねこまる様:是非一度は、「百聞は一見に如かず」と謂います。
私は、作っておる最中とブチめぐ作業を是非見てみたいと思うのです。
息子は、どうなんでしょうか?
容姿、性格などなど、私と女房の混血児のような気がして、よう分かりましっぇん。