連休の中日のせいか街に出たら物凄い人がいて驚いた。わさわさとどこからやって来たのか大勢の観光客がいてまいった。他の用事でスカイツリー近辺を自転車で通った。息子の誕生日プレゼントでもソラマチで選ぼうか、とチラッと思いついたが直ぐにやめた。そちらの方向に歩く人波があまりのも多かったので。途中の観光バスの駐車場も満車だったし。買い物客がたくさんいてくれるのは地元にとっては好ましい傾向。しかしいつになったらソラマチで悠々と買い物を楽しむことが出来るのか。1年も経てばあの混雑ぶりはなんだったのか、なんてことになるのかな。もっとも今でも平日に行けばさほど混んではいないのかも。私が行こうとするのがいつも休日だからいけないのでしょう。このところ暇な平日がないので思うようにいかない。明日は連休最終日。地方から遊びに来ている旧友たちと久々の再会。懐かしの地、吉祥寺で楽しんで来ようっと。
かつて聞いた”銀行強盗”と言う犯罪。昨夜から愛知県で起こっている信金強盗事件。徐々に人質は解放されているようだが、まだ室内には職員が残っていて警察が犯人説得に当たっているらしい。こんな犯罪に走るのだからもちろん、お金が必要な人。犯人は日本人? そうでも、そうじゃなくてもこのまま無事にお金を手にして遠くに逃げられるはずはないのだから自首した方が無難じゃない? そんな考えが浮かぶ様なら初めからこんなことしていないって? ご最も。銀行強盗などの犯罪を重ねた挙句、派手な打ち合いの末に命を落とした映画・”俺たちに明日はない”は見事だったしカッコヨカッタけどあくまでも映画の話しだからね。強盗で命を落とすなんてもったいない。一度しかない人生。したいこと、他にいくらでもあるでしょ? 解決を祈ります。
映画化されると話題になり、ただいま上映中。その前に原作を読んでみよう、と思い通勤途中のメトロ内でバーッと読んだ。本の雑誌が選ぶ2010年度ベスト1、2011年本屋大賞2位。24回目の山本周五郎賞受賞など経歴は凄い。それで問題の中身。最初の章”ミクマリ”。これは高校生の斎藤君が語る場面で引き込まれるように読んだ。確かに出だしは面白かったし着眼点はいい。だけどその後に続く同級生の女の子の語りや斎藤君の相手・主婦のつぶやき、最後の斎藤・母の愚痴(に近い自分への言い訳のようなもの)はおもろなかった。話しが進むにつれておもろさが半減。最初に比べたら同じ人が書いているんかいなと思えるほど。そう感じた人はいなかったのか。文庫本の解説を書いていて重松清さんは絶賛していらしたがホンマ二? と疑いたい気分。これをどんな風に映画化したのか。早よ観たいけど時間がなくてなかなか行けない。なるべくロングランでお願いしたいのだけど無理かしら。
うんと昔の学生時代の課題で、田辺聖子さんの本が取り上げられたことがあった。それまでも彼女の存在はもちろん知っていたが、読んではいなかった。関西弁がポンポン飛び交う会話が楽しかったし新鮮でその世界に引き込まれた。それ以前の文学少女を気取っていた時期にはけっして読まないジャンルだったのに、教授のおかげで世界が広がった感じがした。あれからだいぶ月日が経った。本棚に彼女の作品が並んでいても手に取らずにいた。そしてこの秋。本屋をぶらついていた時に見つけた、デザイナー・玉木乃里子を主人公にした三部作。これにはかなりのファンがいるらしく、復刻版(?)として出されたものらしい。文庫本にしては厚めの三冊を即購入。一気に読んだ。明るくてからりとしているのに、どこかに哀愁を含んでい、魅力的な女性、乃里子さん。時代背景なども鑑みて読み進めると更に面白い。現年齢はどう考えてもこちらが年上なのだが、ちょっと先輩の彼女の素敵さに憧れてしまった。こんな作品を仕上げた田辺聖子さんは凄い。手に取るようにその場面が浮かぶ描写の仕方、主人公たちの戯れが目に浮かんでくるしその匂いまでも感じられて全てに脱帽した。暗くウネウネとした純文学もエエけども、「人間の原点は案外こんなところにあるんとちゃいますか」と言われているようにも感じた。
一昨日の松田優作と同じNHKBSの番組で、尾崎豊を取り上げていた。彼の作品作りがいつから始まったのものなのかは分からないが若くして才能を発揮して、あっという間に逝ってしまった人との印象を改めて感じた。生きていた年代が彼とはダブっているので、当時の社会に対してや大人たちへの不満の感情は理解できる。言いたいことがほんとに山ほどあった。しかもそれらをどこの誰にぶつけたらいいのかが分からなくて悶々としていた。中学時代は友達や理解してくれる教師に訴えたこともあったっけと、懐かしい気持ちが沸いた。今を生きる子どもたちも似たような思いを抱えながら頑張っているのか? そんな子も少しはいるのか? 時代が変わったからそんな子は存在しないのか? などといろんなことを考えた。番組の中で、昔彼をプロデュースしたらしい人が出て来てべらべらとしゃべっていたがあれはちょっと、と思ってしまった。何が? と言われるとはっきりとは言えないのだけれどその辺はボカシテも良かったんじゃないかと。もっとも尾崎豊を語るにはあれがないとイカンのでしょうか?