桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

イブの夜

2014-12-24 | Weblog
今夜は、連れ合いは救援会の会議。救援会はクリスマスも関係ない世代が多いせいか、こんな夜も会議だ。連れ合いがいなくては自分で夕飯を作るが、せっかくだから「食べたいパスタがあれば、それを言って!」と連れ合いに言ったらば、アサリとトマトで作る「ブォンゴレ」とか言うのを指定した。
何時もナポリタンにペペロンチーノでは面白くないし、レパートリーを広げようとパスタ専門の料理本を買って来たからだ。
必要な物を買いに行って、料理本を首っ引きで作った。パスタだけでは面白くないので肉味噌を作り、春菊にレタス。それにフライドチキンが、今夜の夕飯だ。麺が、少し軟らか過ぎた。これで作り直すから、絶妙に連れ合いの方が美味いんだよな。

アカネ

2014-12-24 | Weblog

昨日、アカネにクリスマスプレゼントを渡した。
初めて会ったときから15年、すっかり女性になったけど、なぜか判らないが、親戚の娘のような気持ちで、ついついふざけた口調で話してしまう。
きっと似合うと思った服は、すぐに着て見せてくれた。母親と一緒に、我が家に花のプレゼントを持って来てくれたので写真を撮った。「顔はどうでもいいんだよ、服だけ写れば!」と言ったらば、こんな可愛い顔をしてくれた。
もう来年は社会人だ。
今度は俺が貰う番だな!!

合唱団

2014-12-23 | Weblog
水戸にはセンター合唱団と呼ばれる合唱団がある。
今日は、その人たちの主催する「唄う会」があった。お付き合いもあって、時間のあった俺も参加したが、みんなで唄い、合唱団の歌も聴いて、楽しい時間を過ごした。
合唱団では、「上手くいかないかも」と言って唄った「アメージング・グレース」が、素晴らしくて感動した。
いいねぇ、心を合わせて唄う歌も!

骨折

2014-12-21 | Weblog

先日、連れ合いが駐車場で転倒した。小雨の中、玄関ら駐車場に小走りで行ったのは良いが、道路との小さな段差に躓いて、そのままヨロヨロと何歩か進んだと思ったらば、顔面から倒れてしまった。
あれは何年前だったろうか、雨の後の赤旗まつりに出掛けたとき、敷いてあったベニヤ板に躓いて、同じように顔面から転んだことがあった。
今回は、倒れた先にブロックがあり、そこに突っ込んだので、本当に驚いた。
「なんで顔面から倒れるの?なぜ手を突いて顔を庇わないの?」と聞いても、「そんのこと、判らないよ!」と言う。
駐車場のコンクリートは鏝で磨いてあるから顔に擦過傷もなく、ブロックに当たった頭も怪我はしなかったから良かったが、何で顔面から倒れるのか、全く理解不能だ。
昨日、新聞を取りに玄関を出たらば、レンガの上に置いてある焼き物の人形が落下し、壊れていた。
その前日は強風だったが、さして風も吹かなかったのに、なぜ3個の人形のうち、1個だけが落下したのか、不思議だけど、この人形も落下したのは2度目で、連れ合いに代わって骨折してくれたのかも知れないなぁ。
赤旗まつりでは「貴方が前を歩いて踏んだベニヤ板が上がり、それに躓いて転んだ!今回は、雨だから貴方を車に、早く乗せようと思って急いだのだから、貴方が原因だ!」とか言ってるが、今回は思い出すたびに笑えるけど、3度目はクワバラクワバラ!だよなぁ。

科学

2014-12-20 | Weblog

科学と言えば、誰もが数学的な絶対定数に基づくものとして信頼する

。その信頼を突き崩した「小保方」問題だったが、今日の新聞は、一斉に「STAP細胞は存在せず」と報じておる。

何で存在しないものが、あのように大々的に報じられ、科学的権威誌にも掲載されてしまったのか、その説明はない。

科学社会も、結構、いい加減でインチキなようだが、思えば、科学のいい加減さとインチキさを、俺たち冤罪者は骨身に沁みて知らされていた。

名張事件の松倉鑑定。松倉と言う医師が「葡萄酒栓、王冠に付いた歯型と奥西さんの歯型が一致している」とした鑑定書が出たことから、1審無罪が逆転して「死刑」有罪とされた。この鑑定がインチキだった。奥西さんの歯型と王冠の歯形を倍率を操作して合わせたことが暴露されたのだ。でも、有罪のまま。

