蕎麦やら、酒やら、料理やら・・・ピアノやら・・・それにしても、ドーナンダ?たむらん

趣味の蕎麦打ち、元来の酒好き、そして料理作りと仲間と一緒にわいわい、と
たまに思いつくあれこれと・・・趣味も

ゴールデンウィーク~~

2023年04月30日 22時45分49秒 | Weblog

タイトルとは直接関係ないけど、コロナウィルス対応が変わる。
インフルエンザ同様の対応だとか・・・、マスクも自由化される。
ノーマスクでいることの無防備感については以前にも触れたが、他にも気を付けんにゃいけんことに気づいた。
「鼻毛」である。
ず~~っとマスクしてたから隠れていた鼻と口と鼻の下である。
休日に一日ノーマスクで過ごして、なんだか鼻の穴の入り口あたりがサワサワすると思ったら存外に鼻毛が伸びていた。
こりゃ~~ノーマスクで人前に出るには気を付けにゃいかんのうと思うた。

新聞読んでて複数の新聞で、しかも昨日と今日もみたいに記事になってたのが、
「子ども未来会議」なるものが首相官邸で開かれて、出席した女性委員が生後2か月の子供連れで出席したとの報道。
その記事には、会議に出席した人から「全然泣かずにいい子だね」と話しかけていたと書かれていた。
「あ~~、これだもんな~、泣かない子はいい子との観念で考えとるんだな~」と思わずににはいられない。
「子どもって泣くもんじゃん、そんなん言われたら、人前で泣く子の親は周囲に恐縮していたたまれんだろうな~~」
赤ちゃんだって大人を困らせようと思うて泣くわけじゃないのに、「泣く子はいい子じゃない」と暗に言うとるようで
記事の読後、ちーと気分が悪かった。

さて、ゴールデンウイーク
天気予報が見るたびに変わるような気候。
我が家の「東屋プロジェクト」を進展させなければならないので天気がとっても気がかり。
プレカットされた材料は揃っているんで、あとは休日のお天気次第。
幸いにも30日、未明までの雨もあがり、ええ天気になってきそう、ということで作業開始。
こういうこと大好きな弟の助っ人で道具も揃ってて、作業もだいたいサクサクと。


明日、明後日と予報ではええ天気で絶好の作業日和、、残念ながらお仕事なのだ・・・あ~続きの作業してぇ~~。

 

ちょい悪さま:もうね、頭の中はすっかり大工さんです。
       それにしても、プレカットの技ってホント凄いですわ。
       でも、まだまだ、先は長いです。

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寒暖差大きいね

2023年04月23日 22時06分27秒 | Weblog

日によって気温の上下が大きくて、夏日のように暖かかったり風が冷たく感じられたりと変化が大きい。
それでも、土日はほぼ好天に恵まれて、畑仕事やらも割と捗った。
そして、我が家の「東屋プロジェクト」プレカットされた建築材が搬入された。
さすがは本職、綺麗にカットされてるし、何をどこに嵌めるかも分かり易い。


ここまで、我が家を建築してもらった工務店さんの全面的な協力を得て進んできた。
立派な図面もできて、

図面どおりにカットされた木材を組み立てる作業に入る。

土台となる束石の間隔が正確な寸法とちょっとズレているので、微妙な調整が要ることは既に把握した。
図面も穴のあくほど眺めているので、組み上げ方の順番もだいたい頭の中にある。
重機などもなく弟と二人して手作業で組み上げるのにトラブルなく進捗できるかどうか。
ただ、いまだに屋根の納まりをどうするかがイメージできていないという大きな不安要素を抱えている。
屋根は「寄棟」といってちょうどピラミッドを平たくしたような形状である。
屋根材は「コロニアル」という薄い陶板のような板で葺くことにしているが、
てっぺんのカバーをどうするか、てっぺんから四隅に下がる柱を「隅木」というのだそうだが、
その隅木の上をどうカバーするか、実はそういった納め方をいまだ思案中。

ホントに大丈夫か、おい!

連休は「東屋プロジェクト」三昧で過ごすことになる。
楽しみやら不安やら・・・

コメント (1)
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幸せの連鎖を

2023年04月16日 22時39分55秒 | Weblog

4月も半ばを過ぎて、桜も散り葉っぱが伸び始めてきた。
天気がよいと日なたが気持ちいいが、まだ風が冷たく感じられる時もあって思わず身振るいする。
これから風もぬるくなり新緑を迎えてくるとどこからともなく栗の花の匂いが漂う季節になる。


いつの間にか、ブロッコリーに花が咲いた。
いわゆる「トウが立った」のだ。
まだ、ツボミのところを摘んで、美味しくいただいた。

ある雑誌の記事を読んでいたら、10年前はもちろん20年前も「少子化」が課題だったことが分かる。
日本はこの問題に10年20年取り組んできても一向に成果が出ていないことも分かる。
岸田首相は「異次元の少子化対策」とぶち上げたが、どうにも評価しようがない。
結婚する男女の減少もあるし、晩婚化に伴って授かる子供の数も減るし、いわゆる減少のスパイラルに陥っている。
思うに、少子化の原因は単に子育てにお金がかかるからだけじゃないだろう。
そこに財政的支援をするのも一定の意味はあるとも思うが、気分の醸成も大事じゃないのかなとも思う。

