蕎麦やら、酒やら、料理やら・・・ピアノやら・・・それにしても、ドーナンダ?たむらん

趣味の蕎麦打ち、元来の酒好き、そして料理作りと仲間と一緒にわいわい、と
たまに思いつくあれこれと・・・趣味も

睦月5

2015年01月25日 22時26分57秒 | Weblog

先週のブログに、日本の立ち振る舞い方によってアブナイかもしれないと書いたせいでは、もちろんないだろう。
それ以前も同じような事件は起きてはいるが、日本人が人質にされてしまう事態が起きてしまった。
そして、恐れていたことがどうやら現実となったようだ、実に残念、無念。
こういう事件に巻き込まれるということが、政治家の人が言う「普通の国」になることに伴うことだとしたら、
集団的自衛権とやらを具体的に行使できるような態勢にして、外国から行使と受け止められるような行動をしたら、、
どんなことが起きるのか、不安や心配は増すばかりである。
この残念な事態に、安倍さんは、アメリカと協力して対処していくと言う。実に危険な感じがする。
それが杞憂で終わって欲しいと思う。

日曜日、発刊以来買い続けているコミックを買うために久しぶりに本屋に行った。
この漫画、第1巻は30年前に出されて、主人公は、課長から部長、取締役、常務、専務、社長と出世し、
今日行ってみたら、いつの間にか、会長になっているではないか! なんてこった。
ご存知の方は、これだけで、何のコミックかはお分かりだと思うが、それにしてもすごい出世である。

出版不況、活字離れなどと言われながら、本屋は新刊の山である。
雑誌も似たようなのも多いが、興味惹かれるのもたくさん並んでいる。
しかも、中古本コーナーも今や、町の小さな本屋さんを凌ぐ規模の店構えで本や漫画や雑誌を取り揃えている。
本屋さんにしてみたら、長年の商売から、好況だったときのことが頭にあって今は不況なんかもしれん。
ただ、そうした良かった時代から、時代が変わったことに対応して商売の仕方も変えていかんにゃいけんのだろう。
出版社も、100点新刊出して、数点でもベストセラーになったら、あとの9割がトントンで御の字といった商売なのかもしれん。
そう考えると、数点という数字を増やそうと、いろんなことを考えるんだろうな~、
奇抜なタイトルや派手な宣伝、興味惹くような書評やら、、、、
そこから、長く読み継がれるもんがやっぱいい本なんじゃろうと思う。
だから、私は、ナンタラ賞受賞作といった新刊本にはすぐ手を出したりしないようにしている。
本屋さんには、時代が変わっても本という形で活字を読む人はいるんだよ~、と本の虫としては応援したい。
ただ、私らみたいな古本しか買わん客は、あんまし儲けにならんかもしれんけど。

 

unknownさま:文面から想像はつきますが、間違ってたらいけませんので…
         仰るとおり、バラマキでは効果は分かりませんしね~
         我が家周辺ならば、確実に消費アップにつながりますものね。
         もし、ばら蒔かれた折には、じぃじにも是非お裾わけをおねげぇしますだ。

ねこまる様:次の世代のことを考えるんは大人の役割だと思うのですが、それは切りのないことなのでしょうね。
        もちろん、子供のいるいないに関わらず、果たしてかないかんのだと思います。
        早く死ぬこたぁありません。死ぬまで健康でいて、老後を謳歌しましょうぜ、一緒に。

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睦月4

2015年01月18日 22時53分01秒 | Weblog

初孫誕生に多くの方々から、いろいろと祝福していただいて嬉しい。
孫の養育に爺ぃじや婆ぁやは責任がないからな~、などとちまた言われている。
確かに、直接の責任は親が負うということで、一面を突いているとは思うが、
この子がこれから先、成長し、大人になっていくまでの健全な社会の有り様を作っていくという点では、
間接的になのか直接的になのか、その両方でなのか、いずれにしても責任を背負ったような気分を感じている。

そういう気持ちでいるなかで、フランスの出版社への襲撃テロ、それに関連して後続的な出来事のあれこれ、
一連の報道の中で、広く先進国に対するイスラムからの更なる脅威の危険が、もしや巡り巡って日本にも・・・?
などという可能性、危険性があるとすれば、単に杞憂では済まないかもしれない。
ただ、
出版社の襲撃からの報道を見ていて、ちょっち気になるのは、暴力は断じて許されないが、
「過激な風刺」を「表現の自由だ」というのは、本当にそうなのか、と思う。
「過激な風刺」はフランスやイギリスなど、「風刺は高尚で全うな文化であり、自由に表現されるべきだ」というのは、
一部の国や国民性が共有しているユーモアとか考え方に過ぎないものなんじゃないか、と思うのである。
そういう表現の有り様を共有している者の中でしか通用しないものだ、という感覚や配慮に欠けていたから、
こういう事態を招いたんじゃないの、と思ってしまう。
だからといって、武力や殺害は、許されないと思うが、
それすらも、「宗教教義に照らせば問題ないとする教義に従っただけだ」と言われたならば、
異種格闘技どころの勝負ではない。
9.11以降、そういう宗教観や政治観、考え方が根本的に違うのに、自分の感覚だけでしか相手を見ない、
という風潮がそれまでにも増して強まっているように、多くの人が感じていることではないか。