足利事件では「DNA鑑定」をでっち上げた。「間違えた」のでは、絶対にない。不鮮明な写真を利用して、何百回もの試行と写真撮影を行い、たまたま似たような写真を作り上げたのだろう。

この足利事件と同じ方法で行ったでっち上げが「飯塚事件」だ。もう死刑が執行された飯塚事件、このでっち上げ鑑定の闇も、必ず晴らすしかない。

高知白バイ事件のスリップ痕のでっち上げもある。

和歌山カレー事件の「ヒ素鑑定」もでっち上げだ。

北陵クリニック事件の「筋弛緩剤鑑定」もでっち上げだ。

今日も科警研、科捜研と言われる場所で働く科学者たちは警察の要請でインチキ鑑定を作り続けている。そして、この鑑定の真偽を見分けられないに裁判官たちは、被告たちの正当な反論や再鑑定を無視して「有罪判決」を重ねているのだ。

信頼すべき科学を汚す科学者たちは、哀れと呼ぶべきか、恥じろと叫ぶべきか、いかにすべきだろうねえ。


確信

2014-12-20 | Weblog

俺のブログを読んでくださる人の中には、俺の言葉に反応された思いと書いてくださる人がいる。

柳田氏、森利行氏、TRI氏などは、俺の思いに勝るようなことを書いてくれることから、有り難いと思うし、信頼できると思っているが、ただ「少し違うな」と思うこともあるので書くことにした。

今回の選挙で選ぶべき野党がなかったとは思わない。そして、日本社会が変革に向かうだろう確信も動かない。

民主党の体たらくは、所詮は崩れ自民党や逸れ自民党の集まりだったからだ。だから、官僚にも甘く見られて「サポタージュ」されてしまい、政策がうまく回らず、自民党政策のデフレの残滓を跳ね除けられずに、あの大震災もあって崩壊したのではなかろうか。

野党とは何だろう。与党政策に対案を持つ政党が、そう言われる資格を持つだろうが、ならば共産党であり、民社党だと思っている。

ただ、残念ながら、世界の「共産党」政権のイメージが悪すぎる。独裁・弾圧=共産党と思う人が大部分で、「怖い」と思う人が多い。今の中国や北朝鮮を見ろ!と言えば、誰もが「嫌だ」と思うよね。

でも、共産主義とは、あれなのだろうか、俺は資本論も適当にしか読んでいないし、良く知らないけど、生まれた人が、その才能を生かし、生かされて、平等な環境で生きられる社会が「共産」の社会だと思っている。民主的で、自由でなければ「平等」はないのだから、今までの共産党政権は「共産党風独裁主義」にしか過ぎないとも思う。残念ながら自由平等社会と言われる欧米も、まだ「自由平等社会風」であって、本当の自由で民主的な社会にはなっていない。

資本と呼ばれる金によって人間が縛られ、翻弄され、子供たちは学ぶことすらも制限され、年老いては病むことすらも苦悩にされる社会が、今の日本だ。とても自由平等社会には遠い。大体、「物質」でしかない金に左右される資本主義社会なんて永遠に続くはずはない。もうすぐ落城するが、その先になる「主義」は、何だろうか。

今回の選挙で沖縄は「一点共闘」の言葉によって、主義主張を乗り越えて共同して自民党を全滅させた。可笑しな制度によって落選した人が復活当選をしたが、この沖縄の精神こそ、明日の日本だと思っている。

社会は変わる。変えられる。「我が身の問題」として、この日本社会が生み出している不平等や差別、人権侵害を国民が理解すれば、いかに巨大な組織だとて、変えられないわけはない。

長く続いた徳川時代の武家社会による身分制度で縛られてきた日本人は、確かに「長いものに巻かれる」だろう。闘いを知らないだろう。怒りを忘れているだろう。でも、今回の沖縄の結果は、その日本人も変わる日が来ることを見事に示した。

アベノミックスも「三本目の矢に困っている」と報じられ、もうすぐ泡沫の幻として終わるだろう。

明日の日本は変わる、変えられる。

俺の確信は動かない。


狭山事件

2014-12-19 | Weblog
昨日は狭山事件の定例宣伝だった。
仲間だ。東京に行って時間があれば応援に行くのが使命だから、昨日は予定がないこともあって応援に行く計画をしていたが、獄友の荼毘が入り、短時間だけ、行動に参加して来た。
冷たい風の中、大勢がビラを配り、当人も参加していたが、早く勝たせないよなぁ。
何しろ、もう51年だ。長すぎる。警察による証拠の捏造は袴田事件に勝るとも劣らない狭山事件は、それだけに裁判所のハードルも高くなるのだが、不正を見抜かなくて、何が裁判だ。絶対に勝たなければならない闘いだし、勝つ事件だと俺は思っている。
あと少し、あと一押しだ!

