桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

問題の本質

2021-09-18 | Weblog
湖東記念病院事件で無罪判決を受けた西山美香さんが起こした警察と検察の冤罪責任を追及する国家賠償裁判では、滋賀県警が、改めて医療事故死であることを否定して西山さんの殺人であるごとき主張をした。
セカンドレイプ、セカンド冤罪、被害者を貶める行為を行うことは許されない。しかも、公僕たる警察官が自らの過ちを言い逃れて無実の人を犯人呼ばわりするなどは言語道断。ただちに解雇、罷免、厳罰を受けるべき行為だ。
この主張を裁決して認めた三日月滋賀県知事は見逃したとして「訂正する」と発表したが、当然だ。
これで西山さんの国賠裁判での滋賀県警の主張は撤回されるのだろうが、これで終わりではない。一件落着とは行かない。
犯罪捜査を行い、その捜査を誤って冤罪を作るのは警察だ。その警察が誤りを認めずにいるからこそ、昔も今も変わらずに方程式のように無実の人が犯人にされ続けるのが日本だからだ。
人を殺した人が凶器を持って社会を動き回り「俺は人を殺していない」と声を張り上げていて社会は見逃すのか。レイプ犯が、そんなことはしていないと言い逃れて夜の街を歩き回っているのを社会の人々は許せるのか。
伊藤詩織さんをレイプした山口敬之の逮捕を止めさせた中村格が警察庁長官なれば、どのような冤罪が明らかになっても反省しない警察であるのは当然なのだ。いや、昔も今も無実の人を犯人にしてま平然と開き直り、それでも犯人だと言い続きる警察だからこそ、中村格のような男が長官になるのだろう。
こんな警察を許し続けて良いのか。今、日本社会は問われている。
日本の正義が問われている。
冤罪が明らかになったならば、その捜査を行った警察官を処罰する法律を作らない限り、反省しない警察の本質は変わらないだろう。変えられないだろう。そして、次は、あなたが警察の餌食になることだろう。
それが西山さんの国賠裁判で昭かになった問題の本質だ。