スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ダイシング&第三部定理二証明

2007-03-03 20:36:32 | 血統
 フェブラリーステークスでGⅠ初制覇を達成したサンライズバッカス。この馬の母系祖先も古くに日本に輸入された馬ですので紹介しておきます。
           
 日本での祖となっているのは1925年、すなわち大正14年にアメリカで産まれたダイシング(7-c)という馬。輸入されたのがいつであるのかということが判然としませんが、サンライズバッカスへと続くダイシングの直仔となる第弐ダンシングが産まれたのが1939年。第弐がいるならそれ以前に第壱もいると思われますので、遅くとも昭和10年前後には輸入されていたものと推定されます。
 ただしこの一族は繁栄しているとはとてもいいがたく、これだけの歴史の中でGⅠ馬はサンライズバッカスが初めて。それどころか活躍馬というのもほとんど出てなく、これまでのこの一族の代表馬は、まだGⅠに格付けされる以前の東京大賞典を勝ったキョウトシチー。これは僕の競馬キャリアの中の1頭ですが、それ以前にも重賞の勝ち馬はわずかに1頭出ていただけのようです。このような牝系がよくぞ今の時代まで続いていたと思えるほどで、その中からGⅠ馬が出現したというのは奇跡的だといえるほどではないかという気がします。

 明日は熊本記念2日目優秀の火の鳥賞。並びは普通に考えて、志村-武田-阿部の関東、新田-村本の静岡、市田-中沢の近畿。地区的には佐藤は静岡、加藤は近畿を追走と思われますが、やや流動的ですので予想は控えます。

 これで第三部定理二を論証する条件が整いました。
 まず精神mensは思惟の様態cogitandi modiです。したがって第二部定理六により、ある精神が存在し、また何らかの思惟作用に決定される原因causaは、思惟の属性Cogitationis attributumとして説明される限りでの神Deusということになります。しかし身体corpusは延長Extensioの様態ですので、身体が精神のある思惟作用の原因であるということはできません。そしてこれと逆に、身体は延長の様態ですので、ある身体が存在し、またある運動作用に決定されるときの原因は、延長の属性Extensionis attributumとして説明される限りでの神であるということになります。ところが精神は思惟の様態なのですから、ある身体が何らかの運動作用をする場合の原因であるということはあり得ないということになるのです。
 現在の話との関係では、この後者の、精神(人間の精神mens humana)が身体(自分の身体の)あらゆる運動作用の原因ではあり得ないということが重要です。人間のある意志作用volitioというのは、まさにその人間の精神のある思惟作用なのですから、この意志作用が、運動motusにほかならないその人間の(身体の)行為の原因ではないということがここから帰結されるからです。したがって、この第三部定理二が証明されることによって、もしも人間の意志voluntasが自分自身の行為の原因であると考えるなら、スピノザの哲学においてはそれは誤りerrorであるということ、したがってここで考察しようとしている『エチカ』における責任論には、これを前提とすることができないということが理解できます。
コメント
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