哀しい別れに

2014-12-18 | Weblog
友人新井清明、セイちゃんの火葬に立ち会った。
俺の他には誰もいない、淋しい別れだったが、彼は堂々たる死に顔をしていた。彼は、何時も自分を押し出さず控え目だったが、柩に眠る表情は、美男子だったままに、歌舞伎役者が見得を切ったような感じだった。
彼は同じ歳。25歳で事件を起こし、社会に帰ったのは、俺と同じに49歳。1996年だった。
セイちゃんの人生は25歳で終わってしまったのだと思い、哀れで涙が止まらなかった昨夜だが、柩の表情は「俺なりに生きたよ!」と語っているように感じて救われた。
セイちゃん、セイちゃんは立派だったよ。刑務所でも、絶対に仲間を売らなかったし、懲罰にも巻き込まなかった。うす汚い奴は、掃いて捨てるほどいたけど、セイちゃんのような人は、ほとんどいなかった。
その才能が眠ったままだったのは残念だったけど、俺はセイちゃんに会えて良かったよ。もっと力を貸して上げられなくてごめんな。最後の酒、美味かったか?あの世があったらば、また会おうな。

虚しいなぁ

2014-12-18 | Weblog
昨日は裁判だったが、求めていた証拠開示で、18点の文章送付嘱託は、総て棄却された。
いやはや書くべき言葉を失う思いになるほどの怒りと落胆を味わった。
民事訴訟は、訴えた側に立証責任がある。
警察の捜査怠慢、捜査ミスを追及し、検察の起訴や訴訟遂行に誤りがあることを問う、俺の国賠裁判だが、捜査怠慢とミスを明らかにするには、どのような捜査を行い、どのような捜査を行わなかったかを示す捜査資料を見なければ判らない部分がある。それに「総ての証拠を勘案して起訴し、訴訟遂行を行ったから誤りはない」と反論する検察なのだから、その「勘案した総ての証拠」を見なければ、正しい起訴で訴訟遂行だったのかを判断出来ないだろうことは、誰が考えても判るはずだ。
それなのに「調べる必要はない」とは、どこから出て来る裁判官の思考なのか、俺には理解出来ない。
裁判官による立証妨害だ。もちろん、「総ての証拠を勘案して起訴し、訴訟遂行を行ったから誤りはない」とする検察の反論は、いくら無能で検察ベッタリない裁判官だって判っているだろう。判っている以上は、「調べなくても警察の捜査怠慢とミスは判断出来る。検察の誤りも判断出来る」と言っていることになり、裁判の勝利は間違いないだろうが、俺の国賠裁判は勝つことだけが目的ではない。同じように冤罪が作られなくするために、その誤りを明らかにしたいのだから、目的をはぐらかされた虚しが消えない。
石栗正子裁判長は「民事訴訟法によって判断した」と言ったが、司法は正義の体現にあると判ってるのかなぁ。

打ち首だな

2014-12-17 | Weblog
高知白バイ事件の再審が棄却された。
昨日、「今日、受け取れます」と裁判所から連絡が来たそうで、行ったらば棄却だったそうだ。
道路に出て来た大型バスに白バイが衝突した、ゆえにバスの運転ミスとなった高知白バイ事件は、バスのスリップ痕があることから「バスが動いて白バイに当たった」とされた。
でも、何度も書くけど、バスに乗っていた仁淀川中学生は、全員が「バスは止まっていた」と証言するし、バスの後から自家用車で付いて引率していた中学校の校長先生も「バスは止まっていた」と証言している。ところが、対抗車線を走っていた白バイ警官1人だけが「バスは動いていた」と証言し、その証言とスリップ痕で有罪だ。
中学生が揃いも揃って嘘を言うか!?
校長先生が子供たちに合わせて嘘を言うか!?
今度の再審では、警察に写真鑑定技術の指導をされていた千葉大名誉教授の三宅洋一先生が「スリップ痕などは偽造写真」の鑑定をされた。
ならば、普通の感覚で見れば「鑑定人の話を聞こう」となるだろうに裁判長は「難しい話を聞いても判らないから聞かない」として鑑定人尋問をやらなかった。聞いて判らない頭が、なんで鑑定書を読んで理解出来るのか。この、名前を忘れてしまった裁判長は、実に惚けた頭をしてる。
こんな裁判官に裁判をされては堪らないよなぁ。
こんな奴は打ち首!!獄門だよね。