世界は、かくも訳がわからない状態で、日本もその一員で、しかもアメリカの属国のような立ち位置にいるとなれば、
立ち居振る舞い方によっては、アブナイかもしれないのである。
そういう観点で、
安倍さん、エジプトに行って、3000億円の援助申し出となったのか、と穿った見方にもなるのである。
とりあえずは「お金」だとしても、「お金」以外のものも必要なんじゃないかと思う。
といったよな観点で、ジジイとしての責任を全うせんにゃいけんのだと感じた次第。 

 

ちょい悪さま:ありがとうございます。
         大丈夫ですよ、倅様も、ご両親の背中をちゃんと見て育っておられるご様子ですし。
         そのためにも、仕事、革との格闘、美しい景色や美味しい食べ物の写真などなど、
         これからも元気に楽しまれることを祈念しております。

ちゃちゃじい様:ありがとうございます。
         そういうめぐり合わせというか、なんというか、そういうことに相成りました。
         顔、性格などなど、親やその親、またその親などのどこかを引いているのでしょうね。

toricoさま:ありがとうございます。
        確かに長生きするものではあります。ま、正直、そのような感慨を持つほどの歳ではないですが。
        これが、曽孫でもできれば、そういう感慨や実感もひとしおでしょうね。

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睦月3

2015年01月12日 23時16分46秒 | Weblog

雪こそ降らないものの寒い日が続いている。
昨シーズンとその前は、鳥取での越冬だったが、下着は夏と同様に、半袖シャツにトランクスで通してきた。
しかし、、今年は寒さに耐え切れず、この歳で長袖シャツにズボン下の着用を始めることにした。
足先が冷えるしのう・・・
屋外に出たとたんに寒気を受けて、着ていたジャンパーのチャック(ファスナー)を思いっきり引き上げたら、
勢い余って、喉仏んとこの首の皮を挟み込んでしまったり、、、、そんくらい寒い。
反射的に引き下げたんで、大事にならんかったが、肝を冷やした。
ま~、用足しをして引き上げてナニを挟むよりもええかもしれん。
って、用足しして収めることもせずにチャックを引き上げる人ってのもかなり珍しいとは思うが・・・

そよ風に鼻の下がもぞもぞするんで、鏡を見たら鼻毛が伸びているではないか
と、小さなハサミで毛を切るんに、あやうく鼻の穴の内側を切りそうになったりして、これもまた肝を冷やす。
ちょっとした昔、先輩が鼻の穴にチッシュを詰めていた。
ただの鼻血ならずぐに取るだろうが、一日中詰めていたので、聞いてみたら、ハサミを突っ込んで毛を切ろうとして失敗したとか・・・
医者に行って見てもらって大事にはならんかったけど、医者からの注意として、
「伸びたら、切らずに抜くんだ」
とのこと、、その話がこびりついてて抜くのであるが、あれはかなり痛い。
抜いた瞬間、あまりの痛さに身体硬直してしまう、くらい痛いときがある。
だから、細心の注意をしながらハサミで切るんだけどね~、気をつけないかん。
 

年明け早々のこの3連休、地元では「とんど」祭りなどあるのだが、パスして息子んとこに行ってきた。
正月明けて、6日の夕方、3200グラムの男の子誕生との連絡、こりゃ行かなては・・・

   自分の血に繋がる小さな命に畏怖にも似た感慨・・・ 
手は隠れているが、手足の指がとても長い・・・らしい。
この先、大変な世の中かもしれないけど、この子の先々健やかなることを我が命を賭してでも願わずにはいられない。
そのために、爺ぃじも、まだまだ全うに生きていかにゃのう、と気持ち引き締まるのである。
あと20年も生きりゃ、自分はおんの字だ、老後を好きに生きりゃええよの、というのも許されるかもしれない。
でも、10年たぁ言わず、20年30年先の、息子や孫、ひょっとして曽孫もいるかもしれん、この先、
大袈裟かもしれんけど、今よりは少しでもええ国にしておこうと考えるのも爺ぃの役目なんじゃろうのうと思う。
少なくとも、この子は20年先にならんと、国の有りように選挙という形では参加できんのじゃから。


 
ちょい悪さま:やっぱ、ようく見ておかないといけない、ということなのでしょうね。
        第3の矢が、どのように飛んでいって、どこに刺さって、どうなった、どうなるのか、
        それが、1票しか持ってない我々の最善にできることなのだとの自覚が要るっちゅうことかもしれません。

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睦月2

2015年01月04日 23時03分47秒 | Weblog

元旦、2日と降り積もった雪は、昨日と今日の天候で、あらかた融けて、いつもの松の内の景色となった。
年始のお休みも今日まで、結局、この休み中には初孫誕生とならずに仕事始めを迎える。
騒がしいだけのテレビ番組は全部パスして、BS放送のしっとりりた味わいの番組を見て過ごした日々、
何をしたということもないが、まったりと、でもそれなりに充実した休日であった。
ほんのちょっと心残りは、かつて弾けていた曲で弾けなくなってた曲を再マスターすることだったのが、
完全復活させることができんかったこと、くらいか…

新聞などで報道されたが、天皇陛下の念頭のお言葉に
「もっと歴史に学ぶ必要がある。満州事変あたりまでさかのぼって見る必要がある」旨があった。
今の安倍政権のきな臭さを感じてのお言葉なのかどうかわからないが、至極尤もなことと受け止めた。
昨年から、昭和の歴史を解説した本や太平洋戦争までの日本のつまづきに関する本など読んでいる。

満州事変は昭和6年に起きている。
その前、昭和3年には日本は張作霖爆殺事件を起こしている。
さらに遡れば、明治37年に日露戦争が始まり、翌年、奇跡的とも言える勝利でロシアに勝ったのである。
大国ロシアに勝ったことにより、勢いをつけた日本は、大陸(満州)へと進出を始める。
明治40年、満州の経営を始めて、43年には日韓併合、
大正3年、第一次世界大戦には、日本は連合国側として参戦し、勝利国側になっている。
そして、昭和になってから、大陸への進出と関与の度合いを増して、日本がだんだんと軍国化していき、
昭和20年の敗戦まで、泥沼化の一途をたどってボロボロになっていったのだ。

複数の著者の方々は言う。
太平洋戦争に突入する前もそうだし、突入してボロボロになっていくあらゆる過程でも、
政治家も軍人も、都合の悪いことは見てみぬふりをし、都合の良いように諸情勢を解釈して、客観的に物事を見ようとしなかった。
自分たちのやりたい方向で物事を見て解釈して、理性的・論理的に考えようとしなかった

今の安倍首相を見ていると、そうした、かつて誤ってしまった道への危なっかしさを感じるのである。
個人的想いで靖国参拝して中国や韓国を刺激して、中韓相手に商売している会社が損失を受けたのは、安倍さんのせいなのだ。
そうした会社は安倍さんに損害賠償請求してもええくらいなんじゃないの?と思うたりする。
アベノミクスにしても、都合のいい数字だけを取り立ててアピールする、政治家の常套手段と言えば、それまでだけどね。
ま、こうした話を長々としてもなんなんで・・・、

いずれにしても、「歴史から学ぶ」という姿勢は大事なことだと思う。
もうしばらく、そうした方面に関する書物を読み漁ってしまいそうな気分を抱えている。
と言いながら、明日は年明け初出勤、、今夜は早う寝るのだ。


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睦月1

2015年01月01日 12時18分35秒 | Weblog

新年明けましておめでとうございます。  
今年も、引き続きよろしくお願いします。

今年の元旦は、未明から冷え込んで朝起きると家周辺は雪化粧されております。 
ここに住み始めて、初めてのホワイト・ニューイヤーです。
例年、元旦は、朝からおせち料理と雑煮でちょびちょびとやりながら、引きこもりで過ごすのが日課です。
 
我が家の雑煮は、妻の父、義父の田舎で食べられている、すまし汁にはまぐり、牛肉とお餅の入ったもの。
30年近く食べていると、この味に馴染んでしまいました。

大晦日は、若い頃のように夜更かしをすることもなく、いつもどおりの時間には床に入り、元旦の朝起き出すのもいつもと同じです。
年の改まりに、なんとなくの思いはあるもののそれほど格別なものを思うわけでもないのは年取ったせいでしょうか。
それでも、年賀状が届くと、年に一度のやり取りに、今年はどんな近況なのか、など読むのは楽しみのひとつです。

今年は、いつもと違うのは、既にお知らせしているかとは思いますが、
昨年、結婚した息子んとこ、子供の誕生が間近ということで、生まれたら駆けつけようと、遠出も予定せずに過ごしています。

ブログを訪れてくださる方々の健康とご多幸を祈念して、新年の挨拶といたします。

ねこまる様、ちょい悪さま:今年も引き続きよろしくお願いいたします。

 


 

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