とても情緒的な話だけど、「結婚してよかった」「子供をもってよかった」という風潮をもっと広めることを考えてもええのじゃないか。
もちろん、結婚生活すべてが薔薇色ってわけじゃないし、子育てにはいろいろと苦労もある。
それでも「結婚してよかった」「子供がいてよかったと思う」という気持ちを結婚や子供持つことにためらいのある人に感じてもらうことが大事なんじゃないか。
「結婚なんかするんじゃなかった」とか「子供なんて産まなきゃよかった」なんて悲しいことは減らしていきたいよね。
新聞の社会面やニュースで、夫婦間の不幸な事件や出来事が報道される。
芸能人の結婚よりも不倫だ、離婚だ、といった昔にもあったのに昨今は大きな騒ぎになる。
平穏で円満で幸せな結婚生活を送っている多くの夫婦がいるというのに、そうした話は伝えられない。
また、平場で既婚者は結婚生活や配偶者のことを良く言うような話はほとんどしない。
現実は円満なのに配偶者への不満めいたことを口にすることのほうが多い。
日本人的奥ゆかしさなのか、自慢めいて聞こえるようなことは言わないのだ。
こうした風潮も変えていって、
「結婚には苦労や不満もあるけど、夢や希望も幸せもある。」という情景を見せることが要るんじゃないかと思う。
「幸せの連鎖」を作り出さにゃいけんと切に思う。

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マスク自由化

2023年04月09日 22時08分11秒 | Weblog

マスク着用が個人の判断ということになった。平たく言えば自由ということである。
でも、この3年あまり、四六時中マスクを着けていたわけでそれにすっかり馴染んでしまっている。
朝、家を出て駅まで人に会うことはないが、汽車を待つ人がいる駅舎に入る前にはいつもの癖でマスクを着けている。
列車内では当然にマスク着用である。
鳥取駅から職場まで人通りもまばらでマスク外して歩くと、ひどく無防備な姿のような気分になる。
ウィルスに無防備というのではなく、何というか、パンツ穿かずにスカートはいているような、
(経験ないから勝手な想像だけど・・・)
仮面をかぶって演技してる最中に仮面をはぎ取られたような・・・。
素顔を晒している気恥ずかしさのような気分か。

もうひとつ、まばらではあってもすれ違う人から「あ、マスクしてない」「個人の判断になったといってもねぇ・・・」
といった非難めいた思いを抱かれはせんだろうか、とか「自由なんじゃけ俺はマスクはせん」と堂々としきれない
自分が小心者であることを自覚させられる気分がちょっとヤナのである。
服を着るのと同じようにマスクを着けるのが当たり前になってしまった自分がいる。
コロナが完全に収束して感染者数がニュースで流れなくなるまで、これから先も自由とはいえ、
場面によっては「ご協力お願いします」とか「ご配慮お願いします」といった形で
「マスク着けろよ」圧力がかかったりするんだろうなと思う。
昔から「同調圧力」ってヤツが大嫌いだったはずなのに・・・えらいことである。
ただ、人に迷惑はかけたくないとは思うので、苦手なTPOに応じて対処するしかないのう。

我が家の「東屋プロジェクト」

束石と立てる柱の位置を正確に見るために予行演習をしてみた。
束石の施工がかなりズレてる(涙)
でも、素人にしてはまあまあか、とリカバリー策を練ることにして気を取り直す。。
疲れたぴ~。

 

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春爛漫で4月に

2023年04月02日 21時59分44秒 | Weblog

咲き誇る
鳥取市内、久松山のふもとにある久松公園、園内にある仁風閣

久松山の山頂の桜も

花見とランチを兼ねて約30分の山登り、ランチを始めたら獅子舞の一行が登ってきた。

なんと、山頂で「獅子舞」が見られるとは・・・

我が家の芝桜とチューリップも満開

綺麗なものに心癒される。
この庭が一面、畑だったらさぞ殺風景だったろう。
花の種を蒔いて、球根を植えて、苗木を定植して、草抜きをして、と手入れをしているのは妻である。
私はもっぱら農作物の管理だ。
花を育てるのも野菜を育てるのも趣味だから、あくせくしなくともマイペースでやれるのが一番いい。
不作でもイタチにかじられても隣の野良猫が足跡つけても、まぁそんなこともあるか、と思う。
白菜を収穫した跡を掘り返し、耕して肥料を施して畝に仕立てていく。
そうした一連の作業自体がなんとなく面白く感じる。
車で5分ほどのところにある「道の駅」では地元産の野菜も沢山、何種類も売っている。
効率や手間ひまを考えたら、道の駅で買ったほうが破格的に安い。もうタダみたいなもんだ。
でも、土に触れることの自然と交わっている感覚、形よく畝が仕上がったときの誰に誇るでもない小さな満足。
さほどの丹精は込めてはないが、それなりに手間ひまかけて育てた野菜を食す格別感。
思えば、そう、何事につけ、全ては「自己満足感」なのだ。
だから、好天の週末が待ち遠しい気分になるんだな、と、こうして書いてみて思った。

 

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