桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

論争

2015-03-02 | Weblog
昨夜は、連れ合いと「仰げば尊し」の歌詞が、1番か、2番以降もあるかでだ。俺は、1番だけしか唄った今は凄いね。パッとスマホで検索して、俺の負け。
そう言えば、身をたて、名をあげ、やよ励めよ、なんて歌詞もあり、2番もあったと思い出した。
それから、今度は学生時代の話から校歌になり、「そう言えば俺の中学校の校歌は1番しかない」と言ったらば「あり得ない!」と言う。
俺が3年間、唄って来たのに、なぜ知らない連れ合いが「違う」と言うのか、全く理解出来ないよね。
でも、久しぶりに同級生に電話をして確認したらば、「2番もあるよ」だって。そんなはずはない!
話した相手も、段々とトーンが落ちて「確認してみるよ」となったが、いやあ記憶はヤバイね。
どうなるやら!

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1 コメント

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Unknown (森利行)
2015-03-02 16:02:01
 いつの頃からか、卒業式から「蛍の光」「仰げば尊し」が聞かれなくなりましたね。おそらく、使われなくなった古風な言葉を教育現場から無くしてゆく課程で、珠玉の童謡唱歌をも音楽の授業から抹殺してしまったことと重なるのでしょうか。二人の息子の卒業式では、仲間を大切にしようとか、自分の楽しかった思い出の歌、つまり「私」的な歌ばかりで、卒業式が、先生や同窓生や両親への感謝の気持ちを伝えるような「公」的な儀式ではなくなった感があります。僕は「蛍の光」「あおげば尊し」はそういう意味で、絶対に外してはいけない「歌」だと思うんですけどね。

 また、教育現場から、懐かしく、しかも格調高い童謡唱歌がなくなってしまったことも残念でなりません。桜井さんは現役のシンガーソングライターなので実感されていると思うのですが、今の時代、「歌の力」「言葉の力」を本当に低く観ていると思いませんか。少しぐらい難しくても、長く受け継がれてきた珠玉の「言葉」には、解り易い、分かり難いというような安直な判断基準では絶対に量れない「力」があるはずです。子供達には先陣の造ったその「力」を引き継ぐ「権利」があると思うのですが。

 分かり難い物を解り易く簡単に収斂させてしまおうという文化は、「野蛮」ですよね。正義だの積極的平和主義だの、上っ面だけで深みの無い言葉を並べて人心を惑わす安倍はその典型です。安倍が人心を惑わそうとする遠謀深慮の人間なのか、実際に薄っぺらなだけの人間なのかは分かりませんが(たぶん後者)、こういう人種は、絶対に人の上に立つべきではないですよね。
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