盆過ぎ、ほんの少し日差しのキツさが緩んだが、またまたの猛暑
秋の彼岸まで、と歳時記を信じてみたくなるがそれにも懐疑的な気持ちになる。
8月も終わるが真夏はまだ終わりそうにない。
こう暑いと菜園仕事も気軽にはできず、相当の気合いを入れて取り掛からないといけない。
日差し対策、水分補給の準備、午前中にひと仕事したらば昼めしはどうするか、、、
そして、作業をどう効率的にやるかの順番も取り掛かる前に考えとかんと無駄な動きをすることになる。
夏野菜を収獲した後、その残渣を片付けて秋から冬もの野菜の畝を作るのに、何をどこの畝で育てるか、
連作にならんように、とか、今からの準備が大事な時期になる。
そうしたことを考えるんも楽しい時間なのだが、考えても作業できるわけもなし、
また今度考えよう、と思考は他のことに移っていく。
こうして何かを為すこともなく一日が過ぎていく。
少し若い頃は、無為な一日だったと思うと自責の念を持ったが、
最近は、そういうこともまた有りか、といった心境。
自責の念を持った頃からすると、人生の残り時間は格段に減ったはずなのに・・・・。
ただ、そうした諦観的な心境になることはあっても、
政治状況に怒り、ウクライナとガザの惨状に煮えくり返ったりの感情は失くしてはいかんのうと思う。
それとともにそれらの事態を冷静に見つめんにゃいけんのう、とも思う。
暑さでゆだる脳では、このくらいのことしか書けない。