スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

「愛のために死ねますか」という愚問&第四部定理五〇まとめ①

2008-02-02 21:08:02 | 哲学
 愛のために死ねますか,あるいは愛するもののために死ねますかという質問は,だれしも1度や2度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。僕はこの質問にはきまってNOと答えます。ただしこのNOは,質問に対する答えとしてのNOというより,質問そのものに対するNOであるといえるかもしれません。
 スピノザは『エチカ』の第四部定理六七で,「自由の人は何についてよりも死について思惟することが最も少ない。そして彼の知恵は死についての省察ではなくて,生についての省察である」と断じています。自由の人とは理性に従う人間,すなわち能動的な人間のことです。
 このことは,端的には第三部定理七から帰結するでしょう。あるいは第三部定理四から,人間に限らずどんなものにとっても死とは,徹底して受動的な事柄ですから,能動的な人間が死について考えないのは当然といえば当然です。たとえ人間が自殺するという場合でも,それは能動的な認識によって自殺を選択するのではなく,受動的な認識によって自殺するのです。実際にはあり得ないですが,仮に喜びに溢れ,一切の悲しみを知らない人間がいるなら,この人間は絶対に死を選ぶということをしないでしょうし,死について考えるということもないでしょう。
 「愛のために死ねますか」という質問は,このことと構造を同じくしています。もしも愛について考えるなら,その愛のゆえに徹底的に生きることを考えるべきであって,たとえ愛のためであれ,最初から死ぬことを考えるのは,真に能動的な人間のすることではありません。精神にも健康と不健康があるのなら,たとえ愛のためであっても,死を考えるのは,その精神が不健康な状態になっていることを意味します。
 愛するもののために死ねますかと問われたならば,僕はNOと答えます。僕は愛するもののために,徹頭徹尾生きることを考えるからです。

 明日は奈良記念の2日目優秀の飛天ちゃん賞です。東が4人,西が5人ですが,並びの予想が難しい。志智ー浜口ー服部の中部はこう並ぶでしょう。稲垣の後ろが空きますので,普通は香川ですが,志智がいく可能性もありそう。東は結束するなら飯野ー新田ー飯嶋ー稲村ですが,飯嶋が3番手で納得するかどうか。明日の新聞等でご確認ください。

 今回は第四部定理五〇をテーマとして設定しました。基本的にはこの定理を証明していくことで今回のテーマは進んでいきますが,本来の主題は,この定理を証明していく過程で,スピノザの哲学の感情論の一端を明らかにしていこうということです。
 まず,この定理を理解するためには,憐憫という感情がどのような感情であるのかということを理解しておかなくてはなりません。それは,第三部諸感情の定義一八において明らかにされていて,ある人間が,他人の悲しみを表象することによって自らも悲しみを感じるとき,この人間はその他人を憐れんでいる,すなわち,この人間がその他人に対して憐憫という感情を抱いているということになります。この場合,自分の悲しみの原因が他人の悲しみを表象するという点にあります。いい換えれば,自分が他人が感じていると表象するのと同じ感情を抱いているわけです。このように同じ感情を抱くこと自体は,その人間が意図的になすものではなく,むしろシステマティックにその人間に生じるものではありますが,他人の感じる感情を自らも模倣するという観点から,このようなことをスピノザの哲学においては感情の模倣といいます。したがって憐憫という感情は,悲しみという感情に関係するような感情の模倣であるということもできるわけです